第14話 大金の扱い
金貨五枚の刺繍絵画が、金貨五千枚に変わった。
金貨の枚数でかぞえるのなら五千枚だが、単価であるシヴルに直すと少し理解できない。
筆記で計算するだけなら簡単なはずなのだが、金額が大きすぎて頭が理解することを拒否していた。
あまりの金額に混乱してレオナルドに縋れば、こぢんまりとした離宮なら建てられるだろう、と答えられてしまう。
「それ、本当に大丈夫なんですか? クローディーヌ王女、そんなにお金使ったら、怒られませんか?」
「さすがに父君の耳に入って、今は沙汰待ちの状態になっているようだね」
「ですよね? 怒られますよね?」
ちょっとした意趣返しの値段設定だったのだが、とんでもないことになってしまった気がする。
まさかあんなふざけた値段に対し、ポンッとお金を出す人間がいるとは思いもしなかった。
「レオ、どうしよう。王女さま、お父さんに怒られてますよ!」
「言い値での購入を決めたのはあちらだし、ティナが気にする必要はない」
「……でもっ!」
なおも言い募ろうとしたら、口調が乱れていると指摘されて口を閉ざす。
どうしてもまだ咄嗟には素の口調が出てきてしまう。
「こちらの提示した金額を、あちらが承知で受け入れた以上、ティナが気にすることはなにもない」
「そうですよ。先方はお嬢様の絵画にそれだけの価値がある、と判断されたのですから」
……その金貨五千枚の価値があるのは、レオナルドさんの裸ですけどね!
自分の針子としての腕でも、絵画としての芸術性でもない。
購入者にとってあの絵画の価値は、レオナルドがモデルという一点にある。
レオナルドの裸に、クローディーヌ王女は金貨五千枚の価値を見出したのだ。
……あと、気がついた。この人たち、金貨五千枚に全然動じてない。
動じているのは、この場で私だけだ。
ラガレットの街にあんなにも立派な宿泊施設を持っている商人のシードルであればもしかしたら慣れた金額なのかもしれないが、平民のはずのレオナルドがまったく動じていないというのが不思議だ。
砦の主として扱う金額なのかもしれないが、それにしたって大きな金額だと思う。
間違っても、子どもが持つような額ではない。
「レオナルドお兄様、少し早いですが、お誕生日おめでとうございます」
私からのプレゼントです、丸ごと金貨を受け取ってください、と淑女の笑みで金貨を押し付けようとしたのだが、お断りされてしまった。
「妹からのプレゼントに、大金なんてもらえるか」
……あ、一応大金だって感覚はあったんですね。少しホッとした。
だいたい現金のプレゼントなんて、色気がないにもほどがある、とレオナルドが文句を言い始めたので、少し反省する。
たしかに、場合が場合だったので思わず言ってしまったが、私だって誕生日プレゼントだ、といって家族から大金を渡されたら嫌だ。
否、好みに合わない贈り物をされるよりは、現金を貰って好きに使えるほうがいい、という合理的な考え方もたしかにあるし、理解もできる。
こんな場合でなければ、私だってそちらよりの人間だと思う。
……それにしたって、金額に限度ってものがあるからっ!
好みの物を買いなさい、と両親から五千円や一万円貰うのとはわけが違う金額だ。
金額が大きすぎて怖いし、なにを買ったらいいかなんて見当もつかない。
「俺へのプレゼントなら、その金で布を買って、ティナがシャツでも誂えてくれるか?」
「服を作るより、刺繍の方が得意なのですが……わかりました。レオナルドお兄様には少し遅れますが、シャツを作ります」
これでレオナルドの誕生日プレゼントについては一応決着がついた。
「……それにしても、レオナルドお兄様が受け取ってくださらないのなら、この金貨はどうしましょうか?」
「ティナが稼いだ金だ。ティナがお嫁に行く時のためにとっておけばいい」
受け取りはしないが、預かるぐらいなら問題はない、とレオナルドは言う。
そういえば、結構な高給取りのはずなのだが、レオナルドはお金をどこに置いているのだろうか。
私が知らないだけで銀行のような役割をする教会があるのかもしれない。
「こんな大金を持参金に平民へ嫁いだら、嫁ぎ先で親戚が増えていざこざを生むだけですよ」
大金を持って嫁いでくる花嫁など、宝くじを当てたようなものだろう。
突然親戚が増えたり、怪しげな宗教団体に寄付を求めて付き纏われたりするようになるというのは、よく聞く話だ。
「……あ、そうです、お金です」
あまりの大金にパニックになってしまったが、ものは考えようである。
これだけの大金があれば、できるかもしれないことがあった。
「これだけあったら、ボビンレースの工房が作れるでしょうか?」
「建物を作るだけならできると思うが……」
「そうですよね。建物だけあっても、なんにもなりませんね」
工房として建物だけを用意しても、ボビンレースを広げることはできない。
これだけの大金があれば、商品になる物が作れるようになるまでの期間職人を育てることも、食べさせることもできるが、工房を経営するためのノウハウが私にはなかった。
ほかに同じ工房があるのならそこを真似ても、その工房へボビンレースの作り方を教えてもいいが、とにかくお金と工房という建物だけではどうにもならない。
最大の難点である資金に目途がたったが、足りないものが多すぎる。
そして結局は時間をかけて少しずつ広げていくしかないのだ、といつもの結論に達するのだが、今日は少し違った。
商人の娘であるペトロナは少し興味を持って自身が覚えたい、という話になったが、シードルは私と違ってノウハウも経験も持った大人の商人だ。
より具体的なアドバイスを聞かせてくれた。
「……これはたしかに、貴族のご婦人方が欲しがるでしょうね」
そう言って、シードルはサリーサに取って来てもらったボビンレースの品定めをする。
オレリアの作った物、カリーサの作った物、一番てこずっている私の作った物、と三人の作品を並べた。
「レース自体が贅沢品なので、原価が割高になるのは気にする必要がないと、アルフさんに教えていただきました」
「正しいご判断です。これを商品として店で売るのなら、値段は気にする必要はありません」
……うん? 店で売るのなら?
シードルの言葉に少しひっかかりを覚えて首を傾げる。
続きを求めてシードルを見つめると、シードルは「家庭教師に教わりませんでしたか?」と前置きをしたあと、売り物にする以外での広め方を教えてくれた。
「流行は上から下へと流れます。その逆はない。それはお解りですか?」
「はい。平民が貴族の服装などに憧れることはあっても、逆はありません」
そういうことですよね? と確認をしたら、正解です、と誉められる。
さすがにレオナルドやアルフのように頭を撫でられることはなかった。
「レオナルド様はいずれ功爵となられます。その時に妹であるお嬢様も未婚であれば貴族と数えられるようになります」
私が貴族になったあと、貴族同士の交流の中で広げていくという方法がある、とシードルは言う。
ほかにないボビンレースは、すぐに貴族の令嬢たちが欲しがるだろう、と。
その時にボビンレースの作り方を知っているのが私だけというのは、強い武器になるそうだ。
ボビンレースが欲しければ、新参者である私をつま弾きにすることはできない。
私はボビンレースを武器に、早い時期から貴族社会で優位に立ち回ることができるだろう、と。
その際に、ボビンレースを教えるのは相手の貴族令嬢である必要はない。
私が一人で子から孫へとボビンレースを伝えて行くよりも、早く、広くボビンレースを広げることができる。
「……いろいろな方法があるのですね」
私はとにかく数を作って市場に出すことばかり考えていたが。
売り物にするのではなく、技術そのものを社交の武器にするだなんて、考えもしなかった。
……まあ、貴族になる予定はないのだけど。
父の実家に取り込まれる予定も、レオナルドの騎士引退を待って功爵の妹になる予定もない。
私の漠然とした将来の目標は、平民として平凡な人生を送ることだ。
頭を使うことならば、ニルスを使ってほしい、と言ってシードルは去っていった。
ニルスに商才はないが、考えることは得意だ、と。
私はそれに曖昧に答え、シードルを見送った。
大金過ぎる金貨五千枚は、レオナルドに管理をお願いした。
やはり国民の税金が元になっているはずなので、返した方が良いというのが本音だ。
ただ、レオナルドとアルフに相談しても、ヘルミーネに相談しても、返金はやめておいた方がいい、という反応だった。
国民の税金と考えて返した方がいい、という考えには賛同するが、その後が面倒になるぞ、と。
……たしかに、言われてみれば「国民の税金ですよね? 無駄遣いしないでください」とか言って返したら、逆に王様に気に入られそうで怖い。
性格に問題があると聞いてはいるが、民を大事にする善政を布く国王だ。
正論と自身の信義に則って金貨を返しに行ったら、類稀なる正直者め、と気に入られる悪寒しかしない。
予感ではなく、悪寒だ。
……一度、アルフレッド様にも相談してみようかな?
おそらくは、もう一度ぐらいはグルノールの街へと来るだろう。
前回は私への出頭命令を持って来たが、突然舞い込んできたオレリアの訃報に、ほとんど話の途中で引き返すような形となった。
その後はなんの連絡も来ていない。
……王族に近づきたくはないけど、あのお金は返したい。
あれは本当に嫌がらせのためだけの値段設定だった。
いくらなんでも金貨五千枚は貰いすぎだと思っている。
材料費と手間賃とレオナルドのシャツの布代ぐらいは取り戻したいが、本当にそれだけだ。
レオナルドに養われている分には大金は必要ないし、お小遣いだって少しずつ刺繍の仕事を受けて自分で稼げている。
本当に、工房でも作るのでなければ、私の人生では使い道のないお金だ。
……働く必要のなくなる大金って、本当に目の前に出てくると怖くてダメだね。
本当に一生働かないのは、人としてダメになると思う。
あのお金は、なんとか上手い理由をつけて返したい。
シードルがニルスの顔を見に行くようなことを言っていたので、数日ずらしてメンヒシュミ教会を訪ねた。
親子水入らずを邪魔してはいけない、と思ったのだが、ニルスに聞いてみたところ、本当に顔を見ただけでシードルは帰ってしまったそうだ。
ニルスが「お久しぶりです、お父さん」と挨拶すると、シードルは一言「ああ、生きているな」とだけ答えて、親子の会話は終わったらしい。
淡白な親子なのか、それともなにか確執があるのか、少しだけ気になったが突っ込むのはやめた。
私が首を突っ込むことではない。
ボビンレースの広げ方についてシードルから貰ったアドバイスを話しつつ、ニルスにも知恵を借りてみたところ、ニルスからはまた別の意見が出てきた。
知の神メンヒシュミの名を頂く教会に身を置くニルスの案は、工房を作るのでも、私が貴族になるのでもなく、本を作ったらどうか、というものだった。
ボビンレースの作り方や図案を本として印刷し、それを売ることで広めればいい、と。
工房を作って商人へ商品を卸すのでも、職人を一から育てるのでもない。
本という形に残して次代へと繋ぎ、同時に本を買ってボビンレースに挑戦をしてみる職人が育つという方法だ。
……頭を使うことならニルスに、ってシードルさんのアドバイスが一番だったね。
ニルスの提案なら、いろいろな問題がクリアできる気がする。
大半を返す予定の金貨の使い道としても、丁度いいかもしれない。
商品レベルの物が作れるようになるまでは大変だが、同時に何人もの職人が育つ可能性もあった。
……カリーサに相談した方がいいね。
指南書を作るのなら、私よりボビンレースを理解していたカリーサに相談をした方がいいだろう。
カリーサは今、マンデーズの館に戻っていた。
手紙を書くか、直接会って相談がしたい。
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