第13話 刺繍絵画の値段

 コロン、コロン、と糸巻ボビンを転がす。

 ベルトランの訪問がなくなった城主の館はいたって平和だ。

 ベルトランに付き合わされて午前が潰されることもなくなったので、ボビンレースの進みも早い。

 まだまだ複雑な模様は織れないのだが、挑戦中の新しい図案はなかなか良くできていると思う。


 ……静かだなぁ。


 耳を澄ませてみても、鳥のさえずりぐらいしか聞こえない。

 前世であれば遠くを走る車の音や外で遊ぶ近所の子どもの声、室内からでも冷蔵庫やエアコンの音が聞こえたのだが、この館にはそれがない。

 車や電化製品がないということもあるが、城主の館は敷地が広すぎて、近所で子どもが駆け回っているとしても、ここまで声は届かないのだ。

 ならば館にいる人間が音を立てているはずだが、料理や洗濯といった細々とした仕事は一階で行われているし、私の部屋は三階にあるし、でそういった音は聞こえてこない。

 万事がこの状況なため、外からの来客にはすぐに気づくことができた。


 ……お客様?


 ガラガラと馬車の車輪が近づいてくる音に、糸巻を転がしていた手を止める。

 音の距離的に館の玄関へと馬車がついたことが判ったので、窓辺へと寄って眼下を確認した。


 ……誰だろ?


 護衛と思われる馬に乗った男たちと白い優美な馬車、それから白い馬車とは正反対に真っ黒で長方形の馬車がある。

 上からしばらく客人たちの様子を覗いていると、白い馬車からは私の知った顔が降りてきた。


 ……あれ? シードルさん?


 白い馬車から降りてきたのは、ニルスの父親のシードルに見える。

 シードルが一緒にいるということは、黒い馬車もラガレットからグルノールの街まで来たのだろう。


「変な馬車ですね?」


 ふと浮かんだ疑問への答えを求めて声に出す。

 そうすると、私の疑問へと答えるべくサリーサが窓辺へとやって来た。


「……あれは護送用の馬車ですね」


「護送用、ですか?」


 馬車の解説をしてくれるサリーサに、御者になにやら指示を出しているシードルから、視線を黒い馬車へと移した。

 黒い馬車には窓がついてはいるのだが、その窓はとても小さい。

 そして、そのすべてに鉄格子が嵌められているのが見えた。


 ……なんでそんな馬車と一緒に、シードルさんが来るの?


 貴人の護送であれば、鉄格子など嵌めない。

 嵌めたとしても鉄格子と一見思えないような優美なデザインを施すはずだ。

 となれば、あの黒い馬車は囚人の護送用だとしか考えられない。


 そして、罪人として扱われそうな人間には二人ほど心当たりがある。


「ティナお嬢様、レオナルド様がお呼びです」


 来客の様子を探りにいったはずのサリーサが戻ってくると、レオナルドに来客だと応接室へと呼ばれた。

 知っている限り客人とはシードルのはずだが、シードルと護送用の馬車が繋がらない。

 私が呼ばれるのでなければジャン=ジャックの護送用とも思えるのだが、その場合でもシードルが同行しているのはおかしいはずだ。

 私が罪人として護送されるにしても、シードルがいるのはおかしい。


「……護送用の馬車は、誰を乗せているんですか?」


 乗せられる人間に心当たりがないのなら、最初から人が乗っているのかもしれない。

 発想を変えてみたのだが、これも外れたようだ。


「あれは護送用の馬車ですが、乗せているのは人ではなく、金貨だそうですよ」


「……金貨?」


 馬車に金貨が乗っていると聞けば、疑問が解ける。

 小窓に鉄格子の嵌った馬車は護送用などではなく、現金輸送車として使われていたのだ。

 金貨を運んでいると思えば、護衛の数にも納得がいった。


「金貨をもったシードルさんが、わたくしのお客様ですか?」


「シードル氏はお嬢様への支払いに来られたようです」


「え? シードルさんがわたくしに支払いって……心当たりないのですが」


「正確には、ラガレットの領主から預かった金貨を、シードル氏が運んで来てくださったそうです」


「ジェミヤン様……」


 ジェミヤンからの金貨と聞けば、一応心当たりがある。

 例の刺繍絵画が売れたか、ジェミヤンが買うことにしたのだろう。







 応接室へと足を踏み入れると、レオナルドとシードルが向かい合って座っていた。

 久しぶりのシードルに淑女らしく挨拶をすると、レオナルドに呼ばれてその隣へと腰を下す。

 早速始まった話は、サリーサから事前に聞いたものと同じだった。


「ティナお嬢様がラガレットの画廊へと預けた絵画が、どうしても譲ってほしいと仰られる方に迎えられました」


 なんとなく綺麗な言葉で飾られているが、内情はジェミヤンから聞いているので知っている。

 断りにくい筋というより、他人ひとの話を聞かない困った方があの刺繍絵画を売れと連日詰め寄って来るので売ってはどうか、という話に決着がついた、というだけのことだ。

 あの絵画にはせめてもの嫌がらせとして『庭付き一戸建て』が買える値段で、と値段を設定した。

 もちろん、私なら絶対に買わないという値段だ。

 嫌がらせ以外の意図はなかった。

 それなのに、あの絵は本当に売れたらしい。

 私の考える『庭付き一戸建て』と、顧客側が考えるであろう『庭付き一戸建て』の誤差については指摘を受けたが、そこはとても払える金額ではない、と判断してほしいので明示はしなかった。

 仮にも姫と呼ばれる立場にいる人間が考える『庭付き一戸建て』である。

 姫の一存でポンっと買えるものとは思えないのだが、大丈夫なのだろうか。


「……本当に買う人が、いたのですね」


「クローディーヌ王女なら、まあ買うだろな」


 どこが気に入られたのかは判らないが、クローディーヌ王女にはいっそ執着と言っていいほどに好かれている、とレオナルドは眉を寄せる。

 こと自分に関しては、クローディーヌ王女に冷静な判断など無理だろう、と。


「だが、これでクローディーヌ王女がティナに危害を加えることはできなくなったな」


 レオナルドが刺繍絵画を譲る条件として、私への接近禁止を出している。

 それを提示されてでも絵画を購入することを望んだのだから、クローディーヌ王女は二度と私の視界に入ることはないだろう、とレオナルドは胸を撫で下ろした。


 アルフから聞いた話なのだが、クローディーヌ王女はレオナルドを崇拝しており、その周囲に女の影がちらつくことを嫌う。

 娼婦のような金銭上の関係にはなんの反応も見せないのだが、侍女や女中メイドが仕事上の都合で偶然に手が触れただけでも、嫉妬で怒り狂うのだそうだ。

 一時期は王爵を得てレオナルドを婿に、とも頑張っていたそうなのだが、侍女や女中への虐待が父王の知るところとなり、気性から王位は継がせられない、と王爵を得る前から王座への道は閉ざされている。


 ……そんな問題有りの王女様って、大丈夫なの? 刺繍絵画に庭付きの一戸建てが買えるような値段だしたって知られたら、今度は勘当とかされない?


 王女が買い物をするのに使うお金となれば、それはもとはと言えば国民の血税だろう。

 性格に難有りとは聞いているが、民を大事にしているらしい現王からしてみれば、許せることではないはずだ。


 少しだけクローディーヌ王女が心配になって俯くと、その視界に飴の缶が押し出されてくる。


「……なんですか?」


「クローディーヌ王女からの伝言です」


 シードルの言葉に、私ではなくレオナルドが背筋を伸ばした。

 視界に入らないという約定を破ったわけではないが、こういった接触はこれまでなかったのだろう。

 接近禁止など、私から見たら簡単に破ることのできる口約束でしかないと思うのだが、レオナルドはそれが破られるとは微塵も考えていないようだった。

 だからこそ、伝言という形での接触が気になったのだろう。


「先日はレオナルド様の妹様とは知らず、まことに失礼をいたしました。レオナルド様から接近を禁じられたため、残念ながら直接会ってお詫びは申し上げられませんが、せめてものお詫びに、と」


 店先で私を驚かしたことへのお詫びが、この飴の缶らしい。

 本来なら菓子折りを持ってお詫びに伺いたいが、接近禁止が出ているため人伝にて失礼をする、ということだろう。

 どうやら私への接近禁止という口約束も、律儀に守ってくれる気でいるようだ。


「……あの方には驚かされましたけど、良い方なのですね」


「筋を通しただけだと思うぞ。素直な方だとは思うが、少々困った方だ」


 レオナルドが受け取っておけ、というので、ありがたく飴の缶をいただく。

 元・日本人としては、いただいたその場で贈り物を開くというのはお行儀が悪く感じるのだが、この世界ではその場で中身を確認して喜んでみせる方が正しいようだ。

 これが淑女や貴族になると、使用人に渡して中身を確認させる。

 なにか危険物が仕込まれていた際、主の身へと危険が及ばないように、ということのようだ。


「うわっ。可愛いです」


 ヘルミーネから教わったように、使用人であるサリーサに飴の缶を開けてもらう。

 安全を確認したサリーサが中身を見せてくれたのだが、中に詰められていたのは色とりどりの飴だった。

 手まりのような柄がついていて、とにかく可愛い。


「少しそれましたが、私の本来の仕事に戻らせていただきます」


 そう断ってから、シードルは何枚かの書類を出した。

 レオナルドが文面を確認しはじめた横で、気になっていたことをシードルに聞く。


「……でも、なぜシードルさんが絵画の代金を運んで来ることになったのですか?」


「簡単な話です。ご領主様より金貨の護衛に、と人集めを任され、その見届け役として同行しました」


 護衛をつけて安全にグルノールの街へと行くことになるのなら、たまには息子ニルスの顔を見るのもいい、とも思ったそうだ。

 代金の配達が終わったら、ラガレットへと戻る前に数日グルノールの街に滞在し、ニルスの顔を見ていく予定なのだとか。


「お待たせして申し訳ございません。金貨の確認が完了しました」


 どうやら今の今まで金貨を数えていたらしいバルトが、レオナルドへと耳打ちをする。

 この時点で気づいていれば、それほど驚くこともなかったと思う。

 シードルが館に来てから、少しどころではない時間が経っている。

 それなのに、今まで金貨を数えていたということは、材料費に金貨五枚もかかっていない刺繍絵画が、大人バルトが数える必要のある枚数の金貨に変わったということだ。


 ……え? まさか本当に王族基準の『庭付き一戸建て』が買える金額!?


 その可能性に気づいてしまうと、あとはもう心臓がバクバクとうるさい。

 レオナルドとシードルの間で金額について、金貨の枚数についてが交わされているのだが、心臓の音がうるさすぎてよく聞き取れなかった。

 しかし、聞き取れない方がよかったのだと思う。

 私が単純に「わーい、絵が売れた」と喜べる可愛らしい金額ではなくなっているはずだ。


 ……金貨五千枚って、いくら? えっと、金貨一枚が10000シヴルだから……?

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