閑話:アルフ視点 二人の距離

 慰霊祭にはワーズ病犠牲者の遺族が参列することになるので、子どもが参加する場合だってある。

 そのため、料理の他に菓子が用意されているのは理解できた。

 必要な場合もある。

 しかし、さすがに菓子とジュースしか用意していない席を作るのはやりすぎだ。

 ご丁寧なことに椅子には高さを調整するためのクッションまで用意されており、誰のための席であるのかが黒騎士なら誰にでも判る。


 ……隔離区画で頑張っていたし、ティナが慰霊祭に参加すること自体は良いと思うんだが。


 あからさまな贔屓はいかがなものか。

 他の席と同じように料理や酒を用意するか、もう二・三席酒を排除したテーブルを作った方が良い。


 ……街で何か騒ぎがあったようだから、酒を飲んだ大人に囲まれるよりは子どもの輪の方がいいだろう。


 レオナルドの用意した席の他に三つ、子ども用のテーブルを準備させていると、レオナルドがティナを連れて慰霊祭の会場へとやって来た。

 深い紅色のコートを着たティナは、いつもと変わらない表情をしている。

 街で不審者に連れ去られそうになったと報告が来ていたが、昼間の騒ぎは尾を引いていないようだ。

 慰霊祭の飾りつけに興味を惹かれるのか、キョロキョロと周囲を見渡していた。


 司祭によって葬儀が執り行われると、ティナは式の進行に従って黙祷をしたり、祈りの言葉を読み上げたりと周囲によく馴染んでいる。

 レオナルドが時折席を離れるのは、砦の主なのだから仕方がないとはいえ、もう少しティナを気遣えないものだろうか。

 頻繁にそばを離れることになるのなら、最初から別に保護者を連れてくるべきだ。

 館にはバルトもタビサもいるのだから。


 司祭が代表として一番大きな蝋燭に火を灯すと、葬儀としての祭祀は終了だ。

 あとは蝋燭の火が消えるまで、各人の魂鎮めの灯を見守りながらの会食が主になる。

 ただ蝋燭の火の番人をしながらする宴会、と受け止めている者もいるが、犠牲者の数だけ蝋燭が用意されているので一晩中火の番をすることになり、実情はそれほど気軽な宴会ではない。

 一本一本の蝋燭は一時間もすれば消えてしまうが、司祭の預かる一番大きな蝋燭は一晩中火が消えない。

 あれは名前や家の判らない者――感染源を運んでいた商人や、その荷を奪って全滅した盗賊たちなど――のたましずめのなので、他より大きいのだ。


 レオナルドに手を引かれ、ティナが菓子だけの用意された席につく。

 その目の前には二本の蝋燭が置かれていた。

 ティナは隔離区画で結構可愛がられていたので、遺族のいない者の見送りでもしてやるのだろう。

 しばらくはレオナルドも一緒に見送りをしていたが、砦の主であるレオナルドはティナばかりにかまけてもいられない。

 途中でティナを一人残し、席を離れた。


 ティナを気にかけているのは自分だけではないので、その点だけは安心できる。

 レオナルドが常についていなくとも、誰かしら黒騎士がティナを見守っているのだ。

 そして、ティナを気にかけているのは人間だけではない。


 ……あれは本当に気が付いていないのだろうか。


 先ほどから蝋燭を見守りながら男と話をしているティナは、自分の足元に伏せている黒い生き物に気が付いていない。

 自分からも意識して目を凝らさなければ時折動く耳が見えるぐらいなのだが、夜の闇に紛れて近頃噂の黒い犬がティナの傍にずっと控えていた。

 耳を澄ませて警戒しながら、ティナの視線が自分へ向きそうになるとテーブルの死角に入って隠れ、また視線が外れると傍らへと出てきて伏せている。

 誰かがティナに近づいて何ごとかを聞くと、ティナはそれに応えながら席を立つ。

 ティナが移動すると黒犬はどうするのか、と見守っていると、移動するティナとそれに続く人間の影に隠れてぴったりと付いて歩いている。


 ……本当に、ティナを守っているだけみたいだな。


 行く先々で見かけて気味が悪い、と不安を訴えるティナには悪いが、黒騎士内での共通の認識は『あの黒い犬はティナを守護している』だった。

 黒犬自体、ティナに怖がられていると理解したのか、最近は姿を見せることもなくティナの周囲にいるのを見かける。

 下手に捕まえるよりは、自由にしておいてティナを守らせておく方が良い、とレオナルドもそれほど本気で捕まえる様子はなかった。


「……あの犬はまたティナの傍にいるのか」


「おまえが離れてからずっとだ」


 あちらこちらのテーブルへと人を案内しはじめたティナを見守っていると、レオナルドが戻って来た。

 手には二本の新しい蝋燭が握られている。

 何気なしに蝋燭を受け取って名前を確認すると、『サロ』と『クロエ』と書かれていた。


「……誰だ? おまえの知人か?」


「ティナの両親だ」


「ティナの父親は『サロモン様』とか呼んでいなかったか?」


 レオナルドが普段呼んでいる名前とティナの父親の名前が一致せず、僅かに眉を寄せる。

 レオナルドが人の呼び方を変えるのは珍しい。

 そう指摘してみたところ、ティナの影響だった。

 ティナが自分はサロモンなどという貴族の娘ではなく、メイユ村のサロの娘だ、と言い切ったらしい。

 貴族の親戚を見つけて自身も貴族に戻るのではなく、サロの娘として、レオナルドの妹でいる、と。

 だからレオナルドも『貴族サロモンの娘』としてではなく、ただの『サロの娘』として扱うためにサロモンをサロと呼ぶことにしたのだ、と。


「……ティナは忙しそうだな」


「隔離区画では頑張っていたからな。知人が増えたから、遺族の案内に適していたのだろう」


 短い足で会場を隅から隅まで動き回っている。

 最初のうちはティナのすぐ後ろを歩いていた黒犬も、今はティナがどこにいてもすぐに駆けつけられる場所を見つけたのか、一箇所に留まってジッとティナを見つめていた。


「先に挨拶をしておくか」


 軽く肩を竦め、レオナルドが最初にティナを案内した席へつく。

 楽しそうに働いているティナを呼び戻すのは、さすがのレオナルドも気が引けたらしい。


 ……レオナルドにしては良い判断だな。


 ティナの両親の魂鎮めの灯を用意したことも、いつの間にか働いているティナを好きにさせておくのも、レオナルドとしては珍しい。

 昔助けられた騎士に憧れて騎士になったというレオナルドは、誰かを助けるためにと武力と学力を身に付けたが、それ以外は置いてけぼりなきらいがある。

 とりわけ女心にはうといし、それが女児ともなれば子ども心にも疎いが追加される。

 そんなレオナルドが幼女を養育するというのは最悪の組み合わせだと思っていたのだが、ティナ自身が普通とは少し違った。

 オレリアとも気の合うティナは、普通の幼女とは少々毛色が違い、我慢強くて頭も良い。

 レオナルドが多少無神経で大雑把なところがあろうとも、ティナは我慢しているのか飲み込んでいるのか、はたまた元から平気な性質なのか、それなりに上手くやって行けているようだ。


「……ティナは毎日元気です」


 聞く気はなかったのだが、なんとなく拾い取ってしまったレオナルドの言葉は、こんな始まりだった。

 仔犬に『コクがあって、まろやかな味わい』という名前を付けただとか、三階に用意した自室を使ってほしいのだが未だに屋根裏部屋を愛用しているだとか、そんな近況報告が主な内容だ。


「懐いてきてくれているとは思うのですが、まだ気を許してくれてはいないというか――」


「ああ、でもこの間も寝ているベッドに飛び乗ってくるとか、悪戯をしてくることもあって――」


「悪戯を見つけたあとなんかは舌を出すのが可愛くて、男の子を泣かせるぐらい意外にお転婆で――」


 思いつくままにティナの近況を報告しているのは解るのだが。


 ……それを故人に報告するのはどうなんだ? 安心して眠れないんじゃないか?


 メイユ村に住んでいた頃のティナを知らないが、レオナルドの話だけ聞いているとティナは随分とお転婆で悪戯ばかりする子に聞こえる。

 お転婆はともかくとして、悪戯ばかりする子どもをオレリアが気に入るわけはないので、レオナルドの思い違いだろう。


 レオナルドの報告をつい聞いていると、案内に一区切りがついたらしいティナがポテポテと戻ってきた。

 多少の疲れが見えるが、充実感も見て取れる顔だ。


「……ただいま戻りましら」


「おかえり、ティナ」


 こんな普通のやり取りをして、レオナルドはティナをクッションで高さを調整した椅子へと座らせる。

 目の前に二本の蝋燭を置かれ、ティナはきょとんっと瞬いた。

 蝋燭に書かれた名前が意外だったのだろう。


 両親の名前が書かれた蝋燭を見つめ、ティナはしばらく瞬いていた。

 レオナルドのように、特に何か言うことが思い浮かばなかったようだ。

 そのうちに居心地が悪そうにお尻を動かしはじめたので、レオナルドを引き離すことにした。

 現・保護者レオナルドの前では言い難いこともあるだろう、と思ったのだ。


 ……さっきレオナルドが言っていた報告も、ティナ本人に聞かれたら特注靴の洗礼間違いなしだったしな。


 お互いにいろいろ故人へしたいことがあるはずだ。


 適当な用事を押し付けてレオナルドをティナから引き離す。

 レオナルドが離れると、黒犬がティナの足元へとやってきて伏せた。

 さて、レオナルドの耳がなくなったらティナはどんな報告をするのか、と少しだけ興味をひかれて聞き耳を立ててみたのだが、レオナルドが傍からいなくなってもティナが両親に語りかけることはなかった。

 ただじっと揺れる蝋燭の炎を見つめ、顔から表情が消えている。


 ……なにか、変だな?


 ティナの様子がおかしい。

 そう気が付いて、さすがに声をかけようかと思ったら、参列者の一人がティナに話しかけた。


「……誰の灯を見送っているんだ?」


 知らない男だっただろうに、話しかけられたティナは少し考えたあと「お父さんたちの灯です」としっかりした口調で答えた。

 偉いぞ、と男がティナの頭を撫でた瞬間、ティナの顔が一瞬だけ歪んだ気がする。

 が、顔をあげた時にはまた無表情になっていたので、見間違いかもしれない。


「お父さんって、どんな人だった?」


 最初の話が聞こえていたのだろう。

 次にやってきた女性が、父親についてを聞いた。

 ティナはまた少し考えるような素振りをみせてから、お人好しでしたね、と答える。


「お母さんはどんな人? お料理は上手だった?」


 先の男とは違い、女性は椅子に座ってティナに会話を振ってきた。

 一つひとつ聞かれるたびに、ティナは少し考えてそれに答える。

 最初のうちは答えが出てくるまでに間があったのだが、段々聞かれればすぐに答えが出てくるようになった。

 最初は人見知りをしているのかと思っていたのだが、どうも違うようだ。


 ティナがすぐには思いだせないように深く、かたく、両親の思い出を閉ざしてしまっていただけだ。


 そう気が付いたのは、ティナが声をあげて泣き出した時だった。

 両親を呼びながら寂しい、寂しいと泣くティナに気づいてレオナルドが戻って来たが、引き止める。

 両親が死んだのは半年以上前だというのに、ティナはやっと寂しいと泣けたのだ。

 今の今まで我慢していたティナの元にレオナルドが行けば、ティナはまた我慢してしまう気がした。







 見知らぬ女性がティナの髪を撫でて慰めている間、レオナルドは息を潜めてティナのすぐ近くに控えていた。

 黒犬の耳がピクピクと動いていたので、犬にはレオナルドの存在が把握されている。

 苦笑を浮かべた司祭がレオナルドを一瞥し、ようやく泣き止んできたティナの頭を撫でた。

 司祭と二・三言葉を交わし、ティナも落ち着きつつあるのが判る。


「……お父さん、昔レオにゃルドさんを助けたにょ?」


 蝋燭と向き合いはじめてから随分時間がかかったが、ようやくティナが蝋燭越しに故人へと話しかけた。

 話の内容は、やはり近況が中心のようだ。


「レオにゃルドさん、凄い人らったよ。砦で一番偉いにょ! グルノール騎士団の他にも三つの騎士団の団長さんなんらって。強いんだね」


 なにやらレオナルドの凄さを語りだしたのだが、自分の位置からはティナの背中とレオナルドの表情が見えるのでなかなか愉快だ。

 レオナルドの顔が見て判るほどにだらしなく緩んでいる。

 両親への報告に自分の話題が一番に挙がったのが嬉しいのか、ティナに『お兄ちゃんすごいんだよ』自慢されているのが嬉しいのか、おそらくは両方だ。


「……でも鈍感で、ほっといたら変な女の人に引っかかりそうで心配れす」


 思わず噴出しそうになるのを、頬と腹筋に力を入れて堪える。

 直前まで誉めていた相手を、両親の前で突然ボロクソに語り始めるだなんて、誰が予想できようか。

 不意打ちすぎるティナの心情暴露に、レオナルドの顔が面白いことになっていた。


「夏にはカーヤって変な女に騙されて……あ、これはアルフさんが解決してくれましら。レオにゃルドさんより頼りになるんれすよ、アルフさんって!」


 自分としては納得のティナからの信頼度ではあるのだが、レオナルドの視線が痛い。

 妹に鈍感で心配と言われた直後の兄が、その妹に頼りになると誉められた他人を睨むとか、心が狭すぎて大丈夫かと心配になってくる。


「レオさん、マジヤバですよ。保護者として向いてないれす。まったく自覚が足りましぇん」


 ……うん?


 口が乗って来たのか、ティナがレオナルドを『レオさん』と呼んだ。

 ティナが練習以外でレオナルドを『レオにゃルドさん』以外の呼び方をするのは初めて聞いた。

 呼ばれたレオナルドの顔を見ると、先ほどまでの不機嫌さがどこかへと吹き飛び自信満々な笑みを浮かべているのが実に鬱陶しい。


 ……レオナルド自身は初めてじゃないのか。


 両親への報告で『レオさん』と呼ばれて喜んでいる場合ではないと、彼は気がついているのだろうか。

 愛称呼びを横へ避ければ、内容は完全にただのダメだしだ。


「夏の間なんれ、裸で寝ていたんれすよ! いくらわたしが子どもらからって、女の子のよういく者が全裸で寝るとかどうかとおもうんれす」


 ……それは本当にどうなんだろうか。


 笑い出したいのを堪えつつレオナルドの様子を見ると、こちらは先ほどまでの自慢顔が完全に情けない顔に戻っていた。

 すぐそばでレオナルドが聞いているとは知らず、ティナの保護者についての報告はすらすらと口から出てくる。

 最初の何も言葉が出てこず、居心地悪そうにお尻をモゾモゾとさせていた少女はもうどこにもいなかった。

 あれが変、これが心配、と両親に報告されるたびにレオナルドの顔色が悪くなっていくが、見ている分には面白い。


「……でも、すっごく優しいよ」


 散々ダメだしをしたあとに、ふいにティナが嬉しそうに呟いた。


「成人までわたしのこと養ってくれりゅそうだから、ゆっくり時間をかけてレオさんと家族になっていきましゅ」


 一人ぼっちじゃないから安心してね、と呟いて、ティナはもう一度泣き出した。

 今度はレオナルドを止めない。

 レオナルドがティナを慰めようと行動するのを見守ろうと思う。


 抱き上げられたティナは、両親への報告をすべて聞かれていたことを悟ると、レオナルドの腕の中でほんのりと頬を赤く染め、言葉にできないほど綺麗で切ない笑みを浮かべる。


 直後、レオナルドの膝をティナの靴が襲った。

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