第6章 老英雄の失せもの探し

第1話 絶賛引きこもり中

 急使の運んできたオレリアの訃報を持って、アルフレッドは王都へととんぼ返りすることになった。

 てっきりアルフの顔を見るまでは帰らない、とかなんとか滞在期間を可能な限り延ばすのではないかと思っていたので、少し意外だ。

 一緒にいると引っ張りまわされて疲れる王子さまなのだが、やはり王爵の位を頂いているだけはある。

 本当に意外すぎて何度でも言うが、公私をわけた行動が取れるとは思ってもみなかった。


 ……それだけ、オレリアさんの訃報が大事おおごと、ってことだね。


 私でも簡単に想像できる範囲では、ついに聖人ユウタ・ヒラガの秘術が失われてしまったか、というぐらいなのだが、レオナルドたち黒騎士の動きが急に忙しそうになったことは判る。

 セドヴァラ教会に所属するオレリアは、イヴィジア王国の騎士である黒騎士が見張っていたので、私には見えないことがいろいろあるのだろう。


 ……秘術が途絶えた影響、か。


 伝令のために館へやって来る黒騎士の数が増え、しばらくはレオナルドも館で引き続き仕事をしていたのだが、ついには館の警備の人数を増やしてグルノール砦へと仕事場を戻すことになった。

 こんな時なのに傍にいてやれなくて悪い、とレオナルドから一言だけ謝罪があったのは、一応の進歩だろうか。

 これまでは、そんなことに気づきもしなかった。

 それなので、私も転生者であるとはバレていることだし、と開き直って「普通の子どもとは少し違うので大丈夫ですよ」とレオナルドを砦へと送り出す。

 寂しくても悲しくても、普通の子どもとは違うのだから、一人で留守番ぐらいできる。

 それに、本当に一人きりというわけではないのだ。

 家族はレオナルドだけだが、家庭教師であるヘルミーネも、子守女中ナースメイドのサリーサも、バルトとタビサもいる。


 ……パウラさんとバルバラさんは、どのぐらい秘術を受け継げたのかな?


 薬師くすし経験のあるバルバラは粉を作ることすらダメだしを受けていたが、パウラは素人ゆえに物覚えがいいという評価だったはずだ。

 二人合わせれば、少しぐらいなにか受け継いでいたりはしないものだろうか。


 ……でも、このぐらいはすぐにセドヴァラ教会が確認するよね?


 なんといっても、薬に関する情報だ。

 オレリアのことは取り返しがつかないが、まず真っ先に確認をしたい事柄のはずである。


 ……わかりやすく、すぐに出る影響はない、はず。


 オレリアは普段からワイヤック谷に引き籠っていた。

 そのため、往診をする薬師とは違って固定の患者はいない。

 さらに言うのなら、オレリアは作った薬をセドヴァラ教会へと運んでいたため、すぐに薬が手に入らなくなることもないはずだ。


 ……でも、すぐじゃなくても、確実に影響が出てくるね。


 レオナルドが館で仕事をしている間は同じ部屋で過ごしていたのだが、レオナルドが砦へと行ってしまうと私は自室へと戻った。

 三階にあるレオナルドが用意してくれた私の部屋は、広すぎてなんとも落ちつかない。

 今の私は巨大な熊のぬいぐるみに背中を預けていても、不安と寂しさが湧いてくるのだ。


 ……そのわりに、全然泣けてこないんだけどね。


 オレリアのことが大好きだったが、涙の一筋も出てこない自分は薄情なのだと思う。

 少し考えてみても、今生の両親が死んだ時ですら私は泣けなかった。

 両親の死についてようやく泣けたのは、半年以上過ぎてからだ。


 ……麻痺、してるのかな?


 大好きだった人たちの死。

 それについて、涙の一筋も流れない。

 悲しくて、寂しくて、胸の中はモヤモヤとした物がいっぱいに詰まっているのだが、それでも涙が出てこないのだ。

 これはもう、感覚が麻痺しているのだとしか思えない。


 結局、三階の自室は落ちつかないので、と春になったことだしと屋根裏部屋で過ごすことにした。

 ヘルミーネの授業がある時間は三階へ移動するが、それ以外の時間はほとんど屋根裏部屋に籠って糸巻ボビンを転がした。

 ひたすら無心にボビンレースだけをやっていたおかげか、オレリアに教わった一番簡単な幾何学模様はもう完璧にできるようになった気がする。


 ……そういえば、前にも屋根裏に籠りたいって思ったことあったな。


 あれはたしか、グルノールの街へ来て最初の冬だった。

 昨年は生きていたメイユ村の人間が、今年は自分しか生きていない、と急に思いついて寂しくなったのだ。

 その少し前からホームシックにかかっていたことも影響していたと思う。


 ……あの時はレオナルドさんが鍵を持っていて、屋根裏部屋には籠れなかったんだよね。


 メイユ村の家に似た素朴な雰囲気の屋根裏部屋に入ったら、二度と出たくなくなる気がした。

 メイユ村での両親との思い出に引きずられて、部屋に閉じ籠ってしまうのではないか、と。


 鍵をレオナルドが持っていたために前回は籠れなかった屋根裏部屋だったが、今回は自分から入ってしまった。

 しかも、私を部屋から引きずり出すはずのレオナルドは砦へと出向いている。


 ……ちょっと安心するからいるだけだから。引き籠ったりしないから。


 そう何度も自分に言い聞かせながら、コロン、コロンと糸巻を転がす。

 狭くてホッとする屋根裏部屋でのレース織りだったが、なぜかヘルミーネには不評だ。







「また子ども返りですか。少しは落ち着いてください」


 今日の授業は終わったはずなのだが、気がつけば部屋の中にヘルミーネがいた。

 レース織りから顔をあげ、声の聞こえた方へと顔を向ければ、ヘルミーネは腰に手を当てて少々お説教モードだ。

 授業中でも、淑女らしからぬ行動をしているわけでもないのに、だ。


「……わたしは子どもですよ、ヘルミーネ先生」


「存じております。わたくしが言いたいのはそういうことではなく、少し落ち着くことも覚えてください、ということです」


「落ち着く、ですか?」


 はて、なんのことだろう、と首を傾げる。

 少々お転婆なのは認めるが、十歳児としては十分におとなしい方だと自負していた。

 落ち着きがない、とお説教されるのは少しだけ納得できない。


「十歳になったら改める、とご自分で宣言なされたことが、夏のお兄様との喧嘩で振り出しに戻り、近頃になってまたようやく淑女らしい振る舞いが取れるようになってきたかと思っていたら……」


 オレリアの訃報を聞いて、屋根裏部屋へと引き籠ってしまった、とヘルミーネは言う。

 三階の自室ならまだ目こぼしもできるが、引き籠る場所として屋根裏部屋を選択したことが、ヘルミーネに危機感を抱かせてしまったようだ。

 これはすぐに復活できないほどに重症である、と。


「近しい方を亡くされて悲しむのは解ります。人として素直な心の発露でしょう。ですが、いつまでも塞ぎ込んでいられては困ります」


 感情の切り替えを覚えなさい、と言うヘルミーネの顔は、授業中の物だ。

 どうやら今日は授業時間外にもかかわらず、授業をしてくれるらしい。


「アルフレッド様もオレリア様の訃報に動揺なさっているはずですが、普段と変わらずに振舞われていますよ」


「アルフさんは大人ですよ。わたしはまだ子どもなんですから、すぐに気持ちの切り替えなんてしなくてもいいじゃないですか」


 ヘルミーネはアルフレッドもアルフも『アルフレッド様』と呼ぶため、一瞬王子の方のアルフレッドのことが頭に浮かんだが、オレリアの訃報で動揺する『アルフレッド』といえばアルフの方だ。

 王子のアルフレッドも動揺してはいたが、あれは敬愛している人物の訃報を聞いた動揺というよりも、為政者の物だった。

 オレリアの訃報に一瞬だけ動揺もしていたが、すぐに自分がとるべき行動を導き出していたし、それを実行するためにも王都へと帰っている。


「私も最初はそう考えて待っていましたが、一向いっこうに改善する様子が見られないので、少しばかり淑女らしからぬお節介をすることにしました」


「……お節介、ですか?」


「気がついていないのですか? ティナさんの食事の量が減った、口数が減った、ほとんど屋根裏部屋に引き籠っている、庭にも出てこない……そう言って館の使用人たちが心配していますよ」


 レオナルドが不在の間は私が館の主なのだから、使用人に不安を与えてはいけない。

 使用人に心配されるような不出来な主ではいけない。

 そんな内容をクドクドと注意されるが、余計な装飾を取ってしまえば、単純に「悲しむことは否定しないが、早く元気になって安心させてくれ」とヘルミーネは言っているのだ。

 それが解ったので、私の頭にも素直にヘルミーネの言葉が浸み込んでくる。


 ……たしかに、いつまでも引き籠ってレースを織っていても、なんにもならないしね。


 どさくさに紛れて細かい話を詰めることはできなかったが、アルフレッドからは王都への出頭命令をいただいていた。

 いつまでも落ち込んで、引き籠ってばかりもいられない。

 どこかで区切りをつけて、私も日常へと戻っていかなければ。


 ……一緒に暮らそうってことになってたけど、まだ一緒には暮らしてないからね。


 グルノールの街でこれまで通りに生活していくのなら、オレリアのいない生活はこれまでとなにも変わらない。

 変わるはずだったものが、変わらなくなっただけだ。

 少しどころではなく悲しいが、そう割り切るしかない。


「では、時間外ですが授業を行ないます」


「はい、先生」


 姿勢を正したヘルミーネに、つられて糸巻から手を離す。

 こちらも姿勢を正せば、屋根裏部屋でのヘルミーネの授業はすぐに始まった。







「……では、さまざまな出来事のやり過ごし方をお教えいたします」


 淑女たるもの、上位者からどんな理不尽な言葉を浴びせかけられ、被害を受けても、その場で怒りをあらわにしたり、涙を見せたりしてはいけない場というものがある。

 そんな時にそれらの激情をやり過ごす方法として、思考を切り分けるように、とヘルミーネは言う。

 感情とは別に、己の現状を客観視しろ、と。


「先ほども言いましたが、悲しむことは悪いことではありません。祖母のように慕っていた方がお亡くなりになったのですから、悲しむのは自然なことです」


 だからと言って、悲しみにとらわれてその他のことが疎かになってはいけない。

 今回の私を例にするのなら、食事の量や口数が減り、使用人に心配をかけてしまっていた。

 それも、普段であれば私が自分で気づき、改善策を相談に来るまで待つヘルミーネが、自ら屋根裏部屋へと乗り込んでくるぐらいには重症だ。


「……わたしに、そんな難しそうなことができるでしょうか?」


 私の思考回路は、どちらかと言うとシンプルな構造をしていると思う。

 胸が悲しみでいっぱいな時に、自分を客観視なんてできるようになる気はしない。


「普段はできているのですから、慣れれば技術として身につけられるでしょう」


「……普段からって、そんな難しそうなことをしているつもりはありませんが?」


「では無意識なのでしょうね」


 普段の私は十歳児にしては、というレベルの話だが、感情の制御を首の皮一枚というラインで行なえているらしい。

 大概の理不尽には限界ギリギリまで我慢することができているし、不測の事態に陥って取り乱すこともあるが、パニックに陥る程ではなく、すぐに持ち直して落ち着きを取り戻すことができる。

 ヘルミーネが誉めてくれているのは判るのだが、聞けば聞くほどに居た堪れない気分になってきた。


 ……それ、たぶん中身が日本人の転生者だからです。


 普通の子どもよりかは人生経験があるため、感情制御ができているように見えるのだろう。

 ヘルミーネの見ていない場所では、私は結構お転婆もしている。

 私の実体を知れば、ヘルミーネもとてもではないが歳の割には感情制御ができている、などとは言えないだろう。


 ……でも、ホントに?


 ヘルミーネが自分から私を慰めに来てくれたのだ、ということは解った。

 仕事でずっと私の傍にはいられないレオナルドや、主従として一線を引くべき使用人にはできないことだ。

 家族でも使用人でもない家庭教師ヘルミーネだからこそ、できることでもある。


 ……元気、出さないとな。


 本当にささやかな思考の変化ではあったが、素直にそう思った。

 早く元気にならなければならない。

 いつまでもサリーサたちに心配をかけるわけにはいかない、と。


 ……感情と現状の客観視、だっけ?


 ヘルミーネの説明によると、客観視というよりは行動を感情から切り離せ、という内容だ。

 多少的外れである自覚はあるが、思考は無なのに、手は延々と糸巻を転がしていた現状はまさにこれと近い気がする。

 ただ私が取るべき行動が、淑女の振る舞いか、糸巻を転がしているかの差だけだ。


 ……感情はどうあれ、淑女としての振る舞いを心がける、と。


 とりあえず、一番簡単にできそうなことから始めようと思う。

 まずは、出された食事を残さず食べる。

 それだけでもタビサとサリーサは安心してくれるだろう。


 オレリアのことは悲しいが、少しずつ元の生活に戻らなくてはならない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る