第2話 馬車での旅程 2

 今さら聞かれて困ることはないし、と開き直ってみる。

 もう日本人の転生者であるということはバレているので、下手に隠し事をする必要もない。


「……それで、あの珍しい色合いはなんだ?」


 口ぶりからして、アルフレッドも刺繍絵画を見たのだろうか。

 少し確認してみたかったが、また話が逸れてしまうので胸に留めておく。

 あとで食事の席ででも改めて聞いてみれば、レオナルドが面白いかもしれない。


 ……一人だけ外でのびのびとしているレオナルドさんへの、ちょっとした意趣返しですよ。


 アルフレッドの相手を私一人にさせるのは酷い、と少しだけ思っている。

 私は一人では馬に乗れないので仕方がないともわかっているが、それだったらレオナルドも粛々と馬車で過ごせばいいのだ。


 ささやかなレオナルドへの悪戯を計画し、思考を切り替える。

 今はとりあえず、アルフレッドの好奇心を満たす方が先だ。


「CGはピンク色で影を塗るとエロ……色っぽくなる、って何かの本で読んだことを覚えていたので、試してみました」


「エロくなることを承知で作ったのか」


「色っぽくなる、です」


 そこは大事なので気をつけてください、とアルフレッドの『エロ』を『イロ』に訂正させる。

 エロくなるのは承知の上で作ったが、仕上がりのあまりのエロさに、あれをエロと認めてはいけない気がした。

 ぎりぎりセウトという奴だ。


「あの絵画は、もともとレオナルドお兄様への悪戯目的に作ったので、ちょっとした悪戯心でピンクの糸を混ぜてみたのですが……」


 想定外の桃色絵画に仕上がりました、とさすがに少しだけ気まずくなって目をそらす。

 私はピンクで塗られた美麗CGにも、レオナルドにも慣れているのでなんとも思わなかったが、ラガレットの画廊を訪れていた紳士淑女の反応は違った。

 みんなうっとりとレオナルドの裸体を見つめ、その場から動こうとはしなかったし、レオナルドの顔を見ただけで悲鳴をあげて失神する女性もいた。

 あの刺繍絵画の破壊力は、耐性のない人間には恐ろしいものがあるのだろう。


「しーじーとはなんだ?」


「コンピューター・グラフィックのことだと思います」


 普通にCGと読んでいたので、実は違うとしても私の認識ではコンピューター・グラフィックだ。

 説明しろと言われても、私にはコンピューター・グラフィックとしか言えない。

 SFがスペース・ファンタジーではなく、サイエンス・フィクションの略だということは、前世でも大人になってから知った事実だ。

 私がCGという単語を間違えて使っていても、今生では確認のしようがない。


「……あ、コンピューターが何か、なんて聞かないでくださいね」


「言えないような内容なのか?」


「正確に説明できないからです」


 先手を打って聞くなと釘を刺したら、言えないことかと勘繰られた。

 なかなか前世の知識についてを話すことは難しそうだ。

 説明できないからと言葉を濁せば、なにか隠し事があるのかと疑われる。

 少々どころではなく面倒くさい。


「えっと……構造が複雑な道具で、どうなっているかも知らずに使っていたものなので、それが何かと聞かれても正確な説明はできません」


 そういうものが存在していたとだけ納得してくれ、とコンピューターについての質問は強制的に打ち切ってみた。

 一応なんとか説明できないものかと無い知恵を絞ってはみたが、私が知っているパソコンの中身といえば、CPUとメモリと冷却のためのファンが付いている、ぐらいだろうか。

 他にも液晶モニターだとか、キーボードだとかといろいろな箇所があったが、やはりアルフレッドが納得できるだけの説明はできない。

 あまりにアルフレッドが食い下がるので、早口の日本語で適当なカタカナを叩き込んで黙らせる。

 解らないものを、さらに解っていない人間へ説明することなど不可能だ。


「……おまえの知識は、利用できるかいまいち不明だな」


「日本語が読める、ってぐらいに思っていてください」


 最初からそういう話だったはずだろう、と指摘してやると、アルフレッドは渋面を浮かべる。

 日本語を読む以外は期待するなと聞いてはいたが、やはり異世界の知識というものには興味も期待も抱いてしまうのだ、と。


「……あ、面白いかはわかりませんが、笑い話を思いだしました」


「なんだ?」


「アルフさんから聞いただけで、私はまだ中身を読んでいないのですが、源氏物語がガールズラブ物になっているって聞きましたけど、本来は男女のお話です」


 アルフから聞いた概要は六条御息所と葵の上が恋仲になって、夫である光源氏の影は薄いそうなのだが、本来はまったく違う話だ。

 覚えている限りで正しい話をアルフレッドに聞かせると、それはバランスを考慮した結果、メンヒシュミ教会で改稿したのだろう、と教えてくれた。


「おまえの言う源氏物語も、存在はしているぞ」


「え? あるんですか?」


 だったらどうして源氏物語がGL物になっているのだろうか。

 説明を求めてみたところ、この世界では同性婚も普通に行われている。

 そのため、男女が結ばれる物語ばかりが集まった源氏物語はバランスが悪いということで嫌われ、いくつかのエピソードを小分けに、そして主役の男女を男同士、あるいは女同士に改稿した本が作られる流れになったのだろう、とのことだった。


 ……それ、異世界の物語って扱いで本にする必要なくない?


 源氏物語が改ざんされた理由はわかったが、異世界の物語として売り出したものをこの世界風に魔改造してしまっては、それはただの二次創作だと思う。


「……ただの好奇心から聞きますが、同性婚も普通のことだから同性同士の物語も多いってことは、BLも普通にあるんですか?」


「びーえる?」


「えっと……ボーイズラブ。男の人同士の恋愛小説です」


 BLが何かを説明すると、アルフレッドの口からは大人向けも子ども向けも存在している、という答えがこともなげに返ってきた。

 やはりこの世界では同性婚も普通に存在しているだけあって、BLも存在しているらしい。


「あれ? 城主の館にある物語の本はけっこう読んでいますけど、男の人同士の本はなかった気がします」


「城主の館へはメンヒシュミ教会で印刷された本が寄贈されるはずだろ。恋愛小説のくくりで、一緒に入っているはずだぞ」


「じゃあ、たまたま今まで手に取ってこなかっただけですかね?」


「もしくは、子どもにはまだ早い、と大人がおまえの目につかない書庫へ片付けたか、だな」


「納得しました」


 館に来た当初の私は八歳だ。

 当時はまだ文字が読めなかったとはいえ、大人向けの本とわざわざ区切られるということは、性的なシーンもある本だったのだろう。

 うっかりでも手に取らないよう、館の誰かが別の場所へと移動させることはありえることかもしれない。


「でも、本当にこの世界は同性愛に寛容なんですね」


「この世界というよりは、この国は、だな。ナパジでは男色は張り付け、逆は異性との婚姻を強制される。……ニホンは違ったのか?」


「私の記憶にある限りは厳しかったと思います」


 将来的にどう変わっていくかはわからなかったが、記憶にある限りはまだまだ世間の目は厳しかったはずだ。

 アルフレッドのように、好きなものを好きだと言い続けるのが難しい国だった。


「誰が誰を愛しても構わないが、未成年に性的な意味で触れることはさすがに禁じられている」


「あ、それはなんとなくわかるような気がします」


 ナニをどうこうと具体的な話題は避けるが、未成熟な体に性愛的なアレコレは未成年の側に負担が大きい。

 男同士も、女同士も普通の恋人関係であると認めている国でも、その辺りはちゃんと禁じてくれているらしい。

 愛情と性愛は別であり、『愛しているからいいだろ』はむしろ『本当に愛しているのなら、相手の体が成熟するまで我慢しろ』となるようだ。


「アルフレッド様は意外に読書家だったのですね」


 本の話に移ったところで、アルフレッドがいくつかお薦めのタイトルを教えてくれた。

 恋愛物の他には男児が好みそうな冒険譚や、私がまず読まない評論や学術書といった実にさまざまな種類のタイトルが出てくる。

 意外に思ったので、それをそのまま伝えたら、「子どもの頃は病弱で、アルフが持ってきてくれる本を読む以外にできることがなかったのだ」と教えてくれた。

 そして、大人になっても読書は習慣として残っているのだと。


 ……せっかくなので、ニクベンキの真実を伝えてみたり。


 エセルバートが好んでいる物語の、この世界でのタイトルの日本語の意味を教えてみたところ、珍しくもアルフレッドが絶句した。

 まず滅多に見られない表情であっただろう。

 その後、姿を見せないながらも同乗していた女中メイドを呼びだし、今聞いたことは他言無用だ、と言い含めていた。

 女中の方も、言われなくとも了解しているとばかりに淡々とこれに応じている。


「おまえも、その話を他所でするんじゃないぞ」


「エセルバート様ご本人にお知らせするのもダメですか?」


「ダメに決まっているだろ」


「わかりました」


 知らずに使い続けるには、意味が解る人間に出会った時に与える印象が最悪なのだが、それはいいのだろうか。

 そう指摘してみたところ、逆になんらかの反応があれば『その人物は日本語の意味が解る転生者である』と判断できるのだから、このままでいい、と言われた。


 この国の前国王様は、これからも愛読書の項目に『ニクベンキ』と付くようだ。







 馬車は一日に何度か馬の休憩のために止まる。

 これは動力に馬という動物を使っているので、しかたのないことだった。

 車やバイクのように、ガソリンさえあればいつまでも走り続けられるというわけにはいかない。

 そして、たいていはその時間が人間の食事に当てられていた。

 馬に水と休憩が与えられる間に、後続の馬車から調理道具が運び出され、石を積んで竈を作り、料理人の手によって温かい食事が作られる。


「ティナさん、どちらへ行かれるのですか?」


 アルフレッドの連れて来た料理人にも少しだけ慣れてきたので、作業を覗こうと思ったのだが、遅れて馬車から降りてきたヘルミーネに止められてしまった。

 料理人は自分の仕事をしている最中なので、その邪魔をしてはいけない、と。


「少し覗くだけでもダメですか?」


「小さな生き物が竈の周りをウロウロとしていたら、わたくしでしたら仕事りょうりをする手が止まりますね。怪我でもしないか心配で」


「……わかりました」


 料理中の場所へと近づくことは諦めて、手綱を木に結んでいるレオナルドの元へと向かう。

 一人でのびのびと馬に乗っていたレオナルドは、館の執務机で書類とにらめっこをしている時より晴れやかな顔をしている。


「……ぐふっ!?」


 なんとなく面白くなかったので、レオナルドの振り向きざまに特注靴の洗礼を喰らわせた。

 完全に油断していたレオナルドは、すねの痛みにうずくまる。


「乗馬は楽しかったですか、レオナルドお兄様?」


 私は一人で延々アルフレッドの話し相手とリバーシをさせられて疲れた、と唇を尖らせて不満を顔に出す。

 頬を膨らませることは封印したが、レオナルド相手には不満を伝えるジェスチャーはまだもう少し必要だと思う。


「……このあとは、俺と一緒に馬に乗るか?」


「午後はヘルミーネ先生が授業してくれるので、無理です」


 室内か、室外か、という差こそあるが、やっていることはただジッと座っているだけだ。

 館での生活とあまり変わらないといえば変わらないのだが、館の自室では姿勢を変えたり座りなおしたりするだけで周囲を意識することはない。

 しかし、馬車の中には常にアルフレッドがいる。

 なんとなくアルフレッドの視線が気になって、身じろぎ一つするにも緊張して居心地が悪かった。

 とにかく二人きりというのが戴けない。

 アルフレッドの関心が自分以外にも向けられないことには、リラックスして椅子に座っていることができないのだ。


「……じゃあ、明日の午前は、一緒に乗ろう」


「約束ですよ?」


「ああ、約束だ」


 鈍いながらもようやく馬車の中の気まずい空間を察してくれたのか、もしくはまたお転婆娘がむずがり始めたと思っているのかはわからなかったが、苦笑いを浮かべてレオナルドが私へと手を差し出してくる。

 その手に自分の手を重ねながら、レオナルドのこの表情が結構好きなのだ、と気が付いた。


 ……兄の困り顔が好きとか、ちょっと好きな子を苛める男の子の気持ちがわかっちゃった気がするよ。


 人としてどうかと思う感想だったが、可愛い妹の意地悪だ。

 兄には甘んじてこれを受け入れてほしい。







 馬車の旅は、快適だが単調だ。

 朝から晩まで馬車に揺られ、楽しみといったら料理人が頑張ってくれる食事と、たまに知らない町を通り抜ける程度だろうか。

 王族仕様の豪華な馬車だが、さすがに湯船はなく、お風呂は町で宿を取る以外ではお預けだ。

 一応大きめの桶があり、体を洗えるよう準備はされているのだが、移動中の水は貴重であったし、お湯にするための労力も気になったので遠慮しておいた。

 寝室で体を拭くぐらいだ。


「馬でならメイユ村とワイヤック谷へ寄り道できるが、ティナは行きたいか?」


 街道の分かれ道にある町へと宿を取った朝、レオナルドがこんなことを言い始めた。

 魅力的な寄り道へのお誘いなのだが、今は王族が迎えに来ての王都への移動中だ。

 寄り道など、普通は許されないだろう。

 そう思ってアルフレッドの様子を窺うのだが、不思議と制止してくる様子もない。

 優雅な仕草で焼きたてパンをちぎり、口へと運んでいた。


「……寄り道はいいです。早く王都へ行って、早く用事を終わらせて、早く帰ってきましょう」


 寄り道の必要はないです、とレオナルドの提案を断っていると、先の提案には黙っていたアルフレッドが、私の言葉には否定の言葉を紡いだ。


「王都へ行けば、そう簡単には帰れないぞ」


 なんとも不穏なアルフレッドの言葉に、眉を寄せて唇を尖らせる。

 寄り道はよくても、早く帰ることはダメらしい。


「顔を合わせるだけ、って聞いていますよ」


「面通しは面通しだが、相手は私の父上だぞ。王都に着いたからといって、すぐに会える方ではない」


 国王とは言わず、父上と呼んだのは、ここが町中だからだろう。

 宿の主人には、貴族の子息の小旅行と伝えられていた。


「……王都に行ったら、用事が終わるまでどのぐらいかかりますか?」


「それはなんとも言えないが、今日ついて明日帰る、ということは不可能だ」


 旅程だけでもひと月近くかかるので、それが往復となればさらにもうひと月必要になる。

 今は初夏なので、替え馬を使って走り続ければ十日ほどでグルノールから王都へは行けるのだが、そんな体力はもちろん私にない。

 加えるのなら、馬が可哀想だ。


「……そんなに時間がかかるのなら、メイユ村はいいので、オレリアさんのお墓参りをしたいです」


 両親との別れは済んでいるが、オレリアの訃報は突然すぎて、お別れどころかまだ心の整理もついていない。

 行ける機会があるのなら、一度行っておいた方がいいだろう。


「わかった。じゃあ、アルフレッド様にはしばらくこの町で待っていただいて、ティナは俺とワイヤック谷に行こう」


「いや、谷へは私も行くぞ」


 身軽にレオナルドと二人だけでワイヤック谷へと寄り道をするつもりだったのだが、なぜかアルフレッドも同行すると言い始めた。

 アルフレッドが来るとなると、護衛もついて来ることになって、大所帯になりそうだ。


「オレリアさんの家には、アルフレッド様が楽しめそうなものはありませんよ?」


 ついて来ないでください、と言外に言ってみたのだが、続いたアルフレッドの意外な言葉に、それ以上の拒絶はできなくなる。

 オレリアの墓参りであれば、アルフが行きたかったはずだ、と。

 グルノールの街から離れられないアルフの代わりに、同じ顔をした自分がオレリアの墓参りをするのだ、とアルフレッドは言う。


 ……アルフさんの代わりだなんて、嘘だね。


 アルフレッドの口からオレリアについてを聞いたことはほとんどないが、なんとなくわかった。

 アルフは口実で、アルフレッド自身がオレリアの墓参りをしたいのだ、と。

 子どもの頃は病弱だったというアルフレッドは、もしかしたらオレリアの世話になったことがあるのかもしれない。


 ……アルフレッド様自身がオレリアさんとお別れがしたいって言うんなら、私が同行を断るなんてできないよね。

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