第20話 王と臆病者の選択肢

「……レオナルドお兄様の罪は、どうなっているのですか?」


 私の保護者として、私が犯した情報漏えいの罪を問われるのではないだろうか。

 そう心配していたのだが、クリストフは緩く首を振る。

 私の罪自体が『なかった』ことになったので、レオナルドの罪もまた『なかった』こととして片付けられている、と。


「レオナルドは私のお気に入りだからな。それを快く思っておらん者には、格好の的にされるだろうが……まあ、それだけだ」


「それだけって、それだけですか?」


「それだけだ」


 いまいち不安が拭い去れずにクリストフを見上げると、クリストフは心配はいらないとでも言うように笑う。

 レオナルドには多少の罪など相殺できるほどの功績があるので、揚げ足を取るのは難しいのだ、と。


「レオナルドお兄様の功績というと……戦でたてた功績、ですか?」


「それもあるが、現在一番の功績は『ニホン人の転生者を保護し、信頼関係を築いた』というものだな。そのお陰で、クリスティーナ嬢は我が国に対して協力的である」


「えっと、……王都に住んで研究資料を読め、って言っていますか?」


「そうしてくれれば助かるが、二十歳までは保護者レオナルドの側にいたいのであろう?」


 自分としては、嫌がる子どもを保護者から引き離してまで囲い込みたくはない。

 数年待てば自分から王都へ出てきても良いと言っているのだから、それを待つ度量ぐらいはある、とクリストフは言う。

 またワーズ病のような伝染病が突然発生でもすれば、王都へと召集をかけるかもしれないが、それまでの自由ぐらいは守ってやれる、と。


「しかし、私としてはそれで良いが……ほかの煩い大臣たちを黙らせる材料は欲しいな」


「材料、ですか?」


「私はこれだけ有用な人間だから、機嫌を損ねてくれるな、と頭の固い者たちにガツンと一発入れられるものがあると良い」


「あー」


 クリストフの言わんとすることがなんとなく理解できて、気の抜けた声がでる。

 どこにだって、自分が見えてない困った人間はいる。

 身分や役職のせいか、自分は偉いと勘違いし、他者へと命令をするのが当然だと勘違いしている人間が。

 そういう人間がろくな理解もせずに上から命令をして、有能な人材を使い潰したり、見えている地雷を踏んだりするのだ。


 ……私の場合はあれかな? 私が平民で、レオナルドさんが黒騎士へいみんで、平民の子どもの機嫌を取る必要などないって、拉致監禁をしかけそうな人間がいる、ってことだね。


 無理矢理私の身柄を確保したとして、私が機嫌を損ねればそれまでだ。

 日本語は読まないし、読んだとしても正しく読むとは限らない。

 平民だからと粗雑に扱えば死ぬ場合もあるし、それでなくとも私にだって故意に死ぬことはできる。

 ただ、自分の意見は絶対的に正しく、その意見の前には他者を踏みにじることも認められてしかるべきだと勘違いしている人間には、そんな当たり前のことが想像すらできないのだ。

 自分より下にいると思い込んでいる他者が、自分にしっぺ返しを喰らわせてくることがあるなどと、考え付きもしない。


 ……それを考えると、貴族になるっていうのは身を守ることでもあるんだね。


 少なくとも、功爵である父の実家へ入れば、功爵より下位の華爵は手を出せなくなるだろう。

 忠爵は下位へ落ちないよう、上位へ上がれるようにと慎重に行動をするので、それほど心配はない。

 杖爵となるとその地位に長くいるため、考える力が鍛えられている。

 一歩間違えれば権力に溺れて愚者が生まれるが、そういった子息は早々に切り捨てて家を守ってきたのが杖爵だ。


「それにしても、クリストフ様は聞いていた印象と少し違って、驚いています」


 アルフレッドよりもパワフルに人を振り回す人物だと聞いていた。

 会う前は戦々恐々としていたのだが、実際に会ってみたら話しやすい気さくなおじさんだ。

 私の年齢とクリストフの年齢を考えれば、おじさんというよりはお爺さんなのかもしれないが、髪の色のせいか、話し方のせいか、老人という気はあまりしない。

 せいぜいが壮年の男性だ。


「アルフレッドやレオナルドからの報告書があったからな。私人としての私を見れば、裸足で逃げて部屋へ閉じ籠って出てこなくなる。クリスティーナ嬢と会う時は、あくまで公人として弁えよ、と妻たちからも釘を刺された」


「……今、裸足で逃げ出しても捕まえるって言いかけましたね」


「足には自信があるぞ」


 褒めたつもりはないのだが、クリストフは誇らしげに胸をそらす。

 そんなはずはないのだが、もしかして私のこの癖は、クリストフの又従姉妹はとこからの遺伝なのだろうか。

 少なくとも、この青い目は両親とも祖父とも違う、クリストフと同じ色だ。


「内緒話ついでに、一つ相談に乗ってください」


 第八王女が支払った金貨五千枚という金額を返還したい、と相談すると、クリストフは正直者めと私を褒めたあと、金貨は受け取っておきなさいと言った。

 愚かな娘のしでかしたこと、とすでに終わった話であったし、それを返還されては第八王女の身分を戻せ、と言い出す輩が現れるかもしれない。

 王爵を得て国のために働く気のない王女など、戻ってこられても困るのだ、と。


「……御自分の娘の話ですよね?」


「不出来ではあったが、私の娘の話だな」


 もともとはそれほど愚かな娘ではなかったが、レオナルドが絡むと理性をなくす。

 個人に執着して愛を叫ぶという意味ではアルフレッドも同じだったが、アルフレッドは公私を使い分けていた。

 クローディーヌ第八王女も公私の区別が付けば、レオナルドへ執着していようとなんの問題もなかったのだ。


「それは、王様としての言葉ですか? 父親としての言葉ですか?」


「どちらでも同じことを私は言うぞ。妻たちが言うには、私は血を分けた子どもには冷たいらしいからな」


 役に立たないだけならば嫁入りまで飼いもするが、国庫を無為に圧迫するようであれば、いない方が良い。

 王族の住む場所、食べる物、着る物すべてが、国民の税金から補われている。

 王の子として生まれた義務も責任も果たさぬ者に、民の血税の上に座る権利はない。


「金貨五千枚という額が多すぎると気になるようなら、日本語の翻訳代金を先払いで貰ったと思えばよい」


「……それでも多すぎますよ」


「安すぎるぐらいだと、私は思っているぞ」


 オレリアの死で、聖人ユウタ・ヒラガの秘術の多くが失われた。

 日本語で書かれたその研究資料が読み解ければ、秘術のすべては無理だとしても、いくつかは復活させることができるかもしれない。

 秘術が復活できれば、その薬によって救われる命が無数にある。

 日本語を読めるということは、ただ『文字を読む』ことからは考えられないような価値があるのだ、と。


「たかが金貨五千枚で、救われる民がいる。それは今だけではない。これから先の未来でも、また秘術が失われない限りは何百人、何千人とそなたは私の民を救ってくれるのだ」


「でもわたくしは……その前に、たくさんの人を見殺しにしています」


 日本語が読める転生者を必要としている、と私が知ったのは、レオナルドたち黒騎士がメイユ村へとやって来た時だ。

 村はすでにワーズ病で滅んでいたが、あの時点で転生者であると私が名乗り出ていれば、そのあとに死ぬ人間は減らせたかもしれない。

 失われた秘術の処方箋レシピを読むために日本語が読める人間が必要だというのはオレリアの家で知ったことだったが、そこですぐに自分がそうであると伝えることもできた。

 オレリアに黙っていた方がいいと教わりはしたが、グルノールの砦でははっきりと意識もしていたのだ。

 自分が口をつぐむことで、誰かを見殺しにしている、と。


「私が聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を読めば、たしかにいくつかの薬は復活できるかもしれません。でも、助かる人と同じぐらい、わたくしはすでに見殺しにもしています」


「……そなたは本当にレオナルドの妹よな。言わなくとも良いことまで、胸の内にしまっておれぬ」


 愛すべき正直者だ、と言うクリストフに、私は上に『馬鹿』が付きます、と訂正する。

 レオナルドの正直さは美徳だと思うが、私の正直さは美徳ではなくただの罪悪感だ。

 黙っていればいいことを黙っていられない、ただの小悪党ともいう。


「そなたは馬鹿ではないぞ。実に正しい選択をしてくれた」


「正しくなどありません。わたくしは、転生者がどのように扱われるのかがわからなくて、怖くて、自分の身だけを守るために、日本語が読めることを黙っていました」


「しかし、処方箋を見つけた時には、オレリアへ伝えようとしてくれただろう」


「情報漏えいって、犯罪でした」


「グルノールでは自分が感染する危険性も省みず隔離区画へと入り、感染者たちの世話をしてくれたと聞いている」


「お掃除ぐらいしかできていませんし、マスクもしていました」


「感染源が商人の運ぶ小動物だと、最初に気がついたのはそなただと聞いているぞ」


「そんな事件があったって話を、思いだしただけです」


「ワイヤック谷では、オレリアを助けてくれたな」


「助けたのは黒騎士です」


「……頑固だな」


「全部事実です」


 では、考え方を変えよう。

 そう言って、クリストフは隠し扉から御酒の入った瓶を取り出した。

 頭の固い私の相手など、飲まずにはやっていられないと思ったのかもしれない。


「メイユ村でそなたがレオナルドに『自分は転生者である』と告げたとする」


 最初に私が選択肢を誤ったと思っている箇所だ。

 あの時にレオナルドへと正直に告げていれば、聖人ユウタ・ヒラガの秘術でワーズ病の終息は早かったはずだ。


 そう思っていたのだが、クリストフの考えは違った。


「転生者が事実であろうとなかろうと、ワイヤック谷へと送られることは間違いがない。その際に人手は割くであろうな。グルノールへ報せる者、谷へ行く者、王都への報せを走らせる者」


 周辺の村の異変には気がつくかもしれない。

 あれらは私も同行している時に気がついた。

 

 しかし、ここからは少し展開が変わってくる。

 

 オレリアの元で感染の疑いを晴らしている間にグルノールの街へと感染が持ち込まれ、オレリアはすぐに薬を作り始めたのだが、その頃には王都へとついた報せが私の保護を命じられてワイヤック谷へとやって来る。

 レオナルドは私の護衛としてグルノールの街へは戻らず王都へ同行し、薬を作っていたはずのオレリアもまた同行させられていたはずだ。

 初期の症状になら効く薬を作ることよりも、聖人ユウタ・ヒラガの秘術を復活させることを優先せよ、と。

 

 結果として、感染源の特定も遅れるかもしれない。

 そうなれば、感染は今よりも広がっていたはずだ。


「秘術の処方箋があったとして、それが本当に効く薬として完成するまでにはどれほどの時間がかかるのだろうな。その間に、本来なら作られていたはずの薬は作られず、助かったはずの民が死ぬ」


 この場合であれば、ジャン=ジャックは確実に死んでいただろう、とクリストフは言う。

 現在生きている人間の名前を出され、背筋に冷たい汗が流れた。

 勇気を出して出会ってすぐに自分が転生者であるとレオナルドに告げていれば、死なずにすんだ人がいるはずなのにと思っていたのだが、クリストフは逆のことを言う。

 黙っていたからこそ、オレリアの薬が作られた。

 その薬で助かった人間の数は、おそらく秘術をもって薬を復活させるよりも多かった、と。


「そなたが臆病な普通の子どもでよかった。もし正直に名乗り出ていてくれたら、我が民の命は今よりも多く失われていただろう。そうでなければ、一部の民を見捨てるという選択は私が背負うものであった」


 ありがとう。

 そう言って、王様は臆病者だった私へと頭を下げた。

 私が臆病でずるかったおかげで、助かった命がある、と。


「わたしは、誰かを、見殺しにしただけです。お礼を言われるようなことなんて……」


「為政者になりたくない、貴族になりたくない。そう言うそなたなら、為政者とは時に民の命に関わる選択を迫られることがある、と解っているだろう。そなたが隠れていたおかげで、私の選択肢は『民の命を救う』という、そのたった一つだけだった」


 オレリアがその時に作れた最良の薬でもって、できるだけ多くの民を救う。

 切り捨てる選択肢は目に見えず、救うための選択肢しか目の前にはなかった。

 そのことにまず感謝をしている、と。


「私の民を救ってくれてありがとう。薬作りの手伝いをしてくれたそうだな。森で動けぬオレリアを見つけ出してくれたし、感染源の特定にも貢献している。誰もが見捨てたジャン=ジャックを救い、感染者たちの心も掬い上げた。……ありがとう。いくら感謝をしても足りぬ。そして、そんなそなたに『民を見殺しにした』などという重荷は背負わせん。その重荷は王である私のものだ。一欠けらたりとも、民であるそなたには分けてやらぬぞ」


 ありがとう、ティナ。

 重ねられた感謝と、初めて愛称を呼ばれ、この一言だけはクリストフの私人としての言葉なのだとわかった。

 そしておそらくは、たった今からこの人は私の弱点になったのだと思う。


 ……頭下げて、顔が見えなくなると、色と髪型がお父さんなんだよ。


 祖母の髪の色など知らないが、クリストフの又従姉妹というぐらいなのだから、金髪だった可能性はある。

 それが父へと遺伝した可能性も、だ。







「ところでクリスティーナ。レオナルドともども、私の娘に……」


「それはお断りします」


 今までしんみりと話をしていたのは幻かとでもいうように、クリストフは顔を上げたかと思ったら不吉な提案をしてくる。

 即座に断るのは、そろそろエセルバートのおかげで慣れていた。


「……そういえば、孫になれとか、娘になれとは言われますけど、ディートの嫁になれとは言われませんね?」


 クリストフの息子は四人いるが、三番目がアルフレッドである。

 年齢的に私とは釣り合わない。

 そういった意味では一番釣り合うのはディートフリートなのだが、孫になれ、娘になれと誘われはするが、ディートフリートの嫁になれとは一度も言われたことがない。


「あれは能力さえ身に付ければ王爵を与えてもよいが、王位継承権は与えられぬ子だからな。そんな者に、王族へと取り込みたい娘をやるわけがない」


「……王位継承権を与えられない子、ですか?」


 それは躾けの問題だろうか。

 だとしたら、マンデーズの館でおそらく半分は解決している問題だと思われる。

 私としては単純にそう理解したのだが、事実は少し違ったようだ。

 首を傾げる私が理解していない、とわかったのだろう。

 クリストフはこともなげに続きを聞かせてくれた。


「父であるエルヴィスの望みである。王爵を得た時に私が叶えた、息子エルヴィスの望みだ」


 第一王子であるエルヴィス王子は、王爵を得た時に祝いとして国王に望んだらしい。

 自分の王位継承権の放棄と、我が子へも王位継承権を持たせないことを。


「え? なぜですか?」


 自分の王位継承権を放棄するというのなら、まだ解る。

 同じ立場であれば、私だって逃げたい立場だ。

 だが、子どもの継承権まで拒否する理由がわからない。

 それは子どもの未来を握り潰すようなものだ。


 ……あ、でも、だから? ディートフリートが為政者としては致命的に育てられたのって。


 王位を継がせる気がない、継がせてはいけない。

 そう考えているからこそ、そもそも王爵すら得られないよう我儘な子どもに育てたのだろうか。

 ディートフリートのあの姿が狙い通りなら、確かにディートフリートを我儘放題に育てた乳母は優秀とも言えなくはない。


「私としてはまったく気にしておらんのだが、エルヴィスは私の血を引いてはいないからな。それを気にしてのことかも知れん」


「……えっと?」


 なんだかとんでもない話をサラッとされた気がする。

 第一王子として君臨する人物が、実は国王の血を引いていないだとかなんとか。


「エルヴィスの父親については、いくら私とそなたの仲とはいえ、秘密だ。あれも多感な年頃だからな」


「わたくしとクリストフ様の仲がどのような仲なのかはこの際突っ込みませんが、……え?」


 突っ込まないことに決めた場所を除いても、どこから突っ込んだらいいのかわからない。

 ただ一つ確かなことは、第一王子といえばアルフレッドとは歳が離れている。

 とてもではないが多感な年頃なんて歳ではないはずだ。


「ああ、そうだ。ディートフリートを王位に付けたいのなら、そなたが私の養女となってディートフリートを婿にするがよい。それならばエルヴィスも文句は言うまい」


「そもそもディートを王様に、なんて思っていませんし。わたくしがクリストフ様の養女にとか、無理がありすぎますし」


「それほど無理ではないぞ。そなたが一度ベルトランの下へ戻るだけで解決する話だ」


 ベルトランの妻がクリストフの又従姉妹であった、という話は聞いたばかりだ。

 遠縁とはいえ遡れば王族の血が入っているため、養女にするのも簡単らしい。

 なんということだろう。

 のんびり幸せ平民生活が私から遠ざかって行くを感じた。

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