閑話:レオナルド視点 小さな淑女 2

 ティナがジークヴァルトの奥方にお茶会へと招待され、それを好機とクリストフの居城へと足を踏み入れる。

 白騎士が守る離宮にティナを一人で置いておくことは不安だったが、ジークヴァルトの館にいるのなら安心だ。

 あの館は白銀の騎士の団長と副団長の館でもあることから、現役の白銀の騎士や、引退した元白銀の騎士が頻繁に訪れる。

 下手をすれば、王都において王の居城の次に安全な場所とも言えた。


「ああ、やっと姿を見せたか」


 案内された居間でしばし待っていたところ、ティモンを護衛に連れたクリストフが戻ってくる。

 正式な謁見でもよかったのだが、それでは手続きに何日もかかるし、ティナと予定を合わせづらい。

 その結果として、執務の合間の休憩時間に非公式な形を取ることになった。


「おまえの妹の情報漏えいについては、アルフレッドに伝えさせたとおりだ。犯罪行為として成立していない以上、ことを荒立てるつもりはない」


 おまえについてもそうだ、と言うクリストフに手招かれ、御前へと近づいて膝をつく。

 どんな言葉が続くのかと待てば、額を指で弾かれた。

 地味に痛いのだが、まさかそれをおもてに出すわけにはいかず、堪える。


「……実害があったわけではないのだから、秘すれば問題にならぬこと。わざわざ馬鹿正直に報告するでない」


 私の仕事を増やしてくれるな、と呆れを含んだ溜息が頭上で聞こえた。

 情報の流出として実害のなかった犯罪など、言わなければバレないのだから、上へと報告などせずに揉み消せ、と。


 豪奢なマントを側仕えが脱がせ、身軽になったクリストフは軽く肩を回す。

 王位を継いでもう何年も経つので、そろそろマントの重みにも慣れているはずなのだが、肩が凝ることに違いはないのだろう。


「保護者の監督責任を、とおまえに罰を与えろとうるさい者がいて、そちらの方が疲れた」


 保護者の責を問うというのなら、まず真っ先に首をねられるのは自分だろうにな、と続いたクリストフの言葉に、『うるさい者』が誰であったのかが判る。

 俺の自称婚約者殿を妊娠させた、白騎士の父親だろう。

 他所に婚約者のいる嫁入り前の娘を白騎士が妊娠させたのだから、非は息子の方にあるのだが、なぜか婚約者を奪われる形になった俺が恨まれている。

 息子の出世の道を閉ざしたのは、俺である、と。


 ……あれは息子の自業自得だと思うのだが。


 当時から俺はクリストフのお気に入りであったし、クリストフは俺に嫁を宛がって王都に居を構えさせたいと思っていた。

 そんなところへ多少なし崩し的ではあったが、結婚を考える相手ができて、その相手が浮気をし、あろうことか他の男の子どもを妊娠までした。

 当然結婚話は白紙に戻り、クリストフの目論見もご破算となったのだ。


 むしろ国王から個人的な恨みを買っているというのに、未だにのうのうと王城で職についていられるということに『うるさい者』はクリストフの理性に感謝をするべきだと思う。

 いざとなれば自身の子どもでも切り捨てるクリストフにしてみれば、信じられないほどに寛容な対応だ。


「……アルフレッドをおまえに付けたのは失敗か」


 アルフレッドとアルフ、どちらも同じ『アルフレッド』なのだが、クリストフは呼び分けない。

 クリストフとの会話の場合、会話の流れからどちらのアルフレッドについてを言っているのかを考える必要があって、たまに混乱する。

 今回も、一瞬だけどちらのことかと悩んだ。

 居間へと案内される直前までアルフレッドといたことも影響しているかもしれない。


「おまえには柔軟性が足りないと、その辺りを補佐させるためにアルフレッドを付けたのだが……アルフレッドが上手く補佐しすぎて、まったく成長していないのではないか?」


 クリストフの俺贔屓は、少々行き過ぎているきらいがある。

 白銀の騎士でありながら、黒騎士としてより民の身近で剣を振るいたいと願えば叶えられ、権謀術数けんぼうじゅっすうが不得手な俺を補佐するためにアルフまで付けられた。

 アルフにしてみれば、いい迷惑だっただろう。

 せっかく白銀の騎士へと上り詰めたのに、事情を知らぬ者に言わせれば俺と一緒に左遷されたようなものだ。


 ……まあ、アルフ的にはアルフレッド様と距離を置きたい、と渡りに船だったようだが。


 他にもさまざまな思惑があって自分のグルノール行きにアルフも同行することになったのだが、アルフはそろそろ王都へ戻した方がいい気もしている。

 アルフは貴族だ。

 元の婚約者を取り戻すにしても、新しい相手を見つけるにしても、グルノールにいるよりは王都の方が伴侶は探しやすいだろう。


「……おまえの足を掬いたいという者は多いのだ。誠実さはおまえの美点ではあるが、正しくあろうとするあまりに自分から隙を見せるのはやめておけ」


 時にはずるく立ち回ることも必要だ、と呼び出されるたびに同じ苦言をいただく。

 これはクリストフからだけではなく、アルフレッドからも、アルフからも言われることなので、本当に俺の欠点なのだろう。


 ……それでも俺は、誠実な人間でありたい。


 そう思っていることが顔に出ていたのかもしれない。

 クリストフは苦笑いを深めたあと、話を変えつつ椅子を勧めてきた。







「クリスティーナ嬢には武器を身に付けろと、と言っておいたが、なにか考えたか?」


「要請があれば日本語を読む、ということぐらいしか思い浮かばない、とティナが悩んでいました」


 ティナがクリストフから言われたらしい。

 クリストフはティナの性格を理解し、譲歩してくれるが、政治の中枢にいる大臣すべてがクリストフの意見に従うわけではない。

 日本語が読める転生者は貴重だ。

 王都に囲い込んで自由を封じ、一生閉じ込めて日本語を読ませろ、という意見だって出ているはずだった。


 そういった手合いを黙らせるためには、交渉の場においてティナが上位にいるのだ、と知らしめる必要がある。

 ただの日本語が読める子どもなのではなく、ティナの自由意志でもって日本語の解読について協力をするものである、と。

 ティナの気持ちしだいで、その協力は簡単に失われるものだとも。


「クリスティーナ嬢は、慎重だな。絶対にできること以外は『できる』と言わない、というニホン人の特徴らしいが……」


 自信はなくとも、挑戦してみたいことは秘めているだろう、とクリストフは青い目を細めた。

 俺はまだティナが言い出してくれなければ、否、言い出してくれても察することができないのだが、クリストフはすでにティナの考えそうなことが察せられているようだった。

 兄として少し悔しいのだが、これが子をもつ父親であり、王であるクリストフの経験からくるものだと思えば、俺が敵うわけがない。


「クリスティーナ嬢にはアルフレッドを補佐に付けてやろう。存分に働かせるがよい」


 重要なのは、ティナが有用な人間であると証明することだ。

 そしてその有用性はティナの好意でもたらすものである、と示すこと。

 この二つが切り離せないとなれば、ティナの機嫌を損ねるような選択をする者はいなくなる。


「グルノールへの帰還も、クリスティーナ嬢の頑張り次第だな」


「……グルノールへ帰りたければ、自分の使い方を考えろ、ということですか」


「私が答えを教えてやれば、クリスティーナ嬢をグルノールへ帰すのは難しくなるぞ?」


 クリストフが提案すれば、それは王からの命令ということになる。

 ティナから提案をすれば、ティナが自主的に協力したことになる。


 自主的な協力を惜しまない有用な人間である、と示したいのだから、これはティナから大臣を黙らせるだけの提案をひねり出すしかない。

 クリストフの命令で協力をするのなら、王都へと留まれという命令も拒否はできなくなるのだ。


「クリスティーナ嬢なら簡単だろう。ただ少し、自信がなくて言い出せないだけだな。できもしないことを『できる』と嘯く詐欺師は困るが、完璧にできるという自信がなければ『できる』と言わないニホン人というのも困り者だな」


 クリストフが言うのは、日本人にまつわる伝説のようなものだ。

 時折現れる転生者から聞いた『日本人』にまつわる所感でもある。


 ……でも、負けず嫌いの完璧主義、といえば確かにティナもそうだな。


 ワイヤック谷で生活していた頃、ティナはパンケーキを焼いてみた。

 俺が見てもわかる失敗作のパンケーキは、ティナにとっては許しがたいものだったらしく、しばらくは食卓へと上ることがなかった。

 しかし、そのうち練習の成果か、改良の成果か、ふっくらとパンケーキを焼けるようになったようで、グルノールの街へと戻る前には食卓へとパンケーキが並ぶようになっていた。

 完璧主義と考えれば、自作のシチューについても当初は味が気に入らなかったらしく、何度も首を捻っていたのが思いだされる。


 ……なんだ。思い返してみれば、ニホン人の特徴がちゃんと出ていたんじゃないか。


 今思えばそうだった、という程度の本当に細かいことだったが、当てはまることがいくつか出てくる。

 ティナが日本人の転生者である、と気付けなかったのは、もしかしなくとも保護者が俺だったからかもしれない。

 現にアルフレッドは、グルノールの街へと来たその日のうちにティナが転生者であると気が付いていた。


 ……また、ティナの誤魔化し方が絶妙なんだよな。


 ティナは嘘を一つもつかず、上手に自分が転生者であると隠していた。

 アルフレッドに転生者だろうと指摘された時も、驚いて瞬いていたが、それだけだ。

 ティナは自分からは「違う」とも「そうだ」とも言わず、俺がアルフレッドの言葉を否定するのを聞いていた。


 ……たしかに、ティナは馬鹿正直なところがあるが、俺より上手うわてでもあるな。


 少なくともティナは、自分に不利益が生じると判断すれば黙っている、という俺にはできない行動が取れる。

 小さくても女というよりは、生きるための姑息な知恵があるのだ。


 ……ティナの考えを、アルフレッド様が補佐してくださるのなら。


 ティナはグルノールへの帰還をもぎ取れるだろう。

 ティナの思考力とアルフレッドの立ち回りがあれば、俺が側で支えてやるよりも心強いはずだ。

 兄として、少しどころではなく情けない。







 クリストフから山のような土産を持たされて離宮へ戻ると、ティナが出迎えてくれた。

 おかえりなさい、と笑みを浮かべていたのだが、少々気疲れしている時の顔だ。

 この顔をしている時は、以前はハグをねだってきていたのだが、十一歳になったのを機会に、ティナはハグを卒業しようとしているようだった。

 自分からは言い出さなくなったので、ここは一つダメな兄貴としてティナの小さな体を抱きしめる。

 こうするとティナは「ハグは禁止ですよ」と怒った顔を作りながらも、少しだけ肩から力が抜けるのだ。


「ミカエラ様とのお茶会で、なにかあったのか?」


「ミカエラ様は素敵な女神様でしたが、義理の伯母様に遭遇しました」


「……伯母?」


 ティナに伯母がいるとすれば、サロモンの兄嫁ということになる。

 以前アルフから聞いた話を思いだせば、夫が死んだあと、ベルトランの手によって実家へと帰らされたはずだ。


「伯母様は思いつめる性質たちだったようで、お茶会の間ずっとベルトラン様のグルノール滞在についてお詫びされ続けました」


「それはたしかに……疲れそうなお茶会だな」


 お疲れ様、と頭を撫でると、ティナはもっと撫でろというように頭を差し出してくる。

 抱き上げることもハグも禁止されたが、頭を撫でるのはいいらしい。

 場合によってはこれも子ども扱いだと思うのだが、指摘をすれば禁じられそうなので黙っておくことにした。


「クリストフ様の御用事はなんだったのですか?」


「ティナが聞いたのと、ほとんど同じ内容だな」


 もう少しずるく立ち回ることを覚えろ、と叱られた以外はほとんど同じだろう。

 うるさがたを黙らせるために、ティナの有用性を証明しろ、と。


「……日本語を読むだけでは、ダメですか?」


「ダメってことはないと思うが……クリストフ様は、もう少し踏み込んだものが欲しいようだな」


 日本語が読めるだけの子どもではなく、日本語を正しく理解し、活かせる人間であることを示させたいのだろう。

 拘束と暴力で支配できる子どもではないのだ、と。


「クリストフ様でもうるさがる大臣を黙らせることができたら、グルノールへ帰れるぞ」


 許可は貰ってきた、とクリストフが一筆したためてくれた書類を見せる。

 口約束ではなく念書もあるぞ、とティナに見せると、それはクリストフの案であろう、とティナには見破られてしまう。

 口約束などいつでも反故にできる、とティナが言った時に見せるように言われていたのだが、言われる前に見せても見破られた。

 ついでに言うと、続いた指摘もクリストフの予想通りだった。

 非公式な会見で書いた書類など、どのぐらいの効力が期待できるのか、と。


 ……ティナは、やっぱり利口だな。


 クリストフの言葉を疑うなんてことは、俺には発想すらわかない。

 が、ティナはしっかり用意されたクリストフの書類を疑い、クリストフはティナが書類に疑問を持つだろうことまで読んでいた。


 ……たしかに、俺にはいろいろ足りないものがあるな。


「でも、うるさい人を黙らせる、というのは必要なことだと思います」


 難しい顔をして書面に綴られた文字を確認したあと、ティナは書類を丁寧にたたむ。

 どこにしまうのかと観察していたら、ティナはいつかのように服の中へと書類を隠した。

 文字通り、肌身離さず持っているつもりらしい。


「アルフレッド様が相談に乗ってくださるそうだ。そのうちティナの予定を確認に、使者か本人が来るだろう」


「明日あたりに本人が直接乗り込んでくる気がしますね。ヴァレーリエにお茶とお菓子の用意をお願いしておきましょう」


 まさか一国の王子が昨日の今日でやって来はしないだろう。

 一瞬だけそう思ったのだが、その一国の王子がアルフレッドともなれば、ありえない話ではない。


 そして、アルフレッドはティナの読みどおり翌日の午前のうちから離宮へとやって来た。

 クリストフの読みどおりティナの中にはある程度の考えがあったらしく、アルフレッドにいくつかのことを確認する。

 クリストフはアルフレッドを補佐にと言っていたが、相談らしい相談はしていない。

 補佐というのも建前で、ティナとクリストフを繋ぐ連絡係が王子アルフレッドなのだ、と気がついたのは、ティナが大臣を黙らせるためのを作ると言い始めた時だ。


「聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を読み解き、失われた秘術を三つ復活させます」


 なにやら嫌そうな顔をしてそう宣言するティナとは対照的に、アルフレッドは満面の笑みを浮かべる。

 ティナから引き出したかった言葉なのだろうとはわかったが、二人の表情の意味が俺にはわからなかった。

 ただ、ティナにとっては不本意な宣言だったのだということだけはわかる。

 アルフレッドがクリストフへと伝言を届けに去ったあと、ティナの方からハグを要求してきた。


「わたしはな子ですね」


 そう言ってティナは、ティナに出せる全力とわかる力で腰へと抱きついてくる。

 脇へと顔を押し当てられ、少しだけくすぐったかった。

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