閑話:レオナルド視点 俺の妹 17

 ティナの正装が仕立屋から届けられると、それを狙ったかのように王都から迎えの馬車が三台やって来た。

 馬車だとは思うのだが、一台は貴人の長旅を快適にするための小さな部屋のようにも思える。

 六頭の馬に引かせる大きな馬車で、前方は景色を楽しむために窓が大きく作られ、後部はプライベートを確保するために小さな窓しか付いていない。

 残りの二台は荷物と護衛の休憩場、それから料理人などの使用人が四人乗っていた。


 ……ティナを迎えに来たにしては、重装備だな?


 疑問に思ったのは僅かな時間だけだ。

 玄関へと横付けにされた馬車から降りてくる人物に、これはティナのための重装備ではなく、王族の長旅に対する当然の準備かと思い直した。

 平民である俺の妹ということになっているティナのためにこれだけの準備を内々にすることはできないので、王族を使者に立てるという体裁でこれだけの仕度をしたのだろう。


「……アルフレッド様はお暇なのですか?」


 迎えに出てきたティナが可愛らしくそう聞くと、迎えられたアルフレッドはティナの頬を抓る。

 アルフレッドは自ら馬を駆ってグルノールへとやってくるような王族だ。

 王族仕様の馬車での長旅は、アルフレッドにとっては忍耐のいる苦行だったことだろう。


「今のところ、王族うちでおまえと一番交友があるのが私だけだからな。おまえへの配慮だ」


 ありがたく思え、と胸を張るアルフレッドに、ティナが「うわー、ありがたいなー」と棒読みで応える。

 あまりのティナの棒読みに、ディートフリートでもよかったのだがな、とアルフレッドが言い直したところ、ティナは青い目を輝かせてアルフレッドを歓迎し始めた。

 それほどディートフリートが苦手らしい。


「……でも、本当はアルフさんの顔を見にいらしたのですよね?」


 ひとしきりティナがアルフレッドへの感謝を述べたあと、小首を傾げてそう追加する。

 それに対し、アルフレッドは「解っているではないか」と鷹揚に頷いた。







 ティナには迎えが来るまで気にしなくていい、と言ってあったが、その迎えが来てしまった以上、王都へ向かわないわけにはいかない。

 ティナは荷造りを、俺は留守を務めるアルフへの引継ぎ作業に追われることになった。


 引継ぎ作業とはいっても、もう一年以上聖人ユウタ・ヒラガの研究資料警護で館へ詰めているため、砦についてはほとんどアルフが預かってくれているようなものだ。

 今さら引き継ぎもなにもないのだが、館まで任せることになるので、アルフは自分の館へ帰る暇もなくなるだろう。


「……ルグミラマ砦へは注意を払っておけ。そろそろサエナード王国がなにか仕掛けてくるころだ」


 男爵家の三男が国境をひそかに越え、ラガレットで誘拐騒ぎを起こしたのはまだ記憶に新しい。

 ラガレットでの犯罪者の裁きは終わったが、サエナード王国からの反応はこれから出てくるはずである。

 あの一件で捕らえたサエナード王国の人間は、一人だけではない。

 国境で騒ぎを起こした者も生きたまま捕らえたため、捕虜としてまだ国内に留め置かれている。

 そこへ難癖をつけて取り返そうとしてくることは、誰にでも簡単に予想できることだった。


「王都からのティナの迎えが早すぎるのも気になる。王都の方で、なにか動きを掴んでいるのかもしれない」


 王都には俺の家がない。

 ティナが滞在するにあたり、宿泊施設ホテルの手配なり、客間を用意するなりと、準備は必要になるはずだ。

 王個人の賓客として持て成す気があるのなら、部屋を用意する時間が足りなすぎるし、情報漏えいを行った罪人として呼び寄せるのならアルフレッドが豪奢な馬車に乗って迎えに来ることもない。

 少し急ぎすぎだと思うのは、オレリアの死で秘術が失われた影響か、そうでなければ国境近いグルノールの街からティナを引っ込めたかったのだろう。

 ティナが国境沿いではないマンデーズの街に住んでいた場合なら、もう半年は迎えがなかったはずだ。


「できればジャン=ジャックを残して行きたいが……」


「ヴィループ砦へは王都を経由した方が早い。護衛の一人として連れて行くのだろう?」


 どちらにせよ、ジャン=ジャックのヴィループ砦送りは上の決定である。

 国境がきな臭いことになりそうだからといって、これ以上の引き伸ばしはできないだろう。


「となると、グルノールはアルフ一人で守ることになるが……大丈夫か?」


「おまえとジャン=ジャックが留守にするのは痛いが、黒騎士は精鋭ぞろいだ。気にするな。それに、なにか起こるとしても、一番に動くことになるのはルグミラマ砦だろう」


 自分の仕事はせいぜい状況を正しく把握し、この機に乗じるかもしれない帝国への警戒と援軍の準備ぐらいか? とアルフはおどけて肩を竦める。

 砦の主の代理なのだから、もちろん仕事はそんな程度ではないが、大まかには間違っていない。

 二つの隣国への警戒と、同胞への援軍派遣。

 ルグミラマ砦は後方にマンデーズ砦が控えているため、グルノール砦がそれほど緊迫した状況になることは少ないだろう。

 少し心配があるとすれば、ルグミラマ砦の副団長がまだ就任して一年と経っていないことだが、ルグミラマ砦には前任の副団長も詰めている。

 元副団長が現副団長を支えてくれるはずなので、なにも心配はない。


仔犬コクまろはそろそろ番犬として引き取れそうか?」


「もう仔犬なんて大きさじゃないが……まだ合格は出せないそうだ。残念だったな。ティナの誕生日プレゼントには間に合いそうにない」


「それはもう一つ別に用意しているから構わないが……」


 王都へは愛犬コクまろも同行させたかった。

 ティナは人見知りをするきらいがあって、初めての場所や初対面の人間と会う時、必ず俺の後ろに隠れる。

 王都では館の中のように俺がずっと一緒にはいてやれないので、ティナが心許せる友が必要だろう。

 ヘルミーネが同行してくれることにはなっているが、同性とはいえ主従の区切りで寝室は別になるはずだ。

 ティナが心細くならないわけがない。


「ティナが王都での暮らしに慣れたら、俺はしばらくルグミラマ砦に詰めることになる。もう少しティナが懐いている人間を王都に配置したいが……」


「マンデーズの館へ手紙でも出せばいい。カリーサなら使用人ブラウニーではないから、好きに動かせる」


「……いっそジンベーを運ぶか?」


「それは、やめておけ」


 ティナが寂しくないように、と愛用の熊のぬいぐるみを王都まで持っていこうかと思ったが、アルフに止められる。

 俺だって思いつきを口にしただけだ。

 巨大なぬいぐるみであるジンベーを、本気で王都まで持ち運ぼうなどとは思ってはいない。


 ……いや、ティナが持って行きたい、と言ったらもう一台馬車を用意してでも持って行くが。


 ティナは甘えん坊だが、大人びた部分もある。

 さすがにぬいぐるみを一緒に持って行きたいとは言わないだろう。







 間の悪いことに、出立の日はティナの誕生日になってしまった。

 館でゆったりとご馳走でも用意して祝ってやりたかったのだが、午後からはひたすら馬車の中になる。

 四六時中一緒と思えば嬉しくもあるが、王族アルフレッドも同じ馬車だと思えば、さすがに息が詰まりそうだ。


「おはようございます、レオナルドお兄様」


「おはよう、ティナ」


 幾分ティナの気分が沈んでいるように見えるのは、気のせいではないだろう。

 望んで行くわけでもない王都へ、王族の迎えで延々と馬車に揺られて向かうことになるのだ。

 緊張するな、という方が無理な話だろう。


「十一歳の誕生日おめでとう」


「今年は覚えていてくださったのですね」


 青い目を少しだけ大きくして驚いたあと、ティナは嬉しそうに笑う。

 ティナを引き取って三回目の誕生日になるが、ティナから指摘を受ける前に誕生日だと気づけたのは今年が初めてだ。

 最初の年は伝染病の収束に追われていたせいで知らないうちに九歳になっていたし、昨年は「今何歳か知っていますか?」という引っかけ問題に引っかかった。


「誕生日プレゼントだ」


「ありがとうございます」


 俺には持ちやすいサイズの箱だったのだが、ティナには一抱えもあった。

 受け取った瞬間にふらりとよろけるティナに、慌てて手を添えて箱をテーブルへと下ろしてやる。

 ティナはもう一度俺へ礼を言ったあと、開けてもいいですか? と尋ねてきたので、どうぞと促した。

 昨年はティナの肖像画を贈ったのだが、不評だったらしく、その場で俺への誕生日プレゼントです、と返されている。

 可愛らしく描けた肖像画だったので、ありがたく自室に飾ってはいるが、やはり少し気になった。

 俺の好みはそこまで不味いのか、と。


 ……今年は受け取ってもらえるといいな。


 内心の緊張などおくびにも出さず、箱を開けるティナを見守る。

 今年のティナは、箱の中身を見るなり顔を輝かせて俺を見上げた。


「ボビンレースの道具! なんで? どうして?」


 ようやく板に付きかけてきたティナの淑女の仮面があっさりと外れる。

 喜んでくれているとはっきり判る顔つきをしたティナに、こちらも嬉しくなってきた。


「オレリアの使っていた道具を一式貰っただろ。それでどんなものが必要なのかは解ったからな。新しく作った」


 ティナが先に使っていたものはあり合わせの道具であったし、オレリアの遺品として渡された道具は古ぼけている。

 ティナにとってオレリアの遺品の価値は古ぼけた程度では揺るがないと解ってはいたが、道具はいつか必ず壊れるものだ。

 新たなものを用意しておいても、無駄にはならないだろう。


「王都へはボビンレースの道具は置いて行く予定だっただろ? 王都での用事がどのぐらいかかるかは判らないから、時間つぶしにはこっちを持っていけばいい」


 ティナは大事な物はしまいこむ。

 オレリアに貰ったレースのリボンは屋根裏部屋にしまって自分で管理しているし、オレリアの遺品である図案や他のレースも屋根裏部屋だ。

 オレリアの使っていた道具にしても、長旅には持ち出したくない、とティナは王都へ滞在する間ボビンレースをすることを諦めていた。

 ならば、なんの愛着もない新しい道具を持っていけばいい。

 そんなことも考えていた。


「レオ、ありがとうっ! ホントに、本当にうれし……っ」


 あ、呼び方がレオに戻った。

 これは本気で喜んでくれている。

 そう確信したのだが、すぐにでもいつものように抱きついてくるかと思ったティナは、道具と俺の顔とを何度も見比べ、困ったように唇を引き結ぶ。


 ……変だな?


 喜んでくれているのは判るのだが、その興奮をティナが強制的に押さえ込んでいるのも見て取れた。

 俺へと伸ばしそうになる手をぎゅっと握り締め、頬をぷるぷると震わせている。


「……淑女は嬉しいからってみだりに抱きついたりしないのです」


 これでもちゃんと学んでいるのですよ、と澄ました顔を作ったティナが言う。

 その頬が時折引きつっているところを見るに、かなり無理をして己の興奮状態を押さえつけているのだとわかった。


「素敵な贈り物をありがとうございました、レオナルドお兄様」


 少し落ち着いたのか、優雅な所作でティナが礼をしてみせる。

 口調がまた、近頃がんばって直している『レオナルドお兄様』になっていた。


 ……レオでもお兄様でも嬉しいが、嬉しいって気持ちを無理に押さえつけるのはどうなんだろうな。


 個人的にはどうかとは思うが、淑女としては正しい成長なのだと思う。

 ティナは貴族になどなりたくないと言ってはいるが、やはり向いているのだ。

 自分などより、余程。


 ……なんだかんだと、貴族に嫁ぎそうな気がするな。


 素質的にも向いているし、血筋的にもティナは貴族に数えられる。

 サロモンがティナの将来についてどう考えていたかは判らないが、あんな指輪を用意していたのだ。

 まったく貴族に戻すことを考えていなかった、というわけでもないのだろう。


 ……ティナが嫁に行くとか、考えたくもない。


 つい先日、アルフのところへなら嫁にやってもいいかと言ったが。

 本音を言えば、どこへもやりたくはない。

 いつまでも俺の小さな妹でいてくれるわけではないと理解はしているが、手放したくないのだ。

 やっとできた家族を。


 ……ティナはいつまで、俺の元にいてくれるのか。


 平静を装ったティナが、隠し切れない浮かれた雰囲気で道具の詰まった箱をサリーサへと渡す。

 馬車に積み込んでくれと命じる姿は小さな淑女なのだが、浮かれて笑み崩れているさまは素直なティナそのままの顔だ。

 その顔を見ていると、嫁ぐのなどまだまだ先だ、と少しだけ安心できた。


 ……よし。いつか必ず来る馬の骨を撃退できるよう、鍛錬を増やそう。


 当面の敵は、身柄的な意味でティナをほしがるであろう王族だろうか。

 いずれにせよ、貴重なニホン語を読めるティナの発言権はかなり高い。

 そのティナが、俺より強い男の嫁になると公言する以上は、どんな男でも叩き潰せばいい。

 王子であろうが、杖爵の息子だろうが、関係ない。

 拳こそがすべてだ。

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