閑話:レオナルド視点 俺の妹 11

「ティナ、仲直りしよう」


 一晩空けて、改めて話をしよう、とティナの部屋の扉をノックする。

 ノックをするのは大切だ。

 現在のティナの部屋では、己の命にかかわってくる。


 昨夜は寝ていたら悪いと思ってノックをせずに部屋へと入り、不審者と判断されて番犬オスカーに殺されそうになった。

 ベッドを覗いても黒犬がいない、と不審に思うのが数瞬遅かったら、死んでいたと思う。

 黒犬は正確に首筋を背後から狙ってきた。

 あれはどう考えても本気だったとしか思えない。


 ……うん?


 昨夜は迷いなく俺を殺そうとしてきた黒犬が、今朝はベッドの上でティナに寄り添いながら困ったように尻尾を下ろしていた。

 表情の判りにくい黒犬だったが、今の顔はさすがにわかる。

 困り果てて誰か人間が来るのを待っていた、という顔だ。


「ティナ? 朝だぞ? 喧嘩はしてても、朝の挨拶はしよう」


 なにか変だな、と思いつつ、丸くなって寝ているティナの肩を揺り起こす。

 ティナからはだるそうなくぐもった声が聞こえてくるだけで、制止も拒絶の言葉もなかった。


「……ティナ?」


 これはいよいよおかしい、と掛けいでティナの頭を出す。

 掛け布の中のティナは、やや赤い顔をして苦しげに呼吸をしていた。


「熱があるな」


 見ただけでも判る不調に、ティナの額へと手を当てて熱を測る。

 素人でも判る高熱に、黒犬が困り果てていた理由がよくわかった。







「なにかごようですか、よそのおにいさん」


 不機嫌さを隠す気もないようで、ティナの態度は素晴らしく悪い。

 食事の間は熊のぬいぐるみの腹を背あて代わりに座っていたのだが、カリーサがテーブルを片付けるとティナは俺から距離を取るように熊のぬいぐるみのむこうへと隠れてしまった。

 こうなってしまうと、ぬいぐるみの巨大さとベッドの天蓋に隠されてティナの姿がほとんど見えない。


 ……ジンベーが邪魔だ。誰だ、こんなに巨大なぬいぐるみを買ってきたのは。


 誰だもなにも、この熊のぬいぐるみを買ってきたのは自分なのだが。

 ぬいぐるみの影で寝るつもりなのか、ティナがぬいぐるみの足の影で掛け布を懸命に引っ張っている。

 熱があるため、まずはティナを寝かせておきたい。

 そう思って手を貸してやろう腕を伸ばしたら、構わないでくれと威嚇された。

 おそろしく気が合うのか、ティナの威嚇に合わせてオスカーがベッドへと飛び乗り、こちらも俺を威嚇しはじめる。


 ……優秀な番犬だな、オイ。


 ベルトランは仕事をしていない、と嘆いていたが、実情を知っていればオスカーはこれ以上ないほどに優秀な仕事っぷりを披露していた。

 護衛対象の意に沿った行動をし、敵と判断したおれを排除に動いている。


「あたまいたいので、よそのひとのあいてなんてしたくありません。でてってください」


 体重を使って掛け布を引っ張り、勢い余ってティナが後ろへと転ぶ。

 ゴツンっとどこかをぶつけたような音がしたが、助け起そうと腰を浮かせば黒犬が唸り声をあげるので近づくこともできない。


「……へんですね? よそのひとだったら、わたしのみかたのはずなんですけど」


 ティナがまだ昨日の怒りを引きずっていることがよく判る。

 言葉の選択には棘しかないし、遠慮も容赦もない。


「あなた、だれですか?」


 ぬいぐるみの影からティナがようやく顔を見せてくれたかと思ったら、心底不思議そうな顔をしてこちらを見つめてくる。

 澄んだ青い目なのだが、表情は完全に『無』だ。

 ティナにとっては嫌味でもなんでもなく、本当に『おまえは誰だ』と聞いているのだろう。


「俺はティナの兄で、ティナの味方だよ」


「うそつき」


 一瞬だけティナの瞳に力が宿る。

 ギロリと射殺すかのような目で俺を睨み、すぐにぬいぐるみの影へと顔を隠してしまった。


「……ティナ、仲直りをしよう」


 ぬいぐるみの影に隠れたティナにむかって話しかけてみるが、ティナからの返事はない。

 何度か名前を呼んでもみたが、すべて無視された。

 こうなってくると黒犬も俺の相手はしなくてもいいと判断したのか、熊のぬいぐるみを回り込んでティナのいる側へと移動する。

 傍らへと腰を下した黒犬に、時折背中を撫でるティナの手が見えた。


「とにかく、俺の話を聞いてくれ」


 どのぐらいの時間ぬいぐるみの影にいるティナと向き合っていたのかは判らない。

 不意にぬいぐるみの影からティナの手だけが出てきた。


「……おはなしをきいてやってもいいか、とおもえるみつぎものをようきゅうします」


 ひらひらと手を動かしながら、ティナがこんなことを言いはじめる。

 ジークヴァルトが俺をしっかり叱っておくので、謝りに来たのなら話ぐらいは聞いてやってほしい、と。

 その話を今思いだしたので、話を聞いてほしかったらその気になる貢物を寄越せ、ということだった。


 あくまでジークヴァルトの顔を立ててのことであり、自分は他所よその男の言い訳など聞きたくはないのだ、ともティナは続ける。


「いっておきますが、おかしとかワンパターンなものをもってきたら、たたきだしてやります」


 少しだけ声に元気が戻ってきたティナに、嬉しくなって頬を緩めた。

 なにが欲しい? と聞き返したら、ぬいぐるみの影でティナが動く気配がして、ティナがのそのそとベッドの上を歩いてくる。

 やっと顔を見せてくれた、と思ったのだが、ティナは足を振り上げると弱い力で俺の体を蹴った。


「レオのあほーっ! ぜんぜんこりてないっ! わかってない! ばかばかばかっ!!」


 力はないし、体重は軽いので、裸足のティナの蹴りは俺には痛くもなんともない。

 ただ、さらに怒らせたことだけは、鈍いと評されることが多い俺にも解った。


「すこしはじぶんでかんがえてっ! いもうとのほしいものぐらいわかりなさいよ、あほっ!」


 ぽてりと体力の限界か、ティナがベッドに倒れる。

 そのまま天井を見上げたティナが青い瞳に涙をためて泣き始めると、選手交代とばかりにぬいぐるみの影から黒犬が俺へと襲い掛かってきた。

 昨夜同様正確に、喉仏を狙って、だ。


 これではさすがに一度撤退するしかない。

 訓練された犬が相手では、素手では分が悪すぎた。







 ティナの機嫌が直るもの、と考えて、厨房へと顔を出す。

 ティナの甘えの一環として、たまに俺の作った野菜スープが食べたい、と言う時がある。

 これで機嫌が直ればいいが、と大きめに切った野菜を煮込んでいると、非常に珍しいことに厨房へとヘルミーネが顔を出した。

 ヘルミーネ自身も料理は得意だと聞いているが、館へ来てから料理をしているところを一度も見たことがない。

 だからといって料理が得意というのが嘘だという理由わけではなく、単純にバルトとタビサの領分を侵さないためとのことだった。

 その証拠に、二人が忙しくて手が足りない時などは、下拵したごしらえを手伝ってくれることもある、との話を聞いたことがある。


「……馬鹿ですか?」


 鍋と俺の顔とを見比べて、ヘルミーネの口から出てきた第一声がこれだった。

 ティナがお菓子ではないと言っていたので、野菜スープを作ってみたのだが、やはり単純すぎただろうか。


「ティナさんの言う『お菓子じゃない』は食べ物以外で機嫌をとれ、というティナさんからのヒントのつもりだったのだと思いますよ」


 怒りながらもティナがヒントをくれたというのに、懲りもせずに野菜スープを作っている、とヘルミーネの視線は冷たい。

 言葉には出されてないのだが、「この無能が」と思われているのがヒシヒシと伝わってきた。

 目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものだ。


「ハルトマン女史なら、ティナの求めているものがわかるだろうか」


「お兄様であるドゥプレ氏が不合格をいただいているのですから、ティナさんが求める物に心当たりはございます」


「それを私にお教え願えないものか」


「お断りいたします」


 それを自分が教えてしまえば、今度は自分がティナからの信頼を失い、また怒りを買うだろう、とヘルミーネは答えた。

 確かに、ティナからの謎かけのような要求に、他者ひとの助力を得て正解するようでは、兄として失格なのだろう。


「いい機会ですから、ティナさんのことをよく考えてはいかがですか?」


「考えているつもりなんだが」


「それは本当に『つもり』というだけなのでしょう」


 家庭教師などより余程長い時間ティナと一緒にいたはずなのに、いったいこれまでティナのなにを見てきたのか、とヘルミーネに指摘されれば、反論はできない。

 期間でいえば、館にいる誰よりもティナと長く付き合っているはずなのだが、時間でいえば一緒にいるようになったのは秋の終わりからだ。

 それも、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の警備という仕事上の都合で、俺がティナと過ごす時間を増やそうとしての結果ではない。


 ……ティナのことを考える、か。


 コトコトと煮える鍋の中身を見つめながら、ティナについて改めて考える。


 ティナといえば、とにかく可愛い。

 容姿もさることながら、素直で懐っこい性格も可愛い。

 そのくせ人見知りで、初めての場所や人の前では俺の後ろに隠れることが多い。

 そんな時は兄として頼られている、と実感ができて嬉しい。


 年齢のわりに理性的な子どもでもある。

 今回のように怒って泣き喚くなんてことは、そうはない。

 前にティナがクッションを振り回して怒ったのは、カーヤの行いに対してティナを叱った時だ。

 あの時も自分は悪くないとティナは主張し、聞く耳を持たなかった俺に対して怒った。

 カーヤにではなく、俺にだ。


 ……あの時から、ティナにとっては当てにならない兄だったんだな。


 思えば、あの頃からティナは、なにかあればアルフを頼るようになった気がする。

 俺へも相談をもちかけるが、アルフにも同じ相談をしていたはずだ。


 ……当てにならないながらも、やっと兄として甘えてくれるようになったのに、俺がティナを裏切った。


 俺が叱る順番を間違えた、というのがアルフたちの見解だった。

 確かに、筋道をつけて説明されれば、ティナが怒るのも無理はない。

 そのせいで、テオにも悪いことをしてしまった。


 ……食べ物以外の貢物か。


 ティナが喜びそうなもの、と考えて、一番に浮かんだのはオレリアだった。

 ティナはオレリアによく懐いている。

 オレリアは黒騎士の天敵のような存在だったが、ティナにとっては違うのだろう。

 英語しか話せないオレリアとティナではろくに会話が成立しないはずなのだが、逆にそれがティナにはよかったのだろうか。

 あの老婆は言葉が通じる相手には棘と毒のある言葉しか吐かないのだが、ティナにそれが通じるわけがない。

 さすがのオレリアも純真な子どもには勝てないのか、ティナにだけは優しい素振りも見せていた。


 ……いっそオレリアに館へ住むよう誘ってみるか?


 実現すれば朝から晩まで俺がオレリアに杖で殴られ続けそうな気がしたが、ティナは喜ぶだろう。

 老齢のオレリアが谷に一人で暮らしていることを心配していた。

 今は弟子が二人そばにいるが、それもいつまで続くかは判らない。


 ……他には。


 刺繍が好き。お菓子も好き。はちみつがあると喜ぶ。プリンを目の前に踊りだす。

 ぬいぐるみや仔犬には奇妙な名をつけ、可愛いものや綺麗な物も好む傾向にある。


 ……俺のやった髪飾りはタビサやカリーサが管理してるのに、オレリアのやったリボンだけは自分で管理してるんだよな。


 と、屋根裏に隠されたレースのリボンを思いだし、あることに思い至った。

 ティナが秋に風邪を引いた時、春になったらまた屋根裏部屋を使ってもいい、という約束で鍵を取り上げている。

 このまま屋根裏部屋ではなく三階の部屋を使ってほしい、と故意にとぼけて春になっても鍵を返していなかった。


 ……屋根裏の鍵か? ティナが欲しいもの、ってのは。


 食べ物以外で俺に用意できるティナが確実に喜ぶもの、が屋根裏部屋の鍵であろう。

 一度これかと思いついてしまえば、他にはなにも思い浮かばない。


 ……しかし、屋根裏部屋だぞ? 使用人の部屋だ。


 とてもではないが、妹を住ませる部屋ではない。

 これはティナがあの部屋をほしがった時から言い聞かせてきたことでもある。


 ……いや、ティナは俺なんか兄じゃない、って言ってるか。


 俺の妹ではないと言うのなら、ティナを屋根裏部屋に住ませるのもいいのかもしれない。

 俺の妹ではないのではなく、俺がティナに兄として認められていない、というのが正確なところだったが。


「……考えてみれば、俺の方がティナに合わせたってことはなかったな」


 いつでもティナが、俺の都合に合わせてくれていた。

 忙しい、と構えずにいても文句を言わず、連れてこられたばかりの館に一人で放置されてもなにも言わなかった。

 メンヒシュミ教会へ通えといえば悪童がいても我慢して通い、礼儀作法を学べと家庭教師を雇えばこれにも従った。


 これらはすべて、俺が思うサロモンが娘にしただろう教育を想定してのものだ。

 ティナの都合も、気持ちも、なに一つ確認していない。


 恐ろしいことに、そのことに今はじめて気がついた。

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