第56話 秘密の運搬方法

 アラベラの見せてくれた資料は、実に興味深いものだった。

 慙愧祭の元となった事件はどの地方にも資料が残っているが、大筋は同じだが印象がまるで違うものだったり、逆に着地点はまったく違うがほとんど同じ話だったりして面白い。

 いっそ神話の研究ではなく、どこからが為政者によって歪められたものなのか、当時の資料を探して検証する方が楽しそうだ。


 ……でも、どの資料にも神王様が探しているっぽい女の人はいないね?


 女性の影らしいものがあるとしたら、女神イツラテルの存在ぐらいだろうか。

 あとは罪を犯した若者に妹がいたらしい記述があるだけだ。


 ……同じ目の色、って言ってた理由はわかった。


 どうやらあの不思議な色合いの蒼い瞳は、神王の一族にのみ現れる色らしかった。

 別の資料によると、あの色こそが『神が選んだ』という印として、神々から与えられたものらしい。

 一族の者には必ずあの色が現れ、血が薄まるとただの青になり、やがて黒や緑といった他の色の子が生まれるようになるのだとか。


 ……うん? ということは、レミヒオ様って神王の一族?


 追想祭で出会った優しげな面差しの青年を思いだし、資料から導き出された答えにしっくりこなくて首を捻る。

 神王とレミヒオは、髪と瞳の色以外はイメージが一致しない。

 一族とはいえ遠い親戚どころではなく血は離れているはずなので、イメージが違うのは当たり前だとは思うのだが、なんとなく『違う』という確信があった。


「やっぱ、掃除の最中の読書って、最高だよねぇ……」


 クスクスというアラベラの笑い声が聞こえて、ハッと我にかえる。

 そういえば、あまりにも酷い部屋の惨状に、調べ物よりも先に掃除を、と言いはじめたのは私だ。

 その私が、いつの間にか目に付く資料を読み漁ってしまい、掃除の手は完全に止まってしまっていた。

 慌てて謝るとニルスは苦笑いを浮かべ、アラベラはよくあることとして笑って流してしまう。

 むしろ、これまでもこの部屋を掃除しようと挑む者はいたのだが、みんな私と同じように資料を読み始めてしまい、結果的に掃除にならないのが、この部屋に埃が溜まっている真実なのだとか。

 ある意味で、愛すべき研究馬鹿たちである。


 気持ちを切り替えて掃除を再開したのだが、結局迎えが来るまでの短い時間に三回も掃除の手が止まってしまった。

 これは私が特別サボり魔なせいではないと思いたい。







 迎えにきたレオナルドと並び、ミルシェと手を繋いで歩く。

 ミルシェの勤め先である三羽烏亭まで送れば、あとは館への帰路につくだけだ。


「……そろそろわたしも働いた方がいいですか?」


 ミルシェと別れたあと、今度はレオナルドと手を繋いで歩きながら少し前から思っていたことを聞いてみた。

 ミルシェの年齢で働くのは早すぎると思うが、十歳にもなれば平民では普通に働いている子どもがいる。

 私だってそろそろ働けるぐらいには、この世界の知識をつけたと思う。


「ティナは働かなくても十分食べていけるぞ」


「レオナルドさんのお給料の話じゃないですよ」


 解っていて惚けていますよね? と特注靴の洗礼を食らわす。

 つま先を保護する目的で鉄板を仕込んだ靴は、レオナルドの気を引くのに一定の効果がある私の愛用品だ。


「わたしぐらいの年齢から働きに出ている子がいる、ってお話ですよ」


「そういう子どももいることはいるが、ティナはまだ働かなくてもいいだろう……」


 金銭的に不自由があるわけでも、すぐにでも就きたい職があるわけでもないのだから、とレオナルドは言う。

 確かにその通りでもあった。


 ……でも、八歳児ミルシェが働いているのに、私は引きこもりっていうのは、年長者としての威厳が……?


 威厳の問題で働きたいというのもおかしな話ではあるが。

 友人はほとんど働き始めているというのに、私だけのん気に暮らしていてもいいものか、とどうしても焦ってしまう。


「わたしにもできそうな、向いてる仕事ってあると思いますか?」


 これと言って目標のない私には、将来的になりたい職業などもない。

 メイユ村にいた頃は漠然と家を継いで畑を耕していくのだろうと思っていたし、レオナルドに引き取られてからはガラリと変わった生活に慣れる方を優先して、将来のことなど考えてこなかった。


 ……唯一できることっていったら、日本語が読めることぐらい?


 そろそろレオナルドに話した方がいいかとは思っているのだが、いまいちタイミングが掴めずにいる。

 日本人の転生者とばれても、それほど酷い目には合わないらしいと聞いて安心もしているのだが、だからといって「じゃあ、わたしが日本人の転生者です」と気軽には言い出せない。

 それに、日本語が読めたとしても、それだけだ。

 聖人ユウタ・ヒラガの研究資料を訳してしまえば、日本人として役に立てることはなくなるだろう。


「……仕立屋からティナを針子として紹介してほしい、とは言われたことがあるぞ」


 なにか私にもとりえがないだろうか、と悩みはじめると、頭上からそんな声が聞こえてきた。


「え? なんですか、その話。初耳ですよ!」


 驚いて隣のレオナルドを見上げる。

 私と目が合うと、レオナルドは少しだけ気まずげに目を逸らした。

 なにか後ろめたいことがある時の顔だ。


「レオ? なにか隠しごとでもあるんですか?」


 立ち止まって、声を一段下げる。

 足をゆらゆらと揺らせば、脅迫の準備は完了だ。

 正直に話さないと力いっぱい特注靴の洗礼を食らわせるぞ、と気迫を込めてレオナルドを見据える。

 精一杯怖い顔を作っているつもりなのだが、レオナルドは苦笑いを浮かべているのでそれほど怖い顔にはなっていないのだろう。


「春華祭で、ティナが俺のシャツの袖口へ刺繍を入れてくれただろ? あれを見た仕立屋の主人に、ティナは刺繍を入れる仕事をする気はないのか、と聞かれた」


 働く必要のない財力がある相手に、それも上客の妹に仕事を打診することは失礼にあたるのだが、それを承知していても打診せずにはいられないほどの出来だったとのことだ。

 いつだったかヘルミーネが「刺繍であれば仕事にできる」と言ってくれたのは、本当にお世辞でもなんでもなかったらしい。


「……わたし、刺繍ならお仕事できるんですね」


 今まで考えもしなかった就職口が、意外にも身近な場所にあった。


「ティナは成人するまで、俺がちゃんと食べさせるから、働きに出る必要はないぞ」


 なんだったら成人後まで世話をみる、と言い切るレオナルドに、そういう問題ではない、と断る。


「働きもしないで食べるに困らない生活、って居心地が悪いですよ」


 特にグルノールの街に来てからというもの、タビサとバルトという使用人がいるお陰で私は『家のお手伝い』程度のことすらできてはいない。

 以前はそれでも刃物を使わない範囲で下拵えを手伝わせてもらっていたが、館に滞在する人間が増えてタビサたちの仕事が増えると、私にお手伝いが振られることはなくなった。

 やはり形ばかりの手伝いでは、邪魔にしかなっていなかったのだろう。


 少しずつ、館でできる仕事ならしてみたい、とレオナルドに言い募る。

 接客業や外へ出て働くことは、人見知りなので無理だ。

 少なくとも、まだ子どもと数えられる今の私にすぐできる仕事だとは思っていない。

 けれど、刺繍を館で少しずつやる程度なら、今の生活とあまり違いはないはずだ。

 私にもできるかもしれない。


「……じゃあ、小さな仕事を一つ受けてみたい、と仕立屋に伝えるぞ?」


「おねがいします」


 私が働くことに対してなぜか抵抗をみせるレオナルドだったが、最後には折れた。

 少しずつ慣れたい、と言ったのがよかった気がする。

 いつまでも養われているだけの子どもではいられないのだ。







 夏の暑さが完全に消えると、半袖だった私の服も長袖に替わった。

 まだ厚い生地の物を着るほど寒くはないが、半袖では少し肌寒く感じる。


 私の生活は夏でも秋でもほとんど変わらない。

 隔日でメンヒシュミ教会へと通って授業を受け、館ではヘルミーネの授業を受けたり、自由時間には屋根裏部屋へ籠もって刺繍をしたりとしていた。


 ……そして相変わらず手紙が届く、と。


 オレリアへの手紙は自分の意思で送っているのでいいのだが、なぜか未だにバシリアとディートフリートからの手紙が届いた。

 バシリアからの手紙は誘拐事件の事後報告がきかっけで、話題がなくなれば自然消滅するかと思っていたのだが、意外に続いている。

 主な話題はお洒落やラガレットで流行の店の話しだったりとするので、もしかしたらペトロナあたりと気が合うかもしれない。


 ディートフリートからの手紙は、とにかく紙面いっぱいに文字が綴られているのだが、内容がごちゃごちゃとしていて理解しにくい。

 それでも頑張って手紙を読んでみれば、男児の日記といった内容だ。

 イリダルのしつけは厳しい、アリーサの教鞭は痛い、キュウベェがサリーサに求婚して振られた等々、ディートフリートの思ったまま、感じたままが綴られていた。


 ……最初の手紙と比べれば、これでも一応読める字になってきてはいるね。


 他人ひと様に見せる字としては、まだまだ練習する必要があるが。

 改善傾向は見て取れるので、ヘルミーネによる赤いインクでの添削も多少は減った。

 私も一行だけの返事だったものを二行に増やす。

 以前よりは読みやすくなっている。このまま字の練習を頑張れ、と。


 ……あれ? そういえば、英語には筆記体ってあったよね?


 ディートフリートの判読しにくい悪筆を眺めているうちに、筆記体の存在を思いだした。

 前世で英語を習った際に、アルファベットをすべて覚えたあとで別枠として教えられた。

 筆記体とは、一言でいえば一筆ひとふで書きだ。

 大文字はともかくとして、小文字はすべてが一つの線で繋がるように出来ている。


 ……近年では英語圏でも自分たちの字が読みづらい、って理由で使わなくなった、ってテレビで話題になってた気がする。


 そして、ヘルミーネが教えてくれる英語では使われていないし、オレリアからの手紙にも使われていない。


 ……もしかして、筆記体でだったら秘密のお手紙送れたりする?


 思いついたら即実行。

 物は試しとばかりに、オレリアへの手紙に筆記体を少しだけ混ぜて「こんにちは」と単語を隠し入れてみた。

 筆記体を知らない人間が見れば、少し形が崩れたアルファベットにしか見えないはずである。


 オレリアからの返事が来たのは、手芸屋に注文を出した刺繍糸がすべて揃った頃だった。

 いつもどおりの季節の挨拶と近況が綴られた手紙で、それでも注意深く文面を観察するとところどころに筆記体が混ぜられていた。


 ……怒られちゃった。


 筆記体で文字を隠すことができるだろうか、と実験として「こんにちは」とだけ文字を隠したのだが、オレリアからの返事は「余計なことを考えるな」という非常に厳しいものだ。

 私がなにかを伝えようとしている、ということは、春の終わり頃の訪問からすぐに察することができたのだろう。


 ……でもこれで、レオナルドさんたちに気づかれずにオレリアさんへ秘密の文章を送れるよ!


 ただし、そのためにはまず私が英語の文章を不自由なく書けるようになる必要がある。

 今のところはこの国の文字で書いた手紙をヘルミーネに英語へと直してもらい、それを教材にして英語を学んでから、私が便箋へと文章を清書する形で手紙を送っていた。

 英語の文章を作るために他者の目を介する必要がある以上、今のままでは秘密の文章もなにもないのだ。


 ……うう、英語のお勉強がんばります。

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