閑話:レオナルド視点 老英雄の失せもの探し 3

 帰路はゆったりとした移動だった。

 メイユ村にてサロモンの墓を確認し、ベルトランの気が済んだということもあるが、一番の目的としては黒犬オスカーの歩みに合わせることだろう。

 行きと同様に抱き上げてやろうかとも思ったのだが、ベルトランは黒犬に指輪の臭いを追わせることを選んだ。

 雨風に晒された二年以上前に一度触れただけの指輪に、ティナの匂いが残っているとも思えないのだが、会ったこともなかったはずのティナをサロモンと繋がりのある子どもと気づいて守ってきた黒犬だ。

 人間にはわからない何かを嗅ぎ取っているのかもしれない。


「おかえりなさい、レオナルドさん」


 グルノールの街へと戻ると、玄関扉を開けてティナが顔を出した。

 以前は体重を利用して扉を開ける仕草が可愛かったのだが、体の成長した今は普通に扉を開けて出迎えてくれる。

 淑女としては扉を開けるのは使用人バルトに任せ、玄関ホールで出迎えるのが正解なのだが、妹が出迎えてくれるのが嬉しいのでそこはあえて指摘しない。


 出迎えてくれたティナが可愛いので馬から降りて頭を撫でようとしたら、俺の足元をするりと抜けて黒犬が動いた。

 黒犬はティナの横へと移動すると、腰を下ろして座り、三度短く吠える。


「ひゃわっ!? なんですか、突然吠えて」


 びっくりしました、と言ってティナは黒犬の口を両手で押さえた。

 吠えたらダメだ、と教える仕草も可愛らしいのだが、黒犬の意図がわかる身としては妹が可愛いと和んでいる場合ではない。

 これは黒犬がベルトランへと、探し物を発見したと報告する時の吠え方だ。


「……なんですか?」


 黒犬の報告に、ようやくベルトランも気がついたらしい。

 馬から降りるとティナへと近づき、まじまじと顔を見つめていた。


 ……孫を人並みに可愛がる方であれば、普通に紹介できるんだが。


 息子を鍛え潰し、病弱と聞く孫を放置する姿を知っているため、素直にティナを紹介することはできない。

 サロモンの墓に落胆し、帰路を無言で過ごしていたベルトランの顔に生気が戻る様は同情を誘うが、それとティナの身の安全は別の話だ。

 妹が大事でなにが悪い。


 ……まあ、これでオスカーが仕事をしないダメ犬だったのではなく、飼い主の血族まごむすめを守っていたのだと汚名は返上できただろう。


 多少どころではなく厄介ごとの予感がしたが、妹を手放すつもりはない。

 妹を手放す時があるとすれば、それはティナが選んだ男のもとへと嫁に出る時だ。


「お嬢さんは、父親に似ていると言われたことはあるか?」


「お父さんに、ですか?」


 はて、どうだろう? とティナが考える素振りを見せる。

 俺から見ても面影があると思うのだから、ベルトランはよく今日まで気づかなかったものだと思う。

 サロモンの幼い頃の顔を知っているはずのベルトランが気づかなかったのは、ティナの髪の色がサロモンとは似ても似つかない黒髪で、ついでにティナが女児だったからだろうか。


 ……もしくは、子どもの顔をろくに見ていなかったか、だな。


 うんうんと考え始めたティナに、ベルトランは痺れをきらしたようだ。

 ティナが返事をするより先に、核心を突いた。


「クリスティーナ、か?」


「誰ですか?」


 核心を突いてなんらかの反応を引き出そうとした攻撃だったはずなのだが、ティナは自分の本名を知らない。

 塗板こくばんに書いて教えたこともあったが、不思議と読み方を聞いてはこなかった。

 結果として、ベルトランが突然出してきた『クリスティーナ』という名前が自分の名前だとは気づけず、首を傾げただけでティナはベルトランの攻撃を交わす。


「……お嬢さんの名前ではないか? ティナは愛称だろう」


「わたしの名前はティナですよ。赤ちゃんの時から、ずっとティナです」


 両親からも他の呼ばれ方をしたことなどない、と一蹴してティナはベルトランを退けた。







 自分は『ティナ』だと言って聞く耳を持たないティナに、ベルトランは一度引くことにしたようだ。

 今回とりあえずの滞在先にしているグルノール砦へと、馬とジャン=ジャックを連れて去っていった。

 ベルトランに散々「ジャン=ジャックを苛めないように」と釘を刺していたティナは、ベルトランの背中が完全に見えなくなると、顔に笑みを浮かべたまま振り返る。


「レオナルドお兄様、お話があるのですが」


 俺への呼びかけが突然『お兄様』に戻った、と喜ぶべきところではない。

 顔はにこやかな笑みを浮かべているのだが、これが笑顔でないことは判る。

 ヘルミーネに教育された、淑女の笑みで内心を隠す時の顔だ。


「……場所を変えるか」


「ここでいいです。すぐに済みますから」


 にこにことした笑顔なのだが、逃がしませんよという心の声が聞こえた気がする。

 ティナはようやく笑みを消したかと思うと、今度はなんとも複雑そうな表情を浮かべた。


「私の名前って、本当はなんていうんですか?」


 以前教わったが、あの頃は文字が読めなかったので、読み方を知らない、とティナは言う。

 『ティナ』という綴りだけ覚えておけば、これまではなんの不自由もなかった、とも。


「ティナの名前は、『クリスティーナ』だ。普通クリスティーナの愛称は『クリス』だと思うんだが……」


「それはわたくしが赤ん坊だった頃、『ティナ』だけを聞き取ることができたからだと思います」


 ニホン人の記憶を持つというティナは、生まれてすぐにはこちらの世界の言葉が上手く聞き取れなかったそうだ。

 話すのが苦手だったのも、その影響だと教えてくれた。

 新しい生に慣れていく過程で、最初に聞き取ることができたのが『ティナ』という言葉だったらしい。

 おかげでティナは『クリスティーナ』の一般的な愛称である『クリス』ではなく、『ティナ』と呼ばれることになったようだ。


「ベルトラン様はわたくしの……お祖父さん、なのですか?」


 これが一番聞きたかった質問なのだろう。

 少しだけ言いよどんだが、ティナは真っ直ぐに俺を見上げている。

 そんなティナに対し、俺も真っ直ぐに青い目を見つめて答えた。


「そうだ。ベルトラン・オーギュスト・カンタール殿は、サロモン・ベルトラン・カンタールの父で、クリスティーナ・サロモン・カンタールの祖父殿だ」

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