閑話:レオナルド視点 指輪の行方 1

 十歳になったのだから、とティナは少しずつ自分の行動を改めることにしたらしい。

 これまでのように抱き運んだり、膝に座らせたりするのは禁止だ、と宣言されてしまった。

 それでも俺の妹は可愛いので、ついこの宣言を忘れて膝に乗せようとしてしまったのだが、ペチンと鼻を叩かれる。

 グーでなかっただけ俺の妹は優しい。


「レオ! ……じゃない。レオナルドお兄様、アルフさんがいらっしゃいました」


 ノックの音に書類から顔をあげると、執務室の扉からティナが顔を覗かせている。

 返事を待ってから扉を開けられたら完璧だと思うのだが、言葉と行動を改めようと意識しすぎているせいか、これまでは出来ていたことが出来ていない。

 先に一度『レオ』と呼んでから『レオナルドお兄様』と呼び直すのも、ティナが無理をしている証拠だ。


 ……無理をしてすぐに改める必要はないと思うんだがな。


 年齢が一桁か、二桁かで大きな違いがあるとでも思っているようだが、大人からしてみれば十歳はまだ子どもだ。

 ティナが急いで大人になる必要はない。


 アルフを案内してから去っていくティナを見送ると、アルフが部屋の中へと入って来る。

 手には相変わらず書類や報告書の類が束になっていた。


「報告書の追加と、こちらは追想祭の企画書、見積書、警備の手配と相談、新しい精霊の寵児の衣装相談のための面談依頼に、ルグミラマ砦からの冬の侵入者に対する調査報告、ラガレットからの誘拐犯の処遇について……」


 書類の概要を挙げながら、優先度順にアルフが紙の束を執務机に並べる。

 急ぎの用件からティナの衣装相談の面談依頼といった後回しにできるものまで、実にさまざまだ。


「あと、これは口頭での報告になるが……」


 そう断って、アルフは声を一段低める。

 ティナは盗み聞きなどするような子ではないが、あまり聞かれたい話でもない。


「我が家に滞在中のベルトラン殿は、実に精力的に動き回っておられる」


 使用人からの報告になるのだが、ベルトランは館へ人を呼んでなにかを調べさせている、とのことだった。

 最初に呼ばれたのは裏路地に店を構える古物商で、古物商は小さな箱に指輪を入れてやってきた。

 二人の間には事前に連絡がなされていたのか、ベルトランはその指輪を少し確認しただけで古物商にいくらか包んだらしい。

 館の使用人はほとんどアルフが個人的に用意した人間たちだったが、ベルトランは古物商とのやりとりを特別隠す必要があるものとは考えていなかったようだ。

 アルフの家令は普通に同席を許され、その場の会話をすべて聞いている。


「私がティナの前の家庭教師の犯行を掴むためにしたことと、似たようなことをしていたみたいだな。ベルトラン殿の張っていた手配書に該当する指輪が、このグルノールの街の古物商に持ち込まれたらしい」


「……どこかで聞いた話だな」


「奇遇だな。私も聞き覚えがある」


 ティナの年齢を考えれば、何年前に出された手配書かも判らない。

 ただ、ジャン=ジャックが指輪を売りに出す何年も前から、手配書が配られていたことは間違いがないだろう。


「どうやらジャン=ジャックの売った指輪が売れた、というのは嘘だったようだな」


 店に売られた時点ですぐにベルトランの元へと知らせを送ったのだろう。

 今さら指輪がグルノールの街から出てくるということは、ジャン=ジャックが自らの行いを反省し、慌てて買戻しに行った時にはまだ店の中にあったはずだ。


「古物商の証言のせいで、黒騎士があの指輪を売りに来たということは、すでにベルトラン殿の知ることとなった」


 基本的にはずっと館へ詰めているため俺は知らなかったのだが、ここしばらく毎日のようにベルトランがグルノール砦へと顔を出しているらしい。

 そこで自ら聞き込みを行い、指輪を売った黒騎士を探しているのだろう。


「……ベルトラン殿がジャン=ジャックに辿りつくのは時間の問題だな」


「古物商の口から、買い戻しに来た時に別の黒騎士とセドヴァラ教会の人間がいたことも知られている。下手に隠し立てをするのは不自然だから、聞かれれば私は正直に答えるつもりだ」


 自分がジャン=ジャックと共に古物商へ行った黒騎士だ、と。

 それ以上のことを言うつもりはないが、下手に隠せばボロが出る。

 そのため、話せる範囲では正直に答えておく、と。


「ジャン=ジャックはグルノール砦所属の黒騎士だ。おまえの配下ということで、ベルトラン殿はおまえのところにも来るぞ」


 覚悟をしておけ、と言ってアルフは砦へと戻っていった。

 なんとなくすぐに仕事へ戻ることができずにいると、一階からティナの驚いた声が響いてくる。

 また黒犬がやって来たのだろう。

 飼い主に引き取られていったはずなのだが、あの犬は毎日のようにティナの元へとやって来ていた。







「……本当に、連日だな」


 なんとか玄関から黒犬を押し出そうと試みるティナだったが、オスカーの方が一枚上手だ。

 押し出そうとすればティナの手を舐めて気勢を削ぎ、外出する振りをして締め出そうとすれば別の扉や窓から侵入して来てまたティナの背後に陣取る。

 護衛としては優秀な犬だと思う。

 本当に、護衛として付けている犬であれば。


「二階はダメ、って言うのは守ってくれてるんですけどね?」


 それ以外はまったくティナの言うことを聞かない。

 一方的にティナに張り付いて行動し、自室にいる間は階段で待機し、一階やメンヒシュミ教会へと出かける時は後ろをついて歩く。


 ……これは、オスカーはティナがサロモン様の娘だと気がついている、と考えるべきか。


 人間には理解できないが、犬の嗅覚は鋭い。

 犬の感性でもって、なんらかの嗅ぎわけがなされているのだろう。

 そして、オスカーは犬であるため人の言葉が話せない。

 ティナが誰の孫娘かと気がついていても、それを飼い主に報せる方法はなかった。


 ティナの通報によって、ベルトランは連日のように黒犬を迎えに館へとやって来る。

 しかしベルトランはティナについてはなんの言及もしてこないので、用があって探しているのは指輪の持ち主だけなのだろう。

 もしくは、まだサロモンに娘がいることを知らないだけか。


「ティナとベルトラン殿は、結構馬が合うというか……気は合っているようなんだよな」


 俺に懐いてくれるのは随分時間がかかったような気がするのだが、ティナはベルトランにべったりだ。

 全盛期の逸話が多い方なのだが、ニルスにいろいろ仕込まれていたらしい。

 逸話の真偽を尋ねては、ベルトランの武勇伝に目を輝かせている。

 一度ベルトランに対抗して敵将を馬ごと真っ二つにした話をしたら、盛りすぎです、と醒めた目で見つめられてしまった。

 嘘ではないのに、だ。


「今は気が合っているように見えても、慎重にな」


 ティナが望むのなら祖父と対面させてやるのもいいが、ベルトランの望みは聞くな、とアルフに釘を刺される。

 含みを持つ言葉になにかあるのか、と返したら、今は他所の子どもとして接しているから見えないが、家人としてのベルトランはまた違った顔を持っている、と忠告された。


「父親としてのベルトラン殿は、一言でいえば苛烈だな」


 子どもは男子のみ三人。

 自身が黒騎士として功を立て、爵位を得たため、息子たちにも国への忠義を求めた。

 そしてその方法としてベルトランが選んだのが、自身と同じように黒騎士として国に仕えることだったのだが、どの息子にも黒騎士になる程の才はなかった。

 才がないのなら努力で補え、と苛烈を極める訓練を息子たちにい、長男と三男はなんとか白騎士にはなれたが、次男は身体を壊してしまい騎士への道は閉ざされている。

 それでも国に尽くしたいという心根だけは継承されたようで、次男は文官への道を進んだ。

 三男であるティナの父親の出奔時期は不明だが、長男は先の戦で戦死しており、文官として戦に出なかった次男が跡継ぎとなっている。

 その次男は長男の子を養子に迎えたが、三年前に病死。妻は実家へと戻されている。

 孫は男子が三人いたが、二人は流行り病で死んだ。

 最後の残った孫は、病弱を理由に外へ出なかったために難を逃れたのだが、そもそもが病弱で跡取りとしては頼りない。


「……なんていうか、呪われでもしているのか? 不幸続きじゃないか」


「病死はともかくとして、問題は国のためなら鬼になるところだ。男子でも身体を壊すほどに鍛えられるんだぞ。ティナには無理だ」


 今は他所の子どもと思っているから可愛がっているだけだが、家族として躾けようとすれば、ベルトランはティナになにをするかはわからない。

 ティナが孫娘だという事実は、報せない方がティナのためなのだ。

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