第3話 魔女探し

「……ジャン=ジャックは行かないんですか?」


 別行動用に小さな荷物をまとめるレオナルドを覗きつつ、聞いてみる。

 ジャン=ジャックはグルノールの街へ不注意とはいえ伝染病を持ち込んでしまった罰として、ヴィループ砦へと送られることになっている。

 その護送を兼ねて、今回の移動に護衛の一人として同行しているのだが、ワイヤック谷への護衛には付かないのか、荷物の用意がされていない。


「馬車自体の見張りも必要だからな。骨は一応繋がったが、まだ馬を走らせるよりは町で馬車の警護をさせた方がいいだろう」


「ということは、ワイヤック谷へは大急ぎで馬を走らせるんですね」


 ちょっとした寄り道とはいえ、それなりの距離がある。

 あまり日数を取られないように、強行軍で行くつもりのようだ。


「……急ぐのなら、ヘルミーネ先生も町で待っていた方がよくないですか?」


「ご心配には及びません。わたくしにはたしなみとして、乗馬の心得もございますから」


 ……時々思うんだけど、ヘルミーネ先生の言う『淑女の嗜み』ってどうなってるんだろうね?


 乗馬用にズボンへと着替えたヘルミーネを見つめ、しみじみと考える。

 偏見は承知で言うが、ヘルミーネなら『淑女の嗜み』の名の下に、護身術で黒騎士を二・三人は倒せる気がした。

 もちろん実力で選ばれる黒騎士が本当に女性であるヘルミーネに負けてしまうようでは困ってしまうのだが、それぐらい謎の迫力がヘルミーネにはある。


 ……私、ヘルミーネ先生みたいな淑女のえきすぱーとになるのは無理だよ?


 そんなことを考えつつ、作業の邪魔にならないよう横へと避けている間に寄り道の準備は整った。

 私もズボンに穿き替えて、宿で用意してもらったお弁当を持って出発だ。


「わたしも馬に乗れるようになった方がいいですか?」


「ティナが乗れるようになりたいんなら教えるが、無理に覚えることはないぞ」


 いつものようにレオナルドの乗る馬へと乗せてもらい、乗馬についてを聞いてみる。

 本当に淑女の嗜みの一つならば、覚えなければならないだろう。


 ……まず、足が短くて一人で馬に乗れないんだけどね。


 人並みに成長はしていると思うのだが、同年代の中ではまだ少し小さい。

 これはいっそ幼児期の栄養不足というよりも、私個人が小柄な種類の人間なのだろう。

 馬も自転車も基本は変わらない。

 自力で背に跨ることもできないのなら、乗ることは不可能だ。


「ヘルミーネ先生が、乗馬は淑女の嗜みとおっしゃいますけれど、嗜みとしてレオナルドお兄様はわたくしに身につけてほしいと思いますか?」


「ティナが覚えたいのなら教えてもいいが、俺個人としては乗馬には危険もあるから、ティナには馬車を利用してほしい」


 落馬事故が怖い、というのは以前にも怒られたことがあるので覚えている。

 馬が身近ではなかった私にはあまり実感のない心配だったが、前世でも競馬の選手が落馬して骨折したという話や、後続の馬に踏まれて死んだという話も聞いたことがある気がした。

 実感は薄くても、常に危険があるということを忘れてはいけない。


「……一人で乗れるようにはなりたいですけど、もう少し大きくなってからでいいです」


 自分の短い足では一人で馬の背にも跨れないので、それができるようになったら教えてくれ、と話を結ぶ。

 人によっては十一歳でも一人で乗れる足の長さをしているかもしれないが、少なくとも今の私には無理だ。

 安全を考えたら、これまでと同じにレオナルドの馬へ同乗させてもらった方がいい。







 馬を走らせるとレオナルドが言ったように、ワイヤック谷への旅程は本当に強行軍だったと思う。

 ただし、私にとっては、だ。

 私は舌を噛まないよう馬が走っている間は黙っていることしかできなかったのだが、レオナルドやアルフレッドは違う。

 のん気に周囲の木々の様子や、通り抜けることになった村々で生活をする人たちの様子について語り合っているのだが、その内容はちゃんと為政者の物で驚いた。

 

 とくにアルフレッドは、アルフを追い掛け回している印象が強いので、王子としての顔を垣間見た気がして、少し態度を改めなければと実感せざるをえない。

 気さくで話しやすく、負けず嫌いで少し困った方ではあるのだが、為政者の子どもとして弁えるべきはちゃんと弁えた王子さまだったようだ。

 これからはもう少し敬おう。


 ……思ったままを素直に伝えたら、ほっぺ抓られたけどね。


 あれはアルフレッドなりの照れ隠しだったのかもしれない。

 グルノールの街に戻ったら、アルフにはアルフレッドが格好良かった、と伝えてあげようとは思う。


 一昼夜馬を走らせると、なんとなく見覚えのある場所に出る。

 そのまま真っ直ぐに馬を走らせると、谷の外にある見張り小屋が見えてきた。


 ……谷に入る前の霧は、オレリアさんが居ても居なくても変わらないね。


 不思議な霧だとは思っていたが、あれはオレリアを守るための霧ではなく、谷を守るために発生している霧なのだろう。

 今回もやはり霧に包まれて、霧を抜けるとそこにはオレリアの家があった。


 冬の終わりに見た光景とあまりに変わらないたたずまいに、呼べば家の中からオレリアが顔を出してくれるような気がする。

 あくまで、気がするだけだ。

 オレリアは私が呼んだからといって、律儀に顔を出してくれるような性格はしていない。

 なにかの気まぐれで顔を出してくれることぐらいはあるかもしれないが、その時はきっと心底うるさそうな顔を作っているはずだ。


 すぐにでも馬の背から飛び降りたくなり、鞍をつかんで思いとどまる。

 ここで馬から飛び降りて怪我でもすれば、オレリアに呆れられてしまうと思ったのだ。


 柵を抜けて前庭へと入り、レオナルドが馬から下ろしてくれるのを待つ。

 地面に足がつくと、我慢ができたのはそこまでだった。


「オレリアさーん、開けてくださーい!」


 オレリアは居ない、と頭ではわかっていたのだが、扉を叩いて咄嗟に出てきた名前はオレリアの名だった。

 すぐに間違いに気付き、家の管理人になっているはずのパウラの名前に直そうとは思ったのだが、声が出てこない。

 口から出てくる名前は、どうしてもオレリアの名前だった。


「オレリアさん、入っちゃいますよ?」


 来るはずのない返事を少しだけ待って、やはりなんの返答もないことに気が沈む。

 けれど、沈んだ気持ちに気づかない振りをして、ドアノブへと手を伸ばした。


「……あれ? 開かない」


 試しに何度かノブを引っ張ってみるが、扉はかすかに動くだけで開かない。

 おかしいな? とよくよく扉を見てみると、私の手が届かない位置に、まだ新しいと判る錠前が付けられていた。


 ――ああ、留守だから鍵を閉めてあるのか。


 ストンと『留守』という単語が腑に落ちて、ほかの大事な単語がどこかへと零れ落ちる。

 頭の片隅では『無意味だ』と理解しながら次に私がとった行動は、我ながらおかしな行動だった。


 ……裏庭にいるのかな?


 訃報はちゃんと聞いている。

 埋葬も済んだと報告が来ていたし、理解もした。

 それなのに、裏庭を覗いたらオレリアが畑の世話をしているような気がして、玄関から離れて裏庭へと回り込んだ。


「オレリアさーん?」


 名前を呼びながら裏庭の畑へと回ったが、やはりオレリアの姿はなかった。

 では家畜小屋だろうか? とそちらへも回り、探している人物の姿を見つけられずに落胆する。

 ほかにオレリアがいたところといえば、貯蔵庫と工房だろうか。

 貯蔵庫はよく入っていたが、工房はオレリアが聖人ユウタ・ヒラガの秘術を守っていたため、一度も入ったことがない。

 朝と夜に食事の時間ですよ、と外から呼びかけたぐらいだ。


 ……工房に入ったら、さすがのオレリアさんも怒って出てくるかも?


 我ながら良い悪戯を考えた、と以前は言いつけを守って近づかなかった工房の扉を開く。

 薬研や天秤といった調薬の道具や、蓄えられた薬草などの材料が詰まっているかと思った工房は、想像よりもすっきりとしていた。

 古ぼけた薬研や石臼といった道具は棚に残っているのだが、薬やその素材らしいものはなにもない。


「オレリアさん、工房にもいない」


 誰もいないので、と少しだけ勇気を出して工房に足を踏み入れる。

 薬草は一つも残っていなかったが、部屋全体にその匂いが染み付いていた。

 いつもオレリアからしていた匂いだ。


「……ティナ、出ておいで」


 背後からレオナルドの声が聞こえて、振り返る。

 工房の入り口に立つレオナルドは、私が大好きな困ったような顔をしているのだが、今にも泣き出しそうな顔にも見えた。


「パウラが家の鍵を開けてくれたぞ」


「お留守じゃなかったんですか?」


「パウラは脇屋に住んでいるからな。普段は……」


 脇屋と聞いて、思いだす。

 オレリアが姿を見せるのは、なにも自分の家の中と庭だけではない。

 脇屋の風呂や台所、居間にも顔を出すことがあった。


「おうちの中はまだ探していませんでした」


 そう言って、レオナルドの横をすり抜ける。

 一緒にパウラがいたが、挨拶はあとだ。


 オレリアの名を呼びながら脇屋へと飛び込む。

 初日に服を脱がされた風呂場を探し、レオナルドのすった粉未満の葉をパスタに混入させた台所を覗き、三人で食事をとった居間へと戻る。


 ……お留守じゃないなら、オレリアさんの家?


 脇屋のどこを探してもオレリアの姿が見つからず、今度はオレリアの家へと飛び込んでいく。

 来たばかりは鍵の閉まっていた扉が簡単に開き、誤認した。

 外から帰って来たから、鍵が開いたのだ、と。


「オレリアさーん、遊びに来ましたよー」


 見渡す居間にオレリアの姿はなく、次にレオナルドが運んできた水を何時間も煮ていた台所を覗くが、やはりオレリアはいない。

 あとはもう探していない場所は二階の寝室だけだ。


「……他に探してないトコ、どこがあったっけ?」


 小物はおろか、ベッドの上の布団すら片付けられた殺風景な寝室に呆然と立ちつくす。

 オレリアが暮らしていた気配が、なにも残っていない。


 家中を探したがオレリアの姿が見つけられず、トボトボと階段を下りた。

 先ほどまでは誰もいなかったはずの居間に、今は『アルフ』が立っている。


「アルフさん、オレリアさんがいません。他にどこか心当たりはありませんか? 家の中にも、脇屋にも、裏庭にも、工房にもいませんでした」


「……家の中にいないのなら、外だろう。レオナルドに聞いてみたか?」


 レオナルドなら裏庭にいたと教えられ、お礼を言ってからまた外へ飛び出す。

 なんだかずっと走ってばかりいる気がするが、普段は座ってばかりいるので、丁度良いのかもしれない。


「レオ、今日はどのぐらいいれますか?」


 秋に不意打ちで連れてきてくれた時には、ほとんどとんぼ返りをしている。

 今日もすぐに帰る予定だと言うのなら、あまり遠出はできない。


「……何日も、はいられないが、少しぐらいの長居はできるぞ」


「そうですか」


 それじゃあ行ってきます、と体の向きをかえたら、どこへ行くのかと呼び止められた。

 たしかに少し遠出をすることになるので、保護者へ行き先を告げておくことは必要かもしれない。


「オレリアさん、森の中でまたぎっくり腰になってるかもしれません。動けなくて困ってるかもしれないから、迎えに行きます」


「……そうか。以前にもそんなことがあったな」


 俺も一緒に行こう、と言ってレオナルドが私の後についてくる。

 薪拾いによく一緒に歩いた場所なので、なんだか谷に来たばかりの頃に戻ったようだ。

 歩きながらそんな話しをしたら、久しぶりに抱き上げられた。

 少し目線が高くなって楽しかったが、ヘルミーネに見られたら怒られる、と言って断る。

 十一歳の淑女と、その保護者の行動ではない、と。


「その時は一緒に怒られるか」


「ヘルミーネ先生は、レオには厳しい先生ですからね。いっぱい怒られますよ」


「その時はティナが庇ってくれ」


 家中オレリアを探し回ったから疲れただろう、と言われれば、そうかもしれない、と体重をレオナルドに預ける。

 レオナルドの腕の中で力を抜くと睡魔がやってきたが、これは撃退した。

 オレリアがぎっくり腰で座り込んでいた場所は、私とあの時助けてくれた黒騎士にしかわからない。

 レオナルドを案内できるのは、今は私だけなのだ。







「……オレリアさん、ここにもいませんでした」


 いつかオレリアが座り込んでいた場所を見下ろし、しみじみと呟く。

 ここまで付き合わされたレオナルドは、ただ一言「そうだな」と答える。

 それ以上は、なにも言わなかった。


「知っていますよ。全部嘘です。オレリアさんは、もうどこを探してもいません」


 死んじゃいましたからね、と言葉にしたら、ツンと鼻の奥が痛む。

 死んだことを忘れたふりして探し回っても、オレリアがひょっこり姿を現すわけがなかった。


 涙が出てくる前兆に、きゅっと唇を引き結ぶ。

 じわりと目頭が熱くなり、視界が歪んだ。


 ……淑女は自分の感情を制御するもの。みっともなく、子どもみたいにわんわん泣いたりしませんよ。


 ヘルミーネの教えを思いだし、唇を引き結んで涙を堪える。

 嗚咽を抑えようとして体が小刻みに震えてしまうのだが、これはさすがに見逃してほしい。

 淑女の振る舞いを意識し始めたばかりの初心者に、全部を一度にはまだ抑えられるわけがない。


「ティナ、ここにはハルトマン女史はいないから、ただの俺の妹でいいぞ」


 十一歳はまだまだ子どもだ、と言ってレオナルドは大きな手で必死に唇を引き結んでいる私の頭を撫でる。

 子どもだから泣いてもいいのだ。

 淑女たれ、と我慢をする必要はないのだ、と。


「わた、……わたしが泣いたって、ヘルミーネ先生にはないしょですよ?」


「ああ」


 内緒だ、と続くレオナルドの言葉を聞いた途端に、私の唇から音が漏れた。

 あとはいつかと同じだ。

 十一歳になったのだからとか、泣いたってオレリアは生き返らないだとか、冷静な自分を頭の片隅へと追いやって、感情のままにわんわんと泣いた。


 なんで死んじゃったの、と泣きながらオレリアへと悪態をつく。

 もっといろいろ教えてほしかったのに、とレオナルドの首にしがみ付きながら文句を言う。

 悔し紛れにレオナルドの背中を殴って八つ当たりまでしてしまったが、レオナルドは全部黙って受け入れてくれた。

 これには、この人は本当に私の家族なのだ、と安心した。

 

 安心して、急に怖くなる。

 

 両親が死に、よくしてくれたダルトワ夫妻が死に、仲良くなったテオはどこかへと売られ、祖母のように慕わしく思っていたオレリアも死んでしまった。

 私の大事な人は、どんどん私よりも先に死んでしまう。

 そして残っているのはあまり歓迎できない様子の祖父と、騎士といういつ戦場に出て行くかも判らない職に就く兄だけだ。


 ……もう、誰かが死ぬのは嫌だな。


 人はいつか必ず死ぬ。

 そんなあたり前のことが、今は酷く恐ろしい。


「レ、レオは、わたしを置いて、死んだりしないでくださいね」


 少し落ち着いた体を離して、レオナルドの顔を覗き込む。

 しゃっくりで言葉が引きつるが、気にせずにレオナルドの黒い瞳をじっと見つめた。


「……ティナこそ、俺を置いて死んだりしないでくれよ」


 順番的にはどうしても自分が先に逝く、と言い掛けたのが判ったが、言い直してくれたので聞かなかったことにする。

 レオナルドも少しずつ、本当に少しずつではあるが、鈍いところが改善されつつあるようだった。


 ……これなら、そのうちお嫁さんもみつかるかもね。


 女性に対する鈍さが改善すれば、レオナルドが恋人を作ることは難しくないだろう。

 もともと顔はまずくはないし、筋力があることはこの世界では歓迎すべき夫の要素だ。

 マッチョもゴリマッチョも、減点対象にはならない。

 いつかは必ず、レオナルドにも伴侶が現れる。


 ……やだな。絶対やきもち焼くよ。私のお兄ちゃんをとらないで、って。


 そんな未来を予感して、不安を振り払うようにレオナルドの太い首へとしがみ付く。

 力いっぱい抱きついていたら、背中を叩かれても耐えていたレオナルドが今度は「苦しい」と悲鳴をあげた。

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