第55話 応用・復習
結局、心配していたミルシェは、秋になってもメンヒシュミ教会へと通えるようになったようだ。
ミルシェの説明によると、三羽烏亭で働くことになったのだとか。
ミルシェと三羽烏亭の繋がりがわからなくていまいち理解できずにいると、なぜかアルフが少し詳しく経緯を話してくれた。
……まず、なんでアルフさんがミルシェちゃんのことを気にかけてくれてるのか、が解らないんだけどね?
二人の接点が見つけられずに少しだけ不思議に思ったが、アルフのおかげでミルシェが助かるのなら細かいことなどどうでもいい。
アルフの説明によると、代筆の仕事がミルシェにできるだろうか、とミルシェの筆跡を確認したところ、読みやすい綺麗な字をしていたため、いくつかの仕事を用意してくれたのだとか。
その中には海を越えた国から来た店主が構える三羽烏亭のメニューもあり、店主が頭を捻って考えたこの国の言葉で書かれたメニューをミルシェが読みやすく直しているうちに意気投合したらしい。
……ミルシェちゃんいい子だもん。店主さんが気に入るのは当然だよね。
代筆の仕事以降も、ミルシェは三羽烏亭に雇われることになった。
午前中は店で使う野菜を洗うなど下拵えを手伝い、忙しい昼食時は裏方で食器を洗う。
午後は少し早い時間から休憩時間に入り、その時間にメンヒシュミ教会へと通い、夕方に戻って夜の営業のための下拵えと食器洗いをする。
八歳にしては働きすぎだと思うのだが、これがミルシェの秋からの生活だった。
……予定だけ聞くと、ほとんど家には寝るために帰るだけなんだけど……いいのかな?
この世界に労働基準法なんてものはない。
八歳児の労働時間としていかがなものかとは思うが、親から距離を取らせるという目的を含んでいるのなら良い環境とも思えた。
……でも、まかないを食べさせてくれるおかげで、ミルシェちゃんが前より元気になったんだよね。
授業中にお腹が鳴ることもなくなったし、血色もいい。
少なくとも、家にいるよりはちゃんと食事が取れているようだ。
……アルフさんが仲介してくれたみたいだし、そんな酷いことにはならないよね?
とりあえず、ミルシェが学ぶ機会を失うのでは、と心配をする必要だけはなくなったと思っていいのだろう。
三羽烏亭の店主であれば、私だってどんな人物かは知っている。
気前がよくて時々おまけをしてくれ、私が迷子になった時も捜索に協力してくれたと聞いていた。
実に善良なおじさんだ。
なにはともあれ、これで心置きなく秋もメンヒシュミ教会へと通うことができる。
ミルシェ目当てに三羽烏亭で昼食を、と私におねだりされることが増えて、レオナルドは常にデレデレだ。
三羽烏亭は一般的には少しお高めの値段設定のはずなのだが、レオナルドの財布には痛くも痒くもないところが素敵である。
遠慮なくナパジ料理が食べられるので、これを機会に店のメニューを制覇してみようかと、ひそかに目論んでもいた。
応用・復習と名付けられた授業は、その名の通り基礎知識1、2、3のおさらいに近い。
読み書きの授業は文書の作り方や敬語、尊敬語といった言葉のバリエーションを学び、計算の授業は単純な計算から少しだけ進んで、分数や面積を出す計算方法に触れる。
仕事に活かせるより専門的な計算は、三階の教室へ入ることを許された成績優秀者だけが、有料で学べる分野だ。
歴史の授業は、基礎知識1で最初に触れた近代史に詳しく触れられることになる。
近代史となると、
レオナルドは逸話も多いのだが、
……そして今ならベルトラン様の逸話の真偽も確認し放題。
ベルトランの逸話の真偽は、レオナルドとは違う方向に訂正される。
レオナルドの逸話は少し不思議系のものがあるのだが、ベルトランの逸話は大暴れの行動記録に近い。
そして本人に真偽を確認すると、大暴れとして記録に残っているものよりも被害が大きかったりする。
さすがにそれは盛っているだろう、とニルスと二人で当時の資料を探し出して調べたりもしたのだが、盛っているようにしか聞こえないベルトランの話の方が事実だったりするので恐ろしい。
宗教の授業は、これまでの神話を聞かされるだけの授業とはまるで違ったものになった。
神話の中から気に入った話を選び、国や地域とで微妙に違うこともある民間伝承を独自に調べて研究発表を行う。
これは宗教の授業というよりは、読み書きに含まれる文章作成の延長にある授業な気がした。
「アラベラおねーさんの研究室へ、いらっしゃーい」
ご機嫌な様子で私を迎え入れてくれたのは、メンヒシュミ教会で民間伝承を研究しているというアラベラだ。
ニルスの師匠的立場にあり、今回のような研究では非常に頼りになってくれると思われる専門家でもあった。
「研究発表のテーマに
「アラベラさんに研究発表の原稿まで書いてもらったら、それもうわたしの研究発表じゃなくなりますよ」
「……なら、お嬢様がお嬢様の言葉で聞かせてくれるお嬢様なりの研究発表を楽しみにしているよ」
「今から緊張するようなこと言わないでください」
困った大人を相手に、緊張でお腹が痛いです、と情けない顔で悲鳴をあげながら腹を押さえてみせる。
緊張で腹が痛む、というのはどこでも通じるらしい。
アラベラが苦笑いを浮かべながら、冗談だと手を振った。
「慙愧祭から
部屋の中の物は好きに使っていい。
その代わり、精霊の寵児として見聞きしたことを思いだせる限りでいいので聞かせてほしい。
これが知識と資料、部屋を提供する対価として、アラベラが私に要求したことだった。
「そういえば、聞いたよ。今年の追想祭で、お嬢様が神王様に会った、って」
本や走り書きのメモが乱雑に広がる机を掻き分け、アラベラが机の上に僅かな隙間を作り出す。
上に載っているものは今掻き分けたばかりのはずなのだが、出てきた机の表面は薄汚れている。
おそらくは、資料を積み上げる前からすでに汚れていたのだろう。
雑に集めたメモと本をまとめてアラベラが机の端へと載せると、置き方が悪かったのか詰まれた本は綺麗に床へと落下した。
「ありゃ!?」
ドサドサと音が続いたあと、もわっと白い物が床から舞い上がる。
白いものの正体が埃だと気がつくと、気のせいだとは思うのだが少し息苦しく感じた。
……わっ。すごい。埃が舞い上がった。
部屋を使わせてくれるのはありがたいのだが、ここで軽食等は取らない方がよさそうだ。
あまり元気良く歩くと、それだけで埃が舞い上がる。
いったいどれだけ掃除をしていないのだろう、とは思うが、指摘していいことなのかどうかが判らない。
……カリーサがいたら、まずお掃除しはじめそう。
落ちた本を面倒そうに拾い集めるアラベラに、ニルスが横へと並んで本を拾う。
アラベラに片付けさせるよりも、ニルスが片付けた方が早そうだ。
私も手伝おう、と腰を下すと、視線が低くなったせいで床の埃に動線ができているのが見えた。
見事に本棚の前と机への最短距離だけ埃が薄く、あまり近づかないのであろう部屋の隅や本が積まれて座ることのできない長椅子周辺の埃は厚い。
……自由研究より、先にお掃除だね。
ニルスやルシオの仕事はメンヒシュミ教会の研究者や学者の世話だと聞いていたが、世話をしてこの状態なのか、世話というのはプライベート部分の世話だけで研究室は含まれないのか。
……もしくは、ここの人がみんなアラベラさんみたいで、お世話が追いつかないとか?
その可能性に気がついてしまえば、いつだったか
あれが普段からのメンヒシュミ教会の姿であれば、明らかに人が足りない。
否、人はいる。
ただ、そのたくさんいる人間がすべて、自身の身の回りの世話よりも研究に打ち込みたい研究馬鹿なだけだ。
……やっぱ、まずはお掃除しよ。
「神王様はそのまま、神様が選んだ人の王だよ。人間の中から選ばれたから、神王とは言ってもただの人間だ」
私とニルスは部屋の掃除を、アラベラには床に詰まれた本やメモ書きから必要な物とそうでない物とを分けてもらう。
授業時間を使ってただ掃除をしてやるのも癪なので、掃除をしながら本来の目的である神話の講義をしてもらった。
「神様が選んだ、特殊な素質を持つ男性が最初の神王に選ばれた。位を世襲制にしたのも神様ってことになってるね。神王の子どもの中から素質のある子が選ばれて、次代の神王になる」
素質のあるなし、次代を決めるのは人間でも神王自身でもなく、神と精霊だったと伝わっている。
人間たちの王ではあるのだが、完全に神と精霊に支配された存在だったようだ。
「今でも王族や貴族の跡取りに女性が望まれるのは、神王の時代に神王を騙した妻がいたって話の名残だよ」
男を当主にした方が子孫の数は増やしやすいが、この世界では跡取りとして女性が望ましいとされている。
血筋によって次代へと繋いでいく神王に、ある時不義を働いた妻がいた。
夫以外の男の子を孕み、神王の子だと偽って神王の血を途絶えさせようとしたのだ。
結局女の罪は精霊によって暴かれ、神王の血は守られることになったのだが、それ以来跡継ぎは女性が良い、と考えられるようになった。
男には妻の産んだ子が真実自分の子であるかは妻を信じるしかないが、跡継ぎの女から産まれた子ならば確実に家の血を継いでいる、と。
神王の血を守るということから始まった考え方だ。
とはいえ、次代の神王は神と精霊が選ぶので、跡継ぎが男か女かは神王の一族には関係がない話だった。
「……で、お嬢さんが会ったって言う神王様は、慙愧祭の元になった事件の当事者ってことになるかな? すごい! すばらしい! 是非とも直接話を聞いてみたいっ!!」
内容を確認していたメモ書きを感極まったように胸に抱き、アラベラが叫びだす。
私は思わずビクッと肩を震わせたのだが、ニルスは慣れているらしく、手を止めることなく本棚に積もった埃を落とし続けていた。
「慙愧祭については残っている資料は非常に少ない。これは伝承によると、同じことを繰り返させないように、と女神イツラテルが火の精霊に命じて関わったものすべてを燃やした、ってことになっている」
大方は女神の仕業などではなく、当時の権力者かなにかが罪の証拠を燃やしたのだろう、というのがアラベラの見解だ。
自身を精霊の寵児ではない、と言い切るアラベラは、女神や精霊は信じていないらしい。
感じることができないのなら、ないのと同じだ、という主義の人だ。
私だって、精霊に攫われるだなんて不思議体験をしていなければ、アラベラと同じことを言っていたと思う。
神話はただのお話で、伝承として残る話はすべて寓話やなんらかの出来事を神話風に装飾して残してきただけの物語だ、と。
……でも、夢とは思えないからね。
追想祭で神王に会ったことなら、白昼夢でも見たかと思えるのだが。
神王祭でグルノールの街からマンデーズの街へと移動したことは、夢でもなんでもない。
説明できないなにかが、確かにあったのだ。
「お祭りの資料、少しずつ話が違っていて面白いですね」
掃除をしながら、つい目に入って来た情報を読んでしまう。
誰が集めた資料なのかは判らないが、本当にたくさんの口伝や神話が集められていた。
「おっもしろいでしょ? 面白いよね? それぞれ微妙に違うんだけど、絶妙に重なる部分があったりもして? それらを繋ぎ合わせるのがまた楽しい!」
「……あれ? 読めない文字がありますね」
読めないというよりは、例の塗りつぶしたように見える箇所と言った方がいい。
何気なく眺めていた文字列に■■■■■と読める場所があった。
「■■■■■も諸説あるよ。帝国では当時の神王の名前、神王国を名乗るクエビアでは神王を殺そうとした若者の名前、この国では若者が盗み出した神の剣の名前ってことになってる」
「……ホントにバラバラですね」
「だから面白いんだよ」
そう言って手元のメモ書きから顔をあげたアラベラに、一瞬だけ見惚れてしまう。
本当に幸せそうに、うっとりと微笑んでいたのだ。
……頭に綿埃とかついてて、微妙にかっこ悪いけどね!
各国での神話の違いに興味があるようだったら資料を貸してあげよう、といってアラベラは別の本棚に向き直る。
無理に詰め込まれた本棚の本は、少しの抵抗をしたのちに埃を舞い落としながら棚から抜かれた。
「精霊の寵児視点で気がついたことがあったら、なんでも教えてほしい」
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