第45話 ミルシェの今後
「ティーナ?」
頭上からレオナルドの困ったような声が聞こえる。
まあ、四六時中私に張り付かれていれば、さすがのレオナルドも困るだろう。
私の兄になってくれるらしいので、もう少し困ればいいのだ。
「十歳になったら抱っこ禁止、と言っていただろ?」
膝にも座らないんじゃなかったのか、とレオナルドが指摘するのは間違いではない。
十歳になったのだから、あれこれと行動を改める、と宣言をしたはずの私は、テオの一件が相当ショックだったのか、気がつけばレオナルドにべったりとくっついていた。
完全な子ども返りである。
数日はヘルミーネも見逃してくれていたのだが、この状態も一週間以上続くとなると、さすがに注意されるようになってきた。
早く割り切らなければ、本格的にお説教されることになるだろう。
……私だって、割り切らなきゃダメって、判っているんだけどね。
テオのことはテオの家の問題であったし、すでに街にはいなかったのだ。
レオナルドに泣きついたところで、どうにかなる問題ではない。
……そうは思うんだけど、ホントに売り買いされる人がいるだなんて。
簡単には受け入れられないし、割り切れもしなかった。
……よし、前向きに考えよう。
ここしばらくベタベタとくっついていたおかげで、レオナルドとは少し仲直りが出来た気がする。
少し前までのように『レオ』と愛称で呼んだり、淑女のように『レオナルドお兄様』と呼んだりする気にはまだなれないのだが、少しだけ気まずい気分は消えた。
まだ距離は測りかねているが、仲直り直後ほどではない。
「ミルシェの様子は?」
「元気ないです。教室にはちゃんと来てますけど、たまに頬が腫れてるし、授業中にお腹が鳴るし」
授業中にお腹が鳴ることは、以前にもあった。
ミルシェの家庭環境を考えれば、昼食を抜くぐらいはあるかもしれないとも思っていたのでなにも言わずにいたのだ。
けれど、今は違う。
以前は午後からの授業を受けていたからと思えたが、夏の間は午前中の授業を受けている。
ミルシェは朝ご飯を食べさせてもらえていない可能性があるのかもしれなかった。
頬の腫れについても考えたくはないが、想像がつく。
「ミルシェちゃんも、そのうち売られちゃうのかな……?」
ポロッと口から漏れた不安に、目頭が熱くなる。
今はまだただの想像でしかないのだが、可能性を完全には否定できない。
あの家は、すでにテオという子どもを一人売っているのだ。
「なんとかなりませんか?」
不安になってレオナルドを見上げる。
言外にミルシェを助けてくれ、と言ってみたのだが、レオナルドからの色よい返事はなかった。
「俺はミルシェの親権者じゃないからな。どうにもできない」
まさか自分からミルシェを買いに行くわけにもいかないし、とも続く。
レオナルドがミルシェを買えば、視点を変えればテオが売られたのとなにも変わらない。
ミルシェの家は子どもを売ってお金を得て、ミルシェは保護が目的とはいえ、親に売られたという心の傷を持つことになるだろう。
「売らせない、ってことはできないんですか?」
「前にも話しただろ? この国では二十年ほど前までは人身売買は禁じられていた。ただ、そのせいだけという
二十年ほど前、メイユ村に日本人の記憶を持つ転生者が生まれた。
価値を知らない村長により外国へと売られてしまった転生者は、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料が国宝として残るこの国ではとんでもない価値のある存在だった。
国としては、悔やんでも悔やみきれないすれ違いだっただろう。
人身売買を国で管理していれば、聖人ユウタ・ヒラガの秘術を復活できたかもしれない日本人の転生者を、みすみす外国へと売り渡されることはなかったのだ。
その時の後悔から、国の管理の下、この国でも人身売買が許可されることになった。
人を売るのなら、まず国に売ることを考えろ、と。
「……国で認められたとはいえ、本来はそう簡単に売り買いできるものではない」
法と秩序を司るソプデジャニア教会は、日本で言う役場のような仕事をしている。
ソプデジャニア教会では戸籍が管理されており、人を売り買いする時には必ず教会の発行する許可証と書類が必要になるのだ。
転生者を外国へと出してしまった後悔から予防策として売り買いが認められるようになったが、やはりこの国の王様は人間の売り買いを本心では認めたくないのだろう。
ギリギリまで人身売買など行なわれないよう、ソプデジャニア教会で様々な相談に乗ってくれることになっていた。
テオの売り買いも、一度はソプデジャニア教会で止められているはずである。
「テオを売れば返せる程度の借金なら、ソプデジャニア教会はまず間違いなく止める。その程度の金額なら、やりくりを工夫したり、真面目に働けば返せる、とな」
ただ、テオの母親のような読み書きが出来る人間に対して妙な劣等感を抱いている人間には、これらの説得はすべて無視される場合がある。
神妙な顔で教会員の説得をすべて聞き流し、書類と許可証を得てしまえばこちらのもの、とはじめから話を聞く気すらないのだ。
「テオの両親は……楽な方に逃げたんだな」
真面目に働いて借金を返すより、子どもを売って急場をしのぐことだけを考えた。
売られた子どもの気持ちも、売られなかった子どもの気持ちも、考えることはない。
「おそらくは相当安く買い叩かれているはずだ」
読み書きのできないミルシェの母親が、書類の内容を把握できるわけがなかった。
国へ子どもを売る場合の相場も書かれていたはずだが、理解していない。
書類の内容を口頭で教えてもいるはずだが、考え直すよう説得されるのと同時に聞き流していたのだろう。
まず国へと売らせることを目的に作られた制度なので、買い取り価格は高く設定されている。
そのかわり書類審査が厳しく、本当に困窮している場合を除いては買い取られること自体がない。
人など売らなくとも生活できるように、まず親身になって相談に乗る、というのが当時の王だったエセルバートが許可した人身売買の本質だ。
売られた人間も、払った金額に見合った働きをすればいずれ開放されることになっている。
けれど国以外へ、例えば隣国から買い付けにくる奴隷商人などへと売った場合は、これの限りではない。
許可証さえあれば国外へと商品として連れだせるため、努力で困窮から抜け出す気のない者はこちらが楽だと選んで売ることがある。
テオの場合がこれだ。
国で買い取るより値は下がるのだが、教会員による説得や相談を煙たがる人間には歓迎されていた。
そして国以外へと売られた人間は、一生開放されることはない。
「ミルシェちゃん、大丈夫かな……」
「ミルシェが成人すれば自立して家を出ることも、自分から館へ売り込みにも来れるが、今は無理だな」
まだ八歳になったばかりのミルシェに、自分のことを自分で決める権利はない。
すべては親権者の裁量次第だ。
「……レオナルドさんは、メイユ村の転生者が生きていたら、買ってましたか?」
ふと気になって、聞いてみる。
この話を聞いた時には人身売買なんて、と怖くなってすぐ否定したが、レオナルドが買う場合には国が買うのと同じ扱いだと思われた。
働かされることに違いはないだろうが、思っていたような悲惨な奴隷生活が待っているのとも少し違うような気がする。
「今となっては考えても仕方がない話だが……本人次第だな。メイユ村の転生者の買い取り依頼は村長から出ていたが、村長が親権者ででもない限りは、村長に転生者を売る権限はない」
そもそも本当に日本人の転生者だった場合には気持ちよく働いてもらうため、自分の意思で選んでもらう必要があった、とレオナルドは言う。
そのあとのことは以前にも説明された。
拷問や脅迫で日本語を読ませても、嘘をつかれては何にもならない。
特に薬の製法など、少し間違えただけで猛毒になるらしいのだ。
無理矢理読ませた日本語を、転生者が故意に間違えて伝える可能性がないわけではない。
それを避けるためには、自分の意思で協力してくれるよう頼むしかないのだ。
「……まあ、結局は説得して買っただろうが」
国に売れば高く売れる、と村長が知っていたため今回は国へと連絡が行ったが、国が転生者自身に買い取りを拒否されたからといって引き下がれば、金を求めた村長は再び外国へと転生者を売ることを選択しただろう、とレオナルドは言う。
……あの村長なら、たしかにそのぐらいするかもね。
なんと言っても、他人の子どもを勝手に売るような人間なのだ。
国が買い取ってくれないのなら、少し安くなろうとも別へ売ることを考えるだろう。
「転生者、買えてたらどうなってたの?」
「そうだな……子どもという話だったから、王都へ送られて、杖爵家あたりへ養子縁組をして、将来的には文官かなにかになっていたはずだ」
「え? 牢屋に入れたりしないんですか?」
「気分よく仕事をしてもらう必要がある、って言っただろ? 身柄を買った、売られたという関係ではあるが、いい関係を築いていく必要がある」
護衛ぐらいは付けられるだろうが、監禁や牢屋暮らしということはないらしい。
望めば両親共々王都へと移動し、離宮暮らしということもできたかもしれないのだとか。
「……つまり、結構いい暮らし?」
少なくとも、あのままメイユ村で暮らすよりは清潔でいい暮らしができた可能性がある。
売った・売られたという悲惨な境遇の話をしているはずなのだが、転生者は意外にもいい暮らしができそうだ。
私が驚いてまじまじとレオナルドの顔を見つめていると、レオナルドは苦笑いを浮かべた。
「そのいい暮らしを求めて、毎年何人かは偽物が出ている」
大方は転生者の価値を知っている程度には教養がある者、というのは悩みの種らしい。
「……偽物だと、どうなるんですか?」
「国を相手に嘘をつくわけだから、普通に詐欺罪として裁かれるな」
レオナルドが知る限りの偽者たちのその後を聞き流しつつ、少しだけ勇気を出して聞いてみる。
いつだったか、ほんの少し考えたことがあったことだ。
「……わたしが、アルフレッド様が言ったみたいに転生者だったら、どうなるんですか?」
「俺が王都に呼び戻される」
「へ?」
想定外の言葉が出ていて、思わず瞬く。
見上げていたレオナルドの顔は、想像もしたくないことだったのか、目が死んでいた。
「ティナは俺といるのと、今から新しい家族を宛がわれるのと、どっちがいい?」
「レオナルドさんがいいです」
これは悩む間もなく答えられる。
今さら知らない人間を家族にするよりも、多少頼りなくともレオナルドの方がいい。
間髪いれずに自分を選ばれたレオナルドは、少しだけ嬉しそうに笑った。
「ティナがニホン人の転生者だった場合は、ティナになるべくストレスを与えないよう、今の環境は変えたくない。しかし、グルノールは国境に面した街だ。うっかり誘拐等で国外へと連れ出されないよう王都へ、という話がでるはずだ」
国境に面したグルノールの街と、国境から離れた王都では、誘拐から国外へと連れ出される危険がグッと減るらしい。
国外へ逃亡するのにも日数がかかり、その間に見つけ出されて助けられる可能性が高いからだ。
「ティナと俺は引き離せない。となれば、ティナの身を守るためには俺を王都へ戻す、ということになる」
王都にレオナルドの家はないから、おそらくは離宮を与えられ、護衛を付けられるだろう、とのことだった。
やはり人身売買と聞いて想像するような酷い目には合わないらしい。
「……ミルシェのことが心配だったら、ティナが気にかけてやるといい」
「気にしてますよ?」
嫌な話は終わり、とばかりに話題がミルシェへと戻り、気にかけてやれと言われて眉をよせる。
これまでだって、ミルシェのことは気にかけてきた。
気になるからこそ、こうして相談もしているのだ。
私にこれ以上、なにができるというのか。
「ただ気にかけるのではなくて……たとえば、教室のあとはミルシェを家まで送ってやる、というのも効果があるかもしれない」
「送るだけで効果、ですか?」
そんなことで本当に効果があるのだろうか? とは思ったが、レオナルドが言うのだから、と聞いておくことにする。
レオナルドが言うには、私の保護者は砦の主なので、私の目があると思えば抑止力ぐらいにはなるだろう、とのことだった。
あくまで、気休め程度の『抑止力』だ。
現状では、他に手の出しようがない。
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