第29話 風邪っぴきに生姜
くしゃみを一回したら、下着を一枚増やされた。
くしゃみを二回したら、冬用のコートを手渡された。
くしゃみを三回したら、教室通いをおやすみさせられた。
くしゃみ四回目はなにも言われなかったが、くしゃみ五回目は風邪だと判断された。
そしてレオナルドによって風邪だと診断された私は、毛布でぐるぐる巻きにされた上で屋根裏部屋からの退去を余儀なくされていた。
「い~や~れ~す~っ!」
これが風邪を引いたのだから寝ていなさい、と言われて素直に寝た子どもに対する行いだろうか。
芋虫のように毛布で巻かれて身動きの取れない私を小脇に抱え、レオナルドが屋根裏部屋から私を運び出そうとする。
屋根裏部屋を使いたいという私の意志は完全に無視だ。
「屋根裏部屋は使用人の使うものだし、うちでは物置扱いだ。ティナの住む部屋じゃない」
「この狭さが好きなんれすっ! 落ち着くんれすっ!!」
「屋根裏は寒いだろ。現にティナは風邪を引いたじゃないか」
引きずり出されてなるものか、とベッドの背もたれを掴んで抵抗するが、大人の腕力には勝てない。
あっさりと指を背もたれから外されて、担ぎ出されて終了だ。
「そうら、やねうら部屋にストーブお置きましょうっ!!」
そうしたら寒くないですよ、と提案したのだが、レオナルドの意見は変わらなかった。
無情にも屋根裏部屋には鍵がかけられ、その鍵はレオナルドのポケットへとしまわれてしまう。
「子どもだけでストーブなんて使わせられるわけがないだろう?」
不始末からの火事も心配だが、
この世界には時間が来たら自動で止まるような電気ストーブなんてものは当然ないので、子ども部屋にストーブを持ち込めばその管理は当然子どもが行うことになる。
火の管理については『普段から聞き分けの良い子どもだから』と過信し、完全に任せるわけにはいかないのだろう。
私の機嫌を取るように抱き直したレオナルドに、わかりやすいように頬を膨らませて抗議する。
火の管理を子どもに任せられないのは理解できるが、屋根裏部屋を没収されるのは面白くない。
「……みんなれ屋根裏に住みましょう」
大人も一緒ならストーブを持ち込んでもいいよね、と言ってみる。
私の提案に苦笑いを浮かべたレオナルドは、次の春までは出入り禁止、と条件を増やした。
「もともと街に慣れるまで、って約束だっただろう?」
「まだ街に慣れていましぇんよ」
一人では出歩けないし、出かける先は砦かメンヒシュミ教会だ。
最近は教室の帰りに寄り道らしいこともしていたが、子どもだけで歩いても大丈夫だと思われる昼間の大通りだけだった。
路地などの細かい道へ入ろうものならば途端にあの黒犬がやって来るので、街自体にはまだそれほど慣れていない。
「充分慣れてきたと思うぞ」
我儘を言うようになった、とレオナルドは笑う。
私のどこが我儘なのだろうか。
養われている身分として、それなりに聞き分けよく過ごしているつもりだ。
「……これはわがままじゃありませんにょ?」
もしかして、屋根裏部屋を使いたい、と言っていることについて『我儘』と言われているのではと思い至り、レオナルドの思い込みを訂正する。
屋根裏部屋を使いたいというのは我儘ではない。
いや、狭くて落ち着くという意味で屋根裏部屋を好んでいるという話ではたしかに我儘かもしれないが。
「これはだんぼうこうねつひの節約れす」
「
膨らませた頬をレオナルドに突かれる。
指で押さえられると、口内にためた空気はあっさりと外へ排出された。
「可愛い妹を、いつまでも屋根裏部屋になんて寝かせてられるわけないだろ」
「その可愛い妹のお願いれす。やねうら部屋がいいれす」
あとは先ほどと同じ会話が繰り返される。
外聞が悪いのもあるが、屋根裏部屋は寒いし、子どもだけの部屋でストーブを使わせるわけにはいかない、と。
私だって実年齢はともかく本当の意味では子どもとはいえないので、説明されたことは理解もできるし、納得もできた。
「……ホントに、春になったらまた使ってもいいれすか?」
「暖かくなったらな」
「冬になったら禁止、にしましぇんか?」
「生活するだけで風邪を引くとか、屋根裏だけ冬が早かったみたいだな」
今日は本当に聞き入れてくれる気がないらしい。
少しだけ面白くないのでいつものように蹴ってやりたいのだが、毛布に包まって寝ていたところを運び出されているため、残念ながら靴は履いていなかった。
何かやり返せないだろうか、とじっとレオナルドの顔を見つめていると、レオナルドも私の狙いが判るのだろう。
困ったように眉を寄せ、少しだけ顔を私から離した。
「もうすぐ館にお客様が来てしばらく滞在するから、俺の外聞のためにも三階で生活してくれると助かる」
「お客様、れすか?」
そういえば、そんな話をジャスパーに聞かれた気がする。
王都から客が来るという話を聞いていないか、と。
あの話だろうか。
「お客様に俺が自分の妹を屋根裏部屋に住ませるような
「レオにゃルドさんはひれつかんじゃありませんにょ?」
少し困ったレベルで私を甘やかせてはいるが、卑劣ではない。
そう思う。
「……ただちょっと乙女の秘密を盗み聞きする変態さんなだけれす」
「変態じゃないぞ。確かに盗み聞きはしたが、あれはわざとじゃない。ティナが寂しい寂しいって泣いてたから、近くで見守って……ぐふっ」
慰霊祭での両親への報告を、実は全部聞かれていました、的恥かしい話を蒸し返され、口を塞ぐための咄嗟の行動が頭突きだった。
ちょっと額が痛いが、レオナルドは黙ったのでよしとする。
「春になったらまた使っていいんれすね?」
次に余計なことを言ったらどうしてやろうか。
そんな気迫を込めてレオナルドを見つめると、レオナルドは頭突かれた顎を撫でながら「いいよ」と
寒くなってきたので、と強制的に移された三階の部屋は確かに温かい。
まず間取りが良くて日中の日当たりは最高であったし、もともと館の主の家族が住む空間として用意されているため、暖房施設も用意されている。
暖炉もレオナルドの部屋に負けない立派なものが作られていたし、望めばストーブも用意してくれた。
……小さいストーブがあるなら、もう少し屋根裏部屋が使えた気がするんだけど。
子どもに火の番をさせるのが心配だ、というのが理由の一つにあるので、ここはもう素直に諦めるしかない。
三階の部屋でストーブや暖炉が使えるのは、タビサかバルトのどちらかが火の番をしてくれるからだ。
暖かい部屋と手厚い看護で風邪は三日目には完全に治り、メンヒシュミ教会へ通うのも復活した。
また風邪を引かないように、とフード付のコートが用意されもしたが、これは完全にレオナルドの趣味であろう。
フードには猫耳が付けられていて、被るとフードを突き破って猫耳が生えているように見える。
猫耳コートを着て市場へ行くタビサについて歩く。
ここしばらくは黒犬を見かけるという理由で避けていたが、大人と行動している時は姿を見せないだとか、どうも私を守っているようだ、と確信してからはそんなに怖がる必要はないのかな、と思えるようになっていた。
久しぶりに覗いた市場は、実りの秋ということもあり、盛況だ。
いつも以上に新鮮な野菜や果物が軒先に積み上げられている。
「果物が多いれすね」
日本のスーパーで秋に見かける和梨や粒の大きな
他にも見たこともない果物や野菜があって、市場見学はけっこう楽しい。
「あ、あの木の実! 村で取れました」
秋に山で拾っていた木の実を見つけ、つい指差す。
冬の間の貴重なおやつだったのだが、街では売られているらしい。
メイユ村の裏山で、タダで拾えたものが売られているというのは、なんだか不思議な光景だった。
「少し買っていきますか?」
「予定がいのお買い物になりゅので、いいれす」
母も料理には使っていなかったはずだ。
村では子どもたちのおやつにしかなっていなかった。
買って帰ったとしても、館では私しか食べないのであれば完全に無駄使いだと思う。
……それに、タビサさんの作ってくれるおやつの方が美味しいしね。
癖があってそれなりにおいしい木の実ではあったが、タビサが作ってくれるお菓子には負ける。
懐かしくはあっても、わざわざ余分に買い足すほどではない。
木の実を売っている屋台で足を止めてしまったタビサの背を押し、店を変える。
レオナルドの仕込みもあって、タビサも私が興味を持ったものをすぐに買おうとするきらいがあった。
気は早めに逸らしておくに限る。
秋の実りが珍しく、タビサと手を繋ぎながらあちこちの屋台を覗く。
栗を大量に積み上げて売っている店や、すでに保存食の状態に加工した果物を売っている店もあった。
その中に一つ、食材とは違う木の根や乾燥した葉を売っている店を見つける。
……あ、あの葉っぱ。オレリアさんの家で見たやつだ。
乾物屋だろうか。
保存用だと思われる、干した物がやたらと多い店だ。
黄色い種や赤い実、からからに乾燥した葉、良い匂いのする枝、色とりどりの粉が小さなビンに入れられて屋台に並んでいる。
「あ、あれ! あれ欲しいれすっ!」
「え? どれですか?」
乾物屋と思ったのだが、どうも香辛料屋という方が正しい気がしてきた。
干物等の並べられている商品の中に、どこからどう見ても生姜らしき根っこが売られていた。
「これれす。この……アグオヤ……?」
「
「アグオヤス、アグオヤス……おぼえましら」
文字の綴りと読み方を反芻することで記憶し、遅れてタビサの言葉に首を傾げる。
「……食べ物じゃないんれすか?」
「このお店は簡単なお薬の材料を売っているんですよ」
タビサの説明によると、セドヴァラ教会を頼るほどでもない簡単な症状の病気の治療や予防に繋がるハーブを売っているお店らしい。
ようは民間療法のお店だ。
……そういえば、生姜も一応ハーブだっけ?
料理で使うイメージしかないためハーブと言われれば首を傾げたくなるが、香りがする草という意味では確かに生姜もハーブの一種だ。
生姜といえば不思議な気がするが、ジンジャーと呼べばしっくりくるのだから、言葉のイメージなんてその程度のものである。
薬の材料だ、といって戸惑うタビサに、ならば自分で買うといって黒猫の財布を持ち出したところ、私の本気度は伝わったようだ。
不思議なものを欲しがるな、と何度も首を捻りながらタビサは生姜を購入した。
……やったっ! これで味噌煮リベンジができるよっ! 他にもいろいろできるよっ!!
生姜を使った料理で、私にもできる簡単なレシピへと思いを馳せながら、買ってもらった生姜を大事に抱える。
あとはもうずっとご機嫌な様子で鼻歌をうたう私に、タビサは苦笑を浮かべていた。
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