第40話 九歳最後の日
ムクリと体を起こし、大きくあくびをする。
のそのそとベッドの上を移動していると、私の起床を察したカリーサが天蓋を開けてくれた。
「……おはようございます、ティナお嬢様」
「おはよう、カリーサ」
初夏を迎えて服の生地も薄くなる。
まだ完全に半そでの夏服にしてしまうには少し肌寒く、春物では薄く汗をかいてしまうような、実に微妙な季節だった。
春服同様に一年で背が伸びて合わなくなった服は、袖や丈が直されたり、新しく仕立てられたりとしている。
今日のワンピースは爽やかなミントグリーンだ。
髪をツインテールにしつつも編みこんでいくカリーサの手を鏡越しに観察し、行儀よく座りながら考える。
……明日から十歳か。
言い方を変えれば、今日は九歳最後の日だ。
十歳と九歳、たった一歳の差である。
さらに私の視点からすれば、今日と明日の違いでしかない。
……っていうか、私って中身の成長難しいよね?
前世の記憶があるせいで、最初からある程度は育っている。
そのせいで普通の子どもとは言いがたいので、段階を踏んで自然に大人へ成長していくことは難しいだろう。
……それだといつか困るんだよね、きっと。
子どもらしさを意図して振舞うことはあるが、それらの仕納めもいつか必ずやってくる。
中身は体の成長に合わせて成長できないが、周囲は年齢に見合った行動を求めてくるはずだ。
……節目ごとに意識して行動を変えていけばいいかな?
たとえば年齢が一桁のうちは本当に子どもだと思えるが、二桁になれば思春期に片手が届く気がする。
少なくとも保護者の膝に座ったり、抱き運ばれたりとするような年齢ではないはずだ。
……ヘルミーネ先生に相談してみよう。
ヘルミーネは私に淑女としての振る舞いを身に付けさせるために来てもらった家庭教師だ。
十歳に相応しい行動を教えてほしい、という相談になら乗ってくれるだろう。
思い立ったら即行動、とヘルミーネの部屋を訪ねると、女性の部屋を訪問するには早すぎる時間だ、と少々怒られた。
女性は身だしなみに時間がかかるため、自分の身だしなみが整ったからと朝早い時間に訊ねてはいけないのだ、と。
……そんなこと、意識したことなかったです。ヘルミーネ先生いつも身だしなみ整ってるし。
整髪料で綺麗に固めた髪をきっちり編みこんでいるヘルミーネの、身だしなみが整っていないという状態がまず想像できない。
神王祭で少し趣向の違った姿を見たこともあるが、基本的には淑女の見本とばかりに身だしなみの整ったヘルミーネだ。
なんとなく朝一番に訊ねても、いつものようにきっちりと身支度が終わっているものだと思い込んでいた。
「……レオ、わたしが今何歳か知っていますか?」
どう話を切り出そうかと考えて、とりあえず年齢の話を振ってみたのだが、食後のお茶を飲んでいたレオナルドの動きがピタリと止まる。
宙をさまよい始めるレオナルドの黒い瞳に、なにか変だな? と考えるのだが、とくに思い当たることはない。
ならばレオナルドがなにか言い出すまで待とう、とジッとレオナルドを見つめていると、レオナルドはなんとも言えない苦渋に満ちた顔で重い口を開いた。
「十歳……になった、よ、な?」
「なんでそんなに自信なさそうなんですか?」
言葉切れ悪く、しかも間違った年齢を答えたレオナルドに「九歳ですよ」と訂正を入れる。
間違いを指摘されたレオナルドは、引っ掛け問題だったのか、と頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
……はて?
引っ掛け問題など出した覚えはないのだが。
なにはともあれ話を進めたいので、レオナルドには早々に復活していただかなくては困る。
「なんで十歳だと思ったんですか?」
「昨年もティナが言っただろ。『わたしが今何歳か知っていますか?』って」
すぐに思いだせなかったので詳しく聞いてみたところ、丁度昨年の今頃の話だった。
初めてレオナルドとお出かけをした時に、私がレオナルドに言ったらしい。
おまえの知らないうちに九歳になっているぞ、と。
……ごめんなさい。そりゃ、可愛い妹にそんな引っ掛け問題だされたら、今回も引っ掛け問題かと思うかもしれない。
レオナルドが悩みこんでしまった意味が解り、少しだけ反省する。
本当に、少しだけだ。
「……つまり、今年もわたしの誕生日を忘れていた、ってことですよね」
年齢を間違えたということは、そういうことだ。
それはさすがに寂しいぞ、と唇を尖らせてレオナルドを見つめる。
今度こそ責められていると理解したレオナルドは、諦め悪く抵抗をしてみせた。
「いや、今年はちゃんと誕生日プレゼントを用意していた。ただ、当日には間に合いそうにないだけで……」
「別にいいですよ。プレゼントの催促をしているわけじゃありませんから」
テオじゃあるまいし、と一度会話を終了させる。
このままでは延々と妹の誕生日を忘れていたレオナルドの言い訳を聞かされそうで、話が進む気がしない。
「……今日で九歳最後なので、一日九歳に許される甘え方をしていいですか? って、レオにおねだりしようと思っていたんですよ」
具体的に言うと、マンデーズの街にいた時のように一日中べったりと甘えます、と宣言する。
ついでに正しい私の誕生日をさり気なくアピールもできたので、兄には是非とも次へ活かしていただきたいものだ。
「マンデーズにいた時のように、甘える?」
「はいです。お仕事中も横で本を読んでたり、おやつを一緒に食べたりですね」
いつも一人で部屋に籠もって執務机とにらみ合っているレオナルドには、一日隣に子どもが張り付いていて、少し邪魔に感じるぐらいだろうか。
それほど実害はないと思われる提案だ。
レオナルドもそう考えたのだろう。
そのぐらいのおねだりは大歓迎だ、と笑った。
九歳に許される甘え方を、九歳最後の日に、思いつく限りを実行しよう。
そう意識しての甘えた行動は、オーソドックスなものばかりだった。
もともと両親にも素直に甘えられなかった私だ。
甘えよう! と意識して、意識したとおりに甘えられるはずもなかった。
……でも、よし! 思いつく限り甘えるよ! 九歳最後だからね!
まずは移動時には抱っこを要求し、仕事中は隣にぴったりと座って読書をする。
本に飽きたら膝に座ってわざと書類を覗き込んでは怒られたり、そのまま居眠りをして仕事の邪魔をしたりと、故意に甘えるのは結構忙しい。
カリーサの持ってきてくれた焼き菓子など、皿ごとレオナルドに渡して手ずから食べさせてもらうという我ながら理解し難い甘え方をした。
日が傾く頃になると、一日私に甘えたおされたレオナルドは少し疲れたような顔をして「普段はなにも言わないが、本当は今日のように甘えたかったのか?」と聞いてくる。
さすがにこれだけ甘えられれば、そんなことも考えるかもしれない。
「……今日で九歳が最後だから、九歳に許される甘え方を、思いつく限りしているだけですよ」
意識的に甘えるというのは意外に疲れますね、と言って自分の体重をレオナルドの胸に預ける。
今日はもうずっと膝の上を占拠しているつもりだが、明日からは二度と味わえない予定の場所だ。
「九歳最後だから、とは言わずに、いつでも甘えてくれていいんだぞ」
「それはヘルミーネ先生に怒られます。淑女らしくなさい、って」
今日私がずっとレオナルドに張り付いていられるのは、朝のうちにヘルミーネに相談をしたからだ。
十歳になったら改めます、という宣言の下、九歳最後の日ということでレオナルドに力いっぱい甘えてくる、と。
だから今日は多少見苦しいまでにべったりとレオナルドに甘えてもヘルミーネは目こぼししてくれることになっていた。
「……手回しがいいな」
「根回しは大事、ってヘルミーネ先生に教わりました」
本来はこんな使い方をするのではなく、貴族社会を渡り歩く際のコネクションの築き方であったり、女主人として館を切り盛りする際に必要になる技術だったりとするはずなのだが。
いつか本番で使うための練習として、今回実践してみた。
今日は一緒に寝ましょうね、と言って、本気で寝落ちるまでレオナルドに甘えた。
全力で構ってもらった。
まず間違いなく、これまでの人生で一番甘えたと思う。
今生の両親以上に甘えた。
たっぷりとレオナルドに甘えた翌日、私は晴れて十歳となった。
十歳になったからといって、劇的になにかが変わるわけではない。
私にとっては昨日から続いた今日というだけだ。
目が覚めて一番に見る顔がカリーサではない、というのは本当に久しぶりだ。
おはようございます、とまだ眠そうな声ながらレオナルドに朝の挨拶をすると、こちらもおはようと返される。
それから「十歳のお誕生日おめでとう」と朝一番に祝福の言葉を頂いたので、嬉しくなって
「十歳になったので、レオは今日から抱っこ禁止です」
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