第9話 桃色絵画と金髪のお嬢さん

 唖然とした表情のレオナルドに、悪戯の成功を確信する。

 私としては、自分の知らないところで絵のモデルにされたり、自分の絵を贈られたりしても嬉しくない、とレオナルドに理解してほしかっただけなのだが、思った以上に効果があったようだ。

 予想外ではあったが、周囲への効果もすごい。


 ……色の与える視覚効果、って奴かな?


 赤の入った惣菜の入れ物は味を濃く感じるだとか、青い光の街灯には鎮静効果があって犯罪抑止に繋がるだとか、色が人に与える影響は意外に大きいと聞いたことがある。

 私としては、ピンク色で影を塗るとエロっぽくなるというCG塗りの知識を取り入れてみただけなのだが、まさかこれほどまでに人を惹きつけるとは思わなかった。


 ……これがピンクはエロい、ってことだね!


 一般的かどうかはともかくとして、この言葉の使われ方としては、創作物の中でピンク色の髪の毛をしているキャラクターはエロい、という意味だった気がするが気にしない。

 ピンク色の糸を混ぜて縫った刺繍絵画が、誘蛾灯のように人を惹きつけているのだ。

 ピンクはエロい、で問題ない。


 ……あと、レオナルドさんもエロい。


 薄々気が付いていたが、私の兄はエロい。

 ちくちくと毎日にようにあの背中や腕の筋肉を刺繍していたのだ。

 魅惑的な筋肉だとは思っていたが、ピンクという色が入ってここまでエロく仕上がるとは予想していなかった。

 カーヤのような面倒な女がどうしても目立つが、レオナルドは何気なく女性にもてるフェロモン男である。

 そして、刺繍絵画に群がっている中には男性の姿もあった。


 ……レオナルドさんのフェロモンは、男の人にも効果あるんだね!


 妹としては頼りない面の多い兄なのだが、性的な魅力には溢れているのだろう。

 少なくともこの場の紳士淑女には大うけだ。


 レオナルドの反応に満足して、絵画の前から離れる。

 レオナルドの元へと戻る私をいくつかの視線が追ってきたが、向かう先にいるレオナルドに気が付くと、視線はすべてレオナルドの顔へと吸い込まれていった。

 自分たちが食い入るように見つめている絵画と、同じ顔があるのだから仕方がない。

 小さく息を呑む音と、短い悲鳴のような声がさざなみのように部屋中へと広がり、やがて大きなうねりとなってザワリとどよめきが起こる。

 絵画に夢中になっていた者もこのざわめきには異変を感じて、周囲の視線を追ってレオナルドの顔へとたどり着いていた。

 部屋中の視線がレオナルドの顔へと集中する。


「行くぞ、ティナ」


 若干引きつった声音で呼ばれ、少しだけ乱暴に腕を掴まれた。

 レオナルドの体へと引き寄せられたために、すぐ上にある顔を見ることはできない。

 が、見られなくて正解だったと思う。

 ざわめいていたはずの室内が、シンっと水を打ったように静かになった。


 ……あれ? 怒ってる?


 ちょっとした悪戯心だったのだが、やりすぎてしまっただろうか。

 周囲の反応から察するに、レオナルドの顔は私に見せられない顔になっているのだろう。

 今までは淫靡な空気に支配されていた室内が、嘘のように凍り付いている。


「き、きみ! きみがこの絵画を作ったのなら……」


 勇者が一人、私に声をかけてきた。

 声をかけてきたのだが、すべてを言葉にする前に勇者の声は途切れたし、私の頭を包み込むようにレオナルドが両手で私の耳を塞いでしまったので、続きは聞こえない。

 なんだろう? と振り返ろうとしたら、今度こそレオナルドに抱きこまれてしまった。

 これでは歩くどころか、身動き一つできない。







 結局、レオナルドに抱き運ばれながら刺繍絵画の飾られた部屋から逃げるように移動することとなった。

 ジェミヤンの商談が終わった、と案内のための使用人が呼びに来たので丁度よくもある。


「抱っこ禁止ですよ、レオナルドさん」


「あの場は仕方がないだろう」


 怒らせてしまっただろうか、と内心では恐るおそるレオナルドの顔を見たのだが、極普通の顔をしていた。

 いつものレオナルドだ。

 ただ耳が少し赤い気がするので、あれは怒っていたのではなく、自分自身のエロフェロモンに当てられたのだろう。

 そう思っておくことにする。


 ……だってレオナルドさん、前に自分で言ったもんね?


 今生で初めてお風呂と遭遇した日に、幼児なんだから女の子でも恥かしくないだろう、と一緒に風呂へと入ろうとレオナルドは言い出した。

 それはもちろんお断りしたのだが、幼児が相手でも裸を見られるのは恥かしい、とレオナルドにも思い知らせてやろうとして、入浴中のレオナルドを突撃してやったのだ。

 その時に、風呂へと乱入されたレオナルドが言った。

 俺の体に見られて恥じる場所はないぞ、と。


 ……待って。今気がついた。私、やってることが八歳の頃からなにも変わってない?


 八歳の私は『幼児でも裸は恥かしい』と叩き込むためにレオナルドの入浴中に乱入し、十歳の私はレオナルドに『自分の絵など貰っても嬉しくない』と叩き込むために刺繍絵画を作ってラガレットの画廊へと飾った。

 自分がされて嫌なことを、嫌だと理解させるためとはいえ、故意に相手へもしているのだ。


 ……さすがに、ちょっと反省します。


 やっていることが子どもっぽすぎた。

 否、今の自分は子どもなのだから、行動が子どもなのは問題ないのだが、それでも自分がされて嫌なことを故意に相手にもするのはよくないことだと思う。

 気づいたからには、直していきたい。


「……少しやりすぎた気がします。ごめんなさい、レオ」


「まあ、……あのモチーフはどうかと思うが、すごいな。一生懸命作ってくれたんだろう? ありがとう」


 モチーフの神話と仕上がりの淫靡さはともかくとして、刺繍で絵を一枚縫い上げたのは素直にすごい、と誉められた。

 それから少しだけ言い難そうに、あの神話は神と人間の娘の恋物語などではない、と教えてくれた。


 ……そっちもごめんなさい。知ってます。あの神話がホントは軍神ヘルケイレスの暴れんのお話だってのは承知してました。


 とにかく、レオナルドに自分の描かれた絵など嬉しくない、と叩き込むことだけを考えたのだ。

 鈍いレオナルドにも確実にダメージを食らわせられるように、とジェミヤンとの相談の間に神話について注文を出したのは私である。

 ジェミヤンはそのままレオナルドの肉体美を押し出した肖像画を提案してくれたのだが、私が無駄にエロスを追及して、さらには言い訳も聞くようにとヘルケイレスの神話を持ち出してみた。

 この場合、軍神ヘルケイレスこそ被害者であろう。

 ピンクの絵画に仕上げられ、画廊に飾られているだ。


 ……今年の追想祭は、イツラテル教会でヘルケイレスに謝っておこう。







「こちらです」


 そう言って案内されたのは、前にも通されたことのある応接室だった。

 以前は部屋へと入った途端にバシリアに連れ出されたのだが、今日はバシリアの姿はない。

 その代わり、にこやかやな笑みを浮かべたジェミヤンが私たちを迎え入れてくれた。


「やあ、よく来てくれたね。小さなアシャンテーの指とその保護者の方」


 ……あ、ジェミヤン様の中で私とレオナルドさんの価値が入れ替わってる。


 庶子とはいえ実の娘であるバシリアと画家の卵の少年に対する態度の差からもわかるように、芸術を生み出す者とそうでない者へのジェミヤンの態度は実に判りやすい。

 アシャンテーの指というのは、芸術の女神アシャンテーが次々とその指から芸術作品を生み出すことにならい、芸術に携わる者を指す言葉だ。

 私の作った刺繍絵画は下絵に別の作者がいるため、厳密には私の作品だとは言えないと思うのだが、ジェミヤンは相当気に入ってくれているようだった。


 こちらへどうぞ、と手招かれ素直に椅子へと座ろうとしたのだが、レオナルドに肩を捕まえられる。

 なんだろう? と見上げると、レオナルドは少し困ったような顔をして、サリーサと背後の扉を示した。


「少し退屈で面倒な話になると思うから、ティナは外で待っていてくれないか?」


「わたくしの縫った刺繍のお話、ですよね?」


 当事者になるはずだが、席を外してもいいのだろうか。

 そう思って首を傾げたら、ジェミヤンが肩を竦めるのが判った。

 おそらくは、あの絵画を画廊へと飾ったことに対する苦情をジェミヤンに言うのかもしれない。


「……わかりました。すぐ外にいますから、聞かせていいお話になったら呼んでください」


 内心でジェミヤンに悪戯の片棒を担がせるなど、悪いことをしただろうか、と考えながら応接室を出る。

 外で待っているとは言ったが、それほど離れるつもりもなかったので、扉近くに飾られた絵画を見て待っていることにした。


 ……うん?


 気のせいか、視線を感じる気がする。

 先ほどの部屋でレオナルドの刺繍絵画を見ていた紳士か淑女が、私を追いかけてきたのだろうか。

 何気なく視線を感じる方向へと顔を向けると、いかにも貴族のご令嬢といった身なりのよい娘が立っていた。

 金髪を綺麗に結い上げ、飾りにしかなっていない小さな帽子を被った、小柄な十五・六歳に見える娘だ。


 ……どこかで、会ったことある?


 なんとなく見覚えがある気がして首を傾げると、娘は私と目が合ったと気がついたのだろう。

 美しい顔を花のように綻ばせて微笑んだ。


「レ、レオ! レオっ!!」


 コツ、と娘が一歩こちらへ向って足を踏み出した瞬間に、なんとも言えない悪寒が背筋を駆け上がった。

 反射的に応接室の扉を叩いて中のレオナルドを呼ぶと、すぐに扉が開かれる。


「なにがあった!?」


 そう言って飛び出して来たレオナルドに、抱きついて体を隠す。

 それからすぐにレオナルドの影から頭だけを出して娘の立っていた場所へと視線を戻すのだが、そこには誰の姿もなかった。


「……あれ?」


 直前まで娘が立っていたはずの場所なのだが、娘の姿は影も形もない。

 サリーサなら知っているだろうか、とサリーサを見ると、少し困ったような顔をしている。

 サリーサもあの娘を見たのだが、レオナルドの登場に一瞬視界から外してしまったのかもしれない。

 その間に、あの娘は姿を眩ましているのだ。


 ……でも、サリーサも見たってことは、精霊とかの不思議現象じゃない、ってことだよね。


「ティナ、なにかあったのか?」


 とりあえず娘の姿が見えなくなったことにホッとして、体から力が抜ける。

 べったりとレオナルドの体へと体重を預けると、レオナルドもなにかあったらしいことだけは察してくれた。

 気遣うように頭へと添えられた手が、優しく髪を撫でてくれる。


「なんだか、目つきの怖いお姉さんがいました」


 顔つきは綺麗だったし、花のように微笑んでくれたのだが、なんとも言えない不安が湧き上がってくる笑顔だった。

 咄嗟にレオナルドの名を呼んでしまうぐらいには恐怖を感じてもいる。


「……不審者か?」


「違うと思います。ちゃんとしたお家のお嬢様、って感じで……」


 娘の容姿を口にすればするほどに疑問になってくる。

 どこも不審に思う要素などないはずなのだが、たまらない不安に包まれた。

 なに一つ落ち度のない淑女に対して、自分がレオナルドへと報告している内容は少々どころではなく酷いことのようにも思えてくる。


「……前回はレオと離れたら誘拐されたので、離れるのは嫌です」


 なにがどう不安だったのかを訴えることにも罪悪感がわき、最終的には説明を避けた。

 きっと、この場によくない思い出があるために理由わけもなく不安になるのだろう、と。

 そんな可能性に気がついてしまえば、あの娘に感じた不安など、ただの思い過ごしに違いない。

 私はあの娘に会ったのは今日が初めてであったし、彼女からなにか不利益を被ったわけでもない。

 それなのに、わけもなくただ不安になったのだ、と大声を上げて取り乱してしまった。


 ……あのお姉さん、私が騒ぎ出したから驚いて逃げちゃったのかな?


 本当に悪いことをしてしまった気がする。

 そう罪悪感が湧いてくるのだが、どうしても不安を拭い去ることはできなかった。

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