第42話 川遊び
夏になってメンヒシュミ教会で学ぶ内容も、基礎知識3と区分されるやや難しいものへと変わる。
生活に余裕がある者や、黒騎士や学者といったさらに先の学を求める者は、基礎知識3の次に応用と復習の授業を受けることになるが、私は少し考え中だ。
現在習っているものが
大人になって生活に余裕ができ、ようやく学ぶ時間が取れるようになった、という大人ですらも次の段階まで進む者は少ないのだ。
……レオは私に貴族と同等の教養を身に付けさせたいみたいだけどね。
レオナルドお兄様、とつい頭の中で『レオ』と呼んでしまったものを訂正する。
新しい呼び方には、まだ慣れそうにない。
やればできる子だったテオは、基礎知識2は真面目に授業を受けていたので私たちと同時に終了した。
今は無事にみんなで基礎知識3の授業を受けている。
これまでの私は朝をのんびりと過ごして午後からの授業を受けていたのだが、夏は午後の授業時間が一番暑い時間と重なっている。
そのため、夏の間だけは午前の授業にでることにした。
こんな選択をする生徒ばかりなら夏の午前の教室は人が増えるのではと思うのだが、メンヒシュミ教会は学を求める者が自身の自由意志で訪れる場所だ。
夏の暑い盛りに勉強などしたくない、という子どもは夏にメンヒシュミ教会へと通うことを避けるし、夏が稼ぎ時の家業の子はその手伝いにかりだされる。
結果的に教室を訪れる生徒の数は普段と大差なくまとまっていた。
……季節ごとに区切られる授業って、案外便利だね。
過ごしやすい季節を選んで授業を受けることもできるし、なんらかの事情で途中から授業を受けられなくなっても、また次の季節に授業を受けなおすことができる。
私はのんびりと授業を受けているので基礎知識から応用までをすべて学ぼうと思えば一年通うことになるが、一日中メンヒシュミ教会で授業を受ければ半年ですべての授業を終えることもできるようになっていた。
……そして、午前中に教会の授業が終わると、午後からたっぷり遊べるとか、考えたことなかったな。
午前中にメンヒシュミ教会で学ぶことで、午後はぽっかりと時間が空いている。
館で過ごせばヘルミーネの授業を受けることが出来るが、今日はとても珍しいことにミルシェたちと午後から遊ぼう、と約束をしていた。
一度館に戻って昼食を食べてから合流してもよかったのだが、そこは珍しい遊びの約束だ。
いつもと少し違うことをしよう、ということで、今日は迎えのカリーサに弁当を頼み、みんなでお昼を食べよう、という計画になっている。
……午後はまるまる遊ぶからって、動きやすいように中古服を着てくるとか、私けっこう楽しみにしてるかも?
「あれ? なんでレオ……ではなくて、なぜレオナルドお兄様が一緒にいるのですか?」
授業が終わってメンヒシュミ教会の建物を出ると、カリーサの他になぜかレオナルドがいた。
館に籠もって研究資料の警備をしていなくてもいいのだろうか。
心配になってそう聞いてみたところ、丁度アルフが砦から仕事を持ってきたので、体よく警備を押し付け、荷物持ちの名の下に館を出てきたらしい。
たまには私に『保護者と遊んだ』という思い出を作ってやった方がいい、というのはジークヴァルトの言だとか。
アルフもこれには否と言えず、館の警備を代わってくれたらしい。
……アルフさん、ジーク様、ありがとう。
もしかしなくとも、保護者よりも保護者らしい二人にこっそり感謝をする。
本当の保護者は私との思い出作りなど、たぶん考えたこともないはずだ。
そんなことが考えられる保護者なら、引き取って早々に館へ放置などするはずもない。
大人はレオナルドとカリーサ、子どもたちはいつものメンバーで、そしてなぜか
街を流れる川は、この季節は子どもたちのたまり場だ。
みんな薄着になって水辺に集まり、川へと飛び込んだり、水を蹴ったりとして思い思いに遊んでいた。
「いい遊び場ですね」
カリーサの持ってきてくれた玉子サンドを齧りつつ、周囲を見渡す。
街を流れる川は足場や橋があるのだが、すべてが完全に整えられてはいない。
ところどころ岩がむき出しになっており、木も下草も生えていた。
飛び込み台のように使われている足場があり、子どもたちが躊躇いなく川へと飛びこんでいるところをみれば、あの下は少し深いのだろう。
元気よく川に飛び込む子どもの他に、足だけを川に浸して涼をとる老人の姿も見えた。
……そういえば、去年は甚平で泳いでいる子を見た気がする。
いつだったかな? と考えていると、自分の服装が気になった。
今日は動き回る予定で中古服を着てきたが、これならば甚平の方がよかったかもしれない。
甚平なら、スカートが捲れることも気にせずに川へと入れたはずだ。
「気にせず川へ飛び込んでくればいい」
ちらりと自分のスカートを摘まんだのを見られたのだろう。
保護者から服装など気にせず川へ飛び込んで来い、とのお許しが出た。
「止めておきます。わたしの服は布が多いから、濡れたら重くなりますし……」
髪も伸びたので、乾くまで時間がかかる。
ドライヤーのないこの世界では、あまり気軽に髪を濡らすようなことはしたくはない。
……それに、川で水遊びをした子どもが寄生虫かなにかで死んだ、って事故をなにかで見たことあるしね。
前世で見たテレビ番組だったと思うのだが、そんな事故があったはずだ。
川で水遊びをした少年が鼻から寄生虫に侵入され、最終的に脳へと寄生虫が移動して死んでしまった、という事故だった気がする。
事故自体は外国のニュースだったはずだが、日本でも事例があると言っていたはずだ。
ということは、どこででも起こり得ることなのだろう。
消毒されたプールの水でもない川に、頭から飛び込むのは少し怖い。
……私にできることって言えば、あのご老人たちみたいに足を水に浸けるぐらいかな?
食事が終わったら、足を水に浸そう。
のんびりと玉子サンドを齧りながらそんなことを考えていたら、遠くからテオがレオナルドを呼んだ。
最初こそレオナルドの前では借りてきた猫のようにおとなしかったテオだったが、さすがにもう慣れたのか、レオナルドの前だからといって緊張して押し黙ることはなくなった。
最近では私の兄だというのに、テオの方がレオナルドと仲がいいのではないか、と疑うこともあるほどだ。
「……呼ばれていますよ、レオナルドお兄様」
少し声に棘が出るのは、ヤキモチだろうか。
自分でも驚くほどレオナルドに対して独占欲を持っているようだ。
「ティナも一緒に行こう」
そう言ってレオナルドが手を差し出してきたので、少し考えてからレオナルドの手をとる。
拗ねるのも妬くのも、時間と労力の無駄だ。
私は子どもで、今は遊びに川へと来ているのだから、友人の男児に兄を取られるだなどと一人で拗ねているより、一緒に遊んだ方がいい。
……さすがに飛び込みは無理だけどね。
寄生虫うんぬんへの恐怖もあるが、単純に飛び込むという行為が私には無理な気がした。
川での水遊びは、実に快適な時間の過ごし方だった。
泳いだわけではないが、昼食を食べたあとに川の水へと足を浸し、暑い午後をゆったりと過ごすのは本当に素晴らしい。
二時間ぐらい水辺で走り回ると、さすがのテオたちも疲れたようだ。
水からあがって寝転がったり、濡れた服を絞って乾かし始めたりと、なんとなく帰り支度が始まっている。
……うわぁ、思ったより高かった。
みんなが帰り支度を始めたので、とそれまでは近づかなかった飛び込み台代わりの岩の上へと移動する。
今なら誰の邪魔にもならないと思って来たのだが、そもそも覗き込むべきではなかった。
むき出しになった岩肌も、覗き込んだ淵の深さも、私が恐怖を感じるには充分なものだ。
……頭で考えるとレオの背より低そうだけど、上から見ると怖いな。
水面からは二メートルもないと思うのだが、あたり前だがプールのように整えられていないため無駄に怖い。
これ以上前に出たら足が竦んで動けなくなるという変な自信があったので、ジリジリと後ろへと下がる。
と、不意に裸足の足音が背後から迫ってきた。
……え? 誰か飛び込むの?
ならば急いで場所を空けてやらねば、と思った瞬間だった。
サッと私の手が攫われる。
ぐいっと引っ張られていると気がついた時には、勢いよく背後へと――飛び込み台を越えた宙へと――投げ出されていた。
あとは本当に、スローモーションのようだった。
着水までにさまざまな考えが頭を過ぎり、空の青さが目に突き刺さる。
背後へと吸い込まれるような力での落下は恐怖しかない。
水柱を立てて川の中へ落ちた時には、思考は寄生虫の話や水場での悲しい事件・事故のニュースで埋め尽くされていた。
……怖い、怖い、怖い、怖い、怖いっ!!
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