第10話 絵画の値段と危険が美少女

 なんとも落ち着かない気分になってしまったので、ジェミヤンの前ではあったがレオナルドにべったりと抱きつく。

 意識して改めつつあったのだが、やはりなにか不安を感じた時には保護者レオナルドにぴったりと張り付いているのが一番落ち着いた。

 次点で落ち着くのは、自室の寝台の上に陣取る熊のぬいぐるみのお腹だ。

 どうやら私は大きな物を背にしたり、ハグをしたりすることで安心を得るようである。

 すっかりレオナルドの家の子だ。


「聞いた容姿からすると、近頃熱心に通ってくる、絵画の購入希望者かな?」


 金髪碧眼と十五・六歳に見える容姿、と伝えたのだが、ジェミヤンの考える人物は少し若く見えるがもう少し年上らしい。

 実年齢はともかくとして、当てはまる容姿の人物なのだそうだ。


「金髪碧眼で十五・六歳に見える、俺の絵を欲しがるような酔狂な娘となると……」


「クローディーヌ王女殿下が、熱心にあの絵画を購入したい、と通ってこられているよ」


「クロー……」


 長い名前だな、と私は思っただけなのだが、レオナルドにとってはなにやら因縁めいたものがある相手だったようだ。

 ジェミヤンの口から出てきた名前に、頭を抱え込んでしまった。


「レオナルドさんは、お姫様とお知り合いですか?」


 桃色絵画と対面した時以上の衝撃を受けていると判るレオナルドに、少しだけ面白くない。

 面白くはなかったのだが、今回レオナルドを困らせているのは私ではないので、早く立ち直ってください、と慰めてみる。

 私の中身が実年齢とイコールではないと知って以来、私の頭を撫でる程度の仕草であっても緊張していたレオナルドが、今はされるがままになっていた。

 それほどまでに、レオナルドにとっては衝撃的な名前だったらしい。


「どういったお知り合いですか?」


「昔、全裸でモデルをさせられた相手だ」


 そう簡潔に説明されて、思いだせる事柄がある。

 いつ聞いたのかは忘れてしまったが、王都には裸のレオナルドが壷を持った噴水がある、と。

 その噴水を作らせたのがクローディーヌ王女なのだろう。


 ……この国の王族、フリーダムすぎない?


 前国王はリアル諸領漫遊よなおしの旅、アルフへの愛を叫ぶ王子アルフレッド、ほぼ全裸王女に、男の裸の噴水を作らせる王女。

 こうして箇条書きにしてみると、我儘で暴君なだけのディートフリートが可愛らしく感じてくるから不思議だ。


 ……でも、公私はしっかり分けているらしいから、文句も言えない。


 多少困った趣味を持っていようとも、国政はつつがなく執り行われているのだ。

 個人の趣味の範囲でなら、他人が文句をいうべきではない。


「……あの絵を欲しがっているのはクローディーヌ王女か」


「朝昼晩と連日交渉に訪れているよ」


 ジェミヤンからの手紙には連日押しかけてくる者がいる、と書かれていた気がするのだが、実は朝昼晩の三回、それも連日押しかけてきているらしい。

 とんでもなく迷惑な相手だ。

 ほとんど一日中、毎日のようにあの絵を譲れと王族に圧力をかけられることになったジェミヤンには、悪戯の片棒を担がせただけなのだが、とんでもない迷惑をかける結果になってしまった。


「……ティナ」


「はいです」


 長い沈黙のあと、思いつめたような表情でレオナルドに名前を呼ばれる。

 なにやら深刻な雰囲気だったので、こちらも背筋を伸ばして言葉の続きを待った。


「ティナはあの絵を売ることに対して、抵抗はないんだよな?」


「あれはレオナルドさんへの悪戯目的で作ったものなので、用が済んだら扱いに困るだけだと思います」


 売るのも、持ち帰って部屋に飾るのも、レオナルドの好きにすればいい、と答える。

 悪戯が目的で作られた刺繍絵画だったが、あれはレオナルドへの誕生日プレゼントになるはずのものだ。

 売れるのだったら、その金額をプレゼントに充てればよい。


「でも、いいのですか? レオナルドさんは売りたくないようでしたけど」


「むしろ絵画を人身御供に差し出して満足してもらった方が、俺としては気が楽だ」


「……では、ジェミヤン様にもしつこくして迷惑をかけている方のようですし、値段はふっかけましょう」


 贈り物予定だと言っている絵画を横から売れとしつこいのだから、多少値をふっかけるぐらいの嫌がらせは許されるだろう。

 私としては材料費を取り返したいぐらいなのだが、迷惑料を込みで請求したい。


 ……でも絵画の相場って、どのぐらいだろうね?


 前世では有名な画家の絵が億単位の値段で取引されていたが、いくらなんでも素人の縫った刺繍にそんな馬鹿な値段を出す者はいないだろう。


 ……なんだ、最初から馬鹿みたいな値段をつけておけばよかったのか。


 気が付いてしまえば、値段を付けるのは簡単だ。

 私なら絶対に買わない、という馬鹿げた値段を付けてやればよい。


「庭付きのお家が買えるぐらいの値段で売ってあげてください」


「庭付き……」


 これだけ馬鹿な値段設定をすれば諦めるだろう、と種を明かしてみたのだが、ジェミヤンは少し考え込むように目を閉じ、レオナルドは再び頭を抱えた。

 私なら絶対に買わない、という値段設定をしてみたつもりなのだが、やはり高すぎただろうか。


「……ティナ。ちなみに、ティナの考えている『お家』の規模は?」


「え? そうですね……オレリアさんの家ぐらいでしょうか?」


 少し欲張ってみた。

 メイユ村で暮らしていた家ではなく、村長の家よりも立派だったオレリアの家を引き合いに出す。

 庭つき一戸建てで、風呂あり、台所あり、居間と寝室は別で屋根裏部屋までついている。

 使用人を雇わずに、私とレオナルドが家族で住むだけならば、十分な広さだと思う。


「……じゃあ、ティナ。王女様の『お家』は?」


「王女様のお家といったら、やぱりお城で……えっ!? 違いますよ? お城が買えるような値段で売れ、なんてつもりで言ってませんよ!?」


 わざと法外な値段設定をしてはいるが、そこまで法外な値段設定はいくらなんでも無理がある。

 やはり買えない、と諦めてもらうことが目的ではあるが、何事にも限度というものはあった。

 あからさま過ぎる値段設定にして、断らせる意図が見えすぎていてはあとで恨みを買うことになる気がするのだ。

 こちらの意図は見せず、あちらが諦めるしかない値段設定にすることが重要だと思う。







 クローディーヌ王女との商談は任せておけ、とジェミヤンが請け負ってくれたので、すべて任せることになった。

 私の思う『お家』とジェミヤンの考える『お家』の認識の差については、それこそ先方が絵の購入を諦める要因になってくれれば、と故意に明確にするのはやめておく。

 私の思う『お家』レベルの金額で売れたとしても、材料費は余裕で戻ってくるのだ。


 ……レオナルドさんが追加した条件の方が気になるけどね。


 絵を譲る条件として、レオナルドはクローディーヌ王女へ私への接近禁止を付け加えるようだ。

 なぜレオナルドではなく私なのか、と聞いてみたところ、噴水のモデルになる際の条件として、レオナルド自身への接近はしてこないことになっているのだとか。

 その約定が破られた暁には噴水はレオナルドの手で粉砕し、噴水のモデルとして描かれた素描デッサンもすべて燃やすことになっているそうだ。


 ……そんな約束があったから、私がレオナルドさんを呼んだら逃げたんだね、クローディーヌ王女。


 アルフレッドの親類と思えば、たしかに似た雰囲気がある気がする。

 見覚えがある気がしたのは、アルフレッドの面影があったからだろう。


 ……美人だったけど、目が怖かったよ。


 綺麗な顔で微笑んでいたのだが、目は少しも笑っていなかった。

 人の話を聞いているような顔をしてすべて聞き流し、己の超理論だけを押し付けてくる話の通じない人間特有の自信に満ちた気味の悪い目つきとでもいうのだろうか。

 あの瞳に見つめられただけで悪寒が走った。

 私に対しても接近禁止令を出してくれるのなら、これほど嬉しいことはない。


「……せっかくラガレットの街まで来たのだから、今夜は我が家へ泊まっていくといい。バシリアも喜ぶだろう」


 絵画の扱いについては完全にレオナルドに任せ、美味しくお茶請けにと出されたケーキをいただいていると、今夜の宿の話へと話題が移っていった。

 川を使えば今日中にグルノールの街へと帰ることもできるが、そこまで急ぐ必要もない。

 館の警備は必要だが、それだって冬の間はアルフが警備を引き受けてくれていたのだ。

 今日の遠出も、アルフが代わりに館へと詰めてくれているので、一泊するぐらいの余裕はあった。


 レオナルドはなんと答えるのだろう、と隣に座るレオナルドの顔を見上げる。

 丁度レオナルドも私の様子を見ていたようで、ばっちりと目が合った。

 私としては強行軍で帰還してもよかったのだが、レオナルドは私の表情を読み違えたようだ。

 会いたくない人物がいる可能性があるので、ブレンドレル商会の宿泊施設ホテルは利用したくない。しかし、せっかくの機会なので私がバシリアに会いたいかもしれない、とレオナルドの中で必要のない気遣いが発揮されているのがよくわかる顔をしていた。


 ……や、別にバシリアちゃんに会いに行かなくていいですよ?


 たまに手紙を送ったり、送られたりする仲ではあるが、特別仲がいい友だちという認識はない。

 レオナルドの予定を変えてまで寄り道をする必要はなかった。


 ……とはいえ、さすがにバシリアちゃんの父親ジェミヤンの前では「会いたくないです」なんて言えないけどね。


 どう誘導すれば、あたりさわりなくジェミヤンの誘いを辞退できるだろうか。

 考えているうちに、ジェミヤンの中ではどんどんと話が進んで行くようだ。

 本宅へは報せを入れておくので、好きに部屋を使っていい、とまで言い始めた。


 ……つまり、相変わらずジェミヤン様は画廊で寝泊りしているんですね。


 少しだけ呆れつつもジェミヤンを見上げると、ジェミヤンは本宅には私に会わせたい人がいるのだ、と言う。

 どうやら本宅へ泊まっていけばいい、という誘いは本来の目的の隠れ蓑だったようだ。


「わたくしに会わせたい人、ですか?」


「ああ。以前に私にも刺繍絵画を作ってくれないかと頼んだことがあっただろう? あの時は会ったこともない人物の絵など縫い取れる自信がないと断られてしまったが……」


「つまり、ジェミヤン様がモデルにしたい方が本宅にいるのですね」


「その通りだ。本宅にはバシリアの母親がいる」


 ……うん? 正妻じゃなくて、愛人の絵ですか?


 それはそれで、どうなのだろうか。

 ついでに突っ込むのなら、娘のバシリアは離れで、愛人は本宅に住んでいるのか、とも思う。

 逆ならまあ解らなくはないのだが、ジェミヤンの娘と愛人に対するこの扱いの差はなんだろうか。

 思わず真顔になってしまったのだが、ジェミヤンは私の表情になどお構いなしで話を続ける。


「本宅に女児は危険だな。バシリアには離れで夕食会を開くように言っておこう。そこへユーリアを招待すればいい」


 ……女児に本宅は危険って、そこへのお泊りを勧めてましたよね、今。あと、ユーリアさんがバシリアちゃんのお母さんですか?


 ジェミヤンの言葉をそのまま信じるのなら、危険な本宅から遠ざけるためにバシリアは離れに住んでいる、ということになるかもしれない。

 庶子だからと本妻の子と扱いを変えているわけでもなさそうだ。

 そもそも、そのような区別をする人物であれば、愛人こそ離れへと住ませるだろう。


 ……危ないとこなら近づきたくないです。







 危険があるのなら近づきたくはないのだが。

 強く断ることもできず、結局はジェミヤンの本宅へと一晩世話になることになった。

 さすがに気になったのでこっそり画廊の使用人に聞いてみたのだが、正妻とバシリアの母との仲はいたって良好で、むしろ正妻がユーリアを気に入って手放さないのだそうだ。

 ならば愛人可愛さにその娘が邪魔でバシリアが離れに住んでいるのかとも思ったが、これも違う。

 正妻の家系もまたどこかで王族の血が入っているらしく、特徴の一つである偏った愛情は好みの同性に向けられているのだとか。


 ……うん、それは女児には危険な場所だね。


 正妻は気に入った女の子に、とにかく食べさせる性癖があるらしい。

 ぷくぷくと膨らんだ頬や二の腕の感触が好きなのだとか。


 ……そんな困った性癖の人と同じお屋敷に住んでいたら、バシリアちゃんも豚になるよ。


 バシリアに対しては愛情が薄いように見えるのだが、ジェミヤンなりに一応は考えての措置なのかもしれない。

 画家の少年より扱いが悪かった気はするが、バシリアには使用人も子守女中ナースメイドも家庭教師もちゃんと付けられていた。

 なにも考えられていないわけではない。


 少し怖い気はしたが、他人よそ様の御宅へお呼ばれをするのなら手土産の一つも持っていかなければ、と大通りの店を覗く。

 ついでにグルノールの館で留守番をしてくれているタビサやヘルミーネたちへのお土産も探すことにした。


 ……すれ違う人が時々レオナルドさんの顔をチラチラ見てるんだけど、これもあの絵画のせいかな?


 歩みを止めてレオナルドの顔へ釘付けになる程度ならば問題ないが、若いお嬢様数人に悲鳴をあげて逃げられた時は、少々レオナルドが気の毒になった。


 ……すみません、私の兄はヘルケイレスとは違います。ご安心ください。強姦はしないと思います。たぶん。


 娼婦のお世話にはなっているようなので、性欲は人並みに持ち合わせているはずだが、神話のヘルケイレスのような真似だけはしないはずだ。

 チラチラと盗み見られるのも傷つくとは思うが、とにかく悲鳴をあげて逃げ出すのはやめてあげてほしい。


 ……ちょっとした悪戯だったんだけど、効果がありすぎた。


 レオナルドは顔にこそ出ていないが、内心はへこんでいるかもしれない。

 あとでお詫びに頬へでもキスをして元気付けておくべきだろうか。


「……ティナは先に馬車へ戻っていてくれ」


「はぁい」


 買い物はさすがに使用人として付いているサリーサに持たせるのだが、支払いする姿をレオナルドは私に見せなくなった。

 単純に抱き上げることを禁止したため、目にする機会が減っただけかもしれないのだが、淑女に対するエスコートとも思える。


 ……変な感じ。


 完全な子ども扱いではなくなった。

 だからといって、異性として扱われているわけでもない。

 近頃のレオナルドは、実に微妙な感じだ。


 サリーサと手を繋いで店を出る。

 扉に付けられたカウベルが、金属の柔らかい音をたてた。

 馬車までは私の短い足でも十五歩とない距離だったのだが、馬車へと乗り込む短い距離を移動する間に、横合いから絹を引き裂くかのような女の悲鳴があがる。


「きゃあぁああああぁぁああっ!? なんということをぉおおおおっ!?」


 キーンっと耳鳴りがして、思わず目を閉じてサリーサから手を離し、耳を塞ぐ。

 否、耳を塞ごうとした。

 耳を塞ごうとしたのだが、その手はすぐに柔らかな誰かの手に掴まり、猛烈な勢いで手が擦られる。


「いたっ! 痛い、痛いっ!」


 いったいなにが起こっているのか、と閉じた瞼を開いたら、金髪の美少女がハンカチで私の手を擦っていた。

 擦るというよりは、本人的には磨いているつもりなのかもしれない。


「痛いです! 痛いっ! おねーさんやめてっ!」


「いけませんわっ! 折角のレオナルド様の皮脂がっ! レオナルド様の感触がっ! レオナルド様の体臭がっ! こんなどこの馬の骨とも判らぬ下賤な女に汚されるだなんてっ!!」


 女中メイドの手垢で汚すぐらいならば、レオナルドの皮脂はすべてわたくしにください、と叫びながら美少女は私の手をハンカチで擦り続ける。

 とりあえず、発言からこの美少女の目的はわかった。

 対処法も、私はたぶん知っている。


「レオ! レオ! 助けてっ! 怖いおねーさんがっ!!」


 いまだ店の中にいるレオナルドへと助けを求める。

 目の前の金髪美少女が噂に聞く第八王女であるのなら、レオナルドと顔を合わせるわけには行かないはずだ。


「レオナルド様、とお呼びなさい」


「ひっ!?」


 スッと美少女から表情が消え、ハンカチを擦り続けていた手が開放される。

 その代わり、両手でそっと私の頬を包み、唇が触れそうな距離まで顔を近づけてきた。

 はっきり言って、美少女の顔面ドアップではあるのだが、怖すぎて夢に見る。


「レ・オ・ナ・ル・ド・さ・ま、です」


 一度も瞬きをせず、私から目を逸らさずに金髪の美少女はそう続けた。

 まず彼女の言葉に従い、『レオナルド様』と訂正しなければ話しは続かないようだ。


 ……怖い。マジで怖い。ホントに人の話聞かないタイプだ。


 美少女ではあるが、こんな恐ろしい人間に朝昼晩と連日突撃をされていたらしいジェミヤンには頭の下がる思いしかしない。

 アルフはジェミヤンに恩を売るいい機会だと言っていたが、これはもしかしなくとも恩を感じるべきは私の方であろう。


「そもそも、貴女はどこのどなたです? わたくしのレオナルド様に図々しくもベタベタベタベタと引っ付いて。目障りなのです。ですが、それも許しましょう。貴女の服、とても可愛らしいですわね。レオナルド様が先ほど貴女を抱き運ばれる姿を私、柱の影からずっと拝見しておりましたの。その背中のリボン、私に譲っていただけないかしら? そのリボンがレオナルド様の逞しい二の腕に触れていたのです」


 レオナルド様の触れたものと言えば、と言葉を区切り、ようやく金髪美少女の顔が私から離れた。

 しかし、手はまだ頬へと添えられたままで、逃げることはできない。


「貴女の腕、レオナルド様の太くて逞しい首へと回されていましたよね? 私、先ほど見ましたわ。ばっちりとこの目で見ました。見間違いではありませんわね。うらやましいですわ、レオナルド様の近くであのようにべったりと……」


 その腕、切り落として私にくださいませ。

 そう言った金髪美少女の言葉は、間違いなく本気だったと思う。


「レオのアホーっ!!」


 早く助けに来て、と大声でレオナルドを呼ぶ。

 金髪美少女のヤバサにサリーサが私を抱き寄せて距離を取るのと、カウベルが鳴り響くのは同時だった。

 店の中からようやく飛び出してきたレオナルドに、金髪美少女は慣れているのか、まず開いた扉の死角へと移動する。

 あとはもう見事な逃走っぷりだった、としか言いようがない。

 レオナルドの視線が私とサリーサへと向けられて安全の確認をしている間に死角から死角へと移動して店の裏側へと走って消えた。


「なにがあった!? ティナ?」


「レオのアホっ! 馬鹿っ! 遅いっ!」


 なんとも言えない不気味な美少女からようやく開放されて、安堵と同時に涙が出てくる。

 自分でもわけがわからず、ただ、ただ怖かったとレオナルドに八つ当たりで殴りかかりながら泣いた。

 不審な美少女に絡まれた、と言えばそれだけのことなのだが、本気で身の危険を感じてもいたのだ。

 十歳だからと知ったことか、私は怖かったのだとわんわん泣く。


 私のこの状態では領主の館になど行けないだろう、とレオナルドが判断し、ジェミヤンの本宅訪問が流れたことは、怪我の功名とも言えるかもしれない。


 帰宅は深夜近い時間になるはずだが、私たちはその日のうちにグルノールへと帰ることを決めた。

 しかし、グルノールの街へと帰ったら帰ったで、今度はジャン=ジャックがベルトランに捕らえられたという報せを持ってアルフに出迎えられることとなる。

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