第2話 恋文と侵入者と黒いアレ

 時折レオナルドに相談をしつつ、やることリストとクリストフへの報告書を作成しているうちに月が替わった。

 夏の後月、前世で言うところの八月だ。

 追想祭から半月は経ったはずなのだが、相変わらず知人でもなんでもない人間から贈り物が届けられている。

 地味にストレスを感じるのだが、いちいち送り返すのも面倒になって、高価なもの以外は放置することにしていた。


「……うん?」


 遠くでかすかな悲鳴が聞こえた気がして、顔をあげる。

 私の集中が途切れたと判ったのか、僅かに眉を顰めてヘルミーネも音の発生源へと顔を向けていた。


「なんの騒ぎでしょうか?」


 苦手な英語の授業からのがれるように机から離れて窓辺へと近づくと、護衛のアーロンが大股に部屋を横切ってきて私の横を通り過ぎる。

 窓辺に近づくな、と無言で制されたのがわかったので立ち止まると、私の横へはジゼルがやってきた。


 ……あ、また聞こえた。


 少し近くなったとわかる悲鳴の主は、どうやら男性らしい。

 女性のような甲高い悲鳴をあげてはいるが、元の声が低いことは聞き取れた。


「少し様子を確かめて来ます」


 ジゼルは私の横に待機、と指示を出して、アーロンは窓を開けて外へと出る。

 庭がよく見えるようにと作られた離宮の私の部屋は、庭へとすぐ出られるように窓が大きい。

 そのまま何もなかったかのように授業へと戻る気にはなれず、アーロンの消えていった庭を見つめる。

 ややあってからアーロンの制止する声が聞こえ、騒がしい足音と共にみすぼらしい男が窓の外を横切った。


 ……あれ? 今の黒いのって……?


 窓の外を通り過ぎたのは男だったのだが、その足元には黒いものが見える。

 男の背中と尻へと牙を立てていた生き物は、少し考えてみれば見覚えのある犬の姿と重なった。


「……オスカーでしたか?」


「いえ、あの青年は華爵家のニコラ・ウードン様です」


 私としては黒犬の名前を言い当てたつもりなのだが、背後に控えていたレベッカが通り過ぎた青年の名前を教えてくれた。

 私の目にはみすぼらしい男に見えたのだが、彼は華爵という地位にいる貴族だったらしい。


 ……うん、わかった。みすぼらしいのは黒犬オスカーのせいだね。


 窓の外を通り過ぎていった状況を考えるに、あの青年貴族は黒犬の牙によってみすぼらしい状態へと変えられたのだろう。

 そう想定してみれば、青年貴族の手には何かが握られていたような気がする。


「どちらにせよ、侵入者だな」


「レオナルドお兄様は、なぜに良い笑顔をされておられるのですか?」


 なにやら思わずれするような良い笑みを浮かべ、レオナルドが窓辺へと向かう。

 状況を整理するのなら、レオナルドが笑っていられるような状況ではないはずだ。

 わたしの住む離宮へと、どんな理由があってかは判らないが侵入者があった。

 離宮は妹を住まわせておけるような安全な場所ではない、と考えるのが普通のはずである。


「ニコラ・ウードンといえば、ティナ宛の恋文を送ってきた男だ」


 俺も少し挨拶をしてくる、と言って窓から出て行くレオナルドを見送り、授業の再開を促すヘルミーネに従いながら記憶を探る。

 ニコラ・ウードンなんて名前は、いくつも送られてきた恋文の中では見かけなかった名前な気がした。

 もちろん、すべての差出人の名前を正確に覚えているわけではないが、それでもチラリとも引っかかるものがない。

 少しだけ不自然な気はしたが、離宮へと侵入してきた以上は、立派な変質者だ。

 十一歳の少女へと恋文を送る変態疑惑のある紳士から、疑いようも無い犯罪者へと確定している。

 あとは護衛であるアーロンやレオナルド、そしてなぜか突然姿をみせた黒犬に任せておけばいい。

 同じ犬種なだけの別の犬なのかもしれないが、侵入者を追いかけていたことを思えば、離宮の護衛かなにかなのだろう。

 侵入者の排除を任せてしまっても、特に問題はないはずだ。


 ……や、問題があった。あの犬がオスカーだったら、私が王都にいるって、ベルトラン様に知られたってこと?


 それはなんだかとても面倒なことになりそうな予感がする。

 思わず頭を抱えたくなったが、そんなことをすれば英語の授業が礼法と反省会に変わってしまうことは想像ができたので、背筋を伸ばしてこれに耐えた。

 頭を抱えるのも、ベルトラン対策を考えるのも、あの黒い犬がオスカーかどうかの確認が取れてからでも遅くはない。







 黒い犬ことオスカーが離宮で私の横へと陣取るようになると、見知らぬ異性からの恋文と贈り物は半減した。

 私からは単純に数が減ったようにしか見えなかったのだが、仕分けをしているヴァレーリエとレベッカによれば、私から手を引いたのは華爵家の人間だけらしい。

 杖爵家からの恋文はファンレターのようなものらしくて受け取っても害はなく、忠爵家の間では様子見といった雰囲気に変わり、功爵家の間ではレオナルドが出張って何かをしたらしく恋文以外の手紙も届くようになった。

 面識のない異性からの恋文が減ったことは、単純に喜ばしい。


「……というわけで、ウードン家からおまえ宛の詫び状と贈り物が届いているぞ」


「うわぁーお。送り返してたら王子アルフレッドさまをパシらせるとか、ある意味凄いですね」


 荷物を持って離宮へと現れたアルフレッドに、出迎えてみれば驚きの話を聞かされた。

 こちらとしては係わり合いになりたくないということで、詫び状も贈り物も送り返していたのだが、くだんの華爵家は手段を選んではいられなくなったようだ。

 私へと詫び状を送るために、自国の王子の手を煩わせるなんて、まともな神経をしていたら思い浮かばないと思う。


「ぱし……?」


「パシらせる、です。『使いっぱしり』の少し崩した言い方でしょうか」


 間違っても王子相手に行うことではない。

 ついでに言うのなら、王子アルフレッドが運んできたため、私にはもう受け取り拒否をすることはできなかった。

 私に対して詫び状を届ける、という目的は達したと思うのだが、件の華爵家は解っているのだろうか。

 あの家は王子の手を煩わせた、と周囲からは見られるはずだ。


「アルフレッド様もよろしかったのですか? 華爵家の遣いのような真似をして」


 王族の威厳だとか、有難味ありがたみといったものは気にしなくてもいいのだろうか、と心配になって聞いてみる。

 王族というのは、国で国王の次に身分ある人間たちだ。

 簡単に下位の人間に使われるようでは、保つべき威厳に傷が付くだろう。


離宮ここに来る建前になって丁度良いだろ。面白いことに、華爵家あちらでは王子わたしの手を煩わせたのではなく、恩を売ったつもりでいるようだぞ」


「うわぁ……」


 華爵が華爵である所以を知った気がする。

 王族がなんたるかだなんて私だって正確には理解していないが、それでも下位の華爵が好きに使いっぱしりをさせて良い人間でないことぐらいは判る。

 それが判らないからこそ、爵位を落とし続けているのだろう。


「ちなみに、『建前になる』というのは?」


「用がある時ぐらいしか顔を出していないのだが、私がついに新しい婚約者を選んだ、と邪推している者たちがいるな」


 新しい婚約者を、と自分の娘を薦めてくる貴族が減って、アルフレッドは意外に快適になったらしい。

 まだ私が子どもである、と自分の娘を推すことを諦めない者もいるが、追想祭で私の顔を見たことのある人間は、あの容姿であれば大人になるまで待つ気にもなるだろう、と謎の納得をされているようだった。


「お嫁入りとか、そろそろ考えないとダメなのでしょうか?」


「おまえの嫁入りと言えば、レオナルドには話したが、『レオナルドより強い平民』を条件に挙げているそうだな。悪いことは言わないから、平民はやめておけ」


 アルフレッドの言うことには、平民の夫では私の望むような平穏な暮らしは難しいらしい。

 もともとが貧しい村生まれなので貧乏暮らしぐらいはなんということもないが、平民の夫では美しい妻を得ても、妻を守りきれない場合があるのだとか。


 ……そうだった。今生は私、可愛い顔してるんだった。


 美人は得だとよく言うが、実際は得することばかりではない。

 女性に生まれたというだけでも犯罪者に狙われることになるが、それが美人ともなれば困ったことにその危険も増える。

 一番身近な例を挙げるのなら、先日離宮の庭へと侵入してきた男だ。

 冷静な判断ができていれば王城内にある離宮への侵入など誰もしないが、追想祭で一瞬だけ見たという私の顔のためにその冷静さを欠き、男は投獄されることとなった。

 私は男の顔など知らなかったし、会った覚えもなかったのだが、男の主張では「追想祭で目が合った」「私に誘われた」と牢の中で証言しているらしい。

 男の独りよがりな思い込みは、実に危険だ。

 可愛いは確かに正義だが、時として仇となることも忘れてはいけない。


「……わかりました。平民がダメなら、レオナルドお兄様のお嫁さんになります」


「レオナルドの嫁となると、国としては子どもは作らないでほしいのだが……」


「子ども、ですか?」


 私としてはペロッと冗談を言ったつもりなのだが、アルフレッドには意外にも真顔で返されてしまった。

 それも、子どもを作るなという、夫婦関係にとっては大きな問題を、だ。


「……どうしてレオナルドお兄様のお嫁さんだと、子どもは作らない方がいいのですか?」


 レオナルドと私の間に血の繋がりなどないので、どちらかというと兄妹きょうだいという方が自称で、赤の他人という方が正しい。

 血が近いと子どもになんらかの障害が出るという迷信めいたものは日本にもあったが、私とレオナルドとではこれには当てはまらないはずだ。


「いや、悪い。言い方が悪かった。相手がレオナルドなことが問題なのではない。国としては、おまえには子どもを作らず、長く国に仕えてほしいと思っている、ということだ」


「……理解しました」


 つまりは、問題になっているのは私とレオナルドの関係ではなく、私が日本語を読めるということだ。

 出産という行為は、妊婦も命がけの大仕事になる。

 万が一にも日本語が読める転生者わたしが命を落とすことなどないように、命の危険がある行為からは遠ざけておきたいということだろう。

 レオナルドの嫁になるのなら子どもを作るな、というのは、レオナルドなら国の命令に従うということだ。

 妻として私を得たとしても、国から『待った』がかかった状態では、レオナルドは本当の意味で私を妻としては扱えないだろう。


「わたくしはレオナルドお兄様のお嫁さんにはなりません」


「コロっと主張が変わったな」


 なぜだ、とアルフレッドに続きを促される。

 人見知りな私からしてみれば、夫がレオナルドというのは新しい人間関係を作る必要が無いという意味では素敵過ぎる物件だ。

 ついでに言うのなら、良いところも、ポンコツなところもお互いによく知っており、今さら相手に対してがっかりすることもない。


「レオナルドお兄様が、名付け親繋がりの『妹』でも、大事に、大事にしているからですよ」


 親兄弟と死に別れたわけではないが、レオナルドは孤児という扱いになっている。

 血の繋がらない妹でも大切に扱うレオナルドが、血の繋がった我が子を求めていないわけがない。

 それなのに私が避難地扱いで嫁として居座ったせいで、我が子を持つことを国から止められるなど、あまりにも残酷な話だ。


「でも、そうですね……。国で子どもを産んでほしくないと言うのなら、わたくしは誰のところへもお嫁には行かない方がいいですね」


 会ったこともない相手から恋文が毎日のように届けられるが、国で結婚するなと言ってくれるのなら、逆にありがたくもある。

 これで堂々と恋文など送ってくるな、と手紙を送り返す大義名分になってくれるのだ。


「おまえ自身は、子どもを産むことについてなんとも思っていないのか?」


「家族はレオナルドお兄様がいるから、別に……? なんといっても、兄に両親分以上溺愛されていますから、これ以上は間に合っています」


 付け加えるのなら、今生の私はまだ十一歳の子どもだ。

 子どもを産む・産まないだなんて、未来さきのこと過ぎて実感が湧かないというのが正直なところだった。


「そんなものか?」


「そんなものですよ」


 無駄話はこの辺りで切り上げて、用事を済ませよう、と話題を変える。

 私の嫁入り問題など、私の感覚では九年後のことで、この国の成人年齢でも四年は余裕があるのだ。

 今日なにがなんでも結論を出す必要のある話ではない。







「――聖人ユウタ・ヒラガの秘術の復活についてはレオナルドお兄様とも相談しつつ段取りを考えてみたのですが、やはり研究資料そのものがないと、どうにも話が進みません」


 塗板こくばんや報告書としてまとめた紙をアルフレッドに提示し、行き詰ってしまった箇所や、協力を求めたい者、その条件を説明する。

 いうなれば、仕事のプレゼンテーションだろうか。

 冷静に考えれば十一歳の子どもがすることではないと思うのだが、普通の子どもが王城内に離宮など与えられるはずもないので、私に仕えることになったナディーンは普通の顔をして部屋の隅に控えていた。


「早めにグルノールから引き取ってきた方がいいな。私から父上とセドヴァラ教会に伝えておこう」


 特にセドヴァラ教会については、写本の途中で原本を取り上げることになるので、根回しは必要になるだろう。

 秘術を復活させるためとはいえ、それはそれ、これはこれだ。


「グルノールには……」


「急ぎだからな。お荷物になるおまえは、離宮でお留守番だ」


 一緒に行きたい、と言いかけたのだが、アルフレッドに先を制される。

 たしかに一人で馬にも乗れない私が一緒では、移動が遅くなることは否定ができなかった。


「……お留守番をしているだけだと、往復でけっこうな時間なにも行動ができないのですが、わたくしが一緒に行けば帰りは研究資料を読むことができて、時間の節約になります」


「帰りに研究資料を読み込めるのは大きいが、それ以外はなにもできない、ということになるだろう。おまえを連れているだけ時間が余計にかかるぶん、王都に滞在する時間が増えるぞ」


 馬車での移動をやめるだけでも、移動速度は格段に上がる。

 それを考えれば、私は最初から連れて行かない方が時間の節約という意味では正解だ。

 おとなしく王都でできることをしていろ、と諭されたので、必要なものの洗いだし作業などは研究資料がなければ何もできない、と拗ねてみた。


「今のわたくしにできそうなことと言えば……セドヴァラ教会の知人にお手紙を出すとか、根回しをするぐらいですか?」


「じゃあ、根回しを頑張れ。あと、ついでにナディーンにでも恋文の捌き方を習っておけ」


「わたくしの家庭教師はヘルミーネ先生ですが?」


 なぜ物を教わるのに、ヘルミーネではなくナディーンの名前が出てくるのだろうか。

 一瞬だけ疑問に思ったが、それだけだ。

 理由はすぐに理解できた。


 ……覚えるべきは『捌き方』か。たしかに、ヘルミーネ先生に教わったら『切り捨て方』の方を教えてくれる気がする。


 ひとりで人選について納得をしていると、アルフレッドの手が私の頭へと載せられる。

 アルフレッドの手も大きいのだが、やはりレオナルドの手よりは少しだけ小さい。


「急げば往復でひと月もかからない。そのあとのことはおまえに全部任せるから、王都でおとなしく留守番をしていろ」


 レオナルドもいるから寂しくはないだろう、と言われてしまえば、否定はできなかった。

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