第3話 分厚い手紙

 ……工場生産じゃない服って、時間がかかるね。


 チクチクと仕事の刺繍を縫い取りながら、前世との違いを考える。

 前世では刺繍すら機械ミシンでできていたのだが、今生のこの世界は違う。

 襟元や袖口にワンポイントでも刺繍を入れたいと思ったら、すべて手作業で行うしかない。

 対価を払って仕立屋で刺繍してもらうという方法もあるが、それだって最終的には人の手による手縫いである。

 ミシンで縫うようなスピードで作ることは不可能だ。


 ……だからって、夏にもなっていないのに秋の刺繍、っていうのも変な気分。


 今縫っている刺繍は、収穫祭にお洒落として着る予定の服らしい。

 ボレロの前身ごろへと、秋の花々を縫い取ってほしいという注文だ。

 揃いでスカートも作っているらしいのだが、そちらの刺繍はまた別の人のところへと仕事に出されていた。

 私のところへと回ってくる仕事は、まだ小さなものばかりだ。


 ……でも、これが終わったらしばらくはお仕事貰ってこない方がいいかもね?


 話の途中でアルフレッドが王都へととんぼ返りすることになってしまったが、私には王都への出頭命令が出ているらしい。

 出かけるのがいつになるのかは判らないが、仕事である以上は予定が立たないものには手を出さない方がいいだろう。


 時折手を止めて、糸の流れを撫でては仕上がりを確認する。

 近頃はボビンレースの練習をしている時間が増えたが、やはり刺繍は楽しい。

 楽しいのだが。


 ……一生の仕事にするのは、少し辛いかな。


 今のように副業や内職といった形で少しずつ引き受けるぐらいが丁度良い気がする。

 スカートのような大きなものへの刺繍を、仕事として納期に合わせて作業するのは私には少し難しい。


 ……ボビンレースも商品にできるぐらい腕を上げたら、仕立屋や雑貨屋で買ってくれるかな? や、でもその前に広げないと飾りとして市場に出ないか。


 体感として、織り方を知ったからといってすぐに商品レベルの物が作れるようにはならないし、作業道具を揃えるのも大変だ。

 一つの作品を仕上げるのにも時間がかかるし、とてもではないが庶民の仕事には向かないだろう。

 職人として向いているのは庶民ではなく、比較的生活に余裕のある富豪層かもしれない。

 道具を揃えられて、商品がお金に換わるまでの長時間飢えずにいられる人間、と考えて私に思い浮かぶのはそのぐらいだ。


 ……あとは仕事と考えずに趣味で作って、できたものをお金に替えるだけ、ぐらいの気軽さで作れる人?


 いずれにせよ、生活に余裕のある人間しかボビンレースを作ることはできないだろう。

 庶民が一から道具を集めて作るには資金面での敷居が高すぎる。


 ……工場で機械編みはできないけど、工房を作って道具を用意する資金力があったらできるかな? あと職人を育てる費用とか、材料費。


 ざっくりと考えてみても、私にどうにかできるものではない。

 ボビンレースをこの世界に根付かせようと思ったら、私の子どもや孫に引き継がせていくぐらいしか、私にはできそうになかった。


 ……そう簡単に新しい物が広がるわけないしね?


 私が生きている間は、私とカリーサが少しずつ作っていくしかなさそうだ。


 そんなことを考えながら作業を続けていると、サリーサがラガレットのジェミヤンから手紙が届いた、と手紙を持ってきた。

 手紙と聞いて想像する厚さとはかけ離れた、分厚い封筒だ。


「……本当にジェミヤン様からですね。バシリアちゃんからなら解るのですが」


 封筒の記名を確認して、間違いなく記されていたジェミヤンの名前に少しだけ首を傾げる。

 娘のバシリアからならば、ほとんど文通状態に近いのでわかるのだが、ジェミヤンから分厚い手紙が届くとは思いもしなかった。


「ジェミヤン様に預けられたという、絵画についてではありませんか?」


「そうですね。あれはレオナルドさんへの誕生日プレゼントですから、返送の打ち合わせかもしれませんね」


 レオナルドの誕生日は春の終わりだ。

 手紙でのやり取りになるので、早めに手紙が届くのは当然かもしれない。







 裁縫箱の片付けをサリーサに任せ、早速手紙の封を開く。

 分厚い封筒の中身は綺麗にたたまれてはいるが、何枚もの便箋の束だ。

 まさか、紙だけでここまで厚い手紙を書く人間がいるとは思いもしなかった。


 ……ほのかに良い匂いがつけられてるんだけど。


 センス良く紋章が配置されたシンプルな便箋に、きっちりとした筆跡で文字が綴られている。

 ほのかに香る匂いも嫌味がないもので、ヘルミーネにでも見せれば貴族の書く手紙として満点評価をいただくことだろう。


 ……そうは思うんだけど、いろいろ残念に感じるのはなんでだろう。


 一つひとつはセンス溢れる上品な手紙なのだが、綴られた内容はくだんの刺繍絵画に対する感想だった。

 過ぎる芸術作品への情熱が、綴られた文字の一節、一節に込められている。


 ……とりあえず、ジェミヤン様的には高評価みたいだね。ちょっとホッとした。


 基本に忠実な季節の挨拶から始まった手紙は、刺繍絵画への感想に移ると熱のこもったものへと変わった。

 文字は変わらず整っているのだが、とにかく文面から発せられているかのような熱を感じる。


 ジェミヤンはまず、色使いに驚いたらしい。

 前世でも美術の時間に少し絵を描いた程度の私に、人体へ正確な陰影を付けることなどできるはずはなく、そこは慣れ親しんだ漫画的な陰影の強い色のつけ方を取りいれた。

 強弱がはっきりと現れ、結果として筋肉の盛り上がり等の肉感的なものがかなり強調されることになった。

 そして、陰影に強弱をつけたうえに、光の表現を頑張っている。

 美術の成績は普通だったが、美麗なCGが手軽に見れる環境には、そのメイキングを公開している人もいた。

 前世ではそれらを読むだけの人間だったが、今生では知識として活かさせていただく。

 ピンク色で影を塗ると色っぽくなるというのも、それらメイキングからの受け売りだ。


 刺繍での手作業というアナログすぎるCG表現ではあったが、目の肥えたジェミヤンから見ても珍しいできだったのだろう。

 ドット絵の要領で入れたグラデーションや、実験的に全体へ混ぜたピンクの糸など、こだわった部分一つひとつに対しての感想が綴られていて、少しどころではなく嬉しい。


 ……や、嬉しいけどね? よく見てくれてるな、って。


 とはいえ、さすがにこの手紙の厚さはちょっと引く。

 嬉しいが、申し訳ないが、少し引く。

 それほどまでに厚くて熱い感想だ。


 ……そしてやっぱり、画廊に飾っちゃったんだね。


 手紙には画廊での反応や評判についても、詳細に書かれていた。

 自宅で楽しんでくれと同封の手紙には書いたのだが、やはりジェミヤンは画廊へと飾って楽しんでいるらしい。

 一般には開放していない画廊の一室へ飾って個人で楽しむのなら解るのだが、誰でも見ることのできる区画に、一室をわざわざあの絵画用に整えて飾ってくれているとのことだった。


 ジェミヤン以外からの反応としては「新しい色使い」「なぜか惹かれるものがある」「目が離せない」というものが多い。

 刺繍絵画を買い取りたいという申し出も多いようだが、贈り物用を期間限定で飾っている、と説明してすべて断ってくれているらしい。

 ならば同じものを作ってくれ、という熱心なご婦人もいる、という部分は、複製品を作れないか? という問いかけだろうか。


 ……あんなピンクな絵画、買い取ってなんに使うつもりだろ?


 部屋へ飾るには、ピンクすぎて部屋が如何わしくなること請け合いである。

 そんなピンクな絵画だったが、私としてはレオナルドへの悪戯という以上の意味は一ミリもない。


 ……画廊へ日参する女性が増えたって、やりすぎたかな?


 ちょっとした悪戯心だったのだが、レオナルドは本人の知らないところで女性ファンを大量に作っているようだ。

 次にレオナルドがラガレットの街へと立ち寄った際に、少し騒ぎが起きるかもしれない。


 ……下絵を描いてくれた人は、少し元気になったみたいでよかった。


 まだ以前のようには自由に筆を動かすことができないが、下絵を描いてくれた画家の少年も、刺繍絵画の仕上がりには満足をしてくれたようだ。

 色使いが面白いと刺激になったようで、なによりである。


 ……こっちは完全に注文だね。


 画家の少年に下絵を描かせるので、新しく刺繍絵画を頼まれてはくれないか、と深読みする必要もないほどに直球での打診が書かれている。

 花の女神メンヒリヤをモチーフに、描いてほしい女性がいる、と。


 ……刺繍で絵画はまたやりたいとは思っているけど、会ったこともない人をモデルにして、ジェミヤン様の期待通りの物が作れるとは思えないしなぁ?







 ジェミヤンからの手紙は検閲なしに私の元へと届けられたが、私からジェミヤンへの手紙はレオナルドの検閲が必要となる。

 一度外へと情報を洩らした前科があるため、当然の処置だと思う。


 ヘルミーネに相談しつつ書いた返事を、最終確認としてレオナルドへと渡す。

 レオナルドが文面を確認するのを待ちながら、少し気になっていたことを聞いてみた。


「そういえば、レオナルドさん。王都への出頭命令が出ている、ってアルフレッド様が言ってりゃっしゃ……言っていらっしゃいましたけど」


 私はどうしたらいいのだろう、と聞いてみる。

 出頭命令が出ているとは聞いたが、いつ行けばいいだとか、誰を訪ねてどこへ来いだとかの指示はまったく聞いていない。

 飛び込んで来たオレリアの訃報に、アルフレッドがとんぼ返りしてしまったからだ。


「……あれは『いずれ呼び出されることになるから、心の準備をしておけ』ぐらいの話だ。今すぐにどうこうという話じゃない」


 王都にはレオナルドの館がないので、私が王都へ滞在するには部屋の準備などを整える時間がかかるのだ、と教えてくれた。

 それらの準備ができたら、改めて正式な迎えが来るだろう、とも。


「迎えが来るまで、待っているだけでいいのですか?」


「王都へ行くのだから、普段より良い仕立ての服を作るぐらい、か?」


 ふむ、と少しだけ考える素振りをして、レオナルドの口から出てきたのは『服を作れ』だった。

 これはあとでヘルミーネとアルフに相談した方がいい気がする。

 レオナルドだから『服を作れ』で終わる話なのか、本当に『着替えだけ持って』行けばいいのか。


「……どんな服を作ったらいいのでしょう?」


「まず間違いなく王族に会うことになるはずだから、正装だな。……一般的には女性はドレスを着ている」


 ……一般的に、の前に少し間があったのは、噂の『一般的』ではない王女様でも思いだしたのかな。


 以前貴族の服装について聞いた時に、何番目の王女かは忘れたが、ほぼ裸で王城を闊歩していると聞いた気がする。

 この国には正装や平服といった区切りは一応あるようだが、本人に似合っていればそれでいいとばかりに、ライトノベルのヒロインや主人公のようなキテレツな服装をした若者などがいたりもするが、誰もコスプレだなどといって遠巻きに見たりはしない。

 そこにあってあたり前の顔で通り過ぎていくのだ。


 ……そんな常識が浸透している国なのに、件の王女様は異質と認識されている、と。


 さすがに裸はまずいらしい。


 仕立てる正装のデザインは私の好みで決めていい、と言われて少し困ってしまう。

 私個人としてはシンプルなものを好むが、さすがに王様に会うかもしれないのにシンプルすぎるものはまずい気がした。

 今回ばかりは、レオナルドの好みで仕立てていただきたい。


 使う布の質や縫い目にも気を使え、といくつかの仕立屋を紹介される。

 遠回しに一緒に来てはくれないのか、と聞いてみたところ、服装については私の自主性に任せるという話になっただろう、と不思議そうな顔をされてしまった。


 ……それは確かに言ったけど! 正装なんて自分で作ったことないから、一緒に来てほしいのっ!


 季節ごとに一度は行っている仕立屋ではあるが、人見知りの私に一人で服を注文して来い、というのは少々無理があると主張したい。

 見たとおりの精神年齢ではないかもしれないが、それでもやっぱりまだ子どもなのだ。

 保護者が一緒に行ってくれるだけでも心強いということはある。


 ぷくっと封印したはずの頬を膨らませると、私が不満を感じている、とようやくレオナルドにも通じたようだった。

 私をなだめ始めたレオナルドから、なんとか無事に同行の言質をもぎ取る。


「……もしかして、王都へも一人で行けって言いますか?」


 仕立屋へ一人で行けというのだから、王都へも一人前の大人扱いで一人で行けと言われるのだろうか。

 さすがに迎えが来るとは聞いていても、一人で遠くへなんて行きたくはない。


「さすがの俺でもグルノールの街中にある仕立屋と、馬車で何週間もかかる王都へ行くのを同じだとは思っていないぞ」


 グルノールの街のことはアルフに任せて、一緒に行くから安心していい、と太鼓判を押される。

 仕立屋へ一人で行くことを渋ったあとなので、私が一人で行動することに不安を感じている、ということにもすぐに気がついてくれたようだ。

 一緒に行く、というはっきりとした断言を貰い、ホッと肩の力を抜く。


「……サリーサも一緒ですか?」


「いや、ティナの身の回りの世話をしてくれる人間はほしいが……子守女中ナースメイドはどうだろう」


 子どもの守役としては必要だが、本来王城は子どもが入り込む場所ではない。

 そのため、子守女中が同伴しなければならない子どもなど、王城へ呼ばれることはない。

 私の場合は、日本人の転生者だと知られているので、見た目はともかく中身はある程度大人だと思われている可能性もある。

 となれば、ますます子守女中など必要はない。


「ハルトマン女史に同行を頼んではみるが、サリーサは館に残したいと思っている」


 サリーサは私の子守女中として雇われているが、私の世話をしていない時間は館の仕事を手伝っている。

 レオナルドと私が出かけていても、館の中にはまだ世話が必要な白銀の騎士もジャスパーもいるのだ。

 人手は減らさない方がいい。


「ヘルミーネ先生は、ついて来てもらってもいいんですか?」


「ハルトマン女史は家庭教師だからな」


 明らかに礼儀作法が必要になる場所へ子どもを連れて行くのに、その礼儀を教える教師を同行させてなにが悪い、とレオナルドは言う。

 ヘルミーネを連れて行ける大義名分があるのはいいのだが、もしかしたら私の身の回りの世話までヘルミーネにさせるつもりなのだろうか。

 それを指摘したら、移動中の身の回りの世話については、迎えにすべて揃っているだろう、と言われた。

 向こうから来いといって迎えを寄越すのだから、当然何不自由なく旅程を過ごせる準備がされているはずだ、と。


「……出頭命令って、そんなものなんですか?」


「出頭命令といっても、ティナの場合は王城から客人扱いで迎えにくるからな。それぐらいは当然だ」


「お客さま、なんですか?」


 あれ? 情報漏えいからの犯罪者として出頭命令が出ているのではないのだろうか、と首を捻る。

 日本人の転生者と面通しをしたいとは聞いているが、用件としては私の情報漏えいしかないだろう。


「アルフレッド様も面通しだと言っていただろ。おそらくだが、給金を出すからニホン語を読む仕事についてくれ、という話だと思うぞ」


 ……就職の面接みたいなものかな?


 王都への出頭命令と聞いていたので、なんとなく怖いことを想像していたが、それほど構える必要はないようだ。

 気分よく働いてもらう必要があるとも聞いていたので、本当にそれほど酷い目には合わないのだろう。


「……日本語を読むぐらいはいいですけど、レオナルドさんと離れたくないですよ?」


 すでに家族と認識しているので、引き離されたくはない。

 そう思ってジッとレオナルドの顔を見上げると、レオナルドはすぐに引き締められたが一瞬だけ相好を崩した。


「俺の家で仕事をしたい、とちゃんと断ればいい。護衛ぐらいは付けられるかもしれないが、ティナの希望はある程度叶えられるはずだ」


 安心したか? と頭の上に大きな手が載せられ、少し気恥ずかしくなって顔を逸らす。

 珍しくも私の気持ちを正しく察してくれていたので、恥かしいながらも「安心しました」と素直に答えた。

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