第4話 ミミズク姫と梟の精霊 1

 フェリシアの言う『ヘンリエタ』は、どうやらフェリシアが飼っているミミズクの名前だったらしい。

 なぜ私にペットの名前で呼ばせるのかは判らないのだが、フェリシアの前髪に付けられた癖が、ミミズクの羽角うかくを真似たものであることだけは確かなようだった。

 離宮の客間へと住み着いたフェリシアは、ついにはヘンリエタことミミズクを離宮へと運び込ませ、本気で長期滞在をする姿勢である。


 ……ありがたい、って思わなきゃなんだよね?


 私の背後には王族がいる、という牽制アピールのために離宮へと滞在してくれているはずなのだが、華やかなフェリシアが離宮に滞在することで客が増えた。

 すべてフェリシアの信者なので私が相手をする必要がないだけ気は楽なのだが、私がフェリシアに可愛がられているという印象を与える目的もあって、毎回お茶会をしている東屋へと呼ばれる。

 おかげで王都に来てからというものほとんど引き籠っていたのだが、貴族の知人が増えた。


 ……でも、ホントにフェリシア様を見る人の目って、いやらしい目つきじゃないんだよね。


 フェリシアの信者は年齢を問わず、性別すらも問わず、彼女に心酔しているようだった。

 若い男であればつい邪心を抱いてしまう魅力的な裸身をしていると思うのだが、フェリシアの茶会にそういった淫靡さは欠片もない。

 ただ美しいフェリシアを賛美し、その美しさの前に膝をつくだけで満たされるそうだ。


 ……フェリシア様は美しさで人心を制しているって言うけど、これ普通に女王様と下僕の関係じゃないかな。


 そうは思うのだが、私は黙って愛想笑いを浮かべる。

 私は空気の読める元・日本人だ。

 庭先が怪しげな乱交会場になるのでもなければ、大勢の老若男女が美女に跪くぐらいはなんということもない。


「場の空気の掴み方は、よく観察なさってください」


「はい、先生」


 さすがに王族の茶会に女中メイドを連れては来られなかったので、今日のヘルミーネは以前のような家庭教師として相応しい服装をしている。

 まだ少女といった年齢の私がフェリシアに対して無作法を働かないように見張る、という名目で側に控えてもらっていた。


「フェリシア様は奔放な方ですが、問題行動は一度も起こしたことがございません。視線一つで相手を支配し、意のままに操られるのです」


 よく見て場を支配できるよう学べ、とヘルミーネは言う。

 ただし、服装だけは影響を受けないように、という前置きもついていた。


「裸は問題行動には入らないのですか?」


「個人的にはどうかと思います。ですが、フェリシア様はアルフレッド様同様、公私はしっかりと分けておられる方ですので、他人ひとが横から口を挟むようなことだとは思っておりません」


 たしかに思うことはあるが、服装など個人の自由である。

 ある意味ではしっかり割り切って、他人の自由を権利として受け入れられるヘルミーネは凄いと思う。

 私だってフェリシアの裸に慣れはしたが、服は着た方がいいと思っていた。

 いかに美術品のように美しく整った、非の打ち所の無い肉体であろうとも、だ。


「ヘルミーネ先生は本音ほんとう建前うそをしっかり分けて考えられて、尊敬いたします」


「フェリシア様は王爵であらせられますからね。一人の民として、尊敬も敬愛もしております」


 ……全裸だけどね。


 ちらりと思考が逸れたことがわかったのだろう。

 ヘルミーネに茶会の間は微笑を絶やさないように、と注意されてしまった。


 ……でも、本当に美貌って武器になるんだね。


 前世では『美人は作れる』と揶揄やゆされるものでもあったが、フェリシアは違う。

 化粧など何もしていなくとも美しいし、高価な宝石など身につけなくとも輝いている。

 確かに、本人が自称するように神々が与えた女神の美貌なのだろう。

 あの青い瞳に映るためになら、命を投げ出す者だっているはずだ。

 

 自分の容姿を正しく理解し、武器にする。

 母が可愛らしく生んでくれた今世の私には、確実に必要な技術だった。







 ふくろうの姫、と私が呼ばれるようになったのは、明らかにフェリシアのせいである。

 普通であれば王族へと与えられるはずの離宮に住む私の存在を、貴族たちが不思議に思うのは仕方がないとは思うのだが、それにしても梟はあんまりだと思う。

 私に『ヘンリエタ』と呼ばせたのはフェリシア自身だったのだが、面白がったフェリシアが貴族の一人へと私を紹介する時に、梟の精霊であると言い出したのだ。

 自分の羽角をみて仲間ミミズクだと思い、人の世界に迷い出てきた梟の精霊である、と。


 ……まあ、多少の失敗は「精霊なのだから仕方が無い」って笑って許してくれるのは助かる気がするけど。


 ついでに言うと、精霊出身というのは、私が精霊の寵児をしていたことからも奇妙な説得力があったらしい。

 みんなまさか本当にそんなはずはないと解っているはずなのだが、私の出自については梟の精霊ということで不思議と納得してしまったようだ。


 ……まあ、納得した振りをして、あとで調べてる人もいるみたいだけどね。


 裏でこっそり離宮へと探りをいれてくる貴族もいるようなのだが、それらはヴァレーリエとウルリーカに把握され、私とナディーンの元へと報告がやってくる。

 私について探りを入れているのは忠爵が多く、杖爵になるとフェリシアが言うのだからと私への不審感はまる飲みにし、華爵は先に失敗したニコラ・ウードンの影響もあってか静かなものだ。


「妹のように可愛がってくださるのはありがたいのですが、これはレオナルドお兄様の婿入りフラグでしょうか?」


「……ふらぐ?」


 時折つい出してしまう前世の単語に、レオナルドが少しだけ目を丸くする。

 それだけで自分の失敗に気が付き、別の言葉を探した。


「えっと……布石とか、伏線とか……根回し? でしょうか。レオナルドお兄様の妹であるわたくしを妹のように可愛がることで、レオナルドお兄様をお婿さんにしようというフェリシア様の作戦、というような?」


「可愛い顔で恐ろしいことを言わないでくれ」


 フェリシアの婿などとんでもない、と言ってレオナルドは頭を抱える。

 まさかここまで嫌がられるとは思わなかったので、思いつきとはいえ悪いことを言ってしまったかもしれない。


「フェリシア様、美人ですよ。恐ろしいってほど恐ろしいことではないと思います」


「確かにフェリシア様は美人だが、俺はあの方を女性としては見れない。こう言うのはおこがましいが、友人だとか、同士のようなものだと思っている」


「同士、ですか?」


 はて、なんの同士だろう? と先を促してみたが、その先を話してくれる気はないようだ。

 余程『お婿さん』という言葉が衝撃的だったようで、レオナルドはこめかみをグリグリと揉み解している。

 催促はしないが、じっとレオナルドを見上げていると、私がまったく納得していないことが判ったのだろう。

 少しだけ考える素振りを見せたあと、神妙な顔をしてこう言った。


「ティナだって、ミルシェと同じ顔をしたお婿さんは微妙な気分になると思うぞ」


「ミルシェちゃんと同じ顔をした男の子……テオですか? たしかに嫌かもしれません」


 しかし、レオナルドが言いたいことは解った気がする。

 アルフレッドとフェリシアは美形の姉弟だ。

 そして、アルフレッドとアルフはほとんど同じ顔をしている。

 いかに女性としてまろみのある肢体をしていようとも、立派な胸があろうとも、男の友人と似た顔が付いていては、色っぽい関係にはなりにくいかもしれない。


「まあ、ティナを可愛がってくださることはありがたいが、あの方の妹との接し方は、ティナが思うような可愛らしいものじゃない」


 驚くべきことに、次期国王最有力候補と目されるフェリシアは、公人としては王の子として生まれた責任と義務をよく理解し、己を律する性格をしているらしい。

 そのため、同じ王の子でありながら王爵を得ようともしない姉妹たちへのあたりは厳しかったようだ。


 ……そういえば、離宮に来た日にナディーンが言ってたかも。


 はじめまして、と挨拶をした時に相好を崩しながら言ったはずだ。

 お行儀の良い子である。お姫様方とは大違いだ、と。

 あの言葉は、そのままの意味だったのだろう。

 冷静に考えれば、アルフレッドの姉や妹がお淑やかなわけもなかった。


 ……そういえば、この離宮ってもともとフェリシア様の妹が使っていたはずなのに、その妹を追い出す原因になった私について、含む物とかまったくなさそうだよね。


 フェリシアは晴れやかな微笑みで私の名を呼ぶ。

 おまえのせいで妹が国外追放だ、などと責められたことは一度もない。

 来客の前では私を梟の精霊と呼んで可愛がり、身内のみの場では他国にほんのことについて聞きたがる。

 顔は美しすぎて慣れるのに時間がかかったが、中身はお茶目なところもあるお姫様だ。


「……そういえば、三日後に闘技大会があるのだが」


「もうそんな季節……ではありませんね。グルノールの街の闘技大会は半月遅いのでした。……あれ?」


 夏に行なわれる闘技大会と言えば、私にとってはグルノール砦で行なわれるものだ。

 レオナルドの少し特殊な立ち位置から、グルノールでの闘技大会は他の砦に比べて半月ほど遅くなるのだが、ここは王都だ。

 闘技大会をやるにしても、黒騎士はそれほど人数がいないはずである。


「王都でも黒騎士の闘技大会があるのですか?」


「王都にいる黒騎士はローニョレ騎士団だから、ローニョレ砦で闘技大会を行なう。王都で行なわれる闘技大会は、白銀の騎士たちによるものだ」


「白銀の騎士も、やはり実力主義で団長や副団長を決めるのですか?」


「そういうことになるな」


 精鋭中の精鋭から選ばれるという白銀の騎士が、自分たちの指揮官を実力で選ばないわけがなかった。

 グルノールの街に来るまでは王都で白銀の騎士をしていたというレオナルドは、最高でも七位だったらしい。

 私はレオナルドより強い人には会ったことがないのだが、ジークヴァルトから聞いていたように、王都には本当にレオナルドよりも強い人間がいるようだ。


「闘技大会の日はほとんど一日側にいてやれないから、ティナはフェリシア様の側にいてくれると助かる」


「理由を聞いてもいいですか?」


「……いろいろあって、闘技大会に参加することになった」


 いろいろという部分を思いだしてしまったのか、レオナルドの顔がげっそりと曇る。

 時々レオナルド宛に手紙が届いていたことは知っていたが、ここまで疲れた顔をするほどの手紙だとは思ってもみなかった。

 だが、一日私の側を離れるという理由はわかった。

 王族の警護も務める白銀の騎士の闘技大会ということは、各人の警護が手薄になるということだ。

 フェリシアの側というよりも、王族を貴賓席等で一箇所にまとめておいて、警備の手間を減らしたいのだろう。


「わたくしは、離宮でお留守番でもいいですよ?」


「俺とアーロンの移動を考えると、闘技場内にいてほしい」


 離宮から出なければそれほど問題はあるまい。

 そう思ったのだが、レオナルドの考えは違うようだ。

 あくまで私の護衛を外すことはできず、私が離宮に残る場合にはそれぞれの試合時間以外は離宮へと戻ってきて護衛につくことになるらしい。

 同じ王城内の移動とはいえ、そこには馬車を使うような距離がある。

 闘技大会自体には相変わらずあまり興味が持てなかったが、レオナルドとアーロンの手間を考えれば、私が闘技場に行く方が合理的だろう。


「闘技大会は剣のぶつかりあう音とか怖いので、苦手です」


「そう言うな。ティナの兄の一番カッコイイ姿を見せてやるぞ」


「レオナルドお兄様のカッコイイ姿……」


 それは貴重ですね、と本音を洩らしたら、レオナルドがなんとも言えない微妙な顔つきになった。

 溺愛する妹に「兄がカッコイイ姿などほとんど見たことがない」と言われたようなものなので、仕方がないのかもしれない。


 ……だって、レオナルドさんの格好良かった姿なんて、すぐには思いだせないんだもん。


 記憶を辿ってレオナルドのカッコイイ姿を思いだそうとするのだが、どうにも思いだされる事柄に隔たりがあった。

 頓珍漢なことを言って私を怒らせたり、逆に私の悪戯で困った表情をしている情けない顔ならすぐに思いだせるのだが、『カッコイイ』と条件を付けると困ったことにすぐに浮かんでくるものがない。

 これは一度、本人曰く『一番カッコイイ』姿を見せてもらうべきだろうか。


 ……そしてやっぱりジゼルは護衛として数に含まれていない、と。


 レオナルドとアーロンが私の側から離れても、一応は護衛としてジゼルが残ることになるのだが、ジゼルに任せることはできないらしい。

 最初から最後まで、ジゼルを片時も離さず側において、離宮に籠っていろという話は出てこなかった。

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