第6話 離宮の主

 目の前の離宮の大きさに呆然と立ち尽くしていると、扉を開けて四人の侍女と一組の男女が出てくる。

 男女を一組と区切ったのは、明らかに職種が侍女とは違うからだ。

 ついでに、男の顔には見覚えもあった。


「えっと、たしかアーロン様、でしたね。お久しぶりです」


 なぜ私に与えられるらしい離宮から、アルフレッドの護衛をしてグルノールの街へとやって来たことのあるアーロンが出てくるのだろうか、と首を傾げる。

 アルフレッドの護衛をしていたように、アーロンは白銀の騎士だ。

 王城内で見かけることに不思議はないのかもしれないが、この離宮から出てくるというのは少しおかしい気がした。


「紹介しよう。この二人がおまえの護衛に付けられる騎士だ。アーロンの方は面識があるから知っているな」


 私の言葉には相変わらずなんの反応もみせなかったが、アルフレッドの紹介にはアーロンは礼をして反応を返す。

 もしかしたら、私には未だに理解できていない身分差というものかもしれない。

 この場で最上位にいるのは王爵であるアルフレッドだ。

 私が知人を見つけたからといって、思ったままに声をかけては不味かったのだろう。


 ……アーロン様は私を無視したんじゃなくて、私の方が順番を間違えたんだね。


 そうかもしれないと気づいたら、あとは黙ってアルフレッドが紹介をしてくれるのを待つ。

 礼をしたアーロンの次に紹介されたのは、白い制服を着たまだ十代に見える若い娘だ。

 真っ直ぐな黒髪を編みこんで後ろで上げている。

 教わったばかりなので確認してみたところ、ボタンの色は黒い。

 白銀の騎士ではなく、彼女は白騎士だ。


「ティナの護衛を、白騎士に任せるのですか」


 レオナルドの声音から、少しの不満が滲んでいた。

 黒騎士と白騎士は仲が悪いと聞いているが、レオナルドの場合は白騎士が嫌いなのではなく、腕に不安があるのだろう。

 黒騎士と白騎士は体つきからいって違うし、お飾りの白騎士の、さらに筋肉らしい筋肉もついていない若い娘ともなれば、護衛としての能力には不安しかない。

 普段から黒騎士を目にする環境にいたため、私だって見ただけで不安を覚えるぐらいだ。


「私もティナ嬢の護衛を白騎士に任せるというのは不安があるが……」


 食いつくレオナルドに、アルフレッドは白騎士が私に護衛として付けられるようになった経緯を説明しはじめた。

 私はというと、アルフレッドの説明よりも『白騎士』『若い娘』といった単語が出るたびに娘の顔が僅かに歪むのが気になる。


 ……黒騎士のレオナルドさんに反発したいのか、女と侮られてイラついてるのか、どっちだろうね?


 気持ちはわからないでもないが、彼女の実力を見ないことにはレオナルドも私も評価の改めようがない。

 私とレオナルドは彼女を以前から知ってはいないが、この人選に関与したらしいアルフレッドは少なくとも私たちよりも彼女を知っているはずである。

 そのアルフレッドにしても、「実力は保証する」とは一言も口に出してはいないのだ。

 実際の腕も、噂どおりの白騎士の範疇を出ないのであろう。


「……仕方がないだろう、ティナが女の子なのだから」


 最終的にやや投げやりになりつつ、アルフレッドが本音を洩らした。

 彼女が私の護衛にと選ばれたのは、性別が理由であると。


「父上からことのほか扱いは丁重に、と言われているティナだ。その護衛には本来であれば王族の警護を務める白銀の騎士を三人は付けたい」


 ところが、精鋭ぞろいであるために数が少ない白銀の騎士が数人ほどグルノールの街へと滞在しているため、今は王族以外の警護へと回せる人数が少ないのだ、とアルフレッドは言う。

 ならば、と白騎士を押し付けたがる騎士の実家がうるさかったが、使い物にならない者などいるだけで邪魔だ。

 しかし、一つ問題もあった。

 私が女児であったために、どうしても男性では警護できない場所があると言うのだ。


 ……まあ、確かにそうかもね?


 レオナルドと同じ部屋やベッドで寝るぐらいならば問題はないが、さすがに風呂やトイレまでは付いてこられたくはない。

 そう考えると、女性の騎士が最低でも一人は必要になってくる。

 そして、実力が重視されるこの国の騎士では、実力者に女性は現れ難い。

 どうしても男女の体の作りの違いから、女性は筋力的に劣ってしまうからだ。


 ……それを考えると、ファンタジーのお約束な女性騎士とかは、白騎士にしかいないんだろうな。


 もしくは、いたとしてもゴリマッチョになるだろう。


「ティナの護衛に女性騎士が必要なら、ルグミラマから数人呼び寄せます」


 続いたレオナルドの言葉に、内心で瞬く。

 たった今思ったばかりの疑問が、すぐに解消されてしまった。


 ……ルグミラマ砦にはいるんだ、黒騎士の女の人。


 やはりゴリラか、それとも絵に描いたような麗しの女性騎士なのかと考えて、夏の闘技大会にやってきたルグミラマ騎士団の副団長であるルミールの姿を思いだす。

 彼か彼女かは結局判明しなかったのだが、ルミールならば女性といわれても納得ができる気がした。


「……王都でティナを守るためには、貴族の肩書きが役に立つこともあるだろう。それに、ルグミラマは今手薄にはできない場所だ」


「何かあるのですか?」


 なんだか聞き捨てならない不穏な単語を拾った気がして、レオナルドとアルフレッドの会話へと割り込む。

 上位者の会話に割り込むべきではない、とヘルミーネから教わってはいたが、一応は私の護衛についての話だったはずだ。

 私には会話に加わる権利がある、と思う。

 声をかけた私に、レオナルドとアルフレッドの視線が同時に下りてきた。


「ラガレットでおまえも巻き込まれたはずだろ。あれがまだ少し引きずっている」


「ルグミラマの警戒は副団長のルミールがしているから、ティナはなにも心配しなくてもいい」


 ほとんど同じタイミングで別の言葉が返ってきたが、要は私が気にしても仕方がない話であることはわかった。

 ラガレットの誘拐騒ぎからルグミラマ砦にかかわることで揉めている、といえば隣国との間に何かがあるのだろう。

 これは本当に、子どもである私には手も足も出せない問題だ。


「お二方とも、いつまでお嬢様を外へ立たせているおつもりですか!?」


 離宮の中からひときわ大きな声がしたかと思ったら、何か勢いのあるものが近づいてくるのがわかる。

 声の主の勢いに、そんなはずはないのだが地響きが聞こえるような錯覚に陥った。


 ……でかっ!?


 デカイは少々言い過ぎかもしれない。

 ただ、とにかく恰幅の良い老齢の侍女が、離宮の奥から遅れて姿を現したのは確かだ。

 老齢の侍女はぐるりと周囲を見渡して睨みを利かせ、最後に私へと視線を落とす。


「まあ、小さくて可愛らしいお嬢様ですこと。わたくしはこの離宮の侍女を束ねるナディーンと申します。長いようでしたら、『ナディ婆』とでも『ディーン』とも、呼びやすいようにお呼びください」


 ナディーンと名乗る老女は、顔はニコニコと友好的に微笑んでいるのだが、とにかく迫力があって怖い。

 肉付きのいい体格のせいだろうか。

 思わず後ずさってレオナルドの背後へと隠れようとしたら、ヘルミーネに肩を押さえられてしまった。

 どうやら、ここで隠れてはいけないらしい。


「……はじめまして、ナディーンさん。わたくしはティナと申します。しばらくお世話になります」


「まあ、まあ。お行儀のよろしいお嬢様ですこと! お姫様方とは大違い。でも私に『さん』は必要ございません。お嬢様がこの離宮の主で、私どもはただの侍女でございますから」


 ……ただの侍女だ、って思っているのはナディーンさんだけみたいだけどね。


 隠れることは不可能らしいので、意を決して猫を被って挨拶をする。

 ヘルミーネ仕込みの淑女の仮面がお気に召したのか、ナディーンの相好は崩れた。

 しかし、背後に控えることになった最初に出てきた侍女たちの顔は違う。

 みんな白騎士の娘と大差のない顔をしていた。

 女騎士の方は『白騎士』『女騎士』と侮られることに憤りを感じているようだったが、侍女たちは私に仕えるということに不満があるのかもしれない。

 彼女たちからしてみれば、私などどこの馬の骨とも判らぬ子どもでしかないはずだ。


「ナディーンがティナに付くのか」


「長くお仕えしていた王子がご成長されましたので、まだ手助けが必要であろうお客様をお助けするように、とエルヴィス様より御下命いただきました」


 いつまでも玄関先になど立っていないで、まずはお茶でも飲んでお寛ぎください、とナディーンに促されて離宮へと足を踏み入れる。

 相変わらずエスコートがアルフレッドなのが、なんだか不思議だ。


「……ナディーンはディートフリートの乳母だ」


 こっそりとアルフレッドに耳打ちされ、どういう意図があるのかと少し考える。

 ディートフリートの乳母といえば、噂ぐらいは聞いたことがあった。

 中身はともかく容姿は天使のように可愛らしいディートフリートを可愛い、可愛いと甘やかして、ろくな躾けも行わなかった使用人筆頭が乳母だったはずだ。


 ……レオナルドさんとは違う意味でダメな甘やかし方をする人なんですね。


 これは少し気をつけねば、あっという間にディートフリート二号になってしまう。

 もしくは、ナディーンと同じ体型になってしまうのかもしれない。

 これは本当に気をつけておいた方がいいだろう。







「ティナお嬢様のお部屋はすぐにでも使えるように整えてございます」


 お寛ぎくださいと案内されたのは、離宮内にある居間ではなく、回廊を抜けた先にある庭の東屋あずまやだった。

 王族の生活空間であるという離宮は、城主の館の庭とは違って見せることを考えられた作りをしている。

 城主の館も裏庭には花壇が作られていたが、軍事施設の延長線上にあるのか、前庭は殺風景な作りだった。

 それが、この離宮の庭には夏の花々が咲き乱れ、ちょっとした散策のためか石畳で道までが整えられている。


「綺麗なお庭ですね」


「お嬢様にそう言っていただければ、庭師も喜ぶかと思います」


 ぐるりと庭の花々を見渡したあと、今度は茶器の中で花が踊るのを見つめる。

 ハーブティーだと思うのだが、お湯に揺れる黄色の花びらがとても可愛いらしい。


「この離宮には全部で四つの主の部屋がございまして、この庭は夏の部屋に面した庭になります」


「夏の部屋……」


 夏の部屋、とわざわざ区切るということは、この離宮には春夏秋冬の四季にあわせた部屋があるのだろう。

 それも主の部屋というぐらいなのだから、今は私の部屋が四つあることになる。


「……なんというのか、至れり尽くせりすぎて怖いです」


「お嬢様は我が国の大切なお客様なのですから、このぐらいは当然のことです」


 ……当然なのかなぁ?


 ナディーンは始終笑みを浮かべているのだが、東屋へと茶器や御菓子をのせたワゴンを押してきた侍女はどこまでも無表情だ。

 業務上必要があって無表情だという場合もあるかもしれないが、私としては歓迎されていないように見えて居心地が悪い。


「アルフレッド様からは、この離宮がわたくしに与えられる、と伺ったのですが……」


「その通りでございます。こちらの離宮はすべてお嬢様の持ち物です」


 アルフレッドにも断言されているか、ナディーンにも断言されてしまった。

 この広い離宮の主は、どうやら本当に私らしい。


「……今回少し滞在するだけにしては、贅沢すぎるお部屋だと思うのですが?」


「おまえが生きている間はいつでも王都に滞在できるように、と整えられた離宮だ。気にする必要はない」


「それは……無駄が多いような……?」


 私としては、面通しが終わったらグルノールの街へ帰りたい。

 立派な離宮など貰って、いつでも滞在していいだなんて言われても、困ってしまう。


 ……それが狙いなのかもしれないけどね。


 維持費ぜいきんを無駄に使わせるよりは、と罪悪感から私が王都に居つくことを狙っているのかもしれない。

 聞いた限りでは、国民の血税を無駄に使うことは嫌いそうな国王様だ。

 それなのに維持費を無駄に出すというのは、少しおかしい。


「離宮の維持費はおまえに関係なくかかるものだ、気にする必要はない。というよりも、前の主に比べれば、普段はグルノールにいるだけおまえが主の方が安上がりで国としては万々歳だ」


「ほとんど留守が万々歳って……前の主はどうなされたのですか?」


 王族の生活区画にある離宮には、王爵を持たない王族が住むと聞いたばかりだ。

 ということは、この大きな離宮にも別の主がいたことになる。

 私のために整えたとは聞いているが、草や花はまだしも、地面から生えている木を春からの数ヶ月で整えることは不可能だ。


 ……あれ? 王族で、前の主?


 なんとなく引っかかりを覚え、目を泳がせる。

 なんだかムクムクと嫌な予感がしてきた。


「最近一人いただろ? 絵画一枚に金貨五千枚を支払って父上の怒りに触れた王族が」


「……いましたね」


 うっすらとした予想が確信に変わり、思わず頭を抱える。

 なんということは無い。

 この離宮の主がいなくなり、私へと与えられる原因になったのは、私が作ったレオナルドの刺繍絵画だ。


「本当はもう少し手狭な館を新たに作らせる予定だったのだが、離宮が急に空いたので、それを利用することにした」


 本来であれば一から館を作るため、もう一・二年は呼び出されなかっただろう、と続いたアルフレッドの言葉に叫び出したくなる。

 レオナルドへのちょっとした悪戯心でやったことだったが、自分で自分の首を絞めた気分だ。

 冷静に考えれば第八王女の破滅は自業自得ではあるのだが、離宮が空になったせいで礼儀作法の勉強も途中の段階で呼びだされることとなってしまっている。


 ……つまり、この離宮がクローディーヌ様的な『金貨五千枚』の『庭付き一戸建て』ってことか。


 前後関係を聞かされて、改めて離宮を振り返る。

 まだ回廊を抜けて夏の庭へと出てきたぐらいしか歩いてはいないが、建物の形としては十字の中央を丸く膨らませたような感じだ。

 十字の先端部分が季節ごとの部屋になっており、中央は吹き抜けのホールになっていた。


「いつでも好きな時に好きなだけ滞在できるよう、主が不在でも最低限の使用人は配置されている。滞在中に必要と思えば新たに使用人を雇い入れてもいい。ナディーンがまとめ役になるから、おまえはどんな人物かの希望を伝えるだけでいい」


 気に入らない侍女がいれば入れ替えてもいいぞ、追加されたアルフレッドの言葉に、侍女の一人が茶器を鳴らす。

 反射的にそちらへと視線を向けると、私と目の合った侍女はパッと視線をそらした。


「……やはり、扱いが良すぎて怖いです」


 怖すぎて、ようやく身につき始めていた猫が脱げかける。

 つい素が出てしまったのだが、アルフレッドは軽く肩を竦めただけで流した。


「王が客人として遇するのだから、この程度は当然だ。父上はおまえと良好な関係を築いていきたいとおっしゃられていたし、次代の王が誰であれ、やはりおまえとは良好に付き合って行きたいと考えるだろう」


 これでも必要最低限しか配置していないので、気にすることはない、とアルフレッドはナディーンの入れたハーブティーを口へと運ぶ。

 アルフレッドのハーブティーは澄んだ薄い緑色をしていたが、私のハーブティーは子ども用か、ミルクと蜂蜜が入れられていて乳白色をしている。


「……王都に慣れたら、一度私の屋敷へ遊びに来るといい。おまえと気の合いそうな女中メイドを何人か貸してやろう」


「アルフレッド様のお屋敷の女中ですか……」


 ……なんだろう? なんとなく、聞いただけですごく優秀で苦労性な人が来る気がする。


 奔放なアルフレッドに対処しているうちに、気がつけば有能な女中に育っていた、という謎の過程が想像できて、あったこともないアルフレッドの屋敷の女中に同情してしまう。

 貸してやる、ということは、どうあってもアルフレッドの女中である、という事実は変わらないのだ。


「……レオナルドお兄様は静かですね」


「この離宮には近づきたくなかったからな。主が居ないと聞いても、妙に落ち着かない」


 アルフレッドと同じ色のハーブティーを飲みながら、レオナルドの視線は周囲を警戒するように彷徨う。

 第八王女の離宮だったということは、敷地内のどこかにレオナルドが全裸で壺を持っているという噂の噴水があるのだろうか。

 暇で暇で仕方がなくなったら、敷地内を散策して探してみるのも面白いかもしれない。


「そういえば、そのクローディーヌ様はどうなったのですか?」


「アレならもう国内にはいない。身分を剥奪されて、絵画と共に神王国クエビアのイツラテル神殿へ送られた」


 今頃は大勢いる巫女の一人として、イツラテル神殿の床磨きでもしているのだろう、とアルフレッドはこともなげに言う。

 ヘルミーネの授業によれば、クローディーヌ王女はアルフレッドの同母の妹だったと思うのだが、冷たいものだ。

 兄妹とはいえ、王爵を得られる教育を修めた王族は、それ以外の王族に対してなんの価値も見出せないのだろうか。

 少しだけ、アルフレッドが怖くなった。

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