第5話 お嬢様のおかいもの 2
ヘルミーネ監督の下に書かれた手紙はすみやかに商人へと届けられ、翌日にはもう返事が届いていた。
ここから先は使用人と商人の間で日付の調整などの打ち合わせが行われ、主である私の元へは結果だけが届けられることになるのだが、今回は私の授業ということもあって一連の流れを見学することができた。
謹慎中の私の都合はいつでもよくて、商人としても砦の主の妹である私を待たせるわけには行かない、とすぐにでも応じたいそうだ。
最初に手紙を出してから、三日目には手はずが整っていたので、レオナルドの名は本当に強烈なのだと解る。
病院や役所が神の名をいただく教会になっているように、郵便局に似た役割の教会もあるのだが、日本の郵便局のように速さや精度は望めない。
同じ街の中であれば、使用人などを使って直接手紙を届けさせた方が早いぐらいだ。
バルトによって店へと届けられた私の手紙は、受け取ったそばから返事が用意されるほどに優遇されたのだとよくわかる。
お互いの都合をすり合わせる手紙の書き方を教わったはずなのだが、やはり私からの手紙はほぼ強制的な呼び出し状でしかなかったようだ。
……これだったら、余裕持った日付指定にした方がよかったかもね?
狙いとは少しどころではなく外れた結果に反省していると、居間へと案内されてきた商人の中にペトロナの姿を見つけた。
「あれ? ペトロナちゃん?」
「お久しぶりです、ティナお嬢様」
メンヒシュミ教会で見かけた時のような気軽さなど微塵も滲ませず、ペトロナは商人とそれを呼びつけた客として礼をとる。
居住まいを正したその姿勢に、ペトロナが私の友人としてではなく、商人として館に来ているのだと自覚させられた。
……そういえば、最近は『ティナちゃん』だったのが『ティナお嬢様』になってるや。
少しだけむず痒い気分でペトロナを見つめていたら、店の女主であるペトロナの母親に挨拶をされた。
「本日は私どもの商会を城主の館へお招きいただき、真にありがとうございます。こちらは
母親の紹介に続いて、ペトロナが改めて自己紹介をする。
綺麗な所作で礼をとれるペトロナは、私なんかより余程躾けの行き届いたお嬢様だと思う。
「娘のペトロナはお嬢様とはメンヒシュミ教会で交流があり、親しくしていただいたと聞いております。そんなお嬢様であれば、娘の多少の粗相もお目こぼしいただけるのではと思い、まだ教育が行き届いてはおりませんが、本日は同席をさせました」
……つまりは、私がヘルミーネ先生に習ってお買い物をするのと同じですね。
ペトロナも家業を継ぐための修行として、母親の仕事に同行させられているのだろう。
もとから交友のある私相手であれば、多少の失敗もお目こぼしされる。
砦の主の家族など、本来は失敗など絶対に許されない相手のはずなのだが、友人関係にある私とペトロナであれば、次へ活かせばよい失敗として片付けられるだろう、と。
「わかりました。では、今日はお友だちのペトロナちゃんではなく、お仕事で館へ来ているペトロナとお呼びしますね」
ならば私も商人を呼びつけたお嬢様らしく振舞います、と宣言したら、澄ましていたはずのペトロナが吹き出して、母親に脇を小突かれた。
私の方へは肉体的な制裁はなにもなかったが、ヘルミーネの笑みが深くなっている。
声に出さなくともわかる。
そういうことは思っていても言わなくてよろしい、という顔だ。
「……では、早速糸を見せてくださいな」
「本日はどのような糸をご希望でしょう」
互いに吹き出して保護者からの制裁を受けないよう、腹に力を入れて微笑み合う。
メンヒシュミ教会では私も多少どころではなくくだけた言葉を使っていたので、改めた口調でペトロナと会話をするというのは、なかなか滑稽な気分だ。
糸を買うだけの予定だったのだが、なぜか腹筋が鍛えられたと思う。
長さを揃えて同じ種類の糸を何本も注文するのが、商人たちには不思議に思えたようだ。
なんに使うのかと丁寧な言葉遣いで聞かれたので、自分で
ボビンレースはオレリアがある物で道具を代用したりして、自力で作ってきたものなので、専用の道具というものはない。
最初からボビンレースで使うような糸巻に巻かれた糸などないので、糸巻へは自分で糸を巻くしかなかった。
ところが用途を話したところ、糸の納品時には糸巻に巻いた状態で納めてくれると女主は言い始める。
砦の主の妹に、そのような手間をかけさせるわけにはいかない、と。
「……ご親切は嬉しいのですが、糸巻の大きさが少し普通のものとは違うのです」
転がして糸を手で織るのだ、と手振りを交えて糸巻の形状を伝える。
一般的な糸巻はレオナルドの拳大もあって大きすぎるし、少量の糸を買う場合には糸巻本体などなく糸だけの場合が多い。
ボビンレースで使うような握りやすく、動かしやすい小ささの糸巻など、簡単には用意できなかった。
私が今使っているものも、糸巻ではない。
円柱の棒を短く切ったものへと糸を巻きつけて使っていた。
……オレリアさんの糸巻は特注かな? 変わった形をしてるんだけど。
ワイヤック谷に引き籠って時間が有り余っていたオレリアには、道具を特注する時間も余裕もお金もあった。
その最たるものが、遺品として届けられたレースやレース織りの道具たちだろう。
オレリアの使っていた糸巻は、スポイトか短くした指揮棒のようは形状をしていた。
本来はこれも
ちゃんと私の黒猫の財布を預けてあったのだが、バルトが出してきた財布はレオナルドのものだった。
近頃は刺繍の仕事のお給金もあるし、とまだお小遣いは残っていたはずなのだが、今日のお買い物はレオナルドが出してくれるようだ。
母親からお金の計算と扱いをペトロナが教わっている間に、注文とは別に買った糸をサリーサに自室へと片付けてもらう。
自室へと行くついでに、レースのリボンを持ってきてくれるように頼んだ。
「これは……以前お嬢様が使っていたものとデザインが違うようですが……」
「あのレースをくださった方に、作り方を教わったのです」
サリーサが取ってきてくれたレースを三本テーブルへと並べ、ペトロナに見せる。
お洒落や可愛いものが大好きなペトロナは、これまでは私が身に付けている時にしか見ることができなかったボビンレースの登場に目を輝かせた。
オレリアの作ったリボンと比べれば格段に劣る仕上がりではあるが、それでもこれはボビンレースだ。
普通のレース編みより、よほど精緻な作りをしている。
「まだ簡単な模様しか織れませんけど、同じ物をいくつか作ったので……一本はペトロナに贈ります」
「あ、ありがとうございます……っ」
どうぞ、と幾何学模様のリボンを差し出すと、ペトロナは嬉しそうに受け取ってくれた。
少し短めのリボンではあるが、髪を飾るには十分な長さがある。
「もう一本はエルケに贈りたいと思っているのですが……」
今は謹慎中で届けに行くことができない、と冗談めかして正直に話す。
街へ出なくとも買い物をする方法として館へ商人を呼んだが、ペトロナが来たのはどう考えてもレオナルドやヘルミーネが気を遣ってくれたのだろう。
謹慎という体裁を崩さずに、同年代の友人を館へと呼んでくれたのだ。
「では、私がお嬢様の代わりにお届けしましょう」
「お願いしても大丈夫かしら?」
「お任せください。彼女の店と私の店は同じ通りに面しておりますから、今日中にでもお届けできます」
互いに澄ました顔でこんな会話を続け、最後に耐えられなくなって少しだけ声に出して笑う。
淑女として、商人としては言葉を直す練習中なのだが、お互いに素のしゃべり方を知っているため、どうにもおかしな気分になってきた。
「……あの、ティナお嬢様。リボンは三本あるようでしたが、ミルシェにも渡すご予定ですか?」
「わたくしの気持ち的には、女の子のお友だち三人に渡したいとは思っていますが、兄に止められました。その……」
収穫祭で不審な男に追い回されたことを挙げ、ミルシェへは渡さない方がいいと判断した話をする。
ペトロナも同じ心配をして、ミルシェにも渡すのかと聞いてきたらしい。
レオナルドに指摘された内容を伝えると、ホッとしたように顔を綻ばせた。
「ですから、ミルシェにはお仕事中に使えるように、新しいエプロンを作ろうと思っています」
「それがいいと思いますわ。ティナお嬢様のリボンより糸の質は落とされていますけど、ミルシェの家の辺りでは目立ってしまいそうですもの」
この場合の『目立つ』は『悪目立ち』だ。
ミルシェの服装とリボンの質に差があるし、またおかしな商人の目にでも留まってミルシェが狙われるようなことになっては困ってしまう。
ほかの二人にだけリボンを渡してミルシェにはなにもないというのも、友人関係に差をつけるようで嫌だが、だからといって公平に同じものを贈ってミルシェを危険に晒したくはなかった。
……でもリボンがエプロンになった経緯はちゃんと説明するよ。ミルシェちゃんが大人になって、あの家から出れたら、改めてリボンをあげてもいいし。
エルケに渡す予定のリボンを預け、最後の一本はサリーサに片付けてもらう。
リボンを受け取ったサリーサは、かわりにオレリアの糸巻を差し出してきた。
……なんで糸巻?
意図が解らなかったのは私だけだ。
ペトロナはすぐにサリーサの持ってきた糸巻に気づき、こちらを覗き込んでくる。
「それが先ほど仰っていた少し形の変わった糸巻ですか?」
「ええ。この糸巻を使って糸を織るの」
少し見せていただいてもよろしいでしょうか、とペトロナの母親が近づいて来た頃になって、ようやくサリーサの意図が私にも解った。
同じか似たような物を作れ、と注文する流れなのだろう。
そしてその完成した糸巻に、注文した糸を巻いて納品せよ、ということかもしれない。
……結構むちゃ振りだと思うんだけど、いいのかな?
ちらりとヘルミーネの顔を見てみるのだが、特に変化はない。
糸巻を持った私の手を隠せとも、逆に商人たちに命じろとも言い出す様子はなかった。
「先ほどティナお嬢様は、作り方を教わった、と仰っていましたが……」
「ええ、ですから練習中です」
ようやく作れるようになったのが先ほどのリボンだ、と言いながら、糸巻を持ってレースを織る所作を見せてみる。
糸の質が変わると仕上がりも難易度も上がるので、そのために今回良い糸を求めたのだ、とも。
「ボビンレースが市場に出るようになれば、わたくしも普段から使えるようになると思うのですが、少し難しそうです」
道具を揃える初期費用と、練習にかかる時間、その費用。
次に商品を作るための材料費と、作業に費やす膨大な時間と集中力。
それらを考えると庶民が気軽にできる手仕事にはなりそうになく、使用人に身の回りの世話のすべてを任せられる富裕層の人間が趣味で作るぐらいでしか作れそうはない、という問題点を話して聞かせた。
実現できたとしても、やはり貴族や富豪しか買うことのできない高級品になるはずだ。
庶民に作らせて、庶民にでも買える値段にまで落ちないことには、普段から使うことはできないだろう。
自分の子どもや孫に引き継がせ、本気で何十年と時間をかけて広げていくしかない、と締めくくれば、ペトロナの瞳はキラキラと輝いていた。
「あの、お嬢様! 私がレース織りを教わりたいと言ったら……教えていただけるのでしょうか?」
「教えますよ。ペトロナが自分の子どもや孫に伝えてくれたら、私が一人で広げようとする倍の早さで広がることになりますから」
……あと、ペトロナちゃんのお母さん。目が光ったの、見逃しませんでしたよ。
単純に考えれば、ペトロナの母にとってこれは一つのビジネスチャンスなのだろう。
私には商売に関するコネもノウハウもないが、商家であるペトロナの家であれば商売として形にすることができるのかもしれない。
私一人でボビンレースを広げることを考えるよりも、商売人に任せてしまった方が形になる可能性がある。
近いうちに王都へ出かけるかもしれないので、すぐに教えることはできないかもしれない。
そう話を締めくくり、本日の買い物は終了した。
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