第58話 開拓村からの帰還者
収穫祭が近づくと、街全体がなんだか浮き足立っているようだった。
私の場合はメンヒシュミ教会への行きと帰りに街の様子を見るぐらいなのだが、街の中心近くに住んでいるエルケとペトロナや、南側に住んでいるミルシェから見ると、あちらこちらに収穫祭のための飾りつけが施されているらしい。
祭り前からわざわざ見に行く気にはならないが、街の中で行なわれるお祭りなので、ほとんどの報告がレオナルドの元へと集まってくる。
私が文字を読めるようになってきたため、レオナルドの机の上にある書類の内容が読めるようになってきたのだ。
……まあ、面白がって読みあげたら、レオナルドさんが隠しちゃったけどね。
完全に油断していたのだろう。
もしかしたら、
以来、レオナルドが書類を執務机の上に出したままにすることはなくなった。
私も盗み聞きがばれ、お尻を叩かれたことでちゃんと懲りている。
隠していると判るものを故意に暴こうとも思っていないので、レオナルドの元に集まる書類など読めなくとも問題がなかった。
収穫祭まであと三日に迫ったある日の午後、珍しくアルフに呼ばれてグルノール砦へと顔を出す。
呼び出されるなんて珍しいな、と砦の正門をくぐると、最近ではほとんどアルフが使っている団長の執務室ではなく、中庭へと案内された。
闘技大会の日には観客席と闘技場が柵で作られる中庭だが、今日は広めの天幕が一つ作られているぐらいだ。
そして、その天幕の周辺に十五人ぐらいの人が立っていた。
……あ、あれってもしかして?
何人かの顔に覚えがあり、小走りに近づく。
近づくことではっきりと見ることができた顔は、北棟の隔離区画でワーズ病と戦っていたかつての感染者たちだった。
「おかえりなさーい!」
そろそろ帰ってくるとは聞いていたが、それが今日だとは聞いていない。
嬉しくなって駆け寄ると、どの顔も知った顔ばかりだった。
「ティナちゃん、ただいま」
「嬉しいわ。お帰りって言ってくれるのね」
「あれ? 舌っ足らずが直ったか?」
「ってか背が伸びたな!」
口々に返事とともに腕が伸びてくる。
揉みくちゃにされる勢いで頭が撫でられ、毎朝カリーサが整えてくれる髪が乱れたが気にしない。
どの手も愛情と親しみを持って、私に触れてくれているのだ。
隔離区画で私が彼らに対してできたことは少ないが、メイユ村が全滅したのと同じ病に打ち勝った彼らには少しどころではない想い入れがある。
その彼らが街へ戻ってきたとなれば、私の中でもようやく区切りがつく。
「今日帰ってくるなんて知らなかった! いつ帰って来たの? なんで中庭?」
「街に着いたのは昼近くかな? 中庭にいるのは……」
念のための検査と消毒のため、といって天幕を指差したのは、昨年の慰霊祭でイケメンに探されていたロサリオだった。
すぐにもロサリオを追いかけて開拓村へと乗り込んで行きそうな雰囲気だったのだが、彼はちゃんと黒騎士のすすめに従って手紙を送るだけに留めたらしい。
彼の手紙は、冬の開拓村で大いに役立ったと聞いている。
……少し、不安気?
みんな再会を喜んで笑みを浮かべているのだが、よく見ると少し表情が硬い。
その理由は、私でも察することができた。
……病気が治った、感染源になるかもしれない期間は隔離されていた、って私は知っているけどね。
正しい知識を持たない街の住民からすれば、元感染者たちはその存在だけで脅威を感じさせるかもしれない。
本来はとうに治っていてそんな心配はないのだが、また病気が移るのではないか、と。
無知からくる街の住民の不安に、元とはいえ感染者であると恐れられ、排除されるのではないかと危惧しているのだろう。
街の住民すべてが正しく理解してくれるまで、何度も事情を説明するのは難しい。
街へ戻ることよりも開拓村に残ることを選んだ者たちは、これを考えたうえで選択したのだと思う。
「……あ」
なんと声をかけたら励ませるだろうか。
そう悩んでしまった私の横で、ロサリオが息を飲む。
なんだろう? と顔をあげると、ロサリオの視線の先には慰霊祭のイケメンが立っていた。
イケメンはロサリオと目が合うと、美しく整った顔を喜色に輝かせる。
「おかえり、ロサリオ! やっと僕の元に帰ってきてくれたんだね!!」
あとはもう止める間もなかった。
輝く笑顔の男はロサリオの元へと走り寄ると、そのままロサリオを抱きしめて感動のままにわんわんと泣きはじめた。
大の男が人前で泣くなんて、とはチラリと思ったが、周囲の雰囲気が和むのを感じる。
街への帰還に不安を感じていた元感染者たちが、一人とはいえ自分たちの帰りを喜んで迎えに来てくれた者がいることに安堵したようだ。
周囲に見守られながら、男を抱きしめ返してよいものかどうか悩んでいるらしいロサリオに、私の言うべき言葉も見つかった。
「お帰りなさい、ロサリオさん。ロサリオさんたちの帰りを、とりあえず確実に二人は喜んでいますよ」
わざわざ私を砦へと呼んでくれたことを考えれば、アルフを入れて三人かもしれない。
迎えには来ていないが、レオナルドも喜んでいるはずだ。
二人? と戸惑うロサリオに、解りやすいように男と私を指差す。
これが喜んでいる二人だ、と。
街へ戻れば、たしかに歓迎しない人間もいるかもしれないが。
ロサリオたちの味方は、ゼロではないのだ。
苦労は絶対に待っていると思うが、病気に打ち勝ったように、この困難も乗り越えて行ってほしい。
ポツポツと迎えが現れ、しばし再会を喜び、元感染者たちが街の中へと戻って行く。
それを一人ひとり見送っていると、すれ違う相手へ律儀に話しかけながらベルトランが中庭へとやってきた。
人に話しかけながら顔を確認しているらしいベルトランに、そういえばジャン=ジャックがどうとか言っていたな、と思いだす。
ベルトランは、今日戻ってきた人間の中にジャン=ジャックがいないか確認にでも来たのだろう。
「……ジャン=ジャックなら、いませんよ?」
「聞いてはいるが、念のための確認だ」
なにがどう念のためなのだろうか。
そうは思うが、そこまで興味のない内容についてをあまり突っ込んで聞いても失礼だろう、と飲み込む。
その代わり、聞いても別段失礼でも不思議でもないであろう質問をぶつけることにした。
「そういえば、ベルトラン様はいつまでもグルノールの街にいていいんですか?」
ベルトランはちょうどレオナルドの誕生日にやってきたので、春の終わりから秋の中頃まで、ずっとグルノールの街に滞在している。
ジャン=ジャックを待って冬のはじめまで街に滞在するつもりなら、もしかしなくともベルトランは自分の屋敷を半年も留守にする計算だ。
……あと、さすがに半年もアルフさんの館に滞在したら迷惑だと思います。
長く滞在しているといえばジャスパーと白銀の騎士もだが、彼らは仕事で滞在しているのだからしかたがない。
写本作業が難航しているのはただ文字を写すのとは違い、読めない日本語を絵のように捉えて写し取っているからだ。
「私の家には留守番がおるからな。半年ぐらい家を空けても大丈夫だ」
私の質問に答えながら、しかしベルトランの視線は私へは向いていない。
ベルトランの視線は中庭にいる街へ帰還したばかりの元感染者へと向けられ、その顔を確認していた。
「留守番……? あ、家督を譲ってお子さんが家を守っている、ってことですか?」
なにかベルトランの視線が嫌だな、帰還者たちから意識を逸らしたいな、とない知恵をしぼって思考する。
ベルトランの目と気を逸らせる話題がなにかないだろうか、と。
「いや、家に居るのは孫息子だ。年中熱を出しては寝込んでいるが、留守番ぐらいはできるだろう」
「え? お孫さんが留守番してるって……あ、ベルトラン様のお孫さんってことは、孫とは言っても大人……ですよね?」
「お嬢さんより四つ程年上だが、まだ成人もしておらん子どもだ」
「わたしより四つ年上って……」
まだ十四歳である。
しかも、ベルトランの言葉をさらに追加するのなら、病弱で年中熱を出すような少年だ。
……まさかとは思うけど、その病弱な孫にこの間聞いたようなお仕置きとかしないよね? さすがに。
屋敷の周りを朝まで走りこみだとか、木にしばって吊るすだとか。
病弱な子どもにそんな真似をすれば、体調を崩す未来しか見えない。
そんな孫がいるというのに、半年も家を留守にしているのかと思えば、ベルトランに対してムカムカと腹が立ってきた。
ここで帰還者たちに居心地の悪い視線を投げかけているよりも、家に帰って孫を安心させてやるべきだと思う。
「お孫さん寂しがってますよ! 早く帰ってください!」
「半年家を留守にしたぐらいで寂しがるような軟弱者には育てていないから、大丈夫だ」
「寂しくないかどうかは、お孫さんが決めることです。ベルトラン様が判断することじゃないですよ!」
なに言っているんですか、と呆れてしまった。
同じ脳筋系の英雄とはいえ、妻子持ちであるだけレオナルドよりまともかと思っていたのだが、とんだ勘違いだった。
未来のレオナルドの姿が、そのままこのベルトランになるのだろう。
健康的な体に恵まれたために、弱者の立場になって物を考えることができない。
レオナルドは夏のはじめに喧嘩をしたおかげか、僅かながらも改善傾向を見せ始めているので、今のベルトランよりはマシな保護者に進化してくれるだろう。
そう信じ始めてもいる。
「……ベルトラン様は、やっぱり一度帰った方がいいです! ジャン=ジャックが戻るのを待っていたら、冬になっちゃいますよ」
冬の旅は足が遅いし、寒さが辛くもある。
そう帰還を勧めてみたら、まだまだ冬の行軍ぐらい平気である、と答えられてしまった。
「そういうことを言ってるんじゃないです! お孫さんに顔を見せに帰れ、って言ってるんです!」
私だって半年も
わんわん泣いて、周囲に八つ当たりもするだろう。
少しどころではなく情けない話だったが、その自信がある。
「とにかく、寂しくないかどうかを決めるのはお孫さんです! ベルトラン様じゃないです!」
トドメに「帰れ」と胸を張って宣言したら、横合いからアルフの困ったような声が聞こえてきた。
「ティナが声を荒げるなんて、珍しいな」
「女児は口が達者で敵わん」
これ見よがしに耳を指で塞ぎ、ベルトランがアルフに抗議の声をあげる。
どうやらアルフを味方に引き入れようとしているようだが、そうはさせない。
「ベルトラン様が酷いんです! 家に病弱なお孫さんがいるのに、もう半年もグルノールにいて家に帰ってない、って!」
アルフからもベルトランに帰還を勧めてくれ、と詰め寄ると、苦笑いを浮かべたアルフに頭を撫でられた。
「……ティナが帰還を勧めていたのなら、丁度良かったかな?」
そう言って、アルフは白い封筒をベルトランへと差し出す。
「ベルトラン殿への急使です。そのお孫さんが重篤な病にかかり、明日をも知れぬ命だとか」
「あれは年に十回は『明日をも知れぬ命』とやらになるからな。珍しいことでは……ぬっ!?」
さすがに我慢ができなくて、無言でベルトランのすねに特注靴の洗礼を浴びせた。
あとでレオナルドに怒られるとは思うが、今のはベルトランが悪い。
怒られることになったとしても、この一撃は後悔をしないだろう。
「いつものことだからって、いつもどおりに回復してくれるなんて限らないじゃないですか!」
いつものように目を閉じて、そのまま目を覚まさなかった人がいる。
テオとも、いつものように喧嘩をしたら、いつものようには仲直りをできなかった。
いつでも毎回同じように病から回復してくれる保障など、どこにもないのだ。
とにかく一度帰れ。
帰って孫を安心させてやらなければ、ジャン=ジャックが帰ってきても会わせてやらない。
私にそんな権限はないのだが、勢いに任せてこう宣言した。
私の説得が効いたのだと思いたいのだが、ベルトランは翌日には
そう話してくれたアルフの顔が、少しだけホッとしていた。
苦労性のアルフは、私の見えないところでもまた苦労を背負ってくれていたのだろう。
そのおかげか、
……オスカーがいなくなったのは、微妙に寂しいね。
常に私の傍にいた黒犬がいなくなると、少しだけ寂しい気がする。
あの黒犬の存在に、すっかり慣れてしまっていたのだ。
……コクまろ、早く戻ってこないかな。
黒い仔犬には、訓練が終わるまで甘えが出てはいけない、ということで会うことを禁止されている。
私の元に帰される予定は、早くても半年後だった。
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