第5話 ミミズク姫と梟の精霊 2
王都滞在もひと月ほど経つと、そろそろ新しい環境に慣れてきた気がする。
午後からのヘルミーネの授業は相変わらずなのだが、自由時間にはボビンレースや刺繍をするといった心の余裕もできてきた。
授業の時間以外の朝から晩までレオナルドの横へと陣取ることもなくなり、レオナルドも少しホッとしているようだ。
フェリシアに対して、私の人見知りがそれほど発揮されなかったことも大きい。
ついでに言うのなら、フェリシアを見習いつつ、浅く広い人付き合いの仕方も勉強中だ。
まだまだ完璧とは言えないのだが、
……そろそろコースターとか、リボン状のもの以外にも挑戦したい気はするかな。
リボンなら質の良い糸でも悩まずに織れるようになってきたボビンレースを確認し、一人で首を傾げる。
ボビンレースを教えてくれたオレリアや、すでに私なんて足元にも及ばないほどにボビンレースを極め始めているカリーサがいれば相談ができたのだが、自己判断には少々自信がない。
今の私は次のステップへと進んでも良いものなのだろうか。
……とはいえ、リボンは本当にもう十分な気がするんだよね?
単純な話、私がもう少し難しい図案に挑戦したくなってきたのだ。
「いっそ、幅の広い大きなリボンを作って、フェリシア様に贈ってみようかな?」
リボンで局部を隠した写真を前世で見たことがある。
いわゆる『プレゼントは私』というジョークのためのプレゼント用ラッピングリボンだ。
写真のリボンは
「そんなものを身に纏ったら、
巨大リボン案をフェリシアの元へと持ち込んだところ、自分の体をリボンで覆い隠すことは美の損失である、とフェリシアは柳眉を寄せた。
怒り顔というよりは、困った子ね、とでも言うような困惑に近い顔なのだが、慣れた今でも思わず見惚れてしまいそうになるほど美しい。
「見えない方が美しい、ってこともあると思うのですが……」
「見えないものをどう愛でればよいのか、教えてほしいものね」
自分の美しさに絶対の自信を持つフェリシアには、恥じらいを持て、局部ぐらいは隠せ、という説得は効かない。
唯一股間が金隠しで隠されていることは、もしかしたらフェリシアに受け入れられるギリギリの妥協なのかもしれなかった。
自分の美しさを隠すことは神への冒涜だと思っているが、アルフレッドやクリストフから服を着ろとうるさく説教をされるのも嫌だ、というような。
「前の記憶の話になりますが……」
そう前置いてから、前世で有名だった美術品についての話をしてみる。
美の女神の名を戴くことになった両腕が欠けた彫像は、実は群像のうちの一つだっただとか、林檎を持っていただとか、さまざまな説があった。
そんな諸説の中には、欠けた彫像がなぜ美の女神の名をいただけたのだろうという疑問と解説もあり、彫像は『両腕がない』からこそ美しいのだと聞いたことがある。
手というものは物を掴んだり、捕まえたり、盗んだりと、人の欲望の象徴でもあるらしい。
その腕が両方とも失われているからこそ、彫像は美しいのだとか。
……まあ、庶民でしかなかった私にはそんな
ただ、少し言い換えれば途端に共感も理解もできる解説になる。
……隠れていた方が萌える! チラリズムこそが正義っ!
人の欲望の象徴である腕が無いからこそ美しい。
そんなことを言われても一ミリも共感はできないが、見えないからこそ想像を掻き立てると言い換えてしまえば、恐ろしく理解できた。
この欠けた腕の先にはどんな手があったのか、
本当に林檎を持っていたのか、一人ではなく誰かへと腕を差し出している像だったのではないか。
腕がないおかげで、見る人間によってさまざまな彫像の以前の姿が想像される。
それは完全な状態で発掘されるよりも、人々の記憶に強く印象を残すはずだ。
想像力を掻き立てるということは、それだけでひとつの強みになる。
「ヘンリエタは確かにそのままで美しいけど、そこをあえて隠すことで、隠された部分はどう美しいのかと想像を掻き立て、見る人の心をより豊かに……」
自分でも段々なにを言っているのだろう、と疑問になってきたのだが、若干どころではなく大げさに服を着ることと美を関連付けてフェリシアを煽ってみる。
美しいということに絶対の価値観を持っているらしいフェリシアならば、自分が他人の可能性を狭めているともなれば、布の一枚ぐらいは着る気になってくれるかもしれない。
「……私は、これまで美しいものは隠さず、民の目に等しく触れさせるべきである。それこそが神々が私に与えてくださったこの美貌への報いであり、義務であると、そう思っていたのに……美しいものをそのまま晒し続けることで、私が民から美を感受する可能性を狭めてしまっていただなんて……っ」
「そこまでは言っていませんよ。ヘンリエタは美人さんで、目の保養になります」
愕然とした表情に変わってしまったフェリシアに、服を着ようと説得していたはずなのだが、そのままでも良いと思わず自分の発言を撤回する。
打ちのめされた美人につい優しくしてしまうのは、なにも下心のある男性だけではないのだと実感した。
うな垂れた美人を放置できる人間などいない。
いたとしても極少数だ。
「……わかりましたわ。このフェリシア・クリストフ・エヴェリーナ・アンゲラ・イヴィジアは、民のためならば神々の怒りをこの身に受けても悔いはありません」
布を纏いましょう、と悲壮な決意を固める顔をして、フェリシアは顔をあげた。
美人の凛々しい顔つきについ見惚れてしまうのだが、発言だけを拾えば『裸族をやめます』だ。
カッコいいと感動するような決意ではない。
「しかし、そうとは言っても私の美しさを損ねるような布は纏いません。あくまで美しく、それでいて民の感受性を高める意匠でなければ……。クリスティーナの言うリボンも、仕上がりによっては身に纏うことにしましょう」
「えっと……ありがたき幸せ、です」
……って言えばいいのかな? この場合。教えて、ヘルミーネ先生!
決意を込めた瞳で見つめられ、反射的に後ろへと下がりたい。
けれど、両手をしっかりと捕まえられていたため、逃げることはできなかった。
「そうと決まれば、仕立屋を呼びましょう。……あら、私にはお気に入りなんてありませんでしたわね。では、クリスティーナのお気に入りの店でいいわ」
「王都へ来たばかりのわたくしに、お気に入りの店などありません」
なんだか急にその気になってくれたのは嬉しいが、これまで裸族で生きてきたフェリシアに専属やお抱えの店はないらしい。
公の場に出る際には、アルフレッドやその母親が整えた服を無理矢理着せられていたのだそうだ。
せっかくフェリシアがその気になってくれたのだし、と出鼻を挫く真似はしたくないのだが、私にはお薦めできる店もなにもなかった。
「
ナディーンに確認を取ってくるように、とフェリシアの侍女が下がらされる。
私は金貨五千枚の衝動買いで身分剥奪された王女を気の毒に思っていたのだが、フェリシアはその先をきちんと心配してくれていたらしい。
たしかに、それまで贔屓にしてくれていた顧客が突然いなくなってしまえば、困っている店もあるだろう。
翌日、ナディーンの手配でやって来た仕立屋は、まずフェリシアの慧眼と厚情に礼を述べたあと、早速仕事に取り掛かった。
挨拶の次に礼を言ったことを思えば、本当にクローディーヌの失脚は店にとって大きな打撃を与えていたのだろう。
そのフェリシアといえば、やはり布で自分の美貌を隠すことに抵抗がまだあるようで、多くの貴族女性のように布を贅沢に使うことは好まないようだ。
これには仕立屋の連れて来たデザイナーも困ったようで、頭を悩ませていた。
……前に見たクローディーヌ王女とは、服装の好みが真逆みたいだしね?
クローディーヌは布をたっぷりと使った清楚なドレスを着ていた。
そのお気に入りだったという仕立屋に、すぐにフェリシア好みの服を仕立てろというのも無理があるだろう。
ただ、扱っている布の質にはフェリシアも文句はないようで、いくつか肌触りの良い布を選んでいた。
「……ティナも服を作るか?」
「わたくしの服は、昨年着ていた物がまだ着れますよ」
お気に入りもあるので、これ以上増やさないでください、と耳打ちをしてきたレオナルドに釘をさす。
フェリシアには欲望を起こさないレオナルドだったが、私に対する着せ替え欲は健在なようだ。
大量に持ち込まれた布の見本やデザイン画に、私の服を作りたくなったらしい。
「……冬服が必要だろう。グルノールから持ってきた服は、夏服と秋服が少しだ」
「靴屋なら呼んでくれてもかまいませんよ?」
暗に特注靴ならば作っても良い、と言ってみる。
王都へは片道でひと月かかるとは聞いていたが、思いかけず数ヶ月は滞在することになってしまった。
服は少し直せばしばらく着ることができるが、靴はどうにもならない。
このまま特注靴を愛用するのなら、王都でも私の注文を聞いてくれる靴屋を探す必要があった。
「クリスティーナ、なにか面白いデザインはないかしら?」
どうやらクローディーヌのデザイナーはお気に召さなかったようだ。
好みに合わないのなら、いっそ奇抜なものを、とフェリシアは私に白羽の矢を立ててきた。
「わたくし、服のデザインを作ったことは……」
「ゼロからでなくても結構よ。クリスティーナが知っているもので、私に似合いそうなものを考えてみてちょうだい」
「ヘンリエタに似合いそうな……美人でスタイルいいから、なんでも似合いそうな気がするのですが……」
「でもクローディーヌの好みは、私には似合わないと解るでしょう?」
「ああ、はい。それはたしかに」
何を着ても似合う美人だとは思うのだが、クローディーヌに似合うようにデザインされた服がフェリシアに似合うわけはないと思う。
なんとなく前世の記憶から面白そうな案を出せ、と言われていることは解ったので、デザイナーに紙を貰っていくつかの絵を描いてみることにした。
「フェリシア様はスラっとしているから、身体のラインが出てると素敵ですよね……ああ、でも綺麗な足は見せたい」
身体のラインが出るシンプルなドレスを描いてみて、自主的に没にする。
丈の長いドレスは、どうしてもフェリシアの魅力的な足が隠れてしまうのだ。
「何かないですかね? フェリシア様の魅惑の肢体がより映えるような……」
ナイスバディの美女が纏う布面積の少ない魅惑的な衣装といえば、悪の女性幹部とか、身体のラインにそったボディスーツだろうか。
王女のドレスという先入観を棚に上げ、コスプレ衣装としか思えないような悪の女性幹部的衣装をいくつか描いてみる。
服飾など学んだことはないので、どうしてもアニメかなにかの模倣になってしまったが、いくつかのデザインが描きあがった。
とりあえずフェリシアに見せてみようとしたのだが、デザイン画だけが取り上げられると、私は立たされて数人の針子に囲まれる。
……あれ? なんで私が採寸されてるの?
必要ないと言ったのだが、レオナルドの差し金だろうかと視線を向けると、丁度フェリシアにダメだしをされたデザイン画から顔をあげたレオナルドと目が合う。
ジトッと胡散臭げな目で見つめてやると、自分は無実であるとでもいう様に視線でフェリシアを示された。
……フェリシア様?
紙とペンを持ったフェリシアの元へと、デザイナーが私の描いたデザイン画を持って見せている最中だった。
時折フェリシアがなにか注文をつけているのが見えるが、顔はどこか満足気だ。
日本の悪の女性幹部的衣装は、女体を魅惑的に見せるという意味で特化している。
フェリシアの好みにも近かったようで、なによりだ。
……それで、なぜに私の採寸が?
まさかお揃いの衣装でも作られるのだろうか。
悪の女性幹部の衣装はナイスバディの美女が着るからこそ映えるのであって、胸もお尻もまったいらな女児が着るものではない。
さて、どう断ろうか。
私が冷や汗を流して悩んでいる間に、デザイナーとフェリシアの打ち合わせは終わったようだ。
フェリシアはデザイン画をデザイナーへと渡すと、私の元へ白い毛皮を持ってやってきた。
……もふもふ?
夏になぜ毛皮、と思いつつもされるがままにしている。
とりあえず、私の描いたデザイン画の中に毛皮を使いそうなものはなかったはずだ。
ということは、毛皮を私に当てている以上、私があの悪の女性幹部衣装を着るはめになるわけではなさそうで、なによりである。
……あ、わかった。梟ですね。梟の精霊コスをさせるつもりなんでしょう。
毛皮を頭に載せたあと、色鮮やかな羽を私の身体に当てる。
どうやら今度は、羽と私の体の大きさを比べているようだ。
これは本格的に梟の恰好でもさせる気になったのだろう。
「もっと大きな羽の方が華やかになるわね」
「今からなら作ることもできますが……」
「そうね。本物の羽を使いたかったけれど、防寒と仕上がりを考えれば、仕方がないわね。羽は作り物にしてちょうだい」
「かしこまりました」
フェリシアとデザイナーの間でなにやら意見が一致し、頭に載せられた毛皮が針子の手によって箱へと戻される。
なんとなくその動きを見送っていると、衣装のデザイン画を描いている間にそのお礼として、フェリシアが私の冬服を一着作ってくれることになったのだ、とレオナルドが聞かせてくれた。
今年の冬は黒猫ではなく、白梟になるようだ。
そして冬服もやはり必要になるだろう、と私の説得にヘルミーネが導入され、レオナルドは満足気に私の服を注文してくれた。
もちろん、靴屋の手配を取り付けておくことも忘れない。
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