第39話 テオの誕生日

「なぜ女の子の髪を引っ張るような真似をした!?」


 ベルトランはどうやらこのままテオを諌めてくれるらしい。

 一応理由を聞くところから始めているのだが、声が大きすぎてテオは完全に萎縮していた。


 ……それにしても、うちの保護者レオナルドとは大違いだね。


 レオナルドは子どもの頃に同じようなことをしたそうなので、テオを怒ることができないらしく、わたしが被害に合っているというのに、困ったように苦笑いを浮かべるだけだ。

 ベルトランのようにはっきりと悪いことである、と叱ってはくれなかった。


 ……ベルトラン様、カッコいいっ!


 頼りになるね、と心強く見守っていると、ベルトランに睨まれてガタガタと震えながらもテオが私を指差す。

 テオは視線をベルトランから外すと少し気が楽になったのか、僅かながらいつもの元気を取り戻していた。


「……だって、あいつがズルイんだ!」


「え? わたしですか?」


 なにを指して言われているのかが解らず、瞬く。

 テオにズルイと髪を引っ張られることなど、していただろうか。


「この少年に対し、なにか卑怯な行いをしたのか?」


 ジロリとベルトランの視線が私へと下りてきて、ぶるりと体を震わす。

 テオに対して容赦なく叱る姿勢は格好よかったが、それが我が身に降りかかると思えば恐ろしい。


「えんざいです! わたしはなにも知りません!」


 私は突然髪を引っ張られた被害者であり、心当たりはないと主張した。

 むしろ、何に対してテオが怒っているのか、なぜ私の髪を引っ張ったのかの説明を求めたいぐらいだ。


「嘘をついてもすぐに判るぞ」


「嘘じゃないですよ! ホントに知りません」


 目を逸らしたら負けな気がして、ベルトランの目を睨み返す。

 私はなにも悪いことをしていないのだ。

 やましいことはなにもないので、目を逸らす必要もない。


 ムムムッとお互いにしばらく睨み合ったあと、ベルトランは私の主張を受け入れた。

 お互いに一歩も引かずににらみ合ったことで、奇妙な連帯感まで生まれた気もする。

 さらなる説明を求めてテオへと視線を向けたのだが、そのタイミングまでもがバッチリとそろった。


 ……うん? ミルシェちゃん?


 私とベルトランがにらみ合っている間に、ミルシェはテオの元へ行ったようだ。

 後ろからテオの服を引っ張って、どうにかテオを引き止めようとしている。


「……少年よ、このお嬢さんがズルイとはどういうことだ? 見たところ嘘はついておらんようだぞ」


「だって、そいつ! ミルシェの誕生日には服をくれたんだ!」


 ……はい?


 ミルシェに誕生日プレゼントとして服を贈ったことが、テオが怒っている理由なのだろうか。

 どう考えても怒られるような理由ではないと思うのだが。


 ベルトランも同じように疑問に思ったのだろう。

 不可解そうに片眉を上げて私とテオとを見比べた。


「ミルシェ、と言うのは?」


「テオの妹です」


 今テオを黙らせようとしている、と言って、テオをこの場から引き離そうとしているミルシェを示す。

 果敢にも先ほどベルトランの前へと出てきた女児か、とベルトランも少し感心しているようだ。


「誕生日に服をやった、と言うのは?」


「お古ですが、昨年着ていたわたしの服をあげました」


「お嬢さんの服、となると……」


 少し言い淀むのは、私の服とミルシェの服の違いからだろう。

 いかにもお嬢様といった仕立てのいい服を着た私と、継ぎ接ぎだらけの服を着たミルシェでは、服を譲られても困ることになるのでは、と気がついているのだと思う。


「ちゃんと考えましたよ。グルノールの街へ来る前にレオたちが用意してくれた服なので、今の服みたいにヒラヒラしてません」


 継ぎ接ぎがないぐらいで、ミルシェが着てもそう違和感はないはずのシンプルなワンピースだった。

 それほど見当違いな物を贈ったつもりはない。


 ではなにが問題なのか、とベルトランと揃ってテオへ視線を戻すと、テオはようやく怒りの根源を語った。


「ミルシェにばっか物をあげて、おれにはくれなかった!」


 ビシッとテオに指差され、自分には物をくれなかった、と主張されても困ってしまう。

 ミルシェに服をあげたのは、誕生プレゼントだ。

 ミルシェの誕生日に、なぜテオにまでプレゼントをあげなければならないのか。


 ……理由わけが解らないよ。


 理由わけが解らなかったが、テオが怒っている理由りゆうはシンプルだった。

 ミルシェだけにプレゼントしたことを不公平である、と訴えているのだ。


「えっと……テオは女の子の服が着たいの?」


「そんなわけあるか、バカっ!」


「じゃあ、なに? ミルシェの誕生日に、ミルシェにプレゼントをするのは当たり前かもしれないけど、テオにまでプレゼントはおかしいでしょ」


 そもそもなぜ自分まで当然のようにプレゼントがもらえると思い込み、プレゼントがもらえなかったからと言って怒り始めているのか。

 テオの怒りが理不尽すぎて、さっぱり理解できなかった。


 ……あれ? でも、これだとなにか変だな?


 ミルシェの誕生日は春とはいえ少し前だ。

 今さらテオが怒るのはおかしい。

 それに、帰宅の時間まではテオはなにかをアピールするかのようにドヤ顔でチラチラと私を見ていた。


「……もしかして、テオって今日が誕生日なの?」


 ミルシェの誕生日にプレゼントを贈ったのだから、自分の時ももらえるはずだ、とは思うかもしれない。

 そんな義理はない、というのが正直なところだが、私だって事前に知っていればなにか考えてはいただろう。


 私の考えは、おそらく正解だ。

 指摘をされたテオは頬をムスっと膨らませた。


「テオ、誕生日をお祝いされたかったら、事前に誕生日を教えておいてくれないとダメですよ」


 知らないものなんて祝えるわけがない、と当たり前の指摘をする。

 私がミルシェの誕生日を知っていたのは、前にそんな会話をしたからだ。

 テオの誕生日など、今日はじめて聞いた。


 ……あと、誕生日なのか、お祝いしたいな、って思える程度の好感度は当然必要。


 最近のテオならば、知っていればパンケーキぐらい焼いてきたかもしれないが、今日髪を引っ張られたので、なけなしの好感度がだいなしだ。

 そんな気分は、来年までわかないと思う。


 ……そして、私はやっぱりただの冤罪で被害者だった。


 知らないことは祝いようがないし、ミルシェだけを贔屓したわけでもない。

 テオに髪を引っ張られる正当な理由など、最初からなかったのだ。


「……では少年よ、まずはこのお嬢さんに謝りなさい」


「なんでおれが……」


「話を聞いておらなかったのか?」


 自分が一方的に悪いくせに、まだ自分の非を認めようとしないテオに、一度は収まりかけたベルトランの声が再び怒気を孕む。

 ベルトランはテオの頭を掴むと、ガクガクと上下に振りはじめた。

 もしかしたら、頭に叩き込む、という言葉を実践している姿がこれなのかもしれない。


 ……怖いっ! 見ていて怖いっ! テオの頭、ベルトラン様が本気だったら握り潰されちゃうよ!


 単語を区切るごとにテオの頭を揺さぶりながら、ベルトランはお互いの事情と誤解を説いていく。

 テオが納得して頷くまで、この『お説教』は続いた。


 ……お説教っていうか、これほとんど拷問なんじゃあ。


 少しどころではなくテオが気の毒になったが、止めるのはやめておく。

 下手に口を挟めば、こちらにまで飛び火して来そうな気配がある。

 なんとかベルトランを止められないかとテオの周囲でわたわたとしているミルシェを手招きし、落ち着かせようと抱きしめた。


 結局テオが「おれが悪かったです」と私への謝罪を口にしたのは、たっぷり三十分は経った頃だ。

 半泣きになってベルトランの表情を窺いながら、テオは私に頭を下げた。







 不承不承というのが解りやすいほどに判りやすく顔に出ていたが、テオの謝罪により一応は事態が落ち着いた。

 怒りをおさめたベルトランに、門番の男たちも持ち場へと戻っていく。

 彼等はもともと黒犬を制止に来てくれたのだが、オスカーはベルトランが来てからは実に静かなものである。

 テオに噛み付いていたのがまるで夢かなにかのようで、今はおとなしくベルトランに寄り添っていた。


「……あー、よし。では、私が祝ってやろう」


 誰が、なにを、と思ったのは私だけではないだろう。

 祝ってくれと駄々をこね、祝ってやろうと言われているテオ本人ですら戸惑って瞬いている。


「ベルトラン様がテオのお祝いするんですか?」


 私が『ベルトラン様』と呼ぶと、ニルスの戸惑う声が聞こえた。

 今までもベルトランと名前で呼んでいたはずなのだが、ようやく耳に入る状態になったのだろう。


「オスカーが噛んだという『テオ』は、この少年ではないのか?」


「そうですよ。テオがオスカーに噛まれた子です」


 ベルトランの言っている「オスカーが噛んだ」は今日の話ではない。

 ベルトランがグルノールの街へ来る前の話だ。

 それならば、私が知っている限りということになるが、黒犬に噛まれた少年はテオだけである。


「今日のことは女の子の髪を引っ張るような悪戯小僧をオスカーが懲らしめただけだが、以前のことは知らんからな」


 もともと一度挨拶に行こうとは思っていたので丁度いい、とベルトランは言う。

 治療費等はすでにレオナルドが負担しているし、時間が経ちすぎていて挨拶に来られてもテオの家族も困るだろう、と悩んでいたそうだ。


 ……あの母親だったら、嬉々としてお金を要求してきそうだけどね。


 他所よそ様の母親に対してあんまりな感想だとは思うのだが、私が贈った服をミルシェが一度しか着てこないのが気になる。

 サイズに問題はなかったはずだが、お古とはいえ継ぎ接ぎのない服だ。

 あの母親が古着屋に売ってしまった、という可能性もあるかもしれない。


「さて、テオ。なにが欲しい? 美味いものでも食べに行くか?」


「おいしいもの……」


 美味しいものと聞いて、判りやすくテオが釣られた。

 大いに興味があると顔を輝かせて、しかし知らない大人である、と一応の警戒心を見せて逡巡しはじめる。

 そんなテオに、ベルトランは私たちを振り返った。


「お嬢さんたちも一緒にどうだ? テオも知らぬ爺に連れて行かれるより、知った顔が一緒の方が安心だろう」


 この場の子どもたち全員になにか奢ろう、と言い出したベルトランに、テオとニルス以外は消極的だ。

 食べ物に釣られるような子どもはテオだけだったし、ニルスは食べ物よりもベルトラン本人に興味がある。


 ……ベルトラン様とお話しができる、ってのは魅力的なんだけどね。


 本音を言えば参加したいが、私はまだお迎えが来ていないので自分の意思だけでは寄り道ができない。

 テオと黒犬が暴れていつもより遅い時間のはずなのだが、そういえばまだ迎えが来ないな、とメンヒシュミ教会の敷地内から正門のむこうを眺めた。


 ……あれ? カリーサ?


 小走りにこちらへと走ってくるカリーサの姿を見つけ、首を傾げる。

 基本的にはメンヒシュミ教会への送迎はバルトがしてくれていた。

 カリーサが来るのは珍しいし、珍しいといえば授業の終わる時間より遅れて迎えが来ることもあまりない。


 ……なにか館であったのかな?


 これはやはり早く帰った方がいいのだろうか。

 そう思ったのだが、逆だったらしい。

 カリーサを見て私の迎えであると察したベルトランが寄り道へと誘ったところ、私よりも先にカリーサが了解と答えてしまっていた。

 カリーサが私の意志も確認しないで行動を決めてしまうのは珍しい。


「館でなにかあったんですか?」


 移動を開始した一行に続きながら、こっそりとカリーサに聞いてみる。

 カリーサは少しだけ考える素振りを見せると、館に野良犬が迷いこんでしまい、総出で野良犬を捕まえているのだ、と教えてくれた。


「野良犬ですか? それは確かに外で時間を潰してから帰った方がよさそうですね」







 街の中のことならば、と案内を買って出たのはエルケとペトロナだった。

 この二人は一時期私を寄り道へと誘うために街中のお店の下見をしたらしいので、互いにお嬢様なはずなのだが路地裏にある小さな店まで知っている。

 二人の挙げる数々の食べ物の名前に、選ぶことができずにテオが混乱した。


 ……ベルトラン様、別に一つしか買ってあげない、だなんて言ってないのにね。


 連れの子ども全員に奢ろう、などと言える人間だ。

 選べなければ複数買ってくれたかもしれない。


 ……もしくは、みんなで少しずつ食べるとかね。


 私が時々ミルシェと取る方法だ。

 ミルシェとはんぶんこで食べるため、種類は多く食べられる。


「では、こうするとしよう」


 中央通と大通りの交わる広場につくと、ベルトランはベンチに腰を下した。

 もしかしたら子どもたちの相談し合う騒がしい声に、少し疲れたのかもしれない。


 まずは一人ずつ手を出しなさい、とベルトランに言われ、素直に手を差し出す。

 その手に、大銅貨が一枚ずつ乗せられた。


 ……100シヴルとか、子どものお小遣いには多すぎるよ?


 レオナルドが初めてくれたお小遣いと比べれば十分常識の範囲だが、それでも行きずりの、ほとんど出会ったばかりの子どもに渡すには多すぎる金額だ。

 驚いたのは私だけではなかったようで、テオ以外は全員お互いの顔を見合ってしまった。


「それで各自好みの物を買ってきて集合」


 買い寄ったものを広場でみんな一緒に食べよう、という話になって、みんな別行動を取ることになった。


 ……あ、ベルトラン様、カリーサにもお小遣い渡してる。


 カリーサは辞退しようとしているのだが、ベルトランはその手に大銅貨を一枚握らせた。

 ベルトランからしてみればカリーサも『子どもたち』に含まれるのかもしれない。


 ……ベルトラン様、いい人?


 飼い犬は困った猛犬だが。

 カリーサまで子どもとしてひと括りにしてしまえる、懐の大きな人なのかもしれない。


 ……そしてやっぱり私についてくるんだね、オスカー。


 ミルシェは早々にテオに引っ張られて行ってしまったので、私はいつものようにカリーサと行動中だ。

 私の手を引くカリーサと、少し遅れて黒い犬が後ろをついてくる。


 ……ベルトラン様についてなくていいのかな?


 そうは思うのだが、オスカーは基本的には私を守ってくれているのだと確信もしていた。

 いつまでも怖がる必要はないのだ。


 なるべく黒犬については考えないように、といくつかの店を回る。

 みんなで食べ物を買って集まるということだったが、私たちの胃袋には限度があった。

 素直に渡された金額分の菓子を買うのは避けた方がいいだろう。


 ……これ、テオの誕生プレゼントなんだよね?


 すぐに食べられる物はほかの子が買うだろうから、とテオが持ち帰れるように飴玉の詰まったビンを二つ購入する。

 片方をミルシェに譲れる兄だったら、来年はテオにもプレゼントを用意しようと思う。


 ……独り占めしたら来年もなしです。


 広場に戻ると、ベルトランが一番に戻っていた。

 ベルトランは子どもには重量的に辛いであろうジュースを買ってきてくれたようだ。


「あ、お釣りをお返しします」


「小遣いだ。そのぐらい取っておけ」


「え? でも……」


 貰ういわれのないお金に、困ってしまってカリーサと顔を見合わせる。

 断ってもベルトランの機嫌を損ねそうだし、受け取ってしまうには多い金額だ。

 どうしたものかと困っていると、両手一杯にコラルの焼き鳥を抱えたテオが戻ってきた。

 どうやらテオは遠慮なく預かったお金で買えるだけの焼き鳥を買って来たようだ。


「じーちゃん! いっぱい買って来た!」


「おお、豪快に買って来たな!」


 メンヒシュミ教会でベルトランに泣かされていたはずのテオなのだが、すでにベルトランに懐きはじめている。

 ベルトランの方も、遠慮のないテオを気に入ったように見えた。

 乱暴な手つきでテオの頭をグリグリと撫でている。


 ……これが男同士の友情的な?


 残念ながら、私には理解できそうにない世界だ。

 もともと人見知りの私に、昨日今日会った大人から渡されたお小遣いを、素直に受け取ることも、全額景気よく使いきるなんてことも、出来るわけがない。


 ……ベルトラン様は豪快な子どもがお好き、と。


 少なくとも、ニルスはこの条件には含まれないだろう。

 私と同じように食べきれる量を、と計算して買って来たニルスは、やはり私と同じようにお釣りをベルトランに返そうとして、子どもは遠慮などするな、と押し切られてしまった。


 全員が集まるのを待って、改めてテオの誕生日を祝う。

 ペトロナの買って来たクリーム菓子は美味しかったし、エルケの選んだ花や果物の砂糖漬けも美味しい。

 突発的に決まって始まったお誕生日会だったが、とても楽しいものになった。

 今日から同い年だぞ、と胸を張るテオに、夏になったらすぐに私がまた年上になります、と返したのは、我ながら意地が悪いと思う。

 今日ぐらいは調子に乗らせてあげてもよかったかもしれない。


 別れ際、やはり食べ切れなかったと飴のビンをテオが持ち帰ることになり、こっそりとそれを観察する。

 テオは二つあるビンを睨むと、開封済みの量が減った方ではあったが、片方をミルシェへと渡していた。


 どうやら来年は、私もテオに誕生日プレゼントを贈ることになったらしい。

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