第64話 ジャン=ジャックの帰還
アルフの根回しによるものだとは思うのだが、無事にセドヴァラ教会からのワイヤック谷への滞在許可がおりた。
薬術の弟子としてではなく、知人として扱われるので、途中で逃げ出した弟子たちとは違い滞在期間がすぎれば街へと戻ってくることができるという確約を取るのも忘れていない。
セドヴァラ教会としても、オレリアが自分の意思で他人を家へと招くことなどこれまでなかったことから、私がオレリアを口説き落とすことを期待してくれているのだとか。
オレリアもそろそろいい歳なので、せめて人里に移り住んでほしい、と。
そんな
長く留守にすることは確定しているので、春華祭用の刺繍はすべて終わらせた。
少し退屈になったが、オレリアがレース編みを教えてくれるというので、新しく刺繍の仕事を貰ってきたりはしない。
オレリアが手紙で教えてくれた材料や道具を少しずつ集めた。
「……今年は早めに出かけて、まず私をワイヤック谷へ送っていってくれて、そのあとレオナルドさんはメール城砦で神王祭。もう一度ワイヤック谷へ来て、カリーサを回収してマンデーズの街、ルグミラマ砦へ、と」
その後、ラガレットを経由してグルノールへ戻り、もう一度私を迎えにワイヤック谷まで来る、というのがレオナルドの旅程計画だ。
地図で場所を示しながら旅程を教えてくれるのだが、ぐるりと円を描くような移動計画だった。
ざっくりと見て、国土の四分の一ぐらいを冬の間だけで移動する感じだろうか。
これを毎年やっているというのだから、レオナルドは凄い。
ちなみに、来年はグルノール砦で神王祭の祭祀を行なう予定になっているのだとか。
「……こうしてみると、ラガレットのジェミヤン様に荷物を届けてください、って全然ついでじゃありませんね」
少しでも長くワイヤック谷へ私が滞在できるように、とレオナルドが気を遣ってくれた旅程なのだが、私が優先されているせいでレオナルドの移動距離や日程に無理がある。
そこへ悪戯目的の荷物まで持たせるのは、やはり少々ではなく悪い気がした。
「……私が、谷へはついていかず、一人でラガレットを経由してマンデーズへ帰ります」
そうすればレオナルドがワイヤック谷へ寄る回数が一回減り、荷物も軽くなるはずだ、とカリーサは言う。
人見知りのカリーサからすれば驚くべき提案だったのだが、これは私とレオナルドが同時に却下した。
「若い娘さんの一人旅とか、絶対反対です」
「イリダルから預かった以上、俺にはカリーサを無事マンデーズの館まで送り届ける義務がある。それに、ティナに言わせれば絵を運ぶのは『ついで』だ。急ぐ必要はない」
そうだったよな? とレオナルドに確認され、力強く頷く。
刺繍絵画は一度ジェミヤンに見せる約束だが、急ぐ必要はないのだ。
カリーサに危険を冒させる必要など、どこにもなかった。
「カリーサは俺とメール城砦へも付いてくるか、オレリアの家で祭祀が済むまでティナの子守だ」
「カリーサならおしゃべりじゃないから、オレリアさんも平気だと思いますよ?」
「それはオレリア自身に聞かなければ判らないだろう」
私の滞在はオレリアが認めたが、私について
事前にお付の滞在の許可を取る必要はあるだろう。
ヘルミーネには留守の間の館を任せることになった。
本来は私の家庭教師として来てもらっているはずなのだが、昨年の冬といい、今年といい、留守番ばかりをさせている気がする。
それについて謝罪をしたら、英語しか話せないオレリアの元で英語の勉強が進むのならいい、と背中を押されてしまった。
苦手な発音をとことんまで教わってくるがいい、とも。
……しっかり宿題も出されました。
英語で日記を書くように、とヘルミーネから紙の束を渡された。
授業では
そのための紙だ。
前世ほど紙の値段が安くはないので、子どもの勉強に使うのは少しもったいない気がしたが、滞在中は毎日日記を書くことになったので、しかたのないことだろう。
冬の中頃になると、ジャン=ジャックが開拓村から帰還し、館へと顔を出した。
一年前は包帯でほぼ全身が覆われたミイラ男だったのだが、さすがに包帯はほとんど取れている。
唯一包帯が残っているのは顔の左半分で、ジャン=ジャックのいうことにはワーズ病に侵されている間の強烈な痒みに負けた結果、激しい引っ掻き傷が残ってしまったらしい。
今は包帯だが、いずれはカッコイイ仮面かなにかで隠す予定なのだとか。
「顔に傷が残るだなんて……」
なんと言って励ませばいいのだろうか、と考えたのは一瞬だった。
顔に傷が、と気にするのは女性だけなのか、ジャン=ジャックが気にしないだけなのかは判らない。
とにかく、仮面をつけよう、傷を隠そう、というジャン=ジャックの考えの根幹は『仮面で顔を隠した俺カッコイイ!』という至極くだらない理由らしく、まだ作ってもいない仮面の意匠に対するこだわりを披露されて困ってしまった。
……ちょっとだけ心配して損したよ。
全然平気そうじゃん、と足を踏んでやったのだが、ジャン=ジャックは痛がりもせずに笑って流した。
少し変だな、とは思ったが、やはり強がりなのだろう、と指摘するのも野暮な気がして私も気がつかないふりをする。
「……冬になるギリギリまで働いてくる、って聞いてましたけど、結構長かったね」
秋の終わりどころか、今は冬の中頃である。
予定より長く働いてくるとは、意外に働き者なのだろうか。
そんなことを考えていたのだが、ジャン=ジャックは肩を竦めながら滞在を延長した理由を教えてくれた。
「やっぱ街じゃ暮らし難いってんで、戻ってくるヤツがいると思ったからな」
街から逃げ帰ってくる者のために、余分に冬越しの準備をしてきたのだ、とジャン=ジャックは言う。
開拓村から元感染者たちが戻ってきた時にもチラリと考えたが、やはり街で居心地悪い思いをさせられた者がいたらしい。
「……戻ってきた人、いた?」
「少しな」
ホントに少しだぞ? とジャン=ジャックは指を折って数を教えてくれた。
人数にして五人に満たないが、帰って来た人数を思えば三分の一に近い。
あまり良い傾向ではないだろう。
レオナルドへまず帰還の報告をしなければ、と言って二階に上がって行くジャン=ジャックを見送る。
もう少し開拓村の様子を聞きたい気がしたが、盗み聞きをして一度怒られているので、素直に自室へと戻った。
夕食の時間になると、レオナルドがジャン=ジャックの今後について教えてくれた。
街へと感染を持ち帰ったジャン=ジャックの刑はまだ終わっておらず、この冬はグルノールの街で過ごすことになっているが、春になったら東にあるヴィループ砦へと送られることになっている、と。
ヴィループ砦は、グルノール砦やルグミラマ砦とは少し毛色の違う砦だ。
グルノール砦が国境を守り、多くの騎士が配置された場所なのに対し、ヴィループ砦には現役を退いた黒騎士が教官をつとめ、騎士見習いとして才能を認められた人間が集められた、いわば騎士の養成所のような役割を果たしていた。
この国で騎士として認められるには、まずこのヴィループ砦で最短三年鍛えられることになっている。
そこへ現役の黒騎士が送り込まれるということは、一から修行をし直して来い、ということだ。
現役の黒騎士が、まだ騎士にも満たない者たちに混ざって再教育を受けるというのは、心情的になかなか辛いものがあるだろう。
……小学生からやり直してこい、とかそういうことだよね?
さすがに小学生ということはないと思うが。
せいぜい中学や高校だろう。
いずれにせよ、ジャン=ジャックには辛い罰のはずだ。
「ヴィループ砦は、管轄としてはエセルバート様の領地なんだよな……」
「……なんだか、意気投合して面倒なことになりそうですね」
次に会う時には黒騎士ではなく、ニクベンキのお供の誰か役がジャン=ジャックにかわっているかもしれない。
そんなことを考えていたら、ヴィループ砦周辺についてレオナルドが少し話してくれた。
ヴィループ砦は砂漠にあり、その砂漠が追想祭の起源となった事件が元でできた、というのは追想祭の劇で触れられていた内容だ。
元は不毛の地だったのだが、少しずつ人が住める地になってきているらしい。
過去の罪を忘れないように、同じ過ちを繰り返さないように、とヴィループ砂漠は引退した国王の領地として定められているようだ。
不毛の地を見守り続け、人の罪を忘れないことが、自分たちにできる罪滅ぼしなのだ、と。
王廟もヴィループ砂漠に作られている。
こちらは心血を注いで不毛の地を甦らせようとした国王が、その土地を離れがたく思っているだろう、ということで始まったことなのだとか。
「そういえば、ベルトラン様はジャン=ジャックに用があるようでしたけど?」
「タイミングが合わなかったな」
ジャン=ジャックが戻ってきたのなら連絡を入れた方がいいだろうか、と思いだしたので話を振ってみたのだが、レオナルドにはなぜか目をそらされてしまった。
なにか変だな? と指摘しないながらも注意深く観察すると、レオナルドは微かに肩を竦める。
にらみ合いですらなかったと思うのだが、どうやら私が勝ったらしい。
レオナルドは「一応、帰還の一報ぐらいは入れるぞ」と言い訳めいたことを言った。
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