第12話 祖父殿と腹の探りあい
クリスティーナ・サロモン・カンタール。
これが私のフルネームだったらしい。
ずっと『ティナ』と呼ばれてきたので、いきなり『クリスティーナ』と呼ばれても困ってしまう。
クリスティーナの一般的愛称の『クリス』など、短さから親しみは感じるが、それが自分の名前だとは思えなかった。
本名と同時にベルトランが自分の祖父だという話も聞けたのだが、とりあえずレオナルドには特注靴の洗礼を浴びせる。
そういう大事な話は、知っていたのならちゃんと話しておいてほしかった。
……まあ、知らなかったからこそ、ベルトラン様の『クリスティーナ』呼びにも無反応でいられたんだけどね。
レオナルドのことを『上に馬鹿のつく正直者』と思ってはいるが、私だって負けないぐらい馬鹿正直だという自覚はある。
もとから自分の名前が『クリスティーナ』だと知っていれば、あの場で即座に反応してしまっていただろう。
そうなれば最後だ。
罪人であれば拷問も躊躇わないベルトランのこと、首に縄をつけてでも連れて帰られたと思う。
……病弱な孫を放置する祖父とか、お断りですよ。
私の他に把握しているどころか一緒に暮らしている孫が一人いるはずなのだが、ベルトランはその孫を放置して長いことグルノールの街に滞在していた。
すでにいる孫を大事にしない人間が、孫娘だからといって私を大切にするわけがない。
そもそも祖父母というものは、本来なら自分になにかあった場合に一番に頼れ、と両親から教えられるはずの存在だと思う。
それが祖父を頼れと言付けるどころか、存在すら『髪の色が同じだ』ということぐらいしか父から聞いたことがない。
父としても、
可能であれば、このまま他人でいたい。
……そう思っているんだけどなぁ?
ベルトランの訪問が急に増えた。
以前はなぜか毎日のように私の元へと来る
これはもう、完全に気づかれていると考えて間違いないだろう。
午後にくればヘルミーネの授業があるから、と追い返してやれるのだが、午前中は私の自由時間だ。
悔しいが追い返しにくい上に、功爵であるベルトランは元々が平民だ。
多少の無作法も見逃してもらえるので、とヘルミーネはベルトランをいい教材と考えた。
追い返すための知恵を貸してくれるどころか、貴族に対する振る舞いを身に付ける教材にしよう、と私の練習相手としてお茶へと招待するしまつである。
結果として、私の淑女教育はガンガン進んだと思う。
祖父と知りつつ、孫だという決定的な情報を出さないように上辺だけの会話をにこやかに交わすというのは、ある意味では本当にいい教材になった。
ベルトランはこのヘルミーネからの扱いを好機と受け取ったのか、私の話し相手を自称して堂々と館を訪れる。
レオナルドが内心で渋い顔をしているのだが、ベルトランからしてみれば知ったことではない。
あれやこれやと私に父と母について探ってくるので、適当に流した。
両親の名前といった核心部分を聞かれた場合には「個人情報なのでお答えできません」とすべて
やんわりとジャン=ジャックにはもう会えたのだから、領地へ帰れと言ったこともあるのだが、笑って横へと流された。
「……祖父について聞いたことはないか?」
今日は直球ですね、とはお腹の中でだけ突っ込んでおく。
ここしばらくで急激に鍛えられることとなった私の淑女の仮面は、こんな程度では崩れなくなっていた。
「祖父のことは父からなにも聞いてはいません。髪の色が同じだ、とだけ聞いたことがございますが、黒髪などどこにでもありますからね」
レオナルドの髪も黒髪です、と二言目には現在の保護者であるレオナルドの名前を出す。
現在の保護者であるレオナルドとは良好な関係を築いていますので、下手な横槍なんて入れないでくださいね、というアピールだ。
……どこまで通じるかは、わからないけどね。
淑女の笑みで内心を隠してベルトランと対峙する。
基本的にはレオナルド同様、脳まで筋肉でできた脳筋人間だと思っていたのだが、多少は年の功もあるのだろう。
付け焼刃でしかない私の嫌味など、涼しい顔をしてベルトランは受け流していた。
「祖父に会いたいと思ったことはないか?」
「父は祖父が嫌いだったのだと思います。もしくは、すでに死別していたのでしょう。そうでもなければ、自分になにかあった時には頼るように、と教えられているはずですから」
「……気にはならんのか?」
「これまでいなかった人ですから、まったく気になりません」
生きていても死んでいてもどうでもいいから、私の人生にかかわってきてくれるな、と笑顔で毒を吐く。
これまでの人生に影一つ落としていないのだから、これからの人生にも必要はない。
私は平凡な人生を歩みたいのだ。
厄介だとわかる親族などいらないし、家族は頼りないながらも兄がすでにいる。
今さら父が避けていた祖父になど、なんの用もない。
「……そもそも、なぜレオナルドが兄なのだ? あれに家族はいないはずだぞ」
私が散々レオナルド、レオナルドと名前を出したためだろう。
今日の話題は私から両親について聞きだすのではなく、レオナルドのことへと移っていった。
これは少し珍しい。
ベルトランの訪問を受けるようになって、初めてのことだ。
……攻略法を変えた、ってことかな?
いずれにせよ、警戒は必要だと気を引き締める。
レオナルドについてなら私の両親になど話は及ばないはずだが、うっかりということもあるかもしれない。
「父が昔、レオナルドお兄様に名前を付けたそうです。ええっと……」
孤児院にいたことなど話してもいいのだろうか、と考えて、やめる。
以前、レオナルドは王都で人気だと聞いたことがある。
孤児から白銀の騎士になった、立身出世物語のヒーローとして。
ということは、レオナルドが孤児であるというのは有名な話なのだろう。
ベルトランもレオナルドには家族がいないはずだ、と知っていた。
「……名付け親を通して、わたくしたちは兄と妹なのだそうです」
当時白騎士だった父に救われ、そのまま孤児院まで世話されたと聞いたことがあるが、その話がベルトランに伝わっていないとも限らない。
父がレオナルドに名を付けることになったタイミングは念のために伏せておく。
レオナルドの話になったからといって、油断はできそうになかった。
「レオナルドお兄様は、わたくしが成人するまで立派に育ててくださるおつもりのようです」
レオナルド本人は家庭教師を雇ったり、
今それを正直にベルトランへと話す必要はない。
良好な兄妹関係である、と言っておけばいいのだ。
「赤の他人の娘を成人まで……」
……口から出てるよ、ベルトラン様。
それは口にしたらいけない台詞だ、と内心で突っ込む。
正確にはたしかに赤の他人であるが、レオナルドにとって父は名付け親という血のない繋がりでしかないが、たしかに『親』なのだ。
もしかしたら、自分を売った実の両親よりも大きな存在かもしれない。
その『親』の残した妹を、レオナルドは馬鹿正直に兄として受け入れているだけだ。
ベルトランはたしかに血の繋がりのある祖父なのかもしれないが、
「まさか愛人として囲っているのでは……っ」
「あいじん?」
一瞬ベルトランの言葉の意味が解らなくて瞬く。
首を傾げる間に続いたベルトランの独り言に近いつぶやきに、ナニを勘繰られているのかが解った。
――赤の他人の娘。
――レオナルドは自分から妙に隠そうとしていた気がする。
――隠す必要のある女児。
すなわち、それはレオナルドの愛人ではないのか、と。
なにを勘繰られているのか、を理解すると同時に体が動いた。
お尻の横においてあったクッションへと手を伸ばし、それをベルトランの顔面へと投げつける。
「ふぉっ!?」
完全な不意打ちだったため、素人の攻撃ではあったがベルトランの顔面へとクッションが直撃した。
手にしたままだったベルトランのカップから珈琲が零れたが、気にしない。
ここは怒らなければならない場面だ。
「帰れっ!」
淑女の心得などスコーンと頭から抜けた。
ただ怒りのままにもう一つのクッションを掴んでベルトランへと振り回す。
「レオに失礼なこと言わないでよ、クソジジイ! レオはそんな人じゃないんだからっ! アホっ!! 馬鹿っ!!」
「なにもそんなに……」
「自分の兄を
逆上してクッションを振り回し始めた私のところへと、授業の一環としてベルトランとのお茶会を監督していたヘルミーネがやってくる。
それで私を止められると思ったのか、ベルトランが両手でクッションを防ぎつつヘルミーネを見た。
「ティナさん」
「止めないでください、ヘルミーネ先生。兄を馬鹿にされて怒らない妹なんていませんっ!」
「クッションのような柔らかいもので殴っても効果は薄いと思われます。狙うのなら手元のカップ、もしくは優雅にご自身のカップの中身をぶちまけて差し上げなさい」
「わかりました」
てっきり客人に対する暴力など、と止められるかと思ったのだが、ヘルミーネは効果的な攻撃方法を指導してくれるだけのようだ。
たしかに、カップの中身をぶちまければベルトランの服が染みになる。
私のカップの中身をかけても同じことだ。
柔らかいクッションで殴ってもなんのダメージにもならないが、カップの中身を使えばベルトランの財布へはダメージがあるだろう。
ベルトランを応接室から叩き出したあと、バルトには二度と取次がなくていい、と淑女らしくお願いしておいた。
もともと近づきたくない相手だったのだが、むこうからこちらの地雷を踏んでくれたことはありがたい。
バルトにしても、館の主を
ヘルミーネからは、妹として兄を侮辱したことに対する怒りは正当なものだと評価されたが、生徒としては一応怒られた。
淑女としては、笑顔で流すのが正解だったらしい。
私もそう思うので、このお説教はありがたくいただいておくことにする。
腹が立つことはたしかなのだが、淑女としてはやり過ごすことが正解だっただろう。
……でも、よし。淑女らしい報復方法も教えてもらえたしね。
淑女は自らの手を汚さない方法で報復を行うらしい。
今回の場合は、クッションを直接顔面へと投げつけたのが減点対象だ。
あら、失礼。手が滑りました、と淑女の仮面を身に付けたままカップの中身をぶちまければ減点なし。
綺麗に笑って流し、後日手を汚さずに報復を達成すれば加点対象だ。
「……というわけで、知恵を貸してください」
そう言って私が頼るのは、いつもアルフだ。
腕力と財力が必要ならばレオナルドを頼るが、今回必要なのは報復手段としての知恵だ。
これに関しては、レオナルドはあてにならない。
「それにしても、ティナが愛人か……妹に対する家族愛はたしかにあると思うが……」
なにかツボに入ったのか、アルフが堪えきれずに苦笑を洩らす。
ベルトランの口から愛人という単語が出てきた時は腹が立ったか、アルフが言う分には特に気にはならなかった。
下種の勘繰りをするベルトランとは違い、アルフの口から出てくるのはただの単語としての『愛人』であって、含みはない。
それがわかっているので、アルフの口から出して笑い話にされると、少しだけ溜飲が下がる気がした。
「ヘルミーネ先生が、淑女は自分の手を汚さずに報復するものだと教えてくださったので、なにか参考になるお話などお聞かせください」
「いいよ。レオナルドと違って、そちらの方が得意だからね」
ベルトランに限定しての対処なら、徹底的に無視をするといい、とアルフは言った。
今は私を探りたいと思っているはずなので、接触をなくすことが一番痛手であろう、と。
……ってことは、バルトに取次がないで、と言っておいたのは正解だったね。
黒犬はもうどうしたって館に来る気がするが、ベルトランは人間の言葉が通じるので拒絶できる。
実力行使で館へと入ってこようものならば、不法侵入で黒騎士へと通報できる条件が整うぐらいだ。
取次ぎ不可を取り消すつもりはないが、逆に考えればこれに焦れて不法侵入してきてくれないものだろうか。
そうしたら堂々と投獄できるし、そうなったらベルトランも立派な罪人だ。
ジャン=ジャックにしたように、自身が拷問される覚悟もあるのだろう。
……そして、普通の紳士淑女への報復方法は、下準備が肝心、と。
今回はおまけでしかないのだが、せっかくアルフが教えてくれるというので、ありがたく聞いておく。
紳士淑女への報復というより、彼等と付き合っていくために必要になる心得のようなものだろうか。
まず相手をとことん調べ上げる。
もちろん、自分で動いては相手に気づかれてしまうので、ここは人とお金を使う。
その過程でもさまざまな
それも利用する。
相手を喜ばせたいのなら集めた情報から喜ばれるものを用意し、報復を行いたいのならこれも集めた情報から相手にとって一番痛い方法を選ぶ。
もちろん直接手を出せばこちらへも報復があるので、相手から自分の姿が見えないように幾重にも仲介を挟む必要がある。
なんだったら、同じ目的を持つ第三者を探し出して誘導してやるだけでもいい。
肝心なのは、いかに証拠を掴まれないよう相手に大打撃を与えるか、ということだ。
……うん。知ってたけど、やっぱりアルフさんも貴族なんだなぁ。
レオナルドの友人だからか、私にも優しいアルフだったが、話を聞いてみればやはり貴族は貴族だ。
しっかり紳士らしい振る舞いを心得ていた。
「……では、とりあえずベルトラン様については以降の取次ぎをお断りするのが一番報復になるだろう、ということでレオナルドお兄様からもバルトに言い含めておいてくださいませ」
「わかった」
どさくさに紛れて『お兄様』が復活したからだろうか。
人を遠ざける相談のはずなのだが、レオナルドは機嫌よく頷いた。
今のところ『お兄様』が効いているのか、血の繋がった
後者はどうかと思うが、ベルトランの家に引き取られて安寧とした暮らしが送れるとは思えないので、レオナルドが私の親戚が出てきても私を手放す様子を見せないことは素直にありがたい。
他所に売られるのも嫌だが、父が逃げ出した祖父の家に引き取られるのも嫌だ。
翌日もやはり午前からベルトランが館を訪れたが、バルトがしっかり追い返してくれた。
私を怒らせたという自覚があるからか、ベルトランはあまり強くも出られないようだ。
ならばと手を変えてジークヴァルトに用がある、レオナルドに用がある、と訪ねてくるようになったが、私は挨拶にも出ない。
ベルトランがなにを言って私を怒らせたかはみんなが知っていたので、取次ぐはずもなかった。
数日無視を決め込んだところ、ベルトランはひとまず私と交流を持つことは諦めたようだ。
レオナルドが不気味がるほどあっさりと、ベルトランはグルノールの街をあとにした。
アルフの見立てによると、決定打に欠けるため一度引き下がったのだろう、とのことだった。
レオナルドが私に家庭教師をつけて淑女として育てているため、今すぐ連れ去る必要もないと判断したのだろう、とも。
……なにそれ、怖い。ヘルミーネ先生がいなかったら、誘拐されてたってこと?
我が祖父ながら、手段を選らばなすぎて怖い。
ジャン=ジャックの扱いを見る限り、やって良いことと悪いことの区別も、世間一般とは違うようだ。
これは本当に、本気で警戒をしておいた方がいい。
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