第35話 処方箋漏洩秘密文書作成からの失敗
そろそろ帰るぞ、と言い出したレオナルドの言葉の意味が咄嗟に理解できず、ポカンと口を開けて瞬く。
暇つぶしに薪拾いをしたり、オレリアに言われてプリンを作ったりといろいろしていたが、まだほとんどオレリアと話していない。
……レオがいるとオレリアさん英語でしか話してくれないし、せっかく直接会えたんだから、ジャスパーが写本してる研究資料の内容だって伝えたいし……っ!
やりたいこと、伝えたいことが沢山ある。
それなのにレオナルドがオレリアを独占したり、そもそも締め出されたりとしていたため、なに一つ伝えることができていない。
「……お、お泊りを希望します!」
「お泊りは無理だぞ。今は弟子がいて離れを使っている」
「わたしがオレリアさんと一緒に寝ます」
俺の寝床がないだろう、と言うレオナルドに外で寝ればいい、と言ったら拗ねられた。
どうせここまでの旅程で野宿もしていたので変わらないと思うのだが、レオナルドは「妹が俺にだけ冷たい」と言う。
「一週間ぐらいお泊りしましょう」
さすがにゴマをすっておいた方がよさそうだ、とレオナルドの
ついでにジッと上目遣いに見上げてみた。
「……ワイヤック谷は本来気軽に来ていい場所じゃない。諦めるんだ」
「わかりました。オレリアさんの家の子になるから、レオが冬に会いに来ればいいですよ」
「なんでそうなる」
ムニッとレオナルドに両頬を摘まれる。
子どもらしい理不尽な超理論を展開してみたのだが、レオナルドには不評なようだ。
ムニムニと頬が抓られ、少しだけ痛い。
「オレリアの家の子になるのは、ティナの保護者としても、砦の主としても認めないぞ」
「レオばっかりオレリアさんとお話しして、ずるいですよ」
頬を摘んだままのレオナルドの手を払い、腰に手を当てて不満ですよ、とレオナルドを睨む。
ついでとばかりにぷくっと頬を膨らませると、レオナルドは困ったように眉を寄せた。
「……ティナはもともとオレリアと話すことができないだろう」
英語が話せないのだから、私がオレリアと話すことは不可能である。
レオナルドからみれば、当然の見解だった。
「英語少しだけ覚えました!」
「まだちゃんと発音できないだろ?」
「紙とペンがあればお話しできます!」
サプライズ的に連れてこられたので、聖人ユウタ・ヒラガの研究資料の内容を伝えようと思っても、なにも準備が出来ていない。
事前に伝えてくれていたのなら、カリーサにでも口止めをして英語のお手紙を書いてもらうこともできたかもしれないのに、だ。
せっかくの機会をなんとか活かせないものか、と辺りを見渡す。
テーブルの上には、オレリアが使ったと思われる便箋と筆記用具があった。
「お借りします!」
パッと便箋と筆記用具を手に取り、伸びてくるレオナルドの手をかわして部屋を出る。
オレリアの家は離れとそう変わらない間取りをしているので、階段の位置はすぐにわかった。
ドタドタと音を立てて階段を駆け上がり、寝室に飛び込んで扉を閉める。
鍵は付いていなかったので自分の体で扉を押さえ、床の上に便箋を広げた。
……仕方がないから、お手紙作戦だよ。
手紙に薬の
この場で手紙を書けば、レオナルドやヘルミーネの目は気にしなくてもいい。
暗号だとか、料理のレシピに混ぜようだとか、難しいことは考える必要がなく、直接的な書き方が出来るはずだ。
……じっくり見たから、内容は覚えているよ。
まずは日本語で覚えている処方箋を便箋へと書き出す。
何度も内容を読み直し、間違いがないことを確認してから、それをこの国の文字に直した。
この国の文字を使って英語を勉強中のため、まだ私にはいきなり日本語から英語に直すことはできないのだ。
……えっと、英語に直すのは難しいね。
手紙を教材に英語を習い始めたばかりなので、完璧に言葉を直すことはできない。
加えるのなら、この国の文字もまだ勉強中の身だ。
書けました、と自信を持って言えるのは、この国ではほとんどの人が読めない日本語の部分だけだと言うのがなんとも情けない。
「ティナ、我儘を言っていないで、帰るぞ」
「お手紙中です。邪魔しないでください」
ノックの音と、レオナルドの声が響く。
扉を開こうとしたのか、お尻に扉が当たった。
……通せん坊していて正解だったね。
扉になにもしていなければ、レオナルドに扉を開かれてこの手紙も見つかっていただろう。
日本語だけならレオナルドにも読めないが、一度この国の言葉に直している部分はレオナルドに読まれたら不味い。
「ティナ、そろそろ出てくるんだ」
「レオが話しかけたから、間違えちゃったじゃないですか」
完全に八つ当たりだったが、レオナルドに文句を言いつつ手紙を書く。
英語に直せないものは仕方がないので、この国の文字で綴る。
もしかしたら、英語しか話せない振りをしているのと同じように、オレリアがこの国の文字を読めるという可能性だってあるのだ。
諦めるのはまだ早い。
「ティナ」
「もー! レオがオレリアさんのトコに行くって先に教えてくれてたら、館でお手紙が書けたのにっ!」
走り書きで英語とこの国の文字とを混ぜた手紙を完成させて、インクを乾かすために手で風を送る。
少しそうしたあとで手にインクが付かないかを確認し、封筒は持って来られなかったのでレオナルドの目に触れないよう
本当はハート等の可愛い形に折れればよかったのだが、あまり複雑な形にしてしまってはオレリアにも開くことが出来なくなってしまうので、このぐらいが丁度いいだろう。
「……書けました」
しぶしぶといった顔を作って扉を開ける。
確認してやろう、とレオナルドが手を差し出してきたので、舌を出して拒否をした。
「オレリアさーん、お手紙書きました。読んでください」
レオナルドを二階に置いてけぼりにしつつ、階段を駆け下りて手紙をオレリアに手渡す。
オレリアの家へ来ることができれば、間に人を挟まなくてもオレリアへと手紙を届けることができるのが素敵だ。
レオナルドが戻って来るまで、とオレリアの腰に抱きついていると、頭上から紙を開く音が聞こえた。
「I'm sorry, I can only read English」
……うん? 今なんて言ったの?
聞き取れた単語から察するに、『sorry』は『ごめんなさい』で、『not』が否定していて『English』が『英語』だ。
……英語しかダメ、ってこと?
話すのと同じように、解らない振りをしているだけで、こちらの国の文字も読めたらいい、と手紙を書いてみたが、どうやらオレリアは英語以外の文字を読むことはできないようだ。
「失敗ですね」
英語を完全に使いこなせるようになるか、別の方法を考えるしかない。
そう肩を落としつつもオレリアのぬくもりを堪能していると、レオナルドが階段を下りてくる音がした。
「I read instead」
レオナルドがなにを言ったのかは解らなかったが、手を差し出したレオナルドにオレリアが手紙を渡そうとするのは判った。
慌ててジャンプしてオレリアの手から手紙を奪い取ると、背中に隠してレオナルドを睨みつける。
「レオのスケベ! 女の子のお手紙を読むなんて最低です!」
「いつも見てるだろ」
なんで今日に限ってそんなに怒るのか、と不思議がるレオナルドに、こちらとしては内心で冷や汗を流す。
いつもの手紙は
オレリア以外の目に触れさせるわけにはいかないのだ。
レオナルドばかりオレリアと話しが出来てずるい、というのは拗ねた振りだったはずなのが、本気で悔しくなってきた。
ぶーぶーと不満を訴えてレオナルドを責めていると、背中に隠した手紙がオレリアに抜き取られる。
「なんですか? 読めませんよ?」
「This is the letter I got」
オレリアの言葉が解らずに首を傾げていると、レオナルドが「自分が貰った手紙だから」と読めなくても受け取ってくれたのだと教えてくれた。
手紙を前掛けのポケットへとしまうオレリアに若干乱暴な手つきで頭を撫でられると、手紙は失敗してしまったが、元気そうな姿を直接見ることができただけでも良しとしよう、と思えてきた。
「……ティナ、オレリアにお別れを」
私が少しだけ満足したのがレオナルドにも判ったのだろう。
別れの挨拶を促され、言葉の代わりにもう一度オレリアの腰へと抱きつく。
「しー ゆー あげいん」
お別れの言葉は嫌だったので、また会いたいな、という気持ちを込めて「See you again」と言ってみた。
残念ながら発音はまったくといっていいレベルに出来ていなかったので、二人から苦笑を頂いてしまう。
「……そうだ。荷物の中にお菓子がいっぱいありました!」
前回は別れ際に黒騎士から貰った飴をオレリアへ渡したことを思いだし、レオナルドが馬に載せていた荷物についても思いだした。
私のための菓子や飴だと言っていたが、明らかに量が多かったのは、オレリアの元へ運ぶことが前提だったのだろう。
……レオ、計画的犯行?
やはりオレリアの家へ来るのなら、事前に教えておいてほしかった。
馬の背には手が届かないので、レオナルドの手を引いて繋がれた馬がいる場所まで歩く。
荷物から菓子と飴を取り出してもらってオレリアへ渡そうと思っていたのだが、馬の元へ着いた途端に抱き上げられ、鞍の上へと乗せられてしまった。
……まさかここまでが計画!?
素知らぬ顔をして荷物から菓子と飴を取り出すレオナルドを、頬を膨らませながら睨みつける。
帰りたくないと私が駄々をこねることを計算して、わざとお土産の菓子を訪問時に下ろさなかったのだろうか。
……や、レオにそんな細かい芸当ができる気はしないんだけどね。
偶然だとは思うのだが、こうも簡単に馬の背へと乗せられてしまえば、やはり面白くないものがある。
馬の上からレオナルドを睨んでいると、私と目の合ったレオナルドはすぐに目を逸らした。
「ティナ? ティーナ、いい加減に機嫌を直してくれ」
私の機嫌を取ろうとするレオナルドの猫なで声に、小さくなりつつあった頬を再び膨らませる。
頬の空気を抜こうとレオナルドの指が後ろから伸びてきたので、怒りを込めて噛み付いてやった。
皮手袋の味がして不味い。
「オレリアさんのトコに来るんなら、先に教えてくれればよかったのに」
そうしたら手紙だって用意できたし、お薦めの菓子を持ってくることもできた。
なにもかもが突然すぎて、せっかくの機会だったのにまったく活かすことができなかったではないか。
不機嫌を隠す気にもなれず、半分は八つ当たりだと自覚しながら頬を膨らませる。
前にも思った気がするが、これは結構ストレスの発散になる気がした。
「先に教えたら、ティナは絶対顔に出すだろ」
「ダメなんですか?」
オレリアの家へ行く、と顔に出して不味い状況を想像してみる。
オレリアの家へ行くと言えば――
「……アルフさんが行きたがるからですか?」
オレリアに親しみを持っているらしいアルフならば、オレリアの家へ行くと聞けばきっと自分も行きたがるだろう。
そうなれば、砦と城主の館の守りが手薄になるかもしれない。
今はレオナルドが研究資料の警備のため、常時館に詰めているぐらいなのだ。
副団長まで砦を空にするわけにはいかないだろう。
「それもあるが、ワイヤック谷がそう簡単に来ていい場所じゃない、って忘れてないか?」
「聞こえませんよ。オレリアさんにまた会いたいです」
耳を両手で塞ぎ、「あー、あー」とわざと意味のない言葉を言ってレオナルドの言葉を遮る。
思わず鞍から手を離して耳を塞いだ私に、さすがのレオナルドも実力行使にでた。
右手で無理矢理私の手を掴むと、鞍を掴ませる。
落馬は危ない、と今日言われたばかりなので、これは確かに私が悪い。
「……鞍から手を離すな」
「ごめんなさい」
私が悪かったので、素直に謝る。
それから改めて、しっかりと鞍を掴み直した。
「……もっとゆっくり、いっぱいお話ししたかったです」
「予定外に来ているから、長居はできない。さっきも言ったように、そう簡単に来ていい場所でもないしな」
「でも、レオは来たじゃないですか」
簡単に来ていい場所ではない、と言いながらレオナルドは今日オレリアの家を訪ねている。
ふらりと気軽に立ち寄ってみせたあとで「簡単に来ていい場所ではない」と言われても説得力がなかった。
「だから、アルフたちには内緒な?」
……うん?
少しだけ困ったような響きをもつレオナルドの声に、違和感を覚えて考えてみる。
オレリアの家は一般人が気軽に来ていい場所ではなくて、今日来たこともアルフにすら話してはいけないらしい。
「……レオ、もしかして悪いコトしましたか?」
妹を人質に取られても、騎士としての職務をまっとうしようとするレオナルドに限って、と思いつつ背後を振り返ってレオナルドの顔を見る。
体勢的に鞍から手が浮きかけたが、レオナルドの手が重ねられて鞍を掴み直された。
「俺がオレリアの様子を見に行くのは問題ないが、ティナを連れてくるのはまずいことだと思っている」
「王様とか、偉い人にばれたら怒られることですか?」
「あの方たちなら怒りはしないだろうが……」
悪いことであるという自覚があるので、罪悪感がすごい、とレオナルドは肩を竦める。
生真面目なレオナルドにとって、ささやかな規律違反であっても、強いストレスを感じるのだろう。
……レオに悪いことさせちゃったんだね。
私が頼んだわけではないが、レオナルドは純粋に私が喜ぶと思って連れてきてくれたのだ。
泊まりたいだとか、オレリアの家の子になるだとか、随分レオナルドを困らせてしまった。
……じゃあ、まあ。
この件で拗ねるのはもう止めようと思う。
レオナルドはレオナルドにできる最大限で、私を喜ばせようとしてくれただけなのだ。
感謝はしても、これ以上を欲張ってはダメだ。
「オレリアさん、元気そうでしたね」
気分を切り替えて、前向きに考える。
本来なら直接顔を見ることもできないはずの、オレリアの元気そうな顔を見ることができたのだ。
これは幸運以外のなにものでもない。
視線を前方へと向けると、私が気分を切り替えたのがレオナルドにも伝わったのだろう。
レオナルドが私の体を抱え込むように、しっかりと体を密着させてきた。
「なんですか?」
「少し長すぎる寄り道になったからな、馬を走らせる。ティナはちゃんと鞍に掴まってるんだぞ」
「わかりました」
言われるままに鞍を握る手へと力を込める。
レオナルドの中で今回のワイヤック谷への訪問は、『寄り道』という単語で処理されることになっているようだ。
ならば私もそれに倣う。
……いい子にしてたら、また連れて来てくれるかもしれないしね?
きっとおねだりをしたら「ダメだ」としかレオナルドは言えないが、何かの拍子に『寄り道』ぐらいはしてくれるかもしれない。
そんな次の機会に期待して、舌を噛まないように口を閉めた。
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