第4話 お嬢様のおかいもの 1
今のところいつ王都への呼び出しが来るかは判らなかったので、刺繍の仕事は控えるしかない。
私の予定が立たなくて新しく仕事が請けられなくなり、先に受けていた刺繍を終わらせてしまうと、途端に退屈を感じるようになった。
できた時間をそのままボビンレースに費やしていたら、さすがに少し飽きてしまう。
……でも、ようやくこれなら売り物になるかな? ってぐらい綺麗には織れるようになってきた気がする。
もうオレリアに評価をしてもらうことはできないので、厳しい審美眼を持つヘルミーネに評価してもらうしかない。
ヘルミーネから『よくできている』と評価がもらえれば、少し難しい図案に挑戦してみよう。
……こっちは一度解いて、糸についた癖をとったら再利用かな。
はじめの頃に作った雑多な色が使われたリボンを少しだけ解いてみる。
やはり糸に癖がついているが、解けないことはなさそうだった。
ただし、無数の糸を帯状に織り込んだものなので、本気で解こうとすれば恐ろしく根気のいる作業になるだろう。
……練習用の記念ってことで、これはこのままにした方がいいかな?
そもそもが、解いて再利用することが難しいからこそ、練習用には安い糸を、とオレリアは言ったのかもしれない。
つくづく庶民が手を出すのは難しい手工芸である。
引き続きの謹慎中に、短めのリボンが三本完成した。
一本目ができた時に『これなら売り物にもなるだろう』と思ってヘルミーネに見せたのだが、心持ち二本目、三本目の方が綺麗に織れている気がする。
……今のところ富裕層にしか作れなさそうってことは、裕福なご家庭の人に少しずつ関心を持たせればいいのかな?
流行は上から下へと広がるものだと聞いたことがある。
庶民は上流階級に憧れて彼等の間で流行っているものを取り入れたがるが、逆はないと。
上流階級の人間が庶民の流行に憧れて、その真似をすることはありえないらしい。
……私の知人で、上流階級の女の子っていうと……バシリアちゃん?
バシリアは庶子とはいえ、ラガレットの領主の娘だ。
上流階級の人間と言っても間違いはないだろう。
……バシリアちゃんに使ってもらうんなら、もっと良い糸じゃないとだめだよね。
練習用の一番安い糸や、難易度を上げようと少しだけ良い糸にした物では、貴族であるバシリアが身に纏うには足りない。
一番上等な糸でなければ。
……とりあえず、一番身近なところから広めていこう。
レオナルドにおねだりすれば上質な糸ぐらいいくらでも買ってくれる気がするが、まだまだ趣味の範囲の物だ。
自分のお金で賄える範囲でだけやるべきだろう。
……私の知人で裕福なご家庭の子となると……?
バシリアの次に思い浮かんだのは、エルケとペトロナだった。
二人とも貴族ではないが、裕福な商家の娘だ。
とくにペトロナの方はお洒落に関心がある女の子だ。
ボビンレースを勧めてみれば、食いついてくれるかもしれない。
うまくペトロナがボビンレースを覚えてくれれば、その子ども、孫へも受け継がれて行くかもしれないし、商人の観点から商品にする知恵を貸してくれる可能性もある。
……打算塗れなのが申し訳ない気がするけど、ペトロナに会いに行こう。
そう結論を出して、そろそろ謹慎は解けるかと夕食の席でレオナルドに確認してみた。
レオナルドは食事の手を止めて少し考える素振りを見せると、困ったような笑みを浮かべて、やんわりと私の申し出を却下する。
「なんでダメですか?」
「言葉遣い、戻ってるぞ」
指摘され、淑女らしい言葉遣いに直してもう一度聞いてみた。
なぜまだ謹慎が解けないのか、と。
かれこれひと月以上は謹慎をしているはずだ。
さすがにそろそろ解けてもいいはずである。
「謹慎はティナへの罰なんだから、不満が出るぐらいで丁度いいだろ」
そもそも私は外出をあまりしないので、謹慎という罰はあまり効果がない。
ようやく謹慎を解いてほしい、と私が言い出したことで、やっと謹慎が罰としての効果を発し始めたぐらいだ、とレオナルドは続けた。
「……わたくしに対しては謹慎が罰になどならないと、やっと気がつかれたのですか?」
「いや、実は結構前から気がついてはいた。ティナは俺の子どもの頃とは違って、自分の意思ではあんまり外へ遊びに出ないからな」
「では、なぜ謹慎を?」
「……なにか罰を、と考えて思いつくのがこれしかなかった」
レオナルドが孤児院やヴィループ砦で受けた罰の中には、反省室や懲罰房へと入れられるというものもあったらしいのだが、要点だけを挙げるのならどちらも謹慎と同じだ。
一室に閉じ込められて、外へ出ることができない。
私の場合は謹慎の範囲が館であったため、それほど不自由は感じていないが、腕白だったらしい少年時代のレオナルドが一室へと閉じ込められるのは、苦痛以外の何物でもなかっただろう。
「わたくしに罰としての痛苦を与えたいとおっしゃるのなら、謹慎とは逆に刺繍などの室内遊びを禁じて外遊びを強制する、などでしょうか?」
想像しただけでも疲れるが、まず間違いなくこんな罰だったら私も苦痛を感じていたと思う。
勉強も嫌いではないし、本を読むのも、刺繍をするのも好きだ。
少年レオナルドとは違い、室内で静かに過ごすことは私にとっては苦でもなんでもなかった。
外で遊べ、と命じられる方が辛い。
「外で遊べ、は罰でもなんでもないだろ」
「好み……というか、個性の違いですね」
悪戯小僧だったというレオナルドと、時々悪戯をしたり、レオナルドの足を蹴ったりとするお転婆娘ではあるが、基本的には室内で過ごすことを好む私では、まず性格が違う。
レオナルドが苦痛に感じることでも、私にとっては苦痛でもなんでもなかったのと同じことだ。
「……ティナはどこへ出かけたいんだ?」
王都へ行く用の服はすでに仕立屋に頼んである。
私が出かける用事などないはずだ、とレオナルドは食事を再開した。
謹慎を解くことについては却下されたが、事情を
「そろそろボビンレースの難易度を上げてみたいと思いまして、少し良い糸が必要になりました。街へ出るついでに、久しぶりにお友だちに会って、できたリボンをプレゼントしたいとも考えています」
ボビンレースをどうにか商品として流通させられないものかと考えて、富裕層から少しずつ広めることを考えた、とまだ思いつきでしかない話も加えて話しておく。
私一人でいきなり広めることは不可能なので、まずはお友だちの輪から少しずつ土台を作ってはいけないものか、と。
「リボンの現物で興味を引くのはいい手だと思うが……そのリボンは、ミルシェにもあげるのか?」
「本音を言えばミルシェちゃんにも贈りたいです。でも、わたくしが付けていてもおかしな商人に付き纏われることになりましたから、ミルシェちゃんには避けた方がいいとも思っています」
私には
あれは私だったからこそ、しつこい付き纏いだけで終わったのだと思う。
常に保護者や護衛といった大人の目に見守られている私とは違い、誰の目もないミルシェが同じ目に合えば、強引にリボンを奪われるか、下手をすれば殺されてしまうかもしれない。
そんな危険があると想像がつくのに、同じ友だちだからとミルシェにリボンを贈ることは躊躇われた。
「ティナのその判断は、おそらく正解だ」
レオナルドも似たようなことを危惧していたのだろう。
ミルシェにリボンを贈るのは避けた方がいい、と考えている私の言葉にホッと緊張を緩めた。
「……ミルシェには仕事用のエプロンでも作って、ティナの得意な刺繍でも入れてやればいいだろう」
「わかりました。ミルシェちゃんにはリボンよりエプロンですね」
では、エプロン用の布を手に入れるためにも外出許可を、と誘導してみたのだが、珍しくもレオナルドの答えは変わらない。
重ねられたレオナルドの「却下」という言葉に、つい頬を膨らませて睨んでしまった。
「ハルトマン女史に淑女らしい買い物の仕方を習うといい」
「淑女らしい買い物と言うと……館へ商人を呼ぶのですか?」
今は白銀の騎士が聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の警備中で、館へはあまり
商人とはいえ、あまり無関係な人間を館へと呼ぶのは避けた方がいいだろう、と。
「買い物は一階の居間で行なって、二階へは上げなければいいだろう」
なんだったらアルフを同席させてもいいが、ヘルミーネが淑女教育の一環として監督してくれるだろうから心配はない、とレオナルドは続ける。
どうやらこれは謹慎の名を借りた、私への淑女教育の一環らしい。
監督役の家庭教師がいる間に、少しでも多く場数を踏ませてくれようとしているのかもしれなかった。
館へ商人を呼んでの注文、は以前にも一度したことがある。
刺繍絵画の糸を用意する際に、カリーサが手芸屋の主人と連絡を取って館へと呼んでくれた。
今回も館へ商人を呼ぶことから始めなければならない。
幸いなことに、商人を館へ呼んでの買い物はレオナルドが提案したことなので、改めて許可を取る必要はなかった。
「本来ならば主人であるティナさんはただ使用人に命じるだけでいいのですが、今回はティナさんの学習のためでもありますからね。手紙で呼び出す方法をお教えいたしましょう」
ヘルミーネの説明によると、普通は使用人に命じておくだけで終わることらしい。
命じられた使用人が商人と調整を行い、主人の都合のいい日に合わせて商人が館へと呼び出されることになるのだとか。
……お嬢様のお買い物って、平民な私にはつらいです、ヘルミーネ先生。
オレリアやジェミヤンへ手紙を出す時のように、手紙の内容をまずヘルミーネへと相談して決めるのだが、一つ決めるたびにダメだしをいただいてしまった。
商人にも都合があるだろう、と日付は商人の都合に合わせたいと言えば、それでは商人に舐められると叱責をいただき、ならばと私の都合がいい日付を示そうとすれば、私の場合はただの断れない日付指定である、と教えられる。
メンヒシュミ教会でも指摘されたが、レオナルドの妹として私の言葉にはある程度の理不尽な強制力があるのだ。
それらに気をつけつつ、商人の都合も受け入れたく、かつ淑女として毅然とした態度で、と散々に注意をされてなんとか手紙を書き上げる。
最後に手紙をヘルミーネに確認してもらい、ペトロナの家へと届けてもらうためにバルトへと手紙を渡せばひとまず授業は終了だ。
「お行儀の授業よりも疲れました」
文面の匙加減が難しい、と頭を抱えていたら、サリーサがプリンを運んできてくれた。
頭を散々悩ませたあとに、甘いプリンは有難すぎて涙がでてくる。
軽い頭痛を感じながらもスプーンでプリンを頂いていると、本来なら商人を呼び出す手紙ですらも使用人に任せるものだとサリーサが教えてくれた。
……お嬢様は自分からは動かない、って本当だね。
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