第36話 お客さま
「カリーサ、今日は
洗面台で顔を洗い、柔らかなタオルで水気を取りながら背後を振り返る。
カリーサは丁度、今日着るための水色のワンピースを用意しているところだった。
「……桜はそろそろ季節はずれですが」
「レオが気に入ってたので、今日は季節はずれでも桜のワンピースがいいです」
「わかりました」
そう言ってカリーサは水色のワンピースを持って衣裳部屋へと引き返していく。
次に部屋へと戻ってきた時には、手に桜色のワンピースを持ってきてくれた。
「……お嬢様が、レオナルド様のために服を選ぶのは、珍しいですね」
「今日はレオの誕生日ですからね」
脛を蹴ったり、足を踏んだりとお転婆をしている自覚はあるので、誕生日ぐらいはレオナルド好みの服を着ておとなしくしていようと思う。
用意してもらった桜色のワンピースに袖を通すと、ついでに髪を可愛らしく結ってもらった。
桜色のワンピースに合わせたリボンで飾れば完成だ。
「……髪の毛、伸びましたね」
館に来て一年経つが、そういえば前髪以外を切ってはいない。
両親が生きていた頃は母が時々切ってくれていたが、今はそれもないので自分で言い出さなければ髪は伸ばし続けることになるだろう。
……村にいた頃ぐらいの長さにしたい、って言ったらレオは反対しそうだね。
ヒラヒラとした服を着せたがるレオナルドのことだ。
女児の髪型としては、髪飾りを付けられる長髪を好むかもしれない。
私としては髪の長さなど邪魔にならなければそれでいいので、結ってくれる人がいるのなら今のままでも問題はなかった。
……さしあたっては嬉々としてカリーサが結ってくれるから、このままでもいいかな?
身支度を整えて一階の居間へ移動すると、レオナルドが珈琲を飲みながら長椅子で寛いでいる。
おはようございます、と声をかけながら隣へと座ると、レオナルドもおはようと返してくれた。
「今日はレオのお誕生日ですね。おめでとうございます」
「……え? ああ、そうか。誕生日だったな、今日は」
一瞬だけなにを言われたのか解らない、といった感じに瞬いたあと、レオナルドは少しだけ照れくさそうに微笑む。
昨年私に自分の誕生日を教えてくれたのはレオナルドだったはずなのだが、
そう指摘してみたところ、長いこと祝ってくれる人などいなかったため、自分が祝われる側になることは想像できなかったようだ。
……レオは基本、男性社会の人だからね。
男性社会では女の子同士と違い、誕生日だからといってプレゼントを贈りあったりなどしないのかもしれない。
「ホントはお誕生日プレゼントも、って思ったんですけど……」
私のお小遣いの出所はレオナルドだ。
レオナルドに貰ったお金でレオナルドへのプレゼントを買ったら、それはレオナルドが自分で誕生日プレゼントを買ったことになるのではないか、と途中から変なことを考えてしまいダメだった。
ならばアルフから受け取った刺繍のハンカチの代金で、とも思ったが、今度はレオナルドの好みが判らなくて二の足を踏む。
レオナルドが普段から身に付けている物の多くが黒か赤で、レオナルドの好みというよりはグルノール騎士団の色だ。
間違いはなさそうだが、同じ色ばかりというのも芸がない。
……あと、私からのプレゼントならなんでも喜んでくれる、ってわかっているから余計に下手なものは贈れない。
こんな理由で結局当日までに贈り物を用意できなかったので、本人に希望を聞いて消えるものを作ろうと思いついた。
服や財布といった残るものではなく、食べて消えるものであれば、受け取る側も気が楽であろう、と。
「そんな
「ティナが作ってくれるんなら、なんでも……」
「なんでもいい、って言うのが一番困ります」
レオナルドならなんでも喜ぶと判っていたからこそ、贈り物が用意できなかったのだ。
本人に聞けば間違いない、という選択の上で「なんでもいい」と答えられてしまえば、悩んだ時間のすべてが無駄になってしまう。
「なにかレオが食べたいものはありませんか?」
「……竜田揚げ。魚か鶏肉かはティナに任せる」
「いっそ両方作りましょう。レオのお誕生日ですからね」
今夜の夕食に一品追加されることが決まり、朝食のあとでタビサにくっついて市場へと出かける。
鶏肉は館の食料庫にあるので買い足す必要がなかったが、魚を料理に使いたいと思ったら買いに出る必要があった。
グルノールの街では川を下ったラガレットや、さらにその先にあるティオールからの船がない時期は川魚が主流になるが、春も終わりに近いこの季節には港街ティオールから運ばれてくる海の魚が手に入る。
日本のスーパーのように様々な種類が並んでいる、とは言いがたいが、それでも竜田揚げに合う魚はあった。
午後は予定通りヘルミーネの授業を受ける。
今日はレオナルドへのサービスのつもりでいつもより意識して猫を被っているのだが、ヘルミーネからの評判もよかった。
ヘルミーネは私に淑女としての立ち振る舞いを教えるのが本来の仕事なので、お淑やかさを意識した動きは理由がどうあれ誉められるものらしい。
あとはこれらが特別意識せずとも出来るようになればいい、と釘もしっかり刺された。
授業が終わるといつもは自由時間で、本を読んだり、リバーシをしたりしていたのだが、今日はレオナルドのために竜田揚げを作る。
……作る、って言っても、お肉切ったり、揚げたりするのはカリーサだけどね。
相変わらず刃物は持たせてもらえないし、揚げ物をする油に近づくなんてもってのほかだ、と台所からも追い出される。
私がさせてもらえる作業など、浸けダレを作ったり、粉をまぶしたりする程度だ。
……十歳になったら、包丁ぐらいは持たせてください、ってお願いしてみようかな?
子どもサイズの調理器具をおねだりするのもいいかもしれない。
今はレオナルドの妹としてお嬢様生活をしているが、いつかは平民の旦那様を見つけて普通の奥様になる予定だ。
お料理はちゃんと身につけておきたい。
肉と魚をタレに浸けると、味が浸み込むまでの時間が暇になった。
また固めのパンケーキ生地を作って一緒に揚げてもらおうかな、それともパンケーキ自体を作ろうかな、と考えていると、玄関ノッカーの音が聞こえる。
……アルフさんかな?
館に来る人間など、そう多くはない。
そしてこの館を一番多く訪問するのは、現在館に籠もって仕事中のレオナルドの元へと書類を運んでくるアルフだ。
書類運びなど、本来は
レオナルドに任せておくのは心配だ、と。
……ありがたいことです。
と、アルフにこっそり感謝していると、ノッカーの音が再度聞こえた。
いつもならすぐにバルトが来客を出迎えるのだが、と考え気がつく。
……バルトさん、今は裏庭のお世話中?
少し前にタビサとそんな話をしていた気がする。
ということは、玄関の外にいる相手は待ちぼうけをくらい続けることになるだろう。
……いいか。私が出よ。
どうせ来客はアルフであろう、と軽い気持ちで玄関へと向う。
館の玄関までには門番や白銀の騎士もいるため、そう怪しい人物は入って来られない。
カリーサもそれを知っているので、使った調理器具を片付けることを優先して私のあとへは付いて来なかった。
コンコン、と三度目のノッカーの音がして、玄関扉を開ける。
「はいはーい! ここはレオのお家ですよー」
「ぬっ!?」
どうせ来客はアルフであろう、と油断していた。
他の可能性など、ちらりとも考えなかった。
油断しきった浮かれ顔で開けた玄関扉の向こうには、見慣れたアルフではなく、見知らぬ壮年の男性が立っていた。
「へ?」
ばっちりと男性の紫色の目と目が合い、あんぐりと口を開く。
予想と違ったのもあったが、予想外にも程があった。
本当にまったく知らない顔の男が、こちらもやはり驚いたのだろう。あんぐりと口を開けて私を見下ろしている。
「……えーと、間違えました」
相手が困惑して固まっている間に、そっと玄関扉を閉める。
あとはもう一目散に裏口から裏庭にいるはずのバルトの元へと走った。
「バルト、バルト! お客様です! 知らない人ですっ!」
早く来て、と土のついた手袋をしたままのバルトを引っ張り、玄関へと戻る。
先ほど自分が失礼をしてしまったお客様はまだいるだろうか? と心配になって窓から外を覗いたら、中の会話がまる聞こえだったのだろう。
口元を押えて肩を揺らしている姿が見えた。
「……お待たせしてしまい、申し訳ございません」
手袋を外して簡単に身だしなみを整えたあと、バルトが改めて玄関扉を開く。
ばつが悪いので、私は扉の影に隠れて来客を観察した。
扉の向こうを見たバルトは、珍しいことにしばし固まる。
それから嬉しそうに顔を綻ばせた。
「お懐かしゅうございます。いつグルノールへ? すぐにレオナルド様へお繋ぎしますので、まずはこちらへどうぞ」
……懐かしい、ってことは、バルトの知り合い?
息を潜めて来客を観察する。
背はレオナルドと同じか、少し高いぐらいに大柄だ。
男性なのに髪が長いのは、この世界では珍しくない。
ゆるく癖のついた白髪交じりの黒髪が、肩甲骨あたりまで伸びていた。
……そして顔は怖い。
さきほどはお互いに不意打ちだったため間抜け面を晒していたが、バルトと対峙する今の顔は
普通の子どもであれば泣き出しても不思議はない顔だ。
「ティナお嬢様」
「はひっ!?」
こっそり男性を観察していたのだが、バルトに話しかけられて驚く。
びくっと肩を震わせたら、男性の視線がこちらへと向いた。
……怖い怖い怖いっ!
逃げ出したくなる凄みのある顔に、半歩後ろへと下がる。
背中は悪寒で鳥肌が立った。
そんな私に、バルトは苦笑いを浮かべながら救いの手を差し出してくれる。
「私はお客様を応接室へご案内しますから、レオナルド様にお客様がいらしたと伝えてきてくださいますか?」
「い、行って来ますっ!」
居心地の悪い視線から逃れる道を示してくれたバルトに感謝しつつ、今日一日被っていようと思っていた猫をあっさりと脱ぎ捨て、遠慮なく二階への階段を駆け上がった。
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