第46話 精霊の寵児から見た追想祭
まだまだ本調子とはいえなかったが、私の周囲からテオが一人いなくなっても日々は変わらず過ぎていく。
レオナルドに勧められたように、メンヒシュミ教会の帰りにミルシェの家へ顔を出すようにしたところ、ミルシェの頬が腫れていることもなくなったと思う。
やはり、私の目を通して砦の主に筒抜けになる、というのは多少の抑止力にはなっているようだ。
メンヒシュミ教会へ通ったり、追想祭の衣装を作ったりとしているうちに、今のこの少しだけ静かな日常にも慣れてくる。
私のくっつき虫も落ち着いて、ヘルミーネに怒られる前にレオナルドから離れることができた。
あれだけ腹の立つ裏切り行為をされても、こういった時に無意識の甘えが一番にレオナルドへと向かうのだから、認めるのは非常に癪なのだが家族として信頼しているのだろう。
……でも、レオナルドさんには教えてあげない。
これで安心してまた元に戻られても困るのだ。
もう少し私に合わせるということを学んでほしいので、まだしばらくは他人行儀を続ける。
たまについ『レオ』と愛称で呼んでしまうのだが、そんな時はすぐに『レオナルドさん』と呼び直す。
そうするとほんのり嬉しそうに笑ったレオナルドの顔が引きつるのだが、最近はそれが少し楽しくなってきた。
これが好きな女の子を苛める男の子の心境だろうか。
そんなものを理解できる日が来るとは思わなかった。
……そして今日は追想祭当日、と。
今日は朝食のあとでもう一度着替えることになるので、脱ぐのが楽なように朝はシンプルなワンピースへと袖を通す。
昨年は悪戯をして謝る日だと思っていたので、朝からレオナルドの部屋へ突撃したな、と少しだけ懐かしく思いだしていると、ふと疑問が湧いてきた。
……レオナルドさん、まさかまた裸で寝てたりしないよね?
昨年の追想祭の朝、レオナルドはなに一つ身に纏わぬ姿でベッドの中にいた。
理由を聞けば暑いから、という至極簡単な理由だったが、仮にも女の子の保護者としてどうかと思う。
しかも、私がベッドへと飛び乗っても動じることもなく、下穿きの有無を確認するかと掛け布を捲るような余裕があった。
……そりゃ、あれだけ鍛えた体なら人に見られても恥ずかしくないかもしれないけどさ!
女児の保護者として、最低限は。
今日は午前のうちから追想祭に参加することになっているので、いつもより朝食が早い。
夜の祭祀には自分も参加することになっているため、レオナルドは追想祭の午前中は毎年おやすみだ。
今年は初めてお役目をもらった私に付き合ってくれるつもりでいるらしい。
ゆっくり寝ていてもよかったはずなのだが、私に合わせて起きてきて、一緒に朝食をとっている。
「……レオナルドさん、まさかとは思いますが」
今は夏である。
まさかまた全裸で寝ているのではないだろうか、と思ったことをそのまま聞いてみたところ、今年は館の中に年頃の娘が二人いるからちゃんと自重している、と答えられた。
「二人、ですか。……一人足りなくないですか?」
ヘルミーネとカリーサ、それから私と指折り数えると、レオナルドには「ティナは計算外だ」と折った指を一本伸ばされる。
十歳になったとはいえ、まだまだ私は子どもである、というのがレオナルドの主張だ。
……少し面白くありませんが、今日のところはよしとしておきます。
レオナルドより年上のヘルミーネは、世間一般的には『年頃の娘』などと呼べる年齢ではない。
にもかかわらず、レオナルドはちゃんとヘルミーネを女性として数えていたのだ。
そこだけは評価に値する。
女性に対して無神経なところが多いレオナルドにしては、いい判断だと思いもした。
食事が終わると、部屋に戻ってお祭りの衣装へと着替える。
追想祭における精霊の寵児の役割は、精霊の目となり、耳となり、人間がちゃんと反省をしていますよ、というところを見届けるものだと説明されていた。
広場で行われる劇に出たり、レオナルドのように祝詞を読み上げたりといった練習や打ち合わせの必要な役割でないだけ気が楽だとも思える。
……一日外でお祭り見学っていうのは、体力的には疲れそうだけどね。
とはいえ、椅子も日除けも用意されていると事前に聞かされていたので、それほど心配はしていない。
今年は初めてのお役目参加ということで、ニルスも一日一緒だ。
精霊の寵児が二人になったのだから、担当時間を分けてお互いに休みつつ、という話もあったのだが、とにかく今年は私が初めてだから、という理由でニルスにも付き合ってもらうことになった。
……可愛いし、素敵なんだけど、どこかで見たことがあるような?
着付けられた追想祭の衣装を鏡で確認しつつ、既視感に首を傾げる。
古風な型の衣装は、昨年レオナルドが着ていた衣装のように幾重にも布を重ねた袖のない長衣だ。
布は多いのだが、暑くないように、と使われている布はみな薄い。
精霊の衣装、ということで背中には
両手を広げると翅を広げたように見えるのだが、その衣装を綺麗だと思う前になにか記憶に引っかかりを覚え、萌えるに萌えられない。
……あ、わかった。前世で見た。昔の歌手の衣装だ。
懐かしの歌謡番組などでは必ずといっていいほど出てくる、特徴的なあの衣装に似ている。
あの衣装には確か棒が仕込まれていた気がするので、まったく同じ物ではないのだが、印象としてはやはりあれだ。
既視感の正体がわかり、少しだけすっきりした頭を、カリーサが衣装に合わせた古風な形に編みこむ。
レオナルドから好きに切っていい、と言われた髪だったが、今日のためにと切ることは先延ばしにしていた。
追想祭が終わったら切る予定なのだが、すぐに秋が来るので、それほど短く切るつもりもない。
身支度を整えて一階へ下りると、ちょうどメンヒシュミ教会から迎えが来たところだった。
追想祭で精霊は『お客様』なので、基本的に私は遇されるだけでいい。
メンヒシュミ教会で働いているニルスも、今日ばかりは精霊の寵児として遇される側になる。
こちらも精霊の衣装を着たニルスは、普段と雰囲気が違って新鮮だった。
男の子だからか、丈の短い衣装を着たニルスには、背中に翅がない。
その代わりのように頭へはヤギの耳と角を、お尻には尻尾をつけていた。
衣装としての精霊の格好だったが、ニルスに関しては冬とあまり変わらない気がする。
精霊は歩く必要すらない、とばかりに今日の私たちの移動は馬車が主だ。
一日私に付き合ってくれる予定のレオナルドだったが、彼は精霊の寵児として同行するわけではないので、移動は別の馬になる。
なんだか申し訳ない気がしたので、無理に付き合ってくれなくてもいいと言ったのだが、十歳の私と過ごす追想祭は今日だけなので、となんだかよく解らない理由で却下された。
レオナルドなりに家族と一緒に過ごそうとしてくれているのは解ったので、甘えることにする。
午前中はイツラテル教会で、司祭が一年の
イツラテル教会というのは、私の印象としてはこの世界では珍しい部類に振られるのだが、宗教的な教会だ。
他の神々の名を戴く教会が病院や役場であったりするため、完全な宗教施設というところが逆に珍しい気がする。
正義の女神イツラテルは、神々が地上から去った際、最後まで地上と未熟な人間たちを憂い、遅くまで地上に残っていた慈悲深い女神だ。
……人間が行いを悔い、反省して見せるには格好の相手だよね。
イツラテルの一番有名な側面が正義の女神であるが故に、反省して『見せる』にはこれ以上ない女神であろう。
しかし、メンヒシュミ教会で少しとはいえイツラテルについて学んだ身としては、祭りとして体裁だけを整えた反省ならば、見せない方がいいと思う。
正義の女神イツラテルは、軍神ヘルケイレスの妹神でもある。
別の側面では戦禍の男神とも恐れられるヘルケイレスの妹神だ。
武力の面では時にヘルケイレスをも凌ぎ、悪を断罪する際には一切の慈悲を捨てる側面がある。
少し神話を齧っただけでも解る、絶対に怒らせてはいけない女神だ。
本心からの反省など、追想祭の元となった出来事が過去のものでしかない今の世では、捧げることもできないだろう。
だとしたら、体裁でしかない改悟など、捧げない方がいいかもしれない。
吹き抜けになった礼拝堂の二階に用意された席につき、一階の祭壇で行われている祭祀を見守る。
祭祀全体を見守ることがお役目なので、席は祭壇中央の女神像と儀式に参列している信者達を見守ることができる位置に用意されていた。
今年からは精霊の寵児が二人いるので、とニルスとは女神像を挟んで左右に分かれて座っている。
退屈だからといって、ニルスに話しかけることもできない。
……本当に、女神像にお祈りするだけの祭祀なんだね。
儀式開始の合図のように、司祭による祝詞の奉納がありはしたが、あとは信者たちが各自に祈りや改悟を捧げるだけのようだ。
祈り方も様々で、司祭や修道士を相手に懺悔する者、ただ静かに女神像へ向かって祈りを捧げる者、その足元にうずくまって額を床に擦り付ける者等、本当に思いおもいのスタイルだ。
……改悟と悔悟のお祭り、か。
追想祭は過ちを悔いたり、改めたりするためのお祭りだ。
祈り方にこれといった決まりがないのなら、この場所から私が祈るのも参加方法としては間違いではない。
……テオに言い過ぎたよ、ごめんねって謝れなかったよ、女神様。
テオへ謝れなかった代わりに、女神イツラテルへと祈りを捧げる。
精霊に攫われるような不思議現象がある世界なのだ。
もしかしたら女神様も存在するのかもしれない。
だとしたら、女神へ祈ったらテオにも「ごめんね」と伝えてくれるかもしれなかった。
ひとしきり女神へと改悟を捧げたあと、少しだけすっきりした気分で顔をあげる。
改めて見下ろした儀式の中に、不思議と目を引く男がいた。
……誰だろ?
なんとなく目が吸い寄せられて、礼拝堂の男の姿を追う。
髪の色は黒く、儀式の場だと言うのに服装は少し汚れた旅装束だ。
……髪が黒いから、目が行くのかな?
現在の私の保護者であるレオナルドの髪が黒いし、少し前まで考えていたテオの髪も黒い。
黒髪という共通点からつい目が行くのだろう、と考えかけて、すぐにそれは間違いだと気が付く。
黒髪の人間など、この国では珍しくない。
ベルトランとジェミヤンも黒髪であったし、礼拝堂の中でだって一番多い色はおそらく黒髪だ。
そのぐらい珍しくもなんともない色なのだ。
黒髪だという理由だけで、男に目が行くとは思えない。
……あ、解った。髪の色じゃなくて、他の人と行動が違うからだ。
礼拝堂にいる多くの人間は女神像へ改悟を捧げに来ているため、基本的な動きが『祈りを捧げる』であるのに対し、男の動きは女神像へは目も向けず、誰かを探しているかのように周囲の人間の顔を確認するものだった。
行動に違和感があるから、私の目を引いているのだ。
「熱心に祈っていたようだが、なにを祈っていたんだ?」
「え?」
不意に横から声をかけられて瞬く。
声のした方向へと顔を向けると、レオナルドが立っていた。
すぐに視線を礼拝堂へと戻したが、誰かを探していた様子の男の姿はすでにない。
……あれ?
変だな、と首を捻るのだが、レオナルドには私の行動の方が不自然に思えたのだろう。
話しかけられて顔を向けたと思ったら、返事もせずにまた視線を戻したのだから、不思議でもなんでもない。
「ティナ? どうかしたのか?」
「んー?」
さて、なんと答えたものだろうか、と少し考える。
別に隠す事柄でもないか、と当たり前のことに気が付いて、正直にテオについてを女神に祈った、と答えた。
テオにちゃんと謝れなかったので、「女神様に『ごめんなさい』って伝えてください」と祈ったと答えると、レオナルドは「そうか」と寂しそうに笑って私の頭を撫でる。
礼拝堂の目を引く男については、特に報告することもないかと飲み込んだ。
昼近い時間になると、イツラテル教会を出て大通りと中央通の交わる広場へと移動する。
広場に用意された精霊の寵児用の席は、広場に作られた舞台が臨めるバルコニーだった。
舞台から少し距離はあるのだが、下の階の屋根を利用して作られた席であるため、眺望はいい。
背の低い子どもだからといって、観客の頭で舞台が見えなくなってしまうことはありえない席だ。
「ティナお嬢さんには少し
日除けの天幕の奥へと私の椅子を移動させ、ニルスは日差しと私の顔とを見比べる。
天幕があるため日差しはそれほど強く感じないのだが、確かに、ここで一日過ごすことを考えれば体力的に辛いかもしれない。
……でも、日本の夏と比べたら、いけそうな気がする。
湿度の違いだと思うのだが、少なくともこの国の夏は日本に比べてそれほど暑いとは感じない。
じめじめとした暑さがないだけで、こんなにも夏が楽だなんて、前世では思いもしなかった。
もちろん、私個人が体感として『楽だ』と感じているだけなので、夏の暑さにまいっているものもいる。
黒い毛並みが太陽の光を吸収するので、屋外にいるのは辛いのだろう。
「オスカー、テーブルの下においで」
日陰ではあるが、周囲を警戒してか少し離れた場所にいる黒犬を呼ぶ。
黒犬は少しだけ悩むような素振りを見せたあと、天幕の下にある一番日差しから遠い場所へと移動してきた。
昼になるとカリーサが玉子サンドを持ってきてくれたので、それを頬張る。
道中で冷たいジュースも買ってきてくれたようで、力いっぱい喜んだらレオナルドがそれに対抗意識を持ってしまった。
何か私が喜ぶものを買ってくる、と言い出したので、ありがたく三羽烏亭の甘辛団子をリクエストする。
一日精霊の寵児として行事に参加する予定だったので、今年は食べられないかと思っていたので少し嬉しい。
昼食が終わると、昨年は見逃した広場での劇が始まった。
今年はメンヒシュミ教会へ通っているので、予習もばっちりだ。
ある若者が、神々の寵愛を受ける神王に嫉妬し、神王に反旗を翻した。
自分こそが王に相応しい、と王の座を望み、神王を殺してその座を得ようと力を求める。
神王は神々が選んだ王とはいえ、所詮は人間。
人の中で生きる以上、こういった嫉妬に晒されることもある。
若者は己を鍛え、強い武器を求めた。
神王に弓引くなどと、と当時はまだ身近な存在であった精霊に諭されたが耳を塞ぎ、神々の決定に背くなどと、と諌める友人を殺し、やがて若者の周囲には誰もいなくなった。
そんな状態になってしまっても若者は踏みとどまることができず、ついには神々の元から一振りの剣を盗み出す。
人間に作れるものには限界がある、と考えての所業だった。
その剣は作り出した神すら使いこなせず、禁忌として封じた物だった。
神でさえ扱いきれぬ剣が人間になど扱えるわけもなく、禁忌の剣は暴走を始め、結果として多くの精霊と人の命、そして大地からは生命力が奪い去られた。
生命力を奪われた大地は砂漠となり、大陸の南東にある巨大なヴィループ砂漠が生まれる。
嫉妬から神の剣を盗み、多くの命を奪った若者に神々は激怒し、ついには慈悲深き女神が正義の鉄槌を下すことになる。
正義の女神イツラテルに両手両足を切り落とされた若者は、死の神ウアクスの怒りも買っていたため、死の国の民になることを許されず、永遠に大地を彷徨うはずだった。
しかし誰よりも優しい、神々と精霊に愛される素質をもった神王が若者の罪に涙し、哀れみ、若者の代わりに神に許しを求める。
命を狙われていた当人である神王からの求めに、神々は怒りの矛を収め、若者は死を許されて力尽きた。
……ここからが理解できないんだよね?
劇も終盤となり、若者の遺体を抱いた神王が泣き崩れ、人と精霊、大地へと嘆きの言葉を残す。
自分のような存在があるからこそ、若者は道を踏み誤った。
このような悲しい出来事が起きたのは、自分のせいだと嘆きながら、自ら姿を隠してしまう。
神王が神話に登場するのは、ここまでだ。
この出来事をきっかけとして、神王は歴史から姿を消している。
……このお話、どこに神王が責任を感じるポイントがあるの?
神話もそうだが、物語なのだから多少の矛盾や突っ込みはあるものかもしれないが、神王の思考があまりにも超展開すぎて、私には理解ができない。
子ども向けに噛み砕いている部分もあるはずなので、理解できないのはそのせいだろうか。
……ホントに、なにがあったんだろうね?
そういえば、追想祭へ精霊の寵児として参加してほしい、と依頼を持って来たアラベラは民間伝承を研究していたな、と思いだす。
アラベラに聞けば、子ども向けに噛み砕かれたものではない話が聞けるかもしれない。
……レオナルドさんが毎年夜の祭祀でやってる若者って、すごい悪い人だったんだね。
そんな悪人役をなぜ砦の主に、とは思うが、ある意味で努力家の若者は自身を鍛えることを怠らなかった。
その辺りから、街で一番強い人間に、ということになっているのかもしれない。
……神に挑んだ男って言うのかな、この場合。
劇が終わり、役者たちが舞台袖へと帰っていく。
それをなんとなく見つめていると、大きな手で頭を撫でられた。
「レオ……?」
頭を撫でる手つきに促され、背後を見上げる。
見上げた先にあったのは、青い目をした黒髪の男の顔だった。
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