第8章 箱庭の天聖邪

第1話 最低で最悪な最凶の武器

「聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を読み解き、失われた秘術を三つ復活させます」


 我ながら大きく出たな、とは思うのだが、申し訳ないことに不可能な気はしていない。

 オレリアが死んで聖人ユウタ・ヒラガの秘術のほとんどが失われたと騒いでいるセドヴァラ教会の人間には悪いのだが、私は日本語で書かれた研究資料を読み解くことができる。

 少し読んだ程度ではあったが、あの研究資料という名の雑記には、本当に細々とした愚痴や日々の所感と同じように、あらゆる研究についての課程や経過観察も記されていた。

 素人の私でも再現できる気がしてくるほど詳細に、だ。


 ……失敗結果もその対策も、夕食の感想のついでみたいに書いてあるんだよね、あれ。


 無駄な文章も多いが、おかげで情報が多いとも言える。

 失敗した箇所まで詳細に、その失敗理由の追求と解決法まで事細かに書かれているので、やってやれないことはないと思えるのだ。

 聖人ユウタ・ヒラガは研究資料を手引書として書いたわけではないだろうが、日本語を読める人間にとってはありがたい限りである。


 ……でも、どうしても気が重い。


 聖人ユウタ・ヒラガの秘術を復活させることは、良いことだと思う。

 失われたはずの薬が復活できれば、その薬のおかげで助かる人間が何人もいる。

 ただ、私が秘術復活を提案したのは、病に苦しむ誰かのためではない。

 自分の身を守るため、という実に自分勝手な理由だ。

 自分勝手な理由から、人の命を救うはずの薬を武器にしようとしている。


「秘術の復活なんて難しいと思うが……本当に大丈夫なのか?」


 アルフレッドを玄関ホールで見送ったあと、ぼんやりと扉を見つめていたら、レオナルドに心配されてしまった。

 微妙に私を気鬱にしているものとは心配する箇所がずれているのだが、心配してくれていることは確かなので、ここは素直に甘えておくことにする。

 ぎゅっとレオナルドの腰へと抱きつくと、大きな手が頭を撫でてくれた。


「わたしはな子ですね」


 思っていることを口から出しただけなのだが、少しだけ心が軽くなる。

 このままもう少し楽にならないものか、と目の前にあるレオナルドのわき腹へと額を押し付けて甘えた。


「……ティナはたまにお転婆だけど、聞き分けの良いいい子だぞ」


「管理しやすい聞き分けの良い子と、善良な子は別だと思います」


 もっと構え、頭を撫でろ、とレオナルドの体へと頭を押し付ける。

 そうすると頭上からレオナルドが苦笑いを浮かべる気配がして、頭ではなく背中へと手が下りてきた。

 ポンポンと優しく背中を叩かれ、完全に子ども扱いだなとは思うのだが、自分が望んだ甘やかしでもあるので、ありがたく甘えさせていただく。


「ティナは邪悪な子じゃないぞ?」


「レオもびっくりな、邪悪な子ですよ、わたし」


 いつまでも玄関ホールで兄にべったりと甘えているのはいかがなものか。

 ひとしきりレオナルドに甘え、少し名残は惜しかったが、もう満足だと区切りを付けて体を離す。

 少し甘えるぐらいならヘルミーネも見逃してくれるが、甘えすぎは淑女らしくないとお説教をいただくことになってしまう。

 十一歳になったのだから、少しずつでも兄離れをしていかなければ。


「……秘術の復活は、それほど難しいことだとは思っていません」


 研究過程が細かく書かれた研究資料という名の雑記が残っているのだ。

 当時の研究をなぞっていけば、いつかは秘術の復活も可能だと確信しているので、その点ではなんの不安も感じてはいない。

 私がなんとなく気が進まないのは、少し別のことが気になっているからだ。


 何か言いたげな顔をしたレオナルドの手を引き、場所を移そうとしたのだが、逆に手を添えられてエスコートに変わる。

 女心どころか女児の機微にも疎いのに、エスコートだけはスマートなレオナルドが少しだけ不思議だ。


「秘術が問題でないのなら、ティナは何をそんなに気にしているんだ? 少し元気がないだろう」


「……言葉通りです。つくづくわたくしは嫌なことを思いつく、邪悪な子どもだな、と思っただけです」


 レオナルドのエスコートで居間へと戻ると、長椅子へ座る頃には新しいお茶が用意される。

 ほど良い温度のお茶を口へと運び、私の提案がありがたくもアルフレッドから花丸満点をいただいた理由をレオナルドへと説明することにした。


「オレリアさんはワイヤック谷に引き籠っていましたが、セドヴァラ教会では強い発言力を持っていたそうですね」


「聖人ユウタ・ヒラガの秘術を握っていたからな。オレリアを本当の意味で押さえつけられる人間は誰もいなかった」


「それと同じことを、わたくしが『する』とアルフレッド様に提案したのです」


「オレリアと同じことを……」


 聖人ユウタ・ヒラガの秘術を復活させるということは、単純に言えばオレリアと似た立場に立つということだ。

 言葉の裏を読めば、私への評価は『善良な子ども』なんてものではなく、『邪悪な子ども』になるだろう。

 そして、良くも悪くも『善良』なレオナルドには、私の言葉の裏など理解できるはずもなかった。


「想像してみてください。聖人ユウタ・ヒラガの秘術の復活は、セドヴァラ教会の宿願でもあります。当然、それができるということは、セドヴァラ教会はわたくしに……」


 と言葉を区切り、言い直す。

 綺麗に言葉を飾ろうとしては、レオナルドにはきっと一生通じない。

 そう思ったのだ。


「わたくしは秘術の復活を餌に、セドヴァラ教会を掌握できます」


「まあ、そうだろうな。聖人ユウタ・ヒラガの秘術の処方箋レシピはセドヴァラ教会が喉から手が出るほど欲しがるはずだ。それが写本から翻訳作業、研究と実験、検証をしてまた翻訳の誤りを正すといった作業を省略できるとなれば……」


「レオナルドお兄様、わたくしが言っているのは、もっと先の話です」


「先?」


「簡単に言うと、セドヴァラ教会を掌握できれば『国民の命を盾』に、国王陛下だってわたくしを疎かには扱えなくなる、ということです」


 国民の命というわかりやすい単語に、レオナルドの顔が引き締まる。

 可愛い、可愛いと腕に囲い込む妹が、実はとんでもなく邪悪な存在である、とようやく理解できたのだろう。

 アルフレッドが私の提案に花丸をくれたのは、なにも王族が望んでいた答えだったからというだけではない。

 この提案が、武器としては凶悪すぎるものだったからだ。

 これを持ち出してしまえば、考える頭と心ある人間であれば、誰も私に逆らえなくなる。


「わたくしの機嫌を損ねればセドヴァラ教会の恩恵が受けられなくなります。レオナルドお兄様に実感しやすいように言うのなら、わたくしが寝込んでも薬師くすしの派遣が拒否されたり、砦で怪我人が出てもセドヴァラ教会の医師が治療をお断りしてきたりといったことが起こせます」


 もちろん、日本語が読める私の命にかかわることであれば、セドヴァラ教会が私に対して薬を処方することを拒否するはずはないのだが、これは物のたとえだ。

 レオナルドが実感しやすい例としては、私をモデルに出すのが手っ取り早い。


 レオナルドに対する例なので私や砦の黒騎士を出したが、これが領地をもった貴族や国王ともなれば、人質の規模は領民、国民と広がる。

 人の命を預かる仕事をしているセドヴァラ教会が、本当にこのような制裁を行うとは思えないし、私だって実行するつもりはない。

 そして、アルフレッドも私が本気でこんなことを実行する性格ではないと、信頼してくれているのであろう。

 だからアルフレッドは私がこれを武器とすることを許し、笑ってもいられるのだ。


 私を恐れる必要がある人間は、後ろ暗いものがある人間だけだろう。

 自分がそうであるからこそ、私もそういった手を使ってくると、必要以上に警戒せずにはいられない。

 必要以上に他人ひとから警戒されるのは少々居心地が悪い気はするが、これが抑止力になってくれるのならばそれでいい。

 どちらにせよ、私はこれが抑止力として働くことを理解した上で、秘術の復活を提案した。

 人の命を救う術を、私は身を守る武器にしようとしている。


「最低で最悪で、最凶の武器だと思います」


 用途としては武器というよりも防具なのだが、これを警戒する必要のある人間には凶悪な武器にしか見えないことだろう。

 私は人の命を盾にすることを選んだのだ。

 こんなことを考え付く自分が、酷く卑怯で恐ろしく思える。

 が、逆に考えればアルフレッドやクリストフは最初からこの方法を想定していたのだということもわかった。

 私の扱いが丁重すぎるほど丁重で、まだまだ無作法であろう言葉遣いや態度についても鷹揚に流してくれているのは、単純に私とは平和的に付き合っていきたいということだろう。

 下手に押さえつけて反感をもたれるよりは、多少の無作法は子どものすることなので、と見逃してしまった方がお互いにとって都合が良い。







「……さて、言ったからには秘術を復活させますよ」


 重くなってしまった気分を振り払うように、努めて明るい声を出す。

 ここからは気持ちを切り替えていきたい。

 たしかに私が武器として選んだ盾は最悪だが、本当に使う予定はない盾だ。

 必要以上の罪悪感は持ちたくないし、見ない振りもしておきたい。


「早速だな」


「早くグルノールの街に帰りたいですからね」


 さて、なにから始めようか、と少し考えてみる。

 考えをまとめるためには手を動かしたいので、ウルリーカに自室から塗板こくばん白墨チョークを持ってきてもらった。


「とりあえず必要なのは、グルノールにある研究資料ですよね」


 研究資料に書かれている秘術を復活させるという触れ込みだ。

 日本語の書かれた研究資料を読み込まないことには、なにも始まらない。


「調薬技術自体はわたくしにはないので、実際の作業はセドヴァラ教会から薬師を借りる必要があると思います。アルフレッド様に確認してみたところ、これは手が借りられるだろう、ということでした」


 私には人見知りをする傾向があるので、できれば王都のセドヴァラ教会へ移ったというバルバラの手を借りたい。

 少々きつい性格をしたバルバラではあったが、一冬を一緒に過ごしている。

 まったくの初対面になる人物を紹介されるよりは、余程気が楽だ。


「聖人ユウタ・ヒラガの秘術を復活させる試みと聞けば、セドヴァラ教会は熟練の薬師を送ってくる気がするが……」


「経験を積んだ人、というのも魅力的ですけど、俺はベテラン薬師だ、って頭がガチガチに固まっちゃった人では困る気がします」


 なにしろ、研究資料を読みあげるのはまだ十一歳の私だ。

 年を経たベテラン薬師であればあるほど、こどもの指示など聞きたくはないだろう。

 薬師としての矜持プライドよりも秘術の復活の方が大事だと、情報源わたしを軽んじず、試み自体に興味を持ってくれている人間の方がいい。


 ……でも、本当の意味で修行中の若者を送られてきても困る。


 本当にまっさらな薬師を送られてきては、わざわざセドヴァラ教会から薬師を借りる意味がない。


 ……誰かいないかな。若めで、子どもの発言でもちゃんと受け止めてくれそうな薬師。


 とりあえず知っている範囲で薬師の顔を思い浮かべてみるのだが、そもそも引き籠りがちな私の知っている薬師というのは数が少なかった。

 オレリアとバルバラ、館で写本作業をしていたジャスパーと、あまり良い印象のない黒犬に噛まれたテオを治療してくれた医師の顔が思い浮かぶ。

 顔見知りといえばパウラも一応含まれるのだが、彼女は薬術の勉強中に師を失うことになり、薬師としては駆け出しにも手が届いていない。

 私の場合は顔見知りから薬師を調達しよう、ということがまず不可能に近かった。


「グルノールでずっと写本作業をしていたジャスパーはどうだ? ジャスパーならティナも慣れているし、古株でも若手でもないという条件に当てはまる」


「え? ジャスパーって借りられるのですか?」


 レオナルドの提案に、思わず目を丸くする。

 ジャスパーが借りられるのなら、願ってもない人選だ。

 レオナルドが言うように私と面識があって気心は知れているし、ワーズ病患者を砦の隔離区画で世話をした時には随分と助けられた。

 目論見としては私の口からレオナルドへジャン=ジャックへの投薬をやめるように言わせたかったようだが、ジャン=ジャックの様子を見たいと言う私の話を聞いてくれ、地下室へと案内もしてくれている。

 多少言葉は悪いし、きつい気もするが、ジャスパーのことは信頼できる相手だと思っていた。


「グルノールと王都で管轄は違うが、同じセドヴァラ教会だ。所属する薬師の移動ぐらいは協力してくれるだろう。試みの中身を説明すれば、より多くの支部から薬師を送り込みたいというはずだ」


 グルノールから研究資料を持ち帰る必要があるので、そのついでに一応声をかけてみよう、ということになり、また話が最初に戻る。

 なにをどう進めていくにしても、研究資料が手元にないことにはどうにもならないのだ。


「明日の朝一番でグルノールへ研究資料を取りに行っても、王都に届くのは二ヶ月後ですね」


 実際には研究資料を取り寄せるにしても、研究資料をグルノールへ送ると決定をした国王か誰かの許可が必要になるかもしれないので、もうしばらくは身動きが取れないはずだ。

 グルノールへと運ばれてくる際にアルフレッドが護衛として付いていたように、王族の誰かが取りに行くことになるとしたら、その護衛の手配も必要になってくる。


「いや、今回の移動にひと月以上かかったのは王族としてアルフレッド様が同行されていたからだ。アルフレッド様が馬車を使わずに白銀の騎士の一人として移動する分には、少し時間が短縮できる」


 換え馬を使えば往復で二十日、普通に馬で移動をしてもひと月を少し越えるぐらいというのがレオナルドの目算だった。

 どうやら馬車での優雅な移動は、本当に時間がかかっていたようだ。


「……それにしても、ティナは本当に転生者なんだな」


「どうかしましたか?」


「いや、物の考え方が子どもとは違うな、と」


 行動に移る前から手順やかかる日程を計算していて、先のことまで考えている、と改めて驚かれた。

 私としてはなるべく失敗は避けたいし、時間もかけたくないということで慎重に考えているだけのつもりなのだが、たしかに子どもらしくはなかったかもしれない。

 普通の子どもというものは、後先考えずにとにかく突き進むものだ。

 私のように考えてばかりで、なかなか動き出さない慎重な子どもというのは珍しいだろう。


「頭でっかちですよ。考えてばかりいるせいで、行動は伴っていません」


 熟考してから行動に移る、といえば聞こえはいいが、結果が伴わなければ考えていた時間はすべて無駄になる。

 目に見える行動だけで判断をすれば、なにもしていないのと同じだ。


「……しゃべるのが苦手だったのも、お父さんたちに甘えられなかったのも、いらないことばかり考えていたせいだと思います」


 上手く話せないのが恥かしい、と母の子守唄を真似て一緒に歌うこともしなかった。

 今生の実年齢はともかく心は成人した大人なのだから、と父に子どもらしい我儘を言うこともなかった。

 手の掛からない子どもではあったが、両親にとって初めての子が私では、物足りなくもあっただろう。


「俺には滅多やたらと甘えてくれるだろ」


「レオが嫌なら改めます」


「嫌なわけがないだろう」


 どこか誇らしげに笑うレオナルドが面白くなくて、ぷいっと顔を逸らしてやる。

 膨らませた頬をレオナルドの指が突いてきたので、振り向きざまにガブリと思い切り噛み付いてやった。

 指に噛み付くのは、随分と久しぶりだ。


「俺は妹に甘えられる、頼りがいのある兄になりたい」


 そう言いながらレオナルドの腕が伸びてきたので、今度は身を任せた。

 抱き寄せられて額へと唇が寄せられたので、レオナルドのわき腹へと腕を回す。


「では、遠慮なくこれまで通りレオナルドお兄様に甘えることにします」


 ピッタリと体を寄せて、レオナルドの胸に耳を当てる。

 心地よい心臓の鼓動が聞こえた。

 他人ひとの心音は心を落ち着かせてくれる効果があるとどこかで聞いたことがあるのだが、きっと本当のことだろう。

 肩から力が抜けて行くのがわかった。

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