閑話:レオナルド視点 俺の妹 15
話があるというティナに、場所変えを提案する。
馬車の中で話を聞こうとした時にはサリーサが近くにいることすら気にしていたので、他人の目はない方がいいだろう。
そう思って自室へと移動すると、ティナは用意した椅子へは座らず、俺を先に椅子へ座らせると、その膝の上へとお腹を乗せてきた。
いったいなんのつもりかと驚いていると、ティナは「怒られる準備は万端です!」と元気よく宣言する。
開き直ったティナは可愛いのだが、怒られると最初から判っている話というものが気になった。
そして、ティナの口から聞かされた話は、とてもではないが子どもの尻を叩いて終わらせられる内容ではない。
――情報漏えい。
――国宝級の研究資料。
――十歳の妹。
――情報伝達経路。
――警護をしていたはずの白銀の騎士。
――研究資料を見せた者。
あまりのことにすぐには事態が理解できず、瞬いている間にさまざまな単語が頭に浮かんでは消える。
ティナの口からもたらされた情報による波紋は、恐ろしく広範囲に及ぶものだと考えなくとも判った。
とりあえず牢屋だ、とまず真っ先に行うべきことだと判断できたのは、情報漏えいという罪を犯した
子どものしたこと、自分の妹のしたこととはいえ、洩らしてはならない情報を外へと洩らした罪は重い。
妹のしでかしたことなので、と自分も一緒に牢へと入ったら、ティナには驚かれた。
自分が悪い子だったので、俺が一緒に牢へ入る必要はない、と。
……ティナは悪い子じゃないぞ。
ただ少し、取った方法が不味かっただけだ。
やったことは褒められた行動ではなかったが、動機としては理解できなくもない。
内容を問わなければ、
ティナは自分を罰したいのか、ジャン=ジャックの持ってきたストーブにあたることを拒んだ。
不謹慎ではあったが、ストーブから距離を取ろうとジリジリ壁際を逃げるティナが子どもらしくて可愛い。
だからといって笑えば拗ねるだろうことは判るので、腹に力を入れて笑いを
最初のうちはストーブから距離を取ろうと逃げ回っていたティナだったが、やがて諦めたのかおとなしく俺の隣へと腰を下ろした。
……俺が騎士として正しくあれたのは、
ジャン=ジャックに呼んで来いと命じたアルフを待っている間に、ティナとポツポツと会話を交わす。
時折謝罪が混ざるティナの話を聞いているうちに、こんなことを考えた。
これまでの自分が正しくあれたのは、独りだったからだ、と。
家族がいなかったからこそ、公平であれたのだ。
……家族の罪は、つい庇いたくなる。
これまでも息子の罪を隠そうとした母親や、兄の罪を庇う弟など、さまざまな人間を見てきたが、そのたびに疑問ではあった。
なぜ明らかに罪を犯している者を庇い、匿うのかと。
下手をすれば自分も罪に問われるというのに、だ。
犯罪は白日の下に晒し、公正に裁くべきである。
それこそが次の犯罪を防ぎ、被害者の数を減らすことへと繋がるのだ。
家族だからといって犯罪者を庇うことは、許されることではない、と。
……妹ができて、加害者家族の気持ちが解るようになるとは思わなかったな。
それが許されない行いだという自覚はあるのだが、どうにかしてティナの罪を庇えないものかと頭の片隅で考えている。
そして、思い浮かんだ案に蓋をするのだ。
……妹の犯した罪を、兄だからといって隠すことはできない。
これまでもほかの家族に対してそうしてきたのだから、自分の妹だからといって特別扱いはできない。
罪は罪として、裁かなくては。
……そう思っていたんだがな。
ジャン=ジャックが呼んできたアルフは、俺の内心ぐらい察していそうなものだったのだが、いとも簡単にティナの罪は揉み消せると言いはじめた。
正確には揉み消すのではなく、オレリアに街への引越しを決意させた功績での相殺だ。
いかに功績を挙げていようとも、ティナがしたことは犯罪である。
揉み消しも相殺も受容できないと主張したのだが、アルフはティナの行いが犯罪であると認めた上で、洩らしたはずの情報がオレリア自身に伝わっていないと指摘し、成立していない犯罪行為など、なにもなかったのと変わらないと判断した。
ついでに、周囲への影響も考えろ、と。
……アルフの提案が最良だというのは判る。砦の主としても、ティナの兄としても。
しかし、だからといって犯罪の隠蔽など、やっていいことではない。
どう折り合いを付けていくべきかと考えながら、ティナになぜ聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の内容を洩らそうなどと思ったのか、と理由を聞いてみた。
ニホン語で書かれた研究資料など、丸写しにしたところで英語しか読めないオレリアが役立てられるわけがない。
それが判らないティナではないはずだ。
「……読めたからですよ」
少しだけ間があったが、ティナは俺の目を真っ直ぐに見て答えた。
ニホン語で書かれた研究資料の内容が読めたから、薬の処方箋だと理解できたのだと。
ワーズ病の治療薬だとわかったので、オレリアに伝えようとした、と。
ニホン語が読めると言い出したティナに、一瞬頭が真っ白になった。
妹だからと言って罪を隠蔽することはできない、とつい先ほどまで散々悩んだのが馬鹿らしくなってくる。
ニホン語が読めるというのが本当ならば、ティナは情報漏えいどころか、誰を何人殺しても罪に問われなくなるだろう。
ティナ自身がこれからの人生で人を殺めることがあったとしても、その人数はたかが知れている。
逆にティナが解読することになる聖人ユウタ・ヒラガの研究資料から復活する薬は、ティナの死後も何十年、何百年と人の命を救っていくだろう。
人の命など足し引きする物ではないが、ティナがニホン語を読むことで救う命の方が絶対的に多い。
ティナに対し、ニホン人の転生者なのかと確認をする。
以前ティナ自身から「自分は転生者であるらしい」と聞いてはいたのだが、その時は「前世の記憶などない」と答えていたはずだ。
それを含めて確認したところ、何回か前の人生でニホン人だったらしい、と答えられた。
……幼くとも女は女、か。
まさか自分がティナに騙されているとは考えもしなかった。
嘘ではない、何回か前のことなので前世ではなく前々世とかの話だ、といかにもな屁理屈までティナは言い始める。
……よくわからん大人の女に騙されるより傷つくな。
放置もするし、大事な時に真っ先に味方をすることができない頼りない兄ではあるが、それでも自分なりに大切に、可愛がってきた妹だ。
まさかその妹に騙されているとは思わなかった。
メイユ村の壊滅と共に死んでしまったと思われたニホン人の転生者が目の前にいたというのに、まるで嬉しくない。
……まあ、これでティナの罪はなかったことになったな。
オレリアを街へと引っ張り出した功績など関係なく、ティナ自身の持つ『ニホン語が読める転生者である』という価値が、罪人として裁くことを許さない。
極論ではあるが、ティナはもうなにをしても許されるのだ。
自分の管轄ではない。
そんな考えが一瞬だけ頭を過ぎったが、腰へと回されたティナの小さな手に、やはりこれは『ニホン人の転生者』の手ではなく『俺の妹』の手だと思った。
まだ十歳の、名付け親から託された俺の妹だ、と。
ぴったりと身を寄せてくるティナの頭に手を載せる。
ティナは一度だけ驚いたようにビクリと震えたが、すぐに俺の腰へと頬を寄せてきた。
「レオナルドさんは、日本人の転生者な私を売りますか?」
震える声でティナにそう問われ、ようやく気がついた。
今は妹に騙されていた、とのん気に打ちひしがれている場合ではない。
ティナがこれまでずっと内に秘めていたこと話してくれたのだ。
兄としてはそれを受け止め、受け入れるべきだろう。
「売るわけがないだろう。俺の妹だぞ」
親に売られた経験を持つ俺が、妹を売るわけがない。
売られる子どもの気持ちは、俺にだって解るのだ。
ガシッとティナの小さな頭を掴んで、少し乱暴に撫で回す。
さすがに叩き込むような真似はできないが、何度言えば俺が兄だと理解して受け入れてくれるのかと悲しくなった。
抱き上げたために見えたティナの目じりには、少しだけ涙が滲んでいた。
不安だったのだと思う。
自分がニホン人の転生者であると告げて、どこかへ売られてしまうのではないかと。
怯えもあったと思う。
ティナが転生者だと聞いてしまえば、警戒心の強さにも納得がいく。
メイユ村では、かつて子どもの転生者が売られてしまったことがある。
ティナはその転生者の両親と交流があったどころか、祖父母と孫のような関係だったと聞く。
人身売買に対して敏感にもなるだろう。
ニホン人の転生者は、この国では重宝される。
それほど酷い目には合わないはずだと話したはずだったが、ティナから自分がそうであると打ち明けてくれるまでに一年以上かかっていた。
途中に何度もティナの信頼を失うような真似をしてきたので、本当ならもっと早くにティナから打ち明けてくれていたかもしれない話だ。
出会いからやり直そう、と改めてティナに挨拶をする。
兄として頼りない自分だが、ティナの家族になりたいと。
そんな俺を、ティナは受け入れてくれた。
ヘンテコな妹だが、よろしく頼む、と。
「俺ぐらいズボラな兄には、前の記憶があるぐらい大人びたしっかりものの妹で丁度良いんだろう」
言いながら
嬉しそうに笑うティナが可愛かったのだが、ふと気づいてはいけないことに気がついてしまった。
……前世の記憶があるってことは、ティナの心は何歳なんだ?
下手をしたら自分より年上の女性である可能性がある。
そう気がついてしまったら、これまでの様々なことが思い浮かんだ。
実は妙齢の女性に対して、幼児にするのと同じような気軽さで触れているのではないだろうか、と。
……いや、待て。夏は裸で寝てるとこを見られているぞ。
その際には、掛け布一枚を纏った姿でティナを抱きしめてもいる。
……そういえば、ワイヤック谷ではティナに風呂の入り方を教えようとして服を脱がせたような?
あの時のティナは自分を『強姦魔』と呼んで拒否していた。
八歳の幼児の世話と思えば服を脱がせるぐらいはあるかもしれないが、それが実は妙齢の女性だったのならば、確かに自分は『強姦魔』と叫ばれても仕方がないことをしたのかもしれない。
ついでに言えば、あれはまだ出会ってからそう時間も経っていなかった。
俺はすでにティナを自分の妹だと思っていたが、利発なティナができたばかりの兄など他所の男としか思えなくても当然だと思う。
ろくに知りもしない図体ばかりはでかい男に服を脱がされるなど、恐怖体験以外のなにものでもなかったはずだ。
……娼館帰りに抱き上げると、香水が臭いと鼻を摘まんでいたが?
中身が妙齢の女性であれば、俺が女物の香水の香りを纏っていた理由など、察することができたかもしれない。
自分の兄がどこで、ナニをしてきたのかを。
「……っ!」
内心で思いだされる数々のティナとの思い出が、ティナを妙齢の女性に変換するといろいろ問題がありすぎた。
幼い妹に対してならば問題ない行為も、妙齢の女性相手ともなれば問題だらけだ。
思いだされるありとあらゆることに、腰の辺りが羞恥でむず痒い。
叫び声をあげて床を転がりまわりたい気がしたが、俺は妹を持つ兄であるという矜持にかけて内心に吹き荒れる嵐をやり過ごす。
……ティナが俺の妹だということは変わらないが、子ども扱いはやめた方がいいかもしれないな。
主に、自分の意識的な意味でのことだったが。
ティナをこれまで同様に子ども扱いはしない方がいいかもしれない。
ティナが子どもだと言うのなら子ども扱いのままでもいいか、中身が女性であるかもしれない可能性については常に頭に置いておくべきだろう。
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