第7章 王都プロヴァル

第1話 馬車での旅程 1

 今年の誕生日は馬車の中で過ごすことになった。

 王都から馬車でアルフレッドが迎えに来てしまったので、あまり出立を引き伸ばすこともできない。

 少しずつ準備はしていたが、それでも『何時いつ』と決まっていない移動に備えるなど、無理がある。

 結果として、一週間近くアルフレッドを待たせることになってしまったが、待たされるだけアルフに付き纏えるので、アルフレッド的には万々歳だったように思える。


 ……お付の人はキリキリしてたけどね。


 急遽持っていけることになった新しいボビンレースの道具を馬車へと積み込んでくれるサリーサを見送りながら、この一週間を振り返る。


 私に対する出頭命令を持ってきたアルフレッドは、「支度は進めていたが、すぐに出立できる状態ではない」と言うレオナルドに、満面の笑みを浮かべた。

 それでは仕方がないな、無理強いをして転生者わたしの心象を悪くしても面白くない、と声だけはしおらしく、顔には隠しきれない喜色を浮かべて。

 そうして「支度が終わるまでグルノールの街へと滞在する」と、アルフレッドは立派な建前を掲げ、護衛やお付と思われる使用人たちへと宣言した。

 もしかしなくとも、先触れもなくグルノールの街へとやって来たのは、準備の整っていないこちらをダシにして、アルフに付き纏う腹積もりだったのだろう。

 レオナルドも、アルフレッドと付き合いが長いだろう護衛たちも、すでに諦めているのか特に異論を挟まなかった。


「ティナ、おいで」


「はい」


 浮かれていつもの調子で「はいです」と答えそうになり、思いとどまる。

 今日から十一歳になるのだから、そろそろ少し子どもっぽい「はいです」も卒業だ。

 

 手招いたレオナルドのエスコートで、三台あるうちの一番大きな馬車へと足を踏み入れる。

 てっきり王族アルフレッド用の立派な馬車かと思ったのだが、私もこちらの馬車に乗れるらしい。


「うわっ、可愛い……っ!」


 淑女らしく、淑女らしく、と意識して猫を被っていたのだが、初めて足を踏み入れた豪華な馬車の内装に、そんな意識はどこかへと吹き飛んでしまった。

 広い、立派だ、と言っても所詮しょせんは馬車なので、やはり狭くはあるのだが、これまで乗ったどの馬車よりも広く、大きい。

 そして内装も立派だ。

 冬の移動で利用した馬車も寝転がれたし、小さな薪ストーブも付いていたのだが、やはりあれは騎士が移動に用いる馬車だったのだと、この豪華すぎる馬車を見れば解る。


「ミニチュアハウスを中から見たら、こんな感じですかね?」


 少し小さなサイズになるのだが、椅子や文机、据え付けられた本棚と引き出しといった家具が用意された内装は、馬車というよりほとんど小さな部屋だった。

 自室よりよほど良い物が揃えられているとわかる部屋を見渡すと、前後に扉が付いている。

 前の扉は外からも見えるので、どうなっているのかはもう知っている。

 大きな窓がついた個室で、外の景色が眺められるようになっていた。

 それでは後ろの扉は、と向かって右の扉に手を伸ばすと、レオナルドに止められる。


「ティナは左の扉だ。こちらはアルフレッド様がお使いになるから、ティナは入っちゃだめだ」


「解りました、左ですね」


 レオナルドに促され、左の扉を開けてみる。

 馬車の後部にある部屋は、小さな窓が付けられた薄暗い寝室だった。

 椅子と文机が用意されているが、他には家具らしい家具はない。

 これも据え付けられた二段ベッドが用意されているぐらいだった。


「……わたしは下がいいです。レオナルドお兄様は上の段で大丈夫ですか?」


 言ったもの勝ち、とばかりに二段ベッドの下を取りにかかれば、それはヘルミーネと相談するように、と言われてしまった。

 ヘルミーネに同行してもらう以上、ヘルミーネの寝室も必要であったし、子どもで妹とはいえ、そろそろ同じベッドで眠るのはよろしくないだろう、とレオナルドが言う。

 十一歳にもなって、保護者と一緒に寝るのはおかしい、と。


 ……それもそうかもね。


 初めての場所で、レオナルドと離れて寝るのか、と少し不安になる。

 それが顔に出ていたのか、レオナルドは扉を出たすぐの長椅子で寝るので寂しくはないぞ、と教えてくれた。


「アルフレッド様の使う男子部屋じゃないんですか?」


「いや、いくらなんでも王子と同じ部屋だなんて不敬にも程があるだろ」


 ついでに言えば、なにか異変があった場合に即対応できるよう、扉の前を守るという意図もあるのだと教えてくれる。

 アルフレッドは一人部屋で、本人の了解なしには見せられないが、それなりに整えられた寝室になっているはずだ、とも。







「ヘルミーネ先生、中がすごいです!」


 ひとしきり馬車の中を調べ、満足したので一度馬車を降りる。

 ちょうど手荷物を運び込もうとヘルミーネが玄関へと出てきていたので、興奮のままに馬車の中について語ると、やはりと言うのか、お説教を戴いてしまった。


「なんですか、みっともなくはしゃぎ過ぎです。淑女の行いではありませんよ」


「す、すみません。馬車がすごかったから、つい……」


「言葉も乱れておりますよ」


 なかなか身に付かない言葉遣いを指摘され、背筋を伸ばして言い直す。

 一度言った言葉をそのまま丁寧に言い直すというのは、なかなかに間抜けな光景だと思う。


「新しい物を見るたびに素を出されては困ります」


 これから向かうことになる王都には、新しい物や貴族が大勢いる。

 物はともかくとして、私のささやかな失敗を許してくれる貴族ばかりではないはずだ。

 新しい物に気を取られ、素を出してしまったところで失礼な子どもめ、と貴族に罰せられないという保障はない。

 私の保護者レオナルドが街で一番偉いグルノールとは違い、王都での失敗はレオナルドに庇いきれるものばかりではないと、簡単に想像ができた。

 ついでに言えば、私の失敗がそのまま保護者であるレオナルドの失敗と取られる場合もあるだろう。


 ……ちゃんと、気を引き締めていかないとダメだね。


 聖人ユウタ・ヒラガの研究資料をよかれと思ってオレリアへと洩らし、結果として情報漏えいという立派な犯罪に手を染め、その責をレオナルドが問われる場合もある、と先日学んだばかりだ。

 私の行いは、私だけの問題では片付かないと頭に叩き込んでおいて、少しのことでは脱げない猫を被る必要がある。


「アルフレッド王子はあのとおり気さくな方ですが、そろそろそれに甘えて許される年齢ではございません」


「はい。わたくしも十一歳になったのですから、もう少し落ち着いた所作を身に付けたいと思います」


 気を引き締めて頷くと、ヘルミーネは満足気に微笑んで小言を紡ぐ唇を閉ざした。







 馬車が動き出してから気が付いたのだが、馬車の中には女中メイドが一人控えていた。

 先ほど探検した時は気づかなかったというか、見落としていたのだが、使用人用の寝室もこの馬車には用意されているらしい。

 ではなぜ出入り口に気が付かなかったのかといえば、使用人用の扉は馬車の外にあって、主筋の人間には見えないようになっているのだとヘルミーネが教えてくれた。

 普段控えている場所も家具の死角に入って、主人側からは覗こうとしなければ見えないという徹底ぶりだ。


 ……これが本来の主人と使用人の距離感なのかな。


 改めて考えてみると、カリーサとの馬車旅でもカリーサは姿を見せないことが多かった気がする。

 姿が見えない間はなにをしていたのかと思えば、薪ストーブとフライパンで焼き菓子を作ってくれていたり、お茶を淹れてくれたりと働いていたので、そのせいだと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。

 ヘルミーネは私の家庭教師なのだが、やはり雇われている身ということからか、馬車の居間へは授業の時間以外に顔を出さない。

 景色を眺めようと誘っても、外の景色なら寝室の小窓からでも見える、と断られてしまう。

 では寝室に籠ってなにをしているのかと聞いてみれば、館で過ごすのとあまり変わらないらしい。

 本を読んだり、刺繍をしたりと、のんびり過ごしているようだった。


 ……ヘルミーネ先生が退屈だったり、窮屈だったりしないんならいいけどね?


 なにを窮屈に感じるかは、人それぞれだ。

 ヘルミーネが本当に寝室へ籠っているのが過ごしやすいというのなら、無理に引っ張り出すわけにもいかない。


 ……レオナルドさんは真逆だね。


 レオナルドも私の保護者として、客分扱いで馬車に乗るのかと思っていたのだが、さすがに何週間も馬車に閉じ込められるのは嫌だったようで、最初から自分の馬を連れてきて馬車と併走している。

 本人の言だが、護衛を兼ねているらしい。

 最初からアルフレッドが連れてきた護衛がいるので、実力はともかくとして、ただの言い訳だ。

 彼は馬車の中でジッとしていられないだけであろう。


 ……アルフレッド様もたまにレオナルドさんと交代で馬に乗ってるんだよね。


 アルフレッドの性格を思えば、おとなしく馬車で移動していることの方が信じられない快挙らしい。

 護衛の白銀の騎士が、そうこっそり聞かせてくれた。


 ……いいな、外は楽しそうだな。


 出てみれば暑いのかもしれないが、一日中馬車の中に居るよりはいいだろう。

 次に馬の休憩になった時にでも、夕刻まで同乗させてくれるよう頼んでみようか。

 そんなことを考えていたら、女中がリバーシ盤を持って来た。


「本当に作られたのですね、リバーシ盤」


 テーブルに用意されていくリバーシ盤を、なんとなく見下ろす。

 レオナルドが作った館のリバーシ盤はすべて木製だったが、アルフレッドのリバーシ盤は違う。

 折りたたみ式でコマが収納できるところは同じだったが、盤とコマは磨かれた石で作られていた。

 館のコマは白の面にグルノール騎士団の焼印が入れられていたが、アルフレッドのコマは金で紋章が描かれている。

 王子さまが持つには、木製の玩具ではダメだったのかもしれない。


「これはルールが単純だからな。セークより弟と遊んでやるのに丁度いい。甥に教えたら気にいったようだが……ディートフリートには会ったことがあるのだったな?」


「昨年の冬に、ラガレットの街で会いました」


 我儘に振り回されて酷い目に合いました、とはさすがに胸にしまっておく。

 過ぎたことであったし、甥の不始末を叔父に言いつけるのもなにか違う気がした。


 ……マンデーズの街で矯正中らしいしね。


 時折ディートフリートから手紙が届くのだが、文面からはそれなりの成長が見て取れる。

 友人として親しく付き合いたいとは思わないが、知人の一人と数えることには抵抗が無くなった。


「先攻は譲ってやろう」


 言いながらアルフレッドが白いコマを取ったので、こっそり肩を竦める。

 ここにリバーシ盤が用意されるということは、対戦相手は私になるのだろうと思っていたが、ディートフリートのように勝ち逃げは許さない、と食い下がられては面倒だ。


 ……逃げる場所も、生贄になってくれるアルフさんもいないしね。


 暇だからいいか、と前向きに捉えられたら幸せだったと思うが、アルフレッドの負けず嫌いはリバーシを教えたその日に経験している。

 ディートフリートでも経験済みだ。

 上手く負けられる技術はセークでは勉強中だったが、リバーシではまったく手につけていない。

 アルフレッドが強くなっていることを祈るしかなかった。


「……なにか面白い話を聞かせろ」


「アルフさん情報ですか?」


「それも魅力的だが、おまえはもっと面白い話を持っているだろう」


 はて、なんのことだろう? と、アルフレッドの白いコマを黒く返しながら考える。

 アルフのことでもないとすれば、アルフレッドが喜びそうな話のネタなど、私は持ってはいない。

 そう思って顔を上げると、アルフレッドはトントンとこめかみを叩く仕草をしてみせた。


 ……あ、前世の話を聞かせろ、ってことですか?


 たしかに前世の話であれば、アルフレッドの興味を引く話もあるかもしれない。

 この世界からしてみれば異世界の話だ。

 地球にあったものがいくつも存在している世界だが、すべてが同じわけではない。

 アルフレッドの暇つぶしぐらいにはなるのだろう。


「……なにが聞きたいでしょうか?」


「面白そうなことだ。なにかないか?」


「面白そうと言われても……アルフレッド様の注文に具体性がないので、なにがいいのかわかりません」


 話を聞きたいのなら、なにか方向性を示してほしい。

 そう返してやると、アルフレッドは少しだけ考える素振りを見せたあと、なにか良い悪戯を思いついたとでも言うようにニヤリと笑った。


「おまえは面白い色使いの絵画を縫ったそうだな。父上から聞いているぞ」


「レオナルドお兄様の刺繍絵画のことですか?」


 絵画と言われれば、私が作ったものはあのピンク色の刺繍絵画ぐらいしかない。

 刺繍という意味でなら小さなものをいくつも作っているが、どれも絵画と呼べるほどのものではなかった。


 ……あれ? アルフレッド様の父上って、王様だよね?


 なぜ国王の口からあの桃色絵画についてが出てくるのだろうか、と一瞬だけ考えて思いだす。

 あの絵画は王女が買ったはずなので、その支払いについては国王も知っているはずだ。

 金貨を運んできたシードルによれば、王女の散財っぷりは国王の怒りに触れ、なんらかの罰を待つ状態に陥っているとも聞いていた。


「あの妹を破滅させた絵画のことだ」


「え? 破滅? 王女様、破滅したんですか?」


 絶対に怒られているだろうとは思っていたが、まさか破滅までしているとは。

 ヘルミーネには注意をされたばかりだったが、驚きすぎてまた猫が脱げてしまった。


「絵画一枚に金貨五千枚は、さすがに頭がおかしいだろう。お優しいエルヴィス兄上も、今回ばかりは庇いきれなかったようだ」


「破滅って、どうなっちゃったんですか、王女様」


「金貨五千枚は国民の血税だからな。母上たちが取り押さえる必要があるほどに父上が怒り狂って、手が付けられなかった」


 来年あたりまた弟か妹が増えているんじゃないか? とアルフレッドが溢すので、お妃様方の国王の抑え方については突っ込まないでおくことにした。

 アルフレッドより破天荒との前評判がある国王様だ。

 立派な威厳あるおじ様など、期待する方が間違っている。


「……ところで、話を逸らしているのか?」


 刺繍絵画についての話だったのだが、私は破滅したらしい王女が気になって、そこにばかりくいついた。

 その結果、アルフレッドからは前世については話したくないのか、と勘繰られているらしい。


 ……金貨の返還について相談したかったんだけど、話を逸らしてるって思われるのも嫌だしなぁ?


 金貨の返還については次の機会でいいか、とアルフレッドの最初の質問に答えるべく頭を刺繍絵画へと切り替えた。

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