第41話 十歳の誕生日

「十歳になったので、今日から抱っこ禁止です」


 食後のお茶を美味しくいただきながら改めて宣言すると、レオナルドはなんとも微妙な顔をした。

 まず間違いなく、この宣言に不満があるのだろう。


 ……でも譲りませんよ。レオの腕力だと、私が大人になっても抱き運べそうだからね!


 これは早めに改めた方がいいことだと思う。

 今はまだ父娘おやこに見えることもあるらしいので幼女を抱き運ぶ微笑ましい図で収まっているが、もう五・六年もすれば私だって年頃の娘になる。

 三十代になったレオナルドが十五・六歳の私を抱き運んでいたら、いかがわしい関係にしか見えないだろう。

 そんなことになれば、レオナルドの騎士生命にかかわる気がした。


「……ティナは走るのが遅いだろう?」


「もちろん、犬に追いかけられているだとか、不審者に誘拐されそうな時とか、緊急時は別ですよ」


 同じ年頃の子どもと比べて特別走るのが遅いとは思っていないが、足の長さが違うので大人と比べればやはり遅い。

 そういった緊急時に抱き運ばれるのなら、私としても文句がないどころか、こちらからお願いしたいぐらいだ。


「でも、十歳にもなって保護者に抱き上げられている子なんて、お友だちの中にはいませんよ」


 現在の私の友人といえばミルシェやニルスといったメンバーになるのだが、彼女たちが親や保護者に抱き運ばれているところをみたことはない。

 一度だけミルシェがレオナルドに抱き運ばれたことがあるが、あれは私が煽ったからだ。

 レオナルドだって、普段は他所よその子を簡単には抱き上げたりしない。


「……あと、お膝に座らせるのも禁止です」


 昨日は散々自分から乗った膝だったが、これも最後だと思ったからやったことだ。

 保護者の膝に座るだなんて、本当に小さな幼児の間だけだと思う。

 少なくとも、十歳になってまで保護者の膝に座るのはおかしい気がした。


「お菓子をくれる時は、お皿に載せてください」


 これも昨日散々したことだったが、普段はレオナルドがしてくることだ。

 私に口を開けさせて、そこへ飴や焼き菓子を入れてくる。


 手から口へと直接お菓子を貰うのは淑女としておかしい、と指摘すると、レオナルドが発言を求めて手を挙げた。


「ティナの誕生日だっていうのに、俺への禁止事項が多い気がするんだが」


「十歳として相応しい行動を考えた結果、レオナルドのわたしへの甘やかし方に問題があると判断しました!」


 主にヘルミーネが、という台詞も付け加えておく。

 これは昨日十歳に相応しい行動をヘルミーネの元へと相談に行った時、なぜいけないのかを解説とともに指摘されたものだ。

 私自身そろそろ直した方がいいと思っていたので、ヘルミーネの指摘と解説はしっかり活かさせていただく。

 私だけの主張では、レオナルドに丸め込まれてしまうこともあるからだ。


「それから、レオの呼び方もレオナルドに直します」


「それはおかしいだろう。愛称から扱いが悪くなっているぞ」


 やっと親しみを持って『レオ』と愛称で呼び始めたのに、十歳になったからといって他人行儀な呼び方に戻るのはおかしい、とレオナルドは抵抗する。

 が、私としては他人行儀な呼び方に直すつもりではない。


「わたしだって、いつまでも子どもじゃないですからね。家族の名前はちゃんと呼べます」


 気分的には『パパ、ママ』と両親を呼んでいた赤ん坊が、成長して『お父さん、お母さん』と呼び方を改めるようなものだ。

 他にも『レオナルド兄様』という呼び方も少し考えたが、『兄様にーさま』という響きは少し子どもっぽい気がして、自重した。

 この思考の変遷をレオナルドにそのまま伝えたところ、兄様が付くのなら『レオナルド』になっても気にしないらしい。

 むしろ兄様希望だ、とまで言われた。


 ……兄様にいさまだと『にい』が『にー』に間延びして、子どもっぽい気がするんだけどな?


 十歳に相応しい呼び方を、と呼び方を改めようとしているのに、より子どもっぽくなるのは避けたい。

 結局、呼び方については再度ヘルミーネに相談することになった。







「レオナルドお兄様、でよろしいのではありませんか?」


 午後のヘルミーネの授業が終わったあと、ようやく雑談ができるか、と呼び方について相談したところ、『お』を一文字足される。

 たしかに、ただ『兄様にーさま』と呼ぶより『お兄様にいさま』の方が子どもっぽさは無くなる気がした。


「ティナさんには他にお兄様がいらっしゃるわけではありませんから、名前を省略して『お兄様』でも問題はないかと思います」


 子どもっぽいのが気になるのなら『兄上』という呼び方もある、と呼び方の候補を追加され、少し考えて『レオナルドお兄様』と呼ぶことにする。

 これならば少しだけ子どもっぽさも抜けるし、レオナルドの希望である『兄』も入っているので、文句はないだろう。


「……では、淑女にむかって一つ階段を上ったティナさんに、わたくしからも誕生日の贈り物です」


 そう言ってヘルミーネが私の前へと置いたものは、今の私には一抱えもある大きな裁縫箱だった。

 取っ手を境に二枚の蓋があり、上部には花が彫り込まれている。

 オレリアへ贈る刺繍をする時に図案をよく見ていたため、この花には見覚えがあった。


 ……オレリアさんとお揃いだ。


 正確にはセドヴァラ教会の誰かともお揃いになるのだが、横からハンカチを買い取ったという人物の顔を私は知らないので除外する。

 この裁縫箱は、オレリアとお揃いの柄なのだ。


 花の彫り込まれた蓋を開けると、中には仕切られた小さな部屋がいっぱいあった。

 針山や針と何色かの糸が入っている。

 下部は二段の引き出しになっていて、中央で別れているので全部で四つの引き出しがあった。


「中身は針と糸ぐらいしか用意しませんでしたが、あとはティナさんの好みで揃えていけばいいでしょう」


「素敵です! ヘルミーネ先生、ありがとうございます」


 嬉しさをハグで伝えたいところなのだが、十歳に相応しい行動を心がけると宣言したばかりだ。

 さすがに嬉しいからと、全力でハグをするのは間違いだと判る。


 少し考えたがいい方法が浮かばず、結局ヘルミーネにそのまま相談することにした。

 淑女に相応しい喜びの表現方法を。


「普通に、言葉でのお礼で充分です。それに、私はティナさんのお行儀の教師でもあるのですから、淑女らしい行動を心がけていただけるだけで嬉しく思います」


「……わかりました。全力で喜びを表現したいところでしたが、先生に教わった通りにいたします」


 正解を本人に聞いてからなので、少しだけ情けない気はしたが、居住まいを正して優雅な所作で一礼する。

 素敵な贈り物をありがとうございました、と上品な笑みを浮かべてみたのだが、お澄ましが少し気恥ずかしくて最後まで持たなかった。

 ついふにゃっと笑ってしまい、慌てて緩んだ頬を押える。

 九歳から十歳になったからといって、急に澄ました仕草が身につくわけもなかった。

 意識して直していく予定だが、初日の今日は見逃してほしい。


「そういえば、ヘルミーネ先生の誕生日を聞いたことがありませんでした」


「私のような年齢になりますと、祝われるようなものではありません」


 あと四十年もすれば長寿の仲間入りということで祝ってもいい気がしますね、というヘルミーネは、実に微妙なお年頃である。


「でも、それだと……ではなくて。……それではお礼ができません」


 少し意識して言葉を直す。

 淑女らしい振る舞いがお礼になるというのなら、積極的に直していきたい。


 誕生日が判らなければお返しができません、と要求すると、ヘルミーネは少しだけ考える素振りを見せた。


「……それでは、いつか手が空いた時にでも、私に刺繍をいただけますか?」


 お礼は受け取ってくれるが、あくまで誕生日は教えてくれないらしい。

 最後まではぐらかされてしまったが、ヘルミーネがお礼なら刺繍がいい、とリクエストをくれたので、全力でそれに応えたいと思う。







 夕食時にはアルフと、いつものようにベルトランがやって来た。

 ベルトランが夕食時の館へやって来るのはなにも食事が目的なのではなく、黒犬オスカーの迎えが主な用件だ。


 ……なんでか、毎日うちに来るんだよね、オスカー。


 オスカーはベルトランの飼い犬である、ということが門番の黒騎士に知られてしまったため、一応通行の確認だけはしているようだが、ほとんどノーチェックで城主の館の敷地内へと入って来られるようになってしまった。

 そのせいかは知らないが、オスカーは毎日朝になると館へとやって来て、私がメンヒシュミ教会へと通う日は後ろをついて歩き、授業中は建物の外で伏せて待つ。そして帰る時間に合わせてまたついて歩く、という不思議な行動を繰り返している。

 テオは相変わらずオスカーと相性が悪いようだが、教会の人間からは私の番犬かなにかだと思われはじめていた。


「お誕生日おめでとう、ティナ」


「ありがとうございます、アルフさん」


 誕生日の贈り物に、とアルフが小さな花束をくれる。

 お菓子じゃないところが素敵だ。

 これが私の保護者あにであれば、間違いなく抱え切れないほどの菓子を用意していたことだろう。


「十歳になったから甘やかすのは禁止だ、ってレオナルドに宣言したんだって?」


「少しずつ淑女を目指していきますので、アルフさんもよろしくご指導ください」


 それはとてもではないが子どもの台詞ではない、と言ってアルフが肩を竦めたので、レオナルドが私に甘すぎるのだ、と訴えておいた。


「レオナルドお兄様がわたしを甘やかしすぎるので、年相応の振る舞いが判らないんです」


 少しでも意識して直していかなければ、と意気込みをアルフに語ると、アルフは「これはお嫁に行くのが早そうだ」と苦笑した。

 今日から『レオナルドお兄様』と呼ばれることになったレオナルドはというと、『レオナルドお兄様』という言葉にだらしなく笑い、アルフの『嫁に行くのが早そうだ』という言葉にこの世の終わりのような顔をする。

 私としては、レオナルドより強い平民の旦那様希望なので、相手を探すのが非常に難しそうだと思っていた。


「アルフ殿。お嬢さんの誕生日なら誕生日だと、先に教えておいてくれ。手ぶらで来てしまったではないか」


「ベルトラン様には先日、街でお菓子やジュースをご馳走していただきました」


「あれはテオのついでだろう。お嬢さんの誕生日を祝ったものではないぞ」


「……では一つおねだりをしてもいいでしょうか?」


 誕生日プレゼントを用意していない、とベルトランが悔やむのなら、申し訳ないがそこに付け入らせていただく。

 ひとつだけ、どうしてもベルトランに飲んでほしい要求があった。


「なにかな?」


 なんでも買ってやるぞ、とばかりに笑うベルトランに、少しだけ申し訳なく思いながらも黒犬の件を持ち出す。

 なぜか毎日館へとやって来る、あの黒犬についてだ。


「オスカーを放し飼いにするのを止めていただきたいです」


 ここしばらく毎日言っている言葉だったが、もう一度繰り返す。

 朝から館へとやって来て、一日中敷地内にいる。

 私が出かける時は必ずついて来て、メンヒシュミ教会では私の飼い犬とも思われ始めているのだ、と。


「……オスカーには探しものを命じて放しているのだがな」


 鼻がいいので間違えるはずはないのだが、と言ってベルトランは首を捻る。

 探しもののために野に放ち、グルノールの街で保護されたと連絡が来たので迎えに来たのだ、と。


「なにを探して……」


「ティナ」


 なにを探しているのか、とつい口から出そうになったのだが、アルフに言葉を遮られる。

 そっと唇に人差し指をあてる仕草に、自分が他人ひと様の家庭の事情に土足で侵入しようとしていたことに気がついた。

 犬を使っての探しものなど、他人が興味本位で聞いていい内容ではあるまい。


 ……それに、ベルトラン様もお貴族様だしね。


 あまり深く踏み込んではいけない話もあるのだろう。

 アルフの制止に従い、淑女として突っ込んだ話は聞かないよう口を閉ざした。

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