第71話 再会と別離

 どさくさ紛れに『自分は日本人の記憶をもった転生者である』と告げたのだが、私の生活は特に変わらなかった。

 てっきり王都へ売られたり、早速とばかりに日本語の研究資料を読まされたりするのかとも思っていたのだが、なにもない。


 ……まあ、冷静に考えてみたら、レオナルドさんはお金に困ってないしね?


 日本人の転生者は高く売れるそうなのだが、レオナルドはそもそも稼ぎがいいのでお金には困っていない。

 子どもを売る必要など、最初からなかったのだ。


 ただ、揉み消す方向で決定したとはいえ、私がしたことは許されることではない。

 罰として、一ヶ月間の謹慎をアルフから申し渡されている。


 ……ちゃんと罰を用意してくれるところが、レオナルドさんより兄っぽいよね、アルフさん。


 謹慎を告げられた時に、そう思ったままを伝えたところ、レオナルドが拗ねた。

 俺の方が兄なのに、と。

 しかし、人買いに来た男を兄と簡単に慕えるはずがない、との理解は得ているので、本当に少し拗ねただけで終わった。

 すぐに思考を切り替えて、一から信頼関係を築き直していけばいい、と苦笑いを浮かべる顔をカッコいいと思ったのは秘密だ。


 一ヶ月間の謹慎というのは、実に微妙なところだった。

 もとから街へ出かけて遊ぶような活発な性格はしていないので、謹慎そのものは苦でもなんでもない。

 館の中には暇を潰せる本がたくさんあったし、趣味は刺繍で、最近はボビンレースの練習もしている。

 外へはレオナルドに連れ出されでもしない限り出かけること自体が少ないのだ。


 ……オレリアさんが最初に教えてくれた幾何学模様が織れるようになったけど、採点してほしいかも。


 手紙に同封しようか、街へ出てくるのを待とうか、微妙なところだ。

 まだ手紙で部屋の希望等を聞いている段階なので、すぐにオレリアが来るわけではない。

 返事が来ることを思えば、手紙に同封して採点してもらう方が早いだろう。


 ……や、でもオレリアさん基準でちゃんとできてたら、直接褒めてほしいしなぁ?


 手紙越しで褒められるよりも、あの皺のある手で頭を撫でて褒めてもらえる方が嬉しい。

 褒められることは大前提だ。

 自分でも呆れるほど基本の織り方を練習したので、これでまだダメだというのなら、一度オレリアの指導を受け直したい。


 仕事の刺繍を一つ終わらせて、裁縫箱に針と糸を片付ける。

 今日は午後からサリーサが料理を教えてくれる予定だ。


 ……カリーサのお菓子も美味しかったけど、サリーサはお菓子もお料理も美味しい。


 マンデーズの館では個人の嗜好で仕事を割り振っていたようだが、だからといって彼女たちに致命的な不得手があるわけではない。

 どれも完璧に仕事ができる腕をもち、その上で好みの仕事をしていたのだ。


 ……そういえば、刃物を使う料理が許されたってのが、変化といえば変化かな?


 レオナルドに自分が日本人の転生者である、と告げて以降の僅かな変化がこれだ。

 これまでは危ないから、と禁じられていた包丁等の刃物を持つことが許された。

 もちろん、レオナルド以外の館の人間は私が転生者だなんて知らないので、刃物を使う時は補助に手が添えられていたりするのだが、それでも進歩は進歩だろう。


「おいで、ティナ」


「なんですか?」


 刃物を使う許可は下りたが、今日はとりあえずお菓子作りを教えてくれるというサリーサと一緒に小麦粉の分量を量っていたら、台所の入り口からレオナルドが顔を覗かせて私を手招く。

 なんだろうと思いながら素直に近づくと、レオナルドは巻物状に巻かれた布を差し出してきた。


「……くれるんですか?」


「ああ。見てごらん」


 見ていいと促され、巻物を開く。

 開かれた布は端がポケット状に縫い合わされていて、その一つひとつのポケットには小さなサイズの包丁や泡だて器といった調理器具が入っていた。


「これって……」


「料理を覚えたい、と言っていただろ? さすがにまだ大人用の包丁は危ないから、ティナには子ども用だ」


 子ども用とはいえ、使う時には必ずサリーサやタビサといった大人を立ち合わせるように、と続くレオナルドの言葉を最後まで聞かずに、その腰に力いっぱい抱きつく。

 感謝と喜びを伝えたくてハグをしたのだが、僅かにレオナルドが硬直し、すぐに何事もなかったかのように私の頭へと大きな手が添えられる。


 ……これも、変化かな?


 以前は私がハグをすれば、レオナルドも普通に抱きしめ返してくれていたのだが、転生者と告げて以降は妙にレオナルドが緊張するようになった。

 転生者であろうが、犯罪者であろうが、家族で妹だと言ってくれて嬉しかったのだが、レオナルドの反応が微妙に変わったのはなぜだろう。

 数日もすれば元に戻るかと思っていたのだが、一週間以上経っているというのに、レオナルドの緊張が消えることはなかった。


「……レオナルドさんは、最近わたしが抱きつくと緊張しますね」


 ヘンテコな妹が嫌になりましたか? とくっついたまま見上げると、困ったような顔をしたレオナルドは一度私の頭を撫でたあと、腰を落として耳元へと顔を近づける。


 ……内緒話?


 レオナルドの家の中で、内緒話など必要なのだろうか? とは少し思ったが、作業台の前にはサリーサがいて、私が台から離れてもお菓子作りの材料を用意し続けていてくれた。

 サリーサに聞かれたくない話であれば、館の主といえども内緒話は必要かもしれない。


「転生者、ということは……見たとおりの年齢ではない、のだろう?」


 少し言い難そうに、レオナルドが言い始めたのはこんなことだった。


 転生者とは、前の人生の記憶をもった人間のことだ。

 ということは、今は十歳の私も、中身は成熟した大人なのではないか。

 大人びた子どもということも、それなら納得ができる。

 だがそう考えてしまったら、これまでのように子どもとして扱ってよいのか、大人として扱うべきなのか悩んでしまい、困っている、と。


 ……私的には今さらすぎるよ! それっ!


 出会って早々にオレリアの家の風呂で服を脱がされそうになったり、一緒に風呂へ入ろうと言われたり、同じベッドで寝たりと、中身が成人経験ありの女性としてはいろいろ思うことがありすぎた。

 が、すべて過去のことである。

 最終的には諦めて子どもの振りをすることにしたし、その成果か最近では自分が前世で成人した精神を持っているだなんて自負はどこかへと消えた。

 十歳であることになんの疑問も、抵抗も覚えなくなっているのだ。

 今さら中身が成熟した大人かもしれないからといって、大人扱いされるのは少し困ってしまう。


 内心で渦巻く罵倒をやり過ごし、内緒話をしてくるレオナルドの耳へと、私も両手でレオナルドの耳をおおった。

 コソコソとお話をするなどと、こんな子どもらしい仕草をさせておいて、今さら大人もなにもないだろう。


「……見たとおりの年齢じゃないと思いますけど、そんなに離れてもいないと思います」


 十歳児の精神かと問われれば、もう少しだけ年長な気がするが、完全に大人の精神をしているとは思わない。

 以前は大人だと自負していたのだが、本当に不思議なことに、今の自分を子どもだと受け入れていた。


「ちゃんと子どもなので、保護者あににはハグしたいし、頭を撫でられるのも嬉しいですよ」


 だから愛情を持って撫でてください、と頭を差し出すと、レオナルドの体から緊張が抜ける。

 どうやら本当に、この数日私への振る舞いをこれまでと同じで子ども扱いをするか、大人扱いをするべきかで悩んでいたらしい。


「……少しだけ大人びた子ども、ぐらいの扱いでいいんだな」


「子どもだと聞いても、まだ刃物の扱いを許してくれますか?」


 大人かもしれないと思ったから刃物の扱いを許したのなら、やはり子どもであると宣言すれば、まだ刃物の扱いは早いと考えが変わることもあるだろう。

 念のため、と巻物を差し出してレオナルドを見上げると、レオナルドは持ち上げた手で巻物を取り上げるのではなく、私の頭を撫でてくれた。


「俺の妹なら危ない使い方はしない、と信頼している」


 ちゃんとサリーサやタビサの言うことを聞くんだぞ、と私に言い聞かせるレオナルドからは、気負いも緊張も完全に抜けていた。







 私から見ればレオナルドのここ数日の態度は『緊張していた』となるのだが、ヘルミーネからはまた違って見えたらしい。

 私への接し方が変わった、ということは共通認識だったが、ヘルミーネから見たレオナルドは完全な被保護者への扱いから、少し大人扱いになったように感じたようだ。


 ……料理を覚えたいって要求がすんなり通ったけど、そのぐらいにしか思わなかったよ。


 ヘルミーネとしては、このレオナルドの態度が変わったことを利用して、もう少し私に淑女の振る舞いを身に付けさせたいとのことだった。

 完全な甘やかしモードがなくなったのだから、それを利用して淑女らしい兄妹の距離感を構築していこう、と。


 私が日本人の転生者だという話は、レオナルドとアルフの間でだけ情報が共有された。

 そのため、ほかの人間の態度はこれまでとなにも変わらない十歳のレオナルドの妹に対するものだ。

 もしかしたら外で見張りに立っていたというジャン=ジャックにも話を聞かれているかもしれないが、体と心の年齢が一致しないだなどという絶好のいじり要素についてジャン=ジャックがなにも言ってこないのはおかしいと思う。

 やはりなにも聞こえてはいなかったのかもしれない。


 サリーサを三羽烏亭へとお遣いに出すだけで終わった春華祭が過ぎると、いよいよオレリアとの手紙のやり取りが増えてきた。

 オレリアのための部屋を整えるために、好みの色や家具などの調度品についても連絡を取って用意する。

 部屋を整えることは淑女の必須技能でもあるらしく、ヘルミーネが実施研修とばかりに張り切って相談にのってくれた。

 内装工が壁紙を張り替える様子を覗いていたら、職人の監督は使用人の仕事であり、指示を出す淑女の役目ではないと叱られてしまった。

 職人たちは「子どもはこういう作業を見たがるものだ」と笑っていたが、いつまでも子どもと同じ振る舞いでは困る、というのがヘルミーネの主張だ。

 淑女を目指したいわけではないが、レオナルドの妹としてはヘルミーネの言葉の方が正しいと判るので、監督はバルトに任せた。


 オレリアの方は、引越し作業の一環として弟子たちに薬草園の管理方法を叩き込んでいるらしい。

 そう、引越しだ。


 ……オレリアさんから移住するって断言いただきましたっ!


 最初は旅行扱いで少し滞在するかもしれない、という話だったのだが、何度も手紙のやり取りをするうちにオレリアが切れた。

 手紙がまどろっこしい、と。

 直接話した方が早い、と。

 こうなれば、あとは簡単に話が進んだ。

 あれよあれよと言う間にアルフが体裁を整えて、私がオレリアへと手紙を書く。

 最終的にはセドヴァラ教会の後押しもあって、引越しという大勝利を得た。


 二人の弟子については、オレリアの移動に合わせてまずバルバラが街に来て薬術を学び、バルバラが育てば薬草園の管理をパウラと交代して薬術を学びに来ることになっている。

 バルバラとオレリアは意志の疎通が上手くいかないことが多いのだが、そこは私が間に入って通訳することを望まれていた。


 ……あれ?


 そろそろ次の返事が来るだろうか。

 私の謹慎期間が終わる頃、なかなかオレリアからの返事が来なくなった。

 オレリアのことだから、もう直ぐ引っ越すのだから、と返事を書くことを面倒に思い始めたということも有りうる。


 返事がないのは元気な証拠、とのんびり構えていたら、王都からアルフレッドが手紙を携えてやって来た。


「やっぱり転生者だったんじゃないか」


 応接室へと呼ばれた私の顔を見ての第一声がこれだった。

 口調こそ呆れを含んだものだったが、特に騙されたと怒っている様子はない。

 差し出された手紙を受け取ろうとしたら、手紙で軽くチョップをされたぐらいだ。

 全然痛くはないのだが、これがアルフレッドなりの意趣返しだったのだろう。

 以前『転生者だろう』と指摘された時には、レオナルドを誘導して『転生者ではない』と騙したことに違いはない。


「おまえのやらかしについては不問にする、という決定を正式に国王陛下からいただいてきた」


 渡された手紙に封はされているのだが、内容をなぜかアルフレッドが口頭で述べる。

 手紙の意味はあるのだろうか、と私が思っていると、同じくアルフレッドを出迎えたレオナルドがなんとも複雑そうな顔をした。


「しかし、ティナがしたことは……」


「ティナのしたことを公にすれば、アルフレッドの名に傷がつく」


 すっと表情を引き締めたアルフレッドに、無意識に背筋を伸ばす。

 私でもなんとなく背筋を伸ばしてしまったのだから、アルフレッドを主筋としている騎士のレオナルドには効果覿面だった。

 不正を見逃すことに対してわだかまりがあるはずのレオナルドから、綺麗に迷いが消えている。


 ……アルフレッドの名に傷がつく、って、そういえば最初に写本を見ていいって言ったのアルフレッド様だったしね?


 それはたしかに、私の罪を公にして細かく調べあげればアルフレッドも不利を被るかもしれない。

 だとすればアルフが提案したように、なかったこととして揉み消すのが周囲への影響が一番少なくていいことなのだろう。


「その代わり、ティナへは王都への出頭命令がでているぞ」


「……うわぁ。行きたくないです」


「素直は美徳だが、この呼び出しは受けておけ。一度日本人の転生者と面通しをしておきたいそうだ」


 もちろん保護者であるレオナルドにも出頭命令が出ている、と言われてしまえば、さすがにもう嫌だとは言えなくなった。

 レオナルドが呼び出される原因は、まず間違いなく私なのだ。

 私だけ逃げるわけにはいかない。


「それから、これは内々な話なんだが……よくあのオレリアを口説き落としたな! 誉めてやろう。その功績をもって、今回の成立すらしていない犯罪については本当に不問だ」


 サリーサが綺麗に編みこんでくれた髪がぐちゃぐちゃになるほど頭を撫でられ、アルフレッドはご満悦といった表情でそう宣言した。

 どうやら本当に、オレリアに救われたようだ。

 ホッとすればいいのか、オレリアに対して申し訳なく思えばいいのか判らずにいると、玄関の方が騒がしくなった。


 ……なんだろう?


 玄関を騒がせそうな人物アルフレッドならすでに応接室の中にいる。

 彼以上に場を騒がせそうな人間に心当たりがなく、なんとなく耳を澄ませていたら忙しい足音がこちらへと向って来た。

 王子アルフレッドが訪問中だというのに、先触れもノックもなしに応接室の扉が開かれる。

 扉を開いたのは、門番のパールだった。


「レストハム騎士団から急使が砦に来ました!」


 ぐるりと室内を見渡すパールの視界に、長椅子の背もたれのせいか私は入らなかったようだ。

 アルフレッドとレオナルドと目が合って一度動きが止まったのだが、私に対してはスルーだ。


「ワイヤック谷の魔女が、亡くなったそうです!」

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