第44話 仲直りとミルシェの異変

「……ティナの好みを教えてくれるか?」


「なんですか? 突然」


 これまで私の好みなんて聞いたことがないだろう、と背後のレオナルドを見上げる。

 最初の頃は一応の好みを聞かれた気もするが、なにを選んでも地味すぎるだとか、もっといいものを、と言って結局はレオナルドがすべてを決めてきた。

 私の好みが活かされることなど、ほとんどなかったのだ。

 なにを答えても無駄だろう、と思ったままをのびのびと答えてみると、レオナルドは困ったように眉を寄せた。


「……これまではティナに俺の好みを押し付けてきた、と反省しているから、改めてティナの好みを聞きたいんだ」


 なにか自分に対して要求はあるか、と改めて聞かれ、少し考える。

 レオナルドなりに改善してくれようとは思っているらしい。


 ……どこまで本気かは判らないけどね。


 また裏切られても悲しいので、あまり期待しないように気をつけたい。

 単純な私はすぐにレオナルドを受け入れてしまいそうなので、意識して一線引くのは自衛として大切だ。


「髪の毛を切りたいです」


 結構伸びました、とさっきまでベッドの住人であったために今日は結っていない髪を弄ぶ。

 レオナルドに引き取られた頃は少し肩より長い程度だったのだが、今は背中に届いていた。

 カリーサが編みこむにはいい長さなのだが、今は夏だ。

 少し短くしたい。


「長いのも可愛い……いや、ダメだな。これが俺の好みの押し付けか」


 そう反省する素振りを見せてから、レオナルドはカリーサと相談して好きな長さにすればいい、と言った。

 長い方が可愛いだとか、女の子らしいだとか言って、髪を切るのに反対はしないよう努めている葛藤がその表情から窺える。

 ただ本心としては、やはり髪を切ってほしくないのだろう。

 諦め悪く私の髪を弄び始めた。


「服のレースやリボンのヒラヒラも減らしてほしいです」


 可愛いとは思うが、実用的だとは思えない。

 今生こんじょうの容姿では本当にお人形のように可愛らしくはあるのだが、そのせいで余計に生きた人間である、という意識がレオナルドから欠けている気がする。

 メイユ村で着ていた粗末な服や、ワイヤック谷で用意された中古服を着ていた頃の方が、レオナルドは私の意志を確認しようとしてくれていたような気がするのだ。


「もう少しすっきりした服がいいです」


「じゃあ、次にティナの服を仕立てる時は相談しよう」


 秋物の注文は終わってしまっているので、私の好みが反映されるのは冬物からになるだろう。

 冬物になると、精霊に攫われた私の場合は獣の仮装を前提としたものになるので、今とあまり変わらないかもしれない。


「あと、お菓子ばかりお土産に持ってくるのはやめてください。豚になります」


「じゃあ、人形とかぬいぐるみとか……玩具か?」


「なにもいりません」


 一応の反省をし、改めようとしてくれていることは解るのだが、レオナルドは根本的になにも理解していない。

 物を与えるばかりが愛情の示し方ではないと、私は思う。

 そして私が欲しいものも、物ではない。


「ティナはなにも欲しがってくれないな。俺はティナになにをあげたらいい? なにを贈ったらティナは喜んでくれる?」


はいらないですよ。くれるのなら、私はかぞくが欲しいです」


 今度こそレオナルドは黙った。

 私の求めるものが、自分に一番足りていないものだと理解したのかもしれない。

 これは特大の嫌味でもある。


「……ティナが欲しいのは、俺に一番足りないものだな」


 そう静かに呟くレオナルドに、少し苛めすぎたかなと反省しかけて、考え直す。

 ここで私がすぐにほだされてしまっては、これまでとなにも変わらない。

 私はもう少し厳しく、もっと妹のことも考えて、とレオナルドの頭に叩き込まなければならないのだ。

 私ばかり妥協していては、いつまで経ってもレオナルドと家族になんてなれない。


「今度はちゃんとティナの家族になるから、もう一度やり直させてほしい」


「次に間違えたら、今度こそアルフさんのトコへ家出しますからね」


 そしたらそのままオレリアの家の子になる、とたっぷり脅すと、どこにも行かせないとでも言うように背中から抱きしめられた。

 少し暑苦しい。


「次こそはティナに見放されないよう、頑張るよ」







 レオナルドととりあえずの仲直りをし、熱が下がった一週間後。

 ようやく保護者から外出許可が出て、十日ぶりにメンヒシュミ教会へと行くことになった。

 今日の迎えはレオナルドが来ることになっている。

 夏は午前の授業を受けているため、授業が終わったあとなら時間に余裕があった。

 その時間を使って、レオナルドはテオに謝りたいらしい。


「……あれ? 珍しいですね、ルシオがいる」


 メンヒシュミ教会内で私の世話役として付けられているのはニルスだ。

 テオが悪童の名をほしいままにしていた頃は、力技での護衛役としてルシオが一緒だったが、近頃はテオが暴れることはなかった。

 そのためルシオは本来の仕事に戻っているようで、お祭り見学等こちらから誘いにいった時ぐらいしか姿を見せない。

 そのルシオが、約束もしていないのに正門を入ってすぐの場所に立っていた。


「こんにちは、ティナお嬢さん。熱はもう下がりましたか?」


 おっとりと微笑むニルスは、いつも通りだ。

 挨拶をされたので私も挨拶を返し、川遊びの際に一人で帰ったことを詫びる。

 あの時はレオナルドに腹が立ちすぎて、本気で前後の見境がつかなかった。


「それで、ルシオはどうしたんですか?」


 迎えに出ているなんて珍しいね、と挨拶をしつつ話を振ると、ニルスとルシオは揃って困ったような顔になる。


 ……なんだろ? なにかあったのかな?


 どちらに聞けば答えてくれるのだろう、と二人の顔を見比べていると、私がなにか言う前に口を開いたのはルシオだった。


「あー、お嬢さん。テオのことなんだけど……」


「テオですか? わたし、レオナルドさんにテオに謝れって言われてるんですけど……」


 もちろん、テオが先に謝るのが大前提だったが。

 言い過ぎたという自覚はあるので、私からもちゃんと謝る予定である。


 もう教室にいますか? と聞くと、ルシオの顔が硬くなった。


「テオ、まだ来てないんですか?」


「……テオの名前は、しばらく禁句な」


 頼めるか? とルシオに念を押され、不思議に思いながらも了承する。

 こんな風にルシオから物を頼まれるのは初めてだ。

 ということは、余程のことがあるのだろう。


 ……あれ? ミルシェちゃんはいるね?


 教室に入ると、いつもの席にミルシェの小さな背中が見えた。

 その隣にテオがいないというのが、なんとも違和感のある光景だ。


 変だなと思いつつも、ニルスたちからはいつもと変わらない素振りを望まれていると感じたので、何気なさを装ってミルシェに挨拶をする。

 若干どころではない居心地の悪い雰囲気を感じながらミルシェの隣へと座ると、ぼんやりと顔をあげたミルシェと目が合った。


 ……うん? なにか、ミルシェちゃんの顔に違和感が?


 テオが隣にいないことよりも、ミルシェの顔から違和感を覚える。

 いつも元気に可愛らしく笑っているミルシェが、しゅんっと沈み込んでいるだけでも違和感があるのだが、私が今感じているのはそんなものではないはずだ。


「なにこれっ!? ミルシェちゃん、ほっぺ腫れてるっ!」


 実に微妙な差異なのだが、右と左で頬の膨らみが違う。

 歪に膨らんでいる気がするミルシェの左頬は、触れてみれば微かに熱も持っていた。


「誰に打たれたの? まさかテオ……!?」


 しまった、と思った時にはもう遅い。

 ルシオに釘を刺されたばかりだというのに、うっかり『テオ』という禁句を言ってしまっていた。

 禁句を言ってしまえばどうなるのか、はすぐに知ることとなる。

 失言を取り消す間もなくミルシェの黒い瞳は涙に揺れ、大粒の涙が頬を伝いはじめた頃には声をあげて泣き出していた。

 初めて見るミルシェの幼女らしい興奮状態に、我ながら本当に情けないのだが、どうしたらいいのか判らなくなってうろたえてしまう。

 とにかく慰めたい、泣きやませたいとは思うのだが、頭の片隅で冷静な自分が授業の邪魔になるので外へ、と実に合理的な判断を下す。

 ミルシェがこんな状態だというのに、自分が酷く冷酷な人間に思えた。







 ニルスに付き合ってもらってミルシェを教室から連れ出すと、教室から出てきた私に黒犬オスカーが近寄ってきた。

 建物の中で子どもが泣いていたら他の生徒の邪魔になってしまうので、と敷地内の木陰を求めて移動する。

 外であれば声は拡散されていくので、それほど他の生徒の邪魔にもならないだろう。


 ……ううっ、ルシオの視線が痛い。


 教室から出てきた私たちに合流したのは黒犬だけではない。

 どこで待っていたのか、ルシオもいつの間にか木陰へと移動してきていた。


 ……先に『テオ』は禁句だ、って教えてくれてたのに、うっかりした私が悪いんだけどね。


 とりあえず落ち着いてほしい、と鞄の中から飴を取り出す。

 それをミルシェの口の中へと放り込むと、少ししてミルシェの泣き声が小さくなった。

 もうしばらく待ってみると、時折しゃっくりをあげながらもミルシェは落ち着きを取り戻す。


「なにがあったか、聞いていいですか?」


 禁句と言うぐらいなのだから、聞かない方がいいのかもしれない。

 しかし、地雷はもうすでに踏んでいる。

 これ以上の失敗はしたくなかったので、まずなにがあったのかを知っておきたい。


「おにいちゃ……テオ、おにいちゃん、売られ、ちゃった」


「へ?」


 売られた、という言葉に、一瞬頭の中が真っ白になる。

 人を売った、買ったという話は聞いたことがあるが、これまで聞いた内容はすべてが過去の話だった。

 ダルトワ夫妻の子が売られたのは二十年以上前の話で、アリーサやタビサが使用人ブラウニーとして館に自分を売ったというのも何年も前の話だ。

 まさか身近な友人が、本当に極最近に売り買いされるだなんて、考えたこともない。


「おとうさんが、いっぱいお金かりて、かえさなきゃいけなくて、お金なくて……」


 しゃっくりで途中がどうしても途切れるのだが、ミルシェがテオの身に起きたことを教えてくれた。

 私が高熱で寝込んでいた頃の話だ。

 久しぶりに家へ父親が帰って来たと思ったら、借金で首が回らなくなっていたらしい。

 その借金を返す金を工面しようと、母親が人買いを呼んだ。

 母親は当初ミルシェを売ろうとしていたが、父親はテオを売ることを決めた。

 ミルシェはもう数年育てれば『稼がせる』ことができるが、テオはもう数年育てれば食べる量が今以上に増え、そのくせろくに稼げる当てがない穀潰しである、というのがその理由だ。

 ミルシェとテオは父親が違うらしく、ミルシェの実父だからこその選択という理由わけではなかった。

 ミルシェの頬が腫れているのは、最終的にテオが自分から売られることを選んだから、らしい。

 ミルシェを売ると言って譲らない母親に、テオが妹を庇う形で買われていったのだ。

 人買いの方も稼がせるにはまだ数年必要な女児よりも、子どもとはいえ体の大きめなテオを欲しがったので、母親以外の利害は一致した。


 ……うん、これは確かに禁句だ。


 話を聞いてみれば、聞くんじゃなかったと後悔する。

 否、違う。

 聞く必要はあった。

 聞く必要はあったが、それをミルシェの口から語らせるべきではなかった。


 ……先に教えておいてよ、ルシオの馬鹿っ!


 完全に八つ当たりなのだが、心の中でルシオに悪態をつく。

 私だって、先にこれを聞いていれば、不用意にテオの名前なんて出さなかった。


 ……謝れなくなっちゃったよ、レオナルドさん。


 数日前に人買いに売られてしまったというテオは、今どこにいるのかも判らない。

 謝れなくて後悔することがある。

 先日、レオナルドからそう教えられたばかりなのだが、まさか早速我が身に降りかかるとは思いもしなかった。


 どのぐらい木陰でミルシェを慰めていたのかは判らない。

 不意に黒犬がひと吠えしたので、反射的に顔をあげる。

 視線を巡らせると、正門からメンヒシュミ教会の敷地内へと入ってくるレオナルドの姿が見えた。


「ティナ? どうした、まだ授業中だろ」


 そう言いながら近づいて来たレオナルドは、この場に揃った顔ぶれに『なにかあった』ということはすぐに察してくれた。

 思わず縋りついて泣き出したい衝動に駆られたが、我慢する。

 折角ミルシェが落ち着いてきたのだ。

 私まで泣きだして、せっかく落ち着いたミルシェをまた泣かせたくはない。


 私はぎゅっと唇を引き結んで泣きだしたいのを我慢することに成功したのだが、大人レオナルドの登場にミルシェの涙腺は再び緩んだ。

 わっと声をあげて泣きだして、ミルシェは私にしてくれたのと同じ話をレオナルドにし始める。

 口から出すことでミルシェの心が少しでも軽くなるのならいいのだが、口から出すたびにテオを思いだしてミルシェが辛い思いをしているのではないかと心配だった。


「レオ、売られた子って、どうにかならないの?」


「残念ながら、親権者による子どもの売買は認められている。違法な行為ではないので、俺にはどうしてやることもできない」


 テオを買った人買いが自分の元へと売りにくれば買うこともできるが、それだってテオを所有する人間が変わるだけだ、とレオナルドは言う。

 自分がテオを買って親元へ返したとしても、味をしめた親が同じことを繰り返すだけだろう、とも。


「……もう、会えないのかな?」


 テオとは喧嘩をすることもあったが、まさかこんな形で二度と会えなくなるとは思わなかった。


「死んじゃえなんて、言わなきゃよかった……」


 まだテオは死んだわけではないが。

 二度と会えないのなら、それは死んでしまったのと大差ない。


「レオが言ったように、あの時にちゃんと謝っておけばよかった……」


 テオが謝るまで自分からは絶対に謝るものか、と思ってはいたが。

 今はもの凄くテオに謝りたい。

 酷いことを言ってごめんね、と。

 私が言い過ぎた、と。


 ちゃんとテオの顔を見て、謝りたかった。

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