第30話 おかしなアルフ

 コクまろと名付けた仔犬は、最近どこへ行くにもついて来る。

 とはいえ、さすがに食料庫にまでついてこさせるわけには行かないので、通せんぼうならぬ通せんを用意した。

 まだぬいぐるみサイズの仔犬なので、少し高さを作るだけで足止めができる。


 ……可愛いは可愛いんだけどね。


 まだ躾けが出来ていないので、あまり自由にもできなかった。


 買ってもらったばかりの生姜ではあるが、今日すぐに使うといった予定はない。

 まずは一度食料庫へと片付けて、そのついでに他にも使えそうなものはないかと探すつもりだ。


 保存用に加工された果物を運ぶバルトについて食料庫へ入ると、以前より明らかにものが増えていた。

 冬に備えてのたくわえだとは聞いているが、レオナルドと私の分と考えるには多すぎる。

 バルトたちの食料も一緒にしてあるのだろうか、とも思ったが、バルトたちの食料は離れの食料庫に別口で貯えてあるそうだ。

 となると、やはりレオナルドと私のために貯えられた一冬分の食料となるのだが、とにかく量が多い。

 普段肉や穀物をどれだけ食べているかを把握しているわけではないが、いくらなんでも多すぎるのは判る。


「冬のたくわえ、多すぎましぇんか?」


「お客様がしばらく滞在されるので、普段よりも多く感じるだけでしょう」


 特別多いわけではない、と説明されて、そんなものかと納得した。

 レオナルドが主になる前から城主の館に仕えていたというバルトが言うのだから、間違いないだろう。


 味噌に興味を示した際に、他にもいろいろ取り寄せられたナパジからの輸入品の一角へ生姜を置く。

 味噌の他に醤油と味醂、あと料理酒というわけではないがこれもナパジ産の清酒があるので、出汁さえ取ることができれば和食っぽい料理を作ることが出来る。


 ……まあ、前世でそんなにちゃんとお料理してなかったから、味は怪しいんだけどね?


 本を見て料理を作ることはあったが、勘や記憶だけを頼りに当時作っていたものと同じ物を作れるほどの経験はない。

 手が出せるのは、本当に簡単なものだけだ。

 和食が懐かしくなった時に、おやつ程度に楽しむのが良いだろう。


 ……お醤油と、生姜と、味醂とお酒だっけ? あれ? 味醂は入れないんだっけ? あとはお肉と片栗粉で竜田揚げが食べたい。


 揚げ物が出来る温度まで油を温めるには結構薪が必要になる。

 さすがに私のおやつのためだけに消費させるのは気が引けるので、何かのついでにでもお願いしよう。


 そんなことを考えた翌日、さっそく揚げ物に挑戦できる日がやってきた。


 いつものように夕食の仕込みをするタビサを見学しようと台所に入ったら、そっと背中を押されて台所から追い出される。

 これは少し珍しい。


「今日はお台所へ入って来てはいけません」


「なんでれすか?」


 刃物には触らせてくれないが、普段は横で見ているぐらい許されている。

 それが台所から締め出しまでするのは本当に珍しい。


「今日はお客様が来るのでご馳走ですよ。揚げ物をするので、ティナ嬢様は危ないですから台所へは入って来ないでください」


「あげものれすか! 一緒にあげてくらさいっ!」


 こんなにも早く生姜を使うチャンスが来るなんて、と喜んで台所へ足を踏み入れるとタビサが脇へと手を差し入れてきた。

 抵抗する間もなく持ち上げられて、台所の外へと運ばれてしまう。


「油が飛んで危ないですから、ティナ嬢様は台所へ入って来てはいけません」


「……だったら、タビサさんがあげてくらさい」


 せっかくのチャンスを逃してなるものか、と食い下がると、タビサは早々に白旗をあげた。

 私を何度も追い出すよりも、要求を受け入れた方が早いと思ったのかもしれない。


「お肉だけ切ってくらさい」


 食料庫から失敬してきた鶏肉をタビサに切ってもらう。

 生姜は切るのか、おろすのか覚えていないので、おろして使うことにした。

 割合は完全に忘れてしまったので、醤油だけ少し多めであとは一対一でいいだろう。

 失敗したら次に作る時にでも改良すればいい。

 味醂の有無も、今日食べてみてから判断する。


 竜田揚げのタレ・プロトタイプに肉を浸けている間が暇なので、久しぶりにパンケーキの生地を作ってみた。

 こっちはミルクを少なめにして生地を若干かたくする。

 あとはこれをスプーンででもすくって油へ落とせば、ドーナツっぽいものができる予定だ。


 ……オレリアさんの家で作ってた生地そのままだから、味はお砂糖で調整する必要あるかもだけどね。


 ともあれ、揚げてもらいたい物は準備できた。

 あとはタビサにお願いして、おとなしく台所には近づかないようにしよう。







 コクまろに『お手』と『お座り』を教えていると、台所からいい匂いが漂ってきた。

 醤油に火が通る独特の香ばしい匂いだ。

 ついコクまろと一緒になって鼻をひくつかせていると、バルトが揚げたばかりの竜田揚げとドーナツモドキを運んできてくれる。

 ご丁寧に小さなフォーク付だ。


「んふ~っ! おいしいれすっ!」


 揚げたて熱々の竜田揚げは最高に美味しかった。

 美味しいのだが、これが竜田揚げかと聞かれれば、少し違う気がする。


 ……味醂がいらなかったか、もう少し減らす、かな?


 問題なく美味しくはあるのだが、決定打には欠ける。

 そんな味がした。


 ……でも美味しい。生姜の香りがいいね。


 私の足に前足をのせて背伸びをするコクまろが可愛いのだが、いくら可愛くとも人間の食事を食べさせるわけにはいかないのでここは我慢だ。

 葱は使っていないが、あげて良いものかどうかが判らない。


 ドーナツもどきも食べてみたが、やはり甘みが足りなかった。

 柔らかいカステラにはなっているのだが、砂糖をまぶすなどして甘みを足した方が良い気がする。


 コクまろの『ちょうだいちょうだい』攻撃に耐えながら成果物の味を確認していると、玄関ノッカーの音が聞こえた。


 ……あれ? レオナルドさんが帰ってきたのかな?


 城主の館には、玄関から来る客などほとんどいない。

 まったく来ないということはさすがに無いが、主であるレオナルド、その友人のアルフ、住人である私、砦からの伝言を持ってくる門番が正面玄関を使うぐらいだ。

 このうちお客様となると、アルフだけになる。


 ……丁度良かったね。冷めないうちにレオナルドさんにも味見してもらおう。


 少し行儀は悪い気がするが、ドーナツと竜田揚げの載った皿を持ったまま玄関扉を開ける。

 私としてはレオナルドを出迎えるつもりだったのだが、扉の向こうに立っていたのはアルフだった。


「あえ? アルフさんれしたか」


 失敗してしまった。

 てっきりレオナルドが帰ってきたのだと思ってお行儀悪くも皿を持ったまま玄関まで迎えにきたのだが、玄関に立っていたのはたまのお客様ことアルフだ。

 今さら取り繕うような仲ではないが、少々ばつが悪い。


 ……なにか、変?


 ほんの少しアルフに違和感を覚え、まじまじと観察する。

 いつもどおりのキラキラとした金髪に、今日は赤い正装を纏っていた。


 ……服の色かな? なんかいつもとイメージ違うね。


 基本的に黒騎士たちは黒を基調とした服を着ている。

 これは他の黒騎士に比べてお洒落なアルフも同じで、差し色や装飾でお洒落を楽しんでいるようではあるのだが、基本はやはり黒だ。

 赤を着ているのは珍しい。


「今日はお客様がくるって聞いていましらけど、アルフさんのことらったんれすね」


 そう口にして一瞬だけ納得してしまったのだが、アルフが来るのは当たり前すぎて、バルトとタビサもわざわざ『お客様』だなどとは言わない気がする。

 どうにもすっきりしなかったので改めてアルフを観察してみたら、ドアの向こうには他に二人、白い制服を纏った男性が立っていた。


 ……あ、こっちが本当のお客様っぽい。


 これはさすがに幼女とはいえ、皿を持ってのお出迎えは不味いとわかる。

 アルフならばいつものことと笑って流してくれるが、初対面の人間相手にやってしまうのは不味い。

 背後の二人は間違いなくレオナルドの客でもあるのだ。


「えっと……」


 さて、どう誤魔化そうか。

 内心で忙しく考えるのだが、良い案は浮かばなかった。


 ……まあ、いいや。仕方が無いよ、もうすでに失敗してるからっ!


 ここは一つ開き直り、幼女らしく振舞って誤魔化してしまえと結論づけ、小さなフォークを竜田揚げに突き刺す。

 そしてフォークごと竜田揚げをアルフに差し出した。


「アルフさん、味見してくらさい」


 はい、あーんっと幼女らしいあざとい満面の笑顔でアルフを見上げるのだが、アルフは戸惑ったように苦笑いを浮かべる。

 アルフの代わりに反応したのは、背後の一人だった。


「お嬢さん、私にも一ついただけるかな?」


 柔らかい金色の髪をした青年が前へと進み出てきて、私に膝をつく。

 丁寧な仕草と流れるような物腰に、玄関先でお客様に味見をさせるのはどうかと思ったのだが、言われるままにフォークを渡してしまった。


 ……なんだろうね、このお兄さん。仕草とか、全然違う。


 イメージとしては、物語の中の騎士だとか王子様といったところだろうか。

 一つひとつの所作が上品で、玄関先で子供用のフォークに刺された竜田揚げを食べているというのに、妙に絵になる。


 ……違和感もすごいけどね。


 咀嚼そしゃく音と奇妙な沈黙が続く。

 居心地が悪くて逃げ出したいのだが、私が味見をお願いしたという形になっているためそれもできない。

 じっと嚥下される喉を見つめていると、金髪の男性は微かに首を傾げた。


「……この香りは? 醤油と味醂ニリムは判ったのだけど」


生姜アグオヤスれすか?」


「生姜? 生姜が入っているのか?」


「生姜とお醤油と、味醂とお酒にお肉を浸けて、粉を付けて揚げてもらいましら」


 会話の流れで作り方を説明し終わると、金髪の男性はアルフに振り返って「毒ではないようです」と報告してくれた。


 ……失礼な。


 ムッと唇を尖らせてやると、苦笑いを浮かべたままだったアルフが少しだけ腰を屈めた。


「私にも一ついただけるかい?」


「毒ではありませんけろ、アルフさんにはもうあげましぇん」


 んべ、と舌を出すと後ろに立っていた黒髪の男性が目を丸くして驚いている。

 幼女なのだから、このぐらいの無邪気さはあっても良いと思うのだが、何を驚く必要があるのだろうか。

 なんとなく気になったので、空いたフォークにドーナツを突き刺して背後の男性にも声をかけてみた。


「お兄さんも味見してくれましゅか?」


「……任務中だ」


 金髪の男性は物腰柔らかな印象だったが、こちらは憮然とした男性のようだ。

 任務中だから、と幼女の誘いを断れる騎士はこのグルノールにはいない。情けないことに。

 残念ですね、とフォークを引っ込めたら、金髪の男性にドーナツについて聞かれたので、「揚げパンケーキれす」と答えておいた。

 ドーナツモドキはあくまで『モドキ』なので、ドーナツと人に紹介はできない。

 味見を申し出てくれたので金髪の男性にドーナツを差し出したところ、高評価をいただいた。

 甘さ控えめなところが良いらしい。


「……ところで、お嬢ちゃんは館の子、かな? ここはレオナルドの館だったはずだが」


 使用人の子どもには見えないし、と金髪の男性は首を捻る。

 私の服装は台所にいたので中古のエプロンを付けてはいたが、中身は質の良いワンピースを着ている。

 見る人が見れば、使用人の子どもでないことはすぐに判るはずだ。


「そうれした。ごめんなさい、やりなおしましゅ」


 手にした皿はもうどうしようもないが。

 お客様と思われる男性に誰何すいかを受けたのだから、館のお留守番としてはちゃんと挨拶をしておいた方が良いだろう。

 姿勢を正して顎を引き、金髪の男性に向き直ると、きちんと幼女らしく挨拶をした。


「こんにちは、はじめまして。私はティナ。レオにゃルドさんの妹ってことになっていましゅ」


 ……うん、頑張ったけど、やっぱり噛んだ。決まらないね。


 完璧とは言えないがそれなりの挨拶をした私に、金髪の男性はティモンと名乗り、もう一人はアーロンだと教えてくれた。

 てっきり二人が客なのかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。

 二人はレオナルドの客の護衛としてグルノールの街までやって来たとのことだった。


「……とりあえず、館の中へ入れてくれるか、ティナ?」


「そうれした。アルフさんもティモンさんたちも、どうぞお入りくらさい」


 皿を抱えていない右手でアルフの手をとり、居間へと案内する。

 とりあえず居間で休んでもらって、その間に護衛二人の案内をバルトに任せれば良いだろう。

 三人を居間へ案内してからバルトに声をかけると、まずはお茶をと台所へ戻っていった。

 私はといえば一応お客様なのだから、と放置して良いものか判らず居間へと戻る。

 居間の中の三人は、アーロンが護衛のように扉の前へ立ち、アルフとティモンが睨み合っていた。


「竜田揚げがっ!?」


 ずっと持っているのもアレなので、とバルトを呼びに行く際に皿を置き去りにしたのだが、いつの間にか竜田揚げがすべて無くなっていた。


「誰れすか!? 全部食べちゃったのあっ!」


 まだレオナルドが味を見ていないのに、すべて食べられてしまった。

 怒りを込めて二人を睨むとティモンは申し訳なさそうに、アルフはそんなティモンを責めるような視線で見つめていた。


「アルフさん酷いれすっ!!」


「え、いや、ティモンが……っ」


「生姜の匂いをプンプンさせて、他者ひとのせいにできるだなんて思わないでくらさいっ!」


 そもそも他者のせいにするだなんて男らしくないです、と指摘すると、アルフは不思議そうな顔をした。

 まさか本当にばれないとでも思っていたのだろうか。

 すぐにバレる嘘をつくなんて、と詰め寄ると、アルフは話をはぐらかすように私の足元にいる仔犬へと視線を落とした。


「可愛い仔犬だね。名前はなんだっけ?」


「コクまろれす。コクがあって、まろやかな味わいの……?」


 本当の由来は黒毛に白い麻呂眉があってのコク麻呂まろなのだが、麻呂眉が通じるわけがないので、ここでは『コクがあって、まろやかな味わい』と由来を説明している。

 この話をした時、アルフは『由来が謎すぎて絶対に忘れそうにない』と言っていたのだが、また聞かれてしまった。


 ……アルフさんも結構うっかりさんだったんだね。


 私の足に隠れているコクまろは、将来番犬になる予定なのだが、ご主人様わたしに隠れているあたり、あまり期待できそうにない。


 ……なんでコクまろ隠れてるの?


 番犬予定のコクまろは、私とレオナルドを主人とし、タビサとバルトも家族と認識しているらしく吠えたりはしない。

 門番の顔は現在覚えている途中なのだが、頻繁に遊びに来るアルフの顔はしっかりと覚えていた。

 顔を見るなり短い尻尾を振り回して付いて歩くぐらいには、コクまろはアルフのことが大好きだと思う。


 そんなコクまろが、私の足に隠れて出てこない。


 ……あれー?

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