閑話:オレリア視点 小さな友人
ざっと思い返しても、
決して幸せとは言えない人生ではあったが、長く生きた世界とはまったく違う場所に生れ落ちた。
目が見えるようになった頃まず思ったことは、今日はハロウィンだったのかしら? ということだ。
もしくはハロウィンを待ちきれない町の住人が、何日も前から仮装をしているのだろう、と思った。
飾り気の少ない質素な服を着た周囲の人間に、中世の仮装をしていると思ったのだ。
けれど、何日が過ぎてもハロウィンはおとずれず、住民たちの服装も変わらなかった。
それが今生では当たり前の服装なのだと理解した頃、私は転生者だと家族にばれて親の手で売られた。
転生者ということは隠した方がいいと、悟る前に今生の両親に裏切られたのだ。
売られた先では異世界からの転生者である、と最初こそ期待をされていたようだったが、英語が解る程度であると判明すると扱いは悪くなった。
英語などすでに学問としてまとめられるほどに研究されつくしたものであり、新しい知識でもなんでもない、と。
日本人とまでは高望みをしないが、せめてドイツ語でも読めれば使い道があるのにとも言われた。
英語が話せるだけの転生者など、とんだハズレを掴まされたものだ、と。
私は前世でろくに教育を受けていなかったので、これといって役立つ知識を持ってはいなかった。
多少の菓子作りはできたが、それだって誰かに誇れるほどのものではない。
……まあ、頭が空っぽだったおかげで、物を覚える容量はたくさんあったようだけど。
ろくな学を修めてこなかった私には、余計な知識がないだけ頭に物を覚える余裕が人より多く空いていたようだ。
薬術について素人だったというのも、よかったのかもしれない。
私の軽い頭で、セドヴァラ教会の薬術を貪欲に吸収してやろうと思った。
聖人ユウタ・ヒラガが残した
それらを完璧に守らなければ、薬を作ったつもりで人体に害を及ぼす毒を作っていることがある。
ゆえに賢女や賢者と呼ばれる完璧に薬術を受け継いだ者は少なく、けれど私がまだ少女と呼ばれる年齢の頃には三人ほど技術を受け継いだ者たちがいた。
そのうち一人を師と仰ぎ、薬術を学ぶ。
時には手を叩かれたり、杖で殴られたりと厳しい師ではあったが、そのぶん教えは正確で、日によって言うことが変わるということもない。
四角四面な師ではあったが、そのような性質の者でもなければ口伝で薬術を受け継いでもこられなかったのだろう。
人間は慣れてくると、どうしてもどこかで手を抜くことを考える。
聖人ユウタ・ヒラガの薬術は、その油断が命取りになるほど精密だ。
ほんの少し手順が狂うだけでも薬が毒に変わってしまう。
最初の師からすべてを受け継ぐと、セドヴァラ教会の賢女は四人となった。
賢女が一人増えたことにセドヴァラ教会は喜んだが、私はそれで満足はしなかった。
最初の師の元ではいくつか失われていた薬術を求め、他二人の賢女にも師事したのだ。
結果として、一人ひとりの間では欠けてしまった記憶を繋ぎ合わせ、失われていた薬の処方箋を三つ復活させることができたのは幸運だったと思う。
私はそのお陰で『ハズレの転生者』から『疎かには扱えない賢女』となったのだ。
三人の賢女から知識を修め、失われた処方箋まで復活させる私は、次第にセドヴァラ教会内で地位と発言権を得た。
セドヴァラ教会内において、私に逆らえる者がいなくなったのだ。
ならば、と私は最初の師が管理していたワイヤック谷にある薬草園の管理者の座を望んだ。
師はすでに老齢であったため後継者は必要であったし、谷へこもれば煩わしい人付き合いからも解放されると思ったのだ。
ワイヤック谷にこもって師を看取り、一人きりになってせいせいした。
作り置きできる薬を作ってはセドヴァラ教会へと運ばせ、それに
時折セドヴァラ教会が弟子として
指導が厳しすぎる、というのが弟子たちの遺言だったが、私に言わせてみれば私の指導など甘い方だ。
私たちは薬師である。
少しのミスや慢心が、本来ならば救うはずの患者の命を奪う結果になるのだ。
弟子を鍛えるのに、甘やかしなど必要はない。
数多くの弟子が逃げ出し、自ら死の淵へと飛び込むのを見送った。
途中から私が賢女として物になったのは、薬師としての下地がなかったからだと気がつき、セドヴァラ教会へと進言もしている。
私が師の教えをすべて吸収できたのは、薬師としての学がなく、
いかに失われた聖人の薬術を復活させた賢女とはいえ、自分たちが使う言葉の読み書きもできない私に物を教わるということには、すでに薬師として活躍していた弟子たちには抵抗があったのだろう。
それは送られてくる弟子たちだけではなく、セドヴァラ教会も同じだった。
賢女様、と膝をついて教えを乞う相手であろうとも、セドヴァラ教会の医師や薬師の内心は大差ない。
読み書きもできぬ者、ハズレの転生者と侮り、私の言葉へ真摯に耳を傾けなかった。
結果として、送られてくる弟子の傾向は改善されず、新たな賢女が誕生することもなく先にいた二人の賢女が黄泉路を辿る。
聖人ユウタ・ヒラガの薬術を受け継ぐ賢女が私を残すのみとなったのは、間違いなく人災だ。
……まあ、私が死んで失われる程度のモノなら、その程度の物だった、ってことだね。
ほとんど反骨精神から学んだ薬術だったため、正直なところ廃れるのならば廃れればいいと思っている。
自分が師について学んだことから、弟子が送られてくれば薬術を伝える努力はするが、それだけだ。
積極的に残す努力をする気はない。
……転生者の持ち込んだ知識なんて、この未成熟な世界には過ぎた物なんだよ。
人が努力をしても失われていくということは、まだこの世界には異世界から持ち込まれた知識や技術が定着するだけの下地ができていないのだろう。
ある程度学べば誰にでも使いこなせるほどに単純で、手間の少ない処方箋しか残らない。
聖人ユウタ・ヒラガが作り上げた奇跡のような薬術は、単純なものだけを残していつかは失われる。
それが自分の代で終わるか、次代へと引き継がれるかの差だ。
……ま、必要があればまた聖人のような転生者が生まれるサ。
一から道具を作り、さまざまな動植物や鉱物の成分を調べ上げ、成分を組み上げて確かな効力のある薬を作り上げた聖人ユウタ・ヒラガのような鬼才と根気をもった存在が。
残念ながら、自分にはそんな才能はない。
あったのは、からっぽで物を詰め込む容量のある頭だけだ。
……私はなんのために転生者だなんて、妙な生まれをしたのかね。
異世界で生きた記憶など、なんの役にも立たなかった。
ただ、物心がつくかどうかも怪しい時に、私から今生の両親を引き離しただけだ。
転生者としての私は誰の役にもたたなかったが、師から受け継いだ薬術は役にたった。
私の処方する薬を求め、さまざまな身分の人間が私の足元に跪く。
どんな身分にいる、どこの誰がどうなろうとも構わなかったが、妊婦と幼子には弱かった。
この辺りは、今生の生い立ちの影響だと思われる。
幼い頃に売られたせいで、引き離された母親というものに憧れがあるのかもしれない。
いよいよ私まで老齢にさしかかり、遅々として物にならない弟子たちにセドヴァラ教会が慌てだしたのは滑稽でしかなかった。
そんな時に、ワイヤック谷へと黒髪の幼女がやってきた。
伝染病で両親を失ったという幼女は、黒騎士に連れられてしばし谷へと滞在することになる。
可愛らしい容姿をしたティナという幼女は、愉快なことにセドヴァラ教会が喉から手が出るほどに欲している日本人の転生者だった。
保護者であるはずのレオナルドはまるで気がついていなかったが、私にはすぐに判った。
「あい きゃん のっと すぴーく いんぐりっしゅ」
日本人特有のヘタクソな発音で、ティナはこう言った。
前向きに理解しようと努力してようやく英語かもしれない、と思える本当に下手な英語だ。
英語を実用レベルにまで叩き込まれるという黒騎士には、下手すぎて逆に理解できなかったのだろう。
自分以外の転生者など、生まれて初めて見た。
それも、セドヴァラ教会が欲しがっている日本人の転生者だ。
興味はあったが、長く一人で引き籠っていたせいで会話のきっかけを作る方法を忘れてしまっていた。
もう一人の転生者であるティナに話しかける言葉を見つけられず、しばらくは観察するだけの日々が続く。
が、どういう気まぐれかティナは勝手に自分を慕いだした。
おそらくは、両親を失ったばかりという時期が影響していたのだろう。
兄を自称する男が、早々にできたばかりの妹を放り出して街へと帰ったのも大きい。
いつの間にか勝手に私へ慣れていたティナは、あろうことか私の弟子になった方がいいかと言いはじめた。
直感的に、これは物になる子だということもわかった。
けれど、セドヴァラ教会を喜ばせるのが嫌だという理由だけで、私はこれを拒絶する。
建て前としては、年齢を理由にした。
ティナぐらいの年齢の時には、私はすでに最初の師につくことを選択していたのに、だ。
ワイヤック谷を出て街へと行けば、私のことなど忘れるだろう。
そう思っていたのだが、ティナはその後もなにかと私を気にかけてくれた。
融通の利かない堅物で知られるレオナルドを動かし、会いにも来てくれた。
……再会して早々、抱きついてきたのには驚いたね。
街へ行けば自分のことなど忘れるだろうと思っていた幼女は、私を忘れるどころか祖母かなにかのように変わらず慕ってくれていた。
それが嬉しかったのだと思う。
何度か手紙を貰ううちに、うっかり絆されてしまった。
ボビンレースを教えてやるから谷に遊びにおいで、と誘ってしまったのだ。
二度目に来た時に、実はグルノールの館で写本作業が進められている聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を盗み出してきていたのだと知らされたものだから、慌てて証拠となる手紙を燃やす。
間違いだらけの英語と、この世界の文字や漢字の混ざっためちゃくちゃで読めない手紙ではあったが、ティナが誰の手も介さずに私へと書いた手紙だ。
とても大切で、惜しくもあったのだが、ティナの犯した情報漏えいの証拠を残すわけにはいかないので燃やした。
……子どもはなにをしでかすかわからなくて怖い、ってのはあの子から学んだよ。
この歳になって、まだ学ぶことがあるとは思いもしなかった。
普段は聞き分けのいい子どもではあるのだが、まさか情報漏えいといった犯罪に手を染めるとは思わなかった。
子どもとはいえ、怖いもの知らずにもほどがある。
遠くから突然ティナに爆弾を投げ込まれるよりは、と街へ行くことを考えはじめた。
あとから突然とんでもない報告をされるよりは、近くで見張った方が安心だ、と。
それに、私が街へと行けば、それだけでティナの功績になる。
多少の罪など、相殺されるだろう。
……春になったら、この家ともお別れかねぇ?
街へ行くとは言ったが、引っ越すとは言っていない。
ただ最終的には、ティナ可愛さに長く住んだこの家を離れる気がしている。
……春になったら。
春になったら、引っ越すかもしれない。
あの小さな友人と一緒に、今生の人生をやり直すのも、いいかもしれない。
そう思っている。
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