第6話 王都の闘技大会 1

 仕立屋を通して質の悪い糸を購入し、リボン状以外の織り方に挑戦する。

 誕生日プレゼントに、とレオナルドがボビンレース用の糸巻ボビンをたくさん作ってくれたので、糸巻を渡して糸を購入すれば、店側で糸を巻いてくれるので少し楽だ。

 質の良い糸が届いたら、練習ではなくフェリシアにリボンを作ろうとも思う。


 ……いつか図案も自分で作れるようになったら、フェリシア様にミミズクを図案に織り込んだ付け襟でも贈ろうかな。


 そんなことを考えながら、糸巻を転がす。

 模様としてはそれほど複雑ではないはずなのだが、リボン状が幅広い面になったというだけでも単純に転がす糸巻の数が増える。

 それだけで私が混乱するには十分だった。


 ……またしばらく苦戦しそうで楽しめそうかも。


 コロコロと糸巻を転がして楽しんでいると、闘技大会の日がやってきた。

 私は王族の貴賓席にいるように、とレオナルドから言われているので正装だ。

 夏服として仕立ててあるので生地は薄めだし、風を通すようにも作られているのだが、色が不味い。

 レオナルドの正装に合わせて黒を基調に赤が差し色として使われているため、夏の野外へ出るには不向きだ。


 ……まあ、仕方がないか。


 私がいることになる場所は仮にも王族の貴賓席なので、日除けぐらいはあるだろう。

 直射日光を長時間浴び続けるわけでもなければ、黒い服でもなんとかなるはずだ。







 グルノールの街では館の隣にある砦へと行けばすぐ闘技大会が行われている会場だったのだが、王都は違った。

 砦の中庭に観客席を作るだけのグルノールとは違い、王城には闘技場がある。

 白銀の騎士の闘技大会のためだけに大きな施設を作ったのかと一瞬だけ思ったのだが、名前は闘技場ではあるが、ここでは劇や国王が国民に向けて令を発する時にも使われているらしい。

 民も利用するということで、闘技場は王城の敷地内にあるが内街の近くに作られており、離宮から闘技場へと向かうためにはかなりの距離があった。

 そのため闘技場へは馬車に揺られることとなり、同じ敷地内にある建物へと出かけるだけなのだが、ちょっとしたお出かけ気分だ。


 ……フェリシア様の馬車は、夏場には快適でした。


 王族の乗る馬車として、解放的過ぎるのは防犯面でいかがなものかと思うのだが、日除けの傘が付けられただけで窓も壁もない馬車は風通しが最高だ。

 安全が確保されているのなら、夏に乗るには素晴らしい馬車だと思う。


 フェリシアは白銀の騎士のエスコートで、私はレオナルドのエスコートで馬車を降りると、控えの間へと案内される。

 控えの間に入ると、奥には国王であるクリストフと、その両隣にふくよかな女性が二人控えていた。


 ……おきさき様、かな?


 クリストフには妻が三人いる。

 数が合わない気はするのだが、女性たちの服装を見る限りは、側仕えや侍女といった様子ではない。


「ご無沙汰しておりました、クリストフ国王陛下」


「うむ、追想祭以来だな。元気そうでなによりだ。私の居城へも、気軽に遊びに来てくれてよいの……」


 静々とクリストフの前へと進み出て、淑女らしく挨拶をする。

 鷹揚に頷いたクリストフがわずかに身じろいだのだが、不自然に言葉が止まった。

 クリストフの表情は少しも動かなかったのだが、肩にかけられた豪奢なマントがかすかに動いた気がして、何事かと足元へ視線が行く。

 完全に視界が変わる前に、クリストフのマントの上へと乗せられていたものは退いたようだ。

 マントの上にはなにもなかったが、右隣に立った女性のドレスの裾が少しだけ揺れていた。


 ……納得しました。妻が三人いるって、三人いてようやくクリストフ様の制御ができるってことですね。物理的な意味で。


 思わずクリストフのマントを踏んだ妃を見上げてしまったのだが、目が合う前に左隣の妃が一歩前へと進みでてくる。

 その動きに気を取られて視線をむけ、気が付いた。

 妃の行動は、何も考えていない私がうっかりツッコミを入れることを封じたのだろう。

 二人の妃は完璧なコンビネーションで夫をフォローしているようだった。


「ようやくお目にかかれましたね、クリスティーナ。貴女のことは、夫と孫から聞いていますよ」


「はじめまして、グロリアーナ様」


 夫はともかくとして、孫と強調してくるのだから、ディートフリートの祖母なのだろう。

 ということは、ノラカムを送ってきた第一王子の母親のはずだ。


「今日はわたくしたちと一緒に、レオナルドの活躍を見守りましょう」


「はい、ジョスリーヌ様」


 クリストフのマントを踏んで私への突撃を物理的に阻んだお妃は、見た年齢から察するにアルフレッドの母ではない。

 一番身分の高い妻であるアルフレッドの母は、身分は高いが嫁いだ順番でいえば最後になる。

 この場にはいないようだが、王の妻の中では最も若い。


 ……それにしても、たまに『さすが異世界』ってなる常識があるよね。


 同性婚が選択肢の一つとして話題にもならないほどに定着した常識だということにも驚いたが、既婚女性がふくよかなことをデブとそしる風潮がないことにも驚いた。

 子どもを産んだ女性の体型が崩れることは当たり前のことであったし、柔らかな女性の身体は妊娠中の赤ん坊を守るクッションにもなる。

 ついでに言えば、夫に十分な稼ぎがあるという証拠にもなり、貴族や富裕層であればふくよかな方が夫には自慢の妻となるのだとか。


 ……日本とは違うね。日本では人妻でも痩せていろ、って風潮だったけど。


 日本はとにかく痩身こそが美の条件とでもいうような風潮があったが、外国ではふくよかな女性の方が美しいとする地域もあったし、日本だって大昔は下膨れの顔が美人とされていた時代がある。

 美の基準が時代によって変わると思えば、異世界の美の基準が私の感覚とずれていても不思議はない。


 ……まあ、男のふくよかさんは蔑視されるみたいだけどね。


 女性の体型が崩れるのは赤ん坊のためと理解されているが、男性の太鼓腹は本当に無駄な肉だと見られる。

 そのため、身だしなみや自己の振る舞いに気を使う貴族や富豪の商人に肥満は少ない。

 ついでに言うのなら、未婚女性でふくよかなのは、やはりあまり良い感想は抱かれないようだ。

 これは痩身が美人という話ではないらしく、子持ちの女性なのではないかと見られて恋人選びで不利に働くだけだった。


 ……それにしても、レオナルドさんは活躍すること前提なんだね。


 白銀の騎士にはレオナルドより強い人間がいると聞いていたので、少し意外だ。

 グルノール砦の闘技大会のようにはいかないだろうと思っていたのだが、普通に活躍を期待されている。

 不思議だったのでそれとなく聞いてみたところ、今日のレオナルドは負けるわけにはいかないのだそうだ。


「今日の対戦相手の何人かは、貴女への求婚権を賭けてレオナルドに決闘を申し込んでいるそうだけど……」


 聞いていないかしら? と可愛らしく小首を傾げたジョスリーヌに、失礼ながら猫が脱げる。

 取り澄ました淑女の仮面をつけていたのだが、マヌケにも口をポカンと開けてしまった。


「わ、わたくし、まだ十一歳の子どもなのですが……?」


「あと四年もすれば大人の仲間入りね。それに、女の子は男の子より早く大人になるもの。今のうちから予約しておきたいのでしょう」


「四年? あと九年はレオのうちの子でいる予定なんですけど……っ」


 なんだかおかしなことになっているぞ、と慌てて背後のレオナルドを見上げる。

 目が合う直前にサッと目を逸らされたので、求婚者については私の耳に入れることなく片付ける気でいたことがわかった。


「レオ、足」


 求婚話は置いておくとして、私の今後にまつわる話を、私の耳に一切入れる気がないとはどういうことだ。

 それも、ばれたら改めて説明をするのではなく、目を逸らして逃げようなどと。

 これはまずお仕置きが必要だろう。


 どうせ脱げた猫など、今さら被り直しても仕方がない。

 私の素など、すでにクリストフには見せている。

 ということは、仲の良さげな妻たちには私の素行など筒抜けと思っていいだろう。


「……求婚者全員を叩きのめしてくれたら、お祝いに頬へキスしてあげます」


 脛を押さえて蹲るレオナルドに、目の前へと下りてきた整えられた髪の毛をぐしゃぐしゃに掻きまわしてやる。

 事前に話してくれなかったことは面白くなかったが、レオナルドが求婚者に勝ってくれれば終わる話だ。

 私にできることがあるとすれば、妹大事な兄へとご褒美を提示して試合へと送り出すことだけである。


「ついでに、そろそろ特注靴を卒業してくれると嬉しいのだが……」


「お祝いは言葉だけでいいみたいですね、レオナルドお兄様」


 頬へのキスはなしだ、と匂わせると、レオナルドの顔が引き締まった。

 必ず全員を叩きのめしてくる、とそう宣言するレオナルドの顔は、悔しいことに我が兄ながら格好いい。

 ただそれを素直に伝えるのは面白くなかったので、ぷいっと横を向いてしまった。







 闘技大会開始の時間が近づき、白騎士の案内で闘技場に用意された貴賓席へと移動する。

 私の席は、フェリシアの席の少し後ろに用意されていた。


 ……一番高いところの席がクリストフ様、っていうのはわかるんだけど?


 闘技場の観客席は、いわゆるコロッセオのように階段状になっている。

 その正面最上段に国王とその妻の貴賓席があり、王爵を持つ王族の貴賓席はその一つ下の段に作られていた。

 フェリシアの後ろということは、当然私の席も王爵の貴賓席にある。

 問題は、王爵を持たない王族の席が王爵を持つ王族より下にある、ということだ。


「わたくしが王族より上の席にいるのは、不敬ではありませんか?」


 日よけの天幕があるおかげで下の段にいる王族の様子は見えないのだが、普通に考えて王爵の席に平民わたしがいることを快く思うわけがない。

 私が下の階を気にしていると、フェリシアは目を細めて下段の天幕に視線をやった。


「王の子に生まれたというのにその責務を果たす気のない者など、気にかける価値もありません」


「でも、未成年こどもの王族もあそこには……」


 クリストフには十五歳以下みせいねんの子どもがまだ一人いたはずだ。

 他はすべて十五歳以上なのでフォローできないが、子どもとはいえ平民の私がここにいるのは面白くないだろう。


「末の弟なら、お母様とご一緒しているのではないかしら?」


 第四王子はまだ本当に小さいので、一人で長時間席に座っていることはできないそうだ。

 乳母に見張られて別室に待機させられているか、特別に母親であるジョスリーヌと一緒に国王の貴賓席にいるだろう、と。


「下段の王族方が気になるのでしたら、エセルバート様とご一緒されますか?」


「あれ? キュウベェさん?」


 いつの間にそこにいたのか、背後から新しい方のキュウベェに声をかけられた。

 周囲を見渡してみるが、エセルバートの姿はない。

 エセルバートの移動に付き添っているのかと思ったのだが、わざわざ声をかけに来てくれたらしい。

 視線で促されたので首を巡らせてみると、エセルバートのために整えられたとわかる一角があった。

 エセルバートの席は前国王とはいえ、位置は現国王より一段下だ。

 王爵の席と同じ高さにあるのだが、老齢を考慮されてか、席の造りが少し違う。

 王爵の席は試合会場がよく見えるようにと前方を含め側面の壁の一部が取り払われているのだが、エセルバートの席は側面に御簾みすが下りている。

 御簾で視線が遮られて中は見えないのだが、おそらくはお気に入りのナパジ風に整えられた快適空間なのだろう。


「エセルバート様のお席は御簾で区切られておりますから、会場は少し見にくいかもしれませんが、他の方の視線を気にする必要はございませんよ」


「でも、今日は兄からフェリシア様の側にいなさい、と言いつけられていますので……」


 視線を気にしなくていいのは気が楽だが、言いつけを破るのは気がひける。

 立派な建前もあることだし、とエセルバートの誘いを辞退しようとしたのだが、新しいキュウベェは私などより余程上手だった。


「エセルバート様の席にはたたみもございますよ」


 靴を脱げる快適空間。

 ついでに御簾で区切られているために他人ひとの目を気にする必要がない。


「フェリシア様、日焼けは美容の大敵だったりしたりいたしませんでしょうか?」


「日に焼けた私もそれはまた美しいと知っていてよ?」


「では、えっと……」


 素敵過ぎる提案にぐらぐらと懐柔された私は、なにかフェリシアを移動させる言葉はないだろうか、と思考を巡らせる。

 レオナルドにはフェリシアの側にいろ、と言われているのだ。

 フェリシアがエセルバートの席へ移るのなら、なんの問題もない。

 

「私は私の美貌を民の目に触れさせることこそ、神々が私に与えられた使命と自覚しているわ。だから、お祖父さまの席へは同行できないの」


「そう……ですよね。御簾の中に入っちゃったら、国民みんながフェリシア様を見れませんものね……」


 これは諦めるしかないのだろうか。

 そうガッカリと肩を落としたのだが、フェリシアは笑って私を送り出してくれた。

 私の席はフェリシアの少し後ろに用意されているため、会場にいるレオナルドからはどうせ見えない、と。

 あとで口裏を合わせればよい、と。


「フェリシア様、素敵ですっ!」


 今日の保護者はレオナルドではない。

 融通の利くフェリシアだ。


 フェリシアに最大限の感謝を捧げて、エセルバートの席へとお邪魔させてもらうことにした。

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