閑話:レオナルド視点 老英雄の失せもの探し 1
馬車のステップを下りていると、地面に光が差し込む。
予定外に遅い時間の帰宅になったはずだが、馬車の音でバルトが迎えに出てきたのだろう。
そう思って顔をあげると、扉の向こうにいたのはアルフだった。
完全に扉が開かれると、その足元から黒い犬がするりと姿を現す。
……なぜオスカーがいるんだ?
グルノールの街にいるわけがない。
馬車から降りたティナは迎えの黒犬に驚いたあと、歓迎していた。
時折黒犬の頭を撫でてやりながら、馬車から土産や買い物が下されるのを見ている。
「……なにがあった?」
「昼近くにベルトラン殿がまた砦へとやって来た」
ティナに聞こえないよう声を潜めて出迎えの意図を聞いてみたのだが、ティナの頭が少し動いた。
これは荷物を下ろすバルトたちの見学をしているように見せて、こちらへと聞き耳を立てている。
基本的には言いつけを守る良い子なのだが、実は好奇心旺盛でなにをするのか判らないのがティナだ。
行動は単純なのだが思考回路は意外に複雑で、実年齢より少し大人として扱ったほうがいい。
今回も、十歳の子どもが好奇心から聞き耳を立てているとは考えずに、分別の身についた年齢の子どもとして扱うべきだろう。
「ティナは部屋に戻って、もうおやすみ」
肩を捕まえて玄関ホールへと押しやると、ティナは少しだけ抵抗をみせた。
頭の動きから聞き耳を立てていると思ったが、どうやら本気で盗み聞きをしていたようだ。
サリーサにティナを任せて部屋へと追いやると、ティナのあとに続いて黒犬も館の中へと入っていく。
……オスカーは完全にティナの飼い犬に見えるな。
ベルトランの飼い犬のはずなのだが、グルノールの街にいる間はとにかくティナに張り付いている。
これはもう間違いなく、ティナがベルトランの血族だと気づいているのだろう。
私室へと場所を移し、アルフからの報告を聞く。
ベルトランがジャン=ジャックを捕らえた罪状は、貴族の私物を盗んだ、という以前アルフがティナの
貴族が平民を捕らえる罪状として、もっとも手軽に用意できるものがこれだ。
「ジャン=ジャックは指輪を盗んでなどいないだろう」
「過程はどうあれ、結果は変わらない。どういった経緯で手に入れたかは置いておくとしても、ベルトラン殿が長年探していたらしい息子の指輪をジャン=ジャックが所持していて、それを売ったんだ」
要点だけを挙げるのなら、貴族の私物をジャン=ジャックが所持し、売ったという事実に変わりはない。
そして、ベルトランがジャン=ジャックを捕らえる罪状として用意したものも、貴族の私物を盗んだ、というものだ。
盗んだか拾ったかは、この際関係がない。
ジャン=ジャックが貴族の私物である指輪を所持していたことが問題になる。
「はっきりとした罪状があり、ジャン=ジャックもこれを認めた。そのため、主不在の砦ではあったが、独房の使用を認めるしかなかった」
まだ独房が使用されているだけよかったかもしれない。
独房内の出来事はほかの黒騎士へと筒抜けとなり、情報として上へとあがってくる。
例えばアルフ不在の副団長の館へ、それでなくとも街の宿の一室へと連れ込まれてしまえば、ジャン=ジャックの様子はなにもわからなくなるところだった。
ベルトランも、正義は己にあると行動しているので、隠れる必要がなかったのだろう。
「当初ジャン=ジャックはベルトラン殿による捕縛を不服としていたが、なぜ捕らえられたかを突きつけられるとおとなしく己の非を認めたようだ」
貴族の持ち物だとは知らなかったが、指輪を売ったのは自分である、と。
拾った指輪を売ったことが理由で捕らえられたジャン=ジャックは、おとなしく独房へと入ったようだ。
そのあとは、指輪は拾ったものであり、盗んだのではない、と弁明を続けている。
「ワーズ病が終息したあとに、一度指輪を買い戻そうとしたことも、ベルトラン殿は知っていたからな。盗んだか拾ったかは後回しにして、買い戻そうとした理由を聞いている」
「ジャン=ジャックはなんと答えたんだ?」
「ティナのことには触れなかった。ただ、ワーズ病から快癒できたのは、己の善行に対する死の神ウアクスのお導きだろう、と」
ワーズ病で死んだ人間の墓が、野良犬に掘り返されていた。
それを埋め直してやったら見つけた指輪なので、善行に対して死の神ウアクスが駄賃をくれたのだ、と受け取ったそうだ。
その指輪を売ってしまったからワーズ病にかかり、心を入れ替えたので病が癒えた。
心を入れ替えた証拠として、指輪を買い戻して墓の主の下へと返そうと思ったのだ、とジャン=ジャックは言っているらしい。
半分以上が嘘だと判るのは、ジャン=ジャックがあの指輪の持ち主がティナの父親だと知っている、と知っているからだ。
ジャン=ジャックはティナの働きがきっかけになり、回復へと持ち直すことができた。
あまり態度には出ていないが、ティナに対して少しばかり恩義を感じているのだろう。
あの頃はまだ指輪が墓から持ち出されたなどと知らなかった俺に対し、ジャン=ジャックは正直に自分から指輪の話を持ち出してきた。
指輪を買い戻したいので、財産の取り押さえは少し待ってほしい。外出許可がほしい、と。
「ベルトラン殿が墓の場所を聞いたところ、ジャン=ジャックはなにも答えなくなったそうだ」
そして深夜になった帰宅にもかかわらず、アルフが館から飛び出してくるような拷問が始まったらしい。
普通に独房を使わせるだけならば許可を出すだけで終わったはずなのだが、報告が必要だと立会いの黒騎士が判断するほどの拷問が。
「ジャン=ジャックが口を噤んでくれたのは意外だったな」
「そうでもないぞ。ジャン=ジャックは軽薄なところもあるが、筋は通す男だ。ベルトラン殿の態度から、話さない方がティナのためにはいいと判断したんだろう」
ベルトランの質問にどう答えるべきか、と考える素振りを見せただけで詰問を拷問へと切り替えられれば、嫌でもおかしな空気は感じ取れる。
ジャン=ジャックのようなタイプは周囲の空気に敏感だ。
普段であれば適当に受け流してやり過ごすことだったが、今回は相手が悪かった。
結果として、口を噤むことで抵抗しているのだろう。
「せめて手を出すのは俺が戻ってからにしてほしかったな」
砦の主は俺である。
俺の管理する黒騎士が引き起こした窃盗事件だ。
捕らえるまではともかくとして、尋問や拷問は主である自分が戻ってからにしてほしかった。
「ベルトラン殿には、昨年散々待っていただいたからな。待てる限度をこえたのだろう」
基本的には俺と同じ、頭を使うよりも体を使いたい人間だ。
昨年の春の終わりにグルノールの街へと来たベルトランを、延々半年以上待たせたうえで領地へと追い返すことになった。
これ以上『待て』というのは、たしかに無理のある話かもしれない。
「……とりあえず、ベルトラン殿をジャン=ジャックから引き離しにいくか」
ティナのことを話させるわけにはいかないが、ジャン=ジャックの命も心配だ。
ベルトランは俺と同じで、腕力が人一倍ある。
少し力加減を間違えれば、人を殺すことぐらい簡単にできるはずだ。
まずは砦に、と立ち上がると扉の前で気配が動いた。
まさかティナが盗み聞きをしていたのだろうか、とも思ったが、気配の主は話が終わるのを待っていただけのようだ。
室内の話が終わった気配に、こちらも動いて存在を報せてきた。
「……ティナを寝かせろと命じたつもりだが?」
「そのお嬢様からのご命令で、お話を仕入れてくるように、と」
本人が盗み聞きに来ることはなくなったが、今度は使用人を使うことを覚えたらしい。
淑女らしい情報収集方法ではあるのだが、これはさすがに間違っているとしか言い様がなかった。
……アルフの真似か? それともハルトマン女史の指導か?
いずれにせよ、一度注意をしておく必要がありそうだ。
「ティナには明日の朝、ジャン=ジャックの罪状だけ教えてやれ」
一応でも明確な罪があって捕らえられたのだ、と知れば納得するだろう。
そう短く指示を出すと、サリーサは礼をとって下がっていった。
引き続き館の警備はアルフに任せ、裏門を抜けて砦へと向う。
あらかじめ使われている独房は聞いていたので、迷うことなく進むことができた。
独房へと続く廊下を歩くと、時折鞭打つ音とジャン=ジャックの呻き声が聞こえてくる。
ベルトランの声がまるで聞こえてこないことが少しだけ不思議だった。
「その辺にしていただけませんか、ベルトラン殿」
今まさにジャン=ジャックへと鞭を振り下ろそうとしていたベルトランを制止する。
なにを聞いても無言を貫くジャン=ジャックに対し、ベルトランもすでに質問をするのはやめていたようだ。
ひたすら鞭打つだけの時間がもう数時間続いているのだと、立会いの黒騎士に耳打ちされた。
「ジャン=ジャックの罪状へは目を通しましたが、拷問は認められません」
「この程度は拷問ではない。ただの尋問だ」
「肉体への暴力を伴っての尋問は、我が国では拷問と呼びます」
堅く守られているかは別として、敵国の捕虜に対してであっても禁じられている行為である。
自国の騎士相手であれば、もちろん容認されることではない。
「これが私の質問に答えんのだから、仕方がなかろう」
「ジャン=ジャックが拾得物である指輪を売った、という報告なら私のところへも届いています。ワーズ病から回復後、その指輪を買い戻したいというジャン=ジャックに外出許可を与えたのも私だ」
この程度の情報は鞭を振るわなくとも、どこからでも聞き取れるはずだ、と指摘する。
ジャン=ジャックと交友のある者や、ワーズ病に関わる報告書を作成した者、ほかに何人でも知っている者がいる話だ。
「拾ったという私の指輪を、どこで手に入れたかを吐かないのだ」
「報告には墓で拾った、とあったようだが?」
ワーズ病犠牲者の墓で拾ったようだ、という事前に聞いていた話からティナに関することだけを抜きだしてベルトランへと聞かせる。
墓についてだけの話ならば、以前ティナが言ったように隠す必要はないのだ。
「ならば、なぜ素直にそう言わぬ?」
「ジジイの態度が気にいらネぇからだよ!」
んべっと子どものように舌を出し、ベルトランのデカイ態度が気に入らないのだ、とジャン=ジャックは乗ってくる。
ティナの保護者の帰還に、ひたすら無言でやり過ごすことはやめたようだ。
「我が砦内での拷問は認めぬ」
舌を出したジャン=ジャックの安い挑発に、ベルトランはあっさりと乗った。
再び振り下ろされる鞭に、ベルトランの腕を掴んで無理矢理止める。
「……墓の場所はわかっているのだろうな?」
「病で滅んだ村の片付けを指示したのは私です。ジャン=ジャックの担当した村も当然把握している」
忌々しげにジャン=ジャックを睨み、ベルトランが俺の腕を振り払いながら吐き捨てるように「では、そこへ案内を」と要求してきた。
本音を言えば断りたいが、断るための理由が弱い。
「今はなにも残っていない跡地だが」
「なにも残っていないかどうかは、確認してみねば判るまい」
その男は案内役に連れて行く、と言ってベルトランは立会いの黒騎士を呼ぶ。
動ける程度に手当てをしてやれ、とジャン=ジャックの背中を押した時に判ったのだが、ジャン=ジャックの利き腕は骨が折れているようだ。
……騎士の利き腕を折ったのか。
ベルトランは引退したとはいえ元は黒騎士のはずなのだが、その黒騎士の腕の骨を折るということが、どういうことが解らないらしい。
それもジャン=ジャックが折られたのは、剣を持つための利き腕だ。
……サロモン様が家を出たのは、これが原因か。
そして、
何年も前に出会った
やはりティナの存在は知られない方がいい。
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