第28話 慰霊祭 2
ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎を見つめていると、見知らぬ男性に声をかけられた。
それがロイネの
そうですよ、と答えると、男性は同席を望んだ。
どうやらロイネの知人らしい。
「……ロイネさんが家族はいないって言ってたかりゃ、わたしがお見送りしようと思っていたんれすけど、他に見送ってくれる人がいたんれすね」
故人の思い出を語る場らしいので、普段なら聞かないようなことを聞いてみる。
話の種が、お互いにロイネの話題しかないのだ。
「ロイネさんのお知り合いれすか?」
「昔の恋人だよ。……お嬢ちゃんは? まさか、ロイネの子ども……」
「それはこっちの子れすね」
テオと書かれた蝋燭を差し出し、間違いを訂正する。
私とロイネが知り合ったのは隔離区画の手伝いをしている時で、母子関係ではない、と。
「……そうか。ロイネの子も死んだのか」
男性の『テオ』と名を読む声が複雑な響きを持っている。
なんとなくだが、彼がロイネのテオの父親なのだろう、と思った。
いつだったか、ロイネは私と同じ年頃の子を亡くした、と聞いたことがある。
私を見てすぐにロイネの子か、と考えたのだから、そういうことかもしれない。
「ロイネさんたちの蝋燭、お任せしてもいいれすか?」
「ああ、構わないが……?」
「ロイネさんの他にも家族がいないって言ってた人がいりゅから、その人たちの灯を見守りましゅ」
ロイネさんには他にちゃんと見守ってくれる人がいるみたいだから、と伝えると、男性は泣きそうな微笑を浮かべてロイネたちの蝋燭を引き受けてくれた。
家族がいないと言っていた人の蝋燭を見守っているのだが、不思議と誰かがやってくる。
喧嘩別れした恋人だとか、長く連絡を取っていなかった家族だとか、本当にポツポツと知人が見送りに来てくれていた。
蝋燭の主の知人が現れるたびに蝋燭を任せていたので、私自身はけっこう多くの人とお別れが出来た気がする。
蝋燭を見守る人たちと輪になって思い出話をしていると、そのうち隔離区画に収容されていた人間に詳しい子ども、と認識されたようだ。
たまに誰かを探しているらしい人に声をかけられ、該当する人物の特徴を聞き、条件が一致する人物がいた場合はその人の蝋燭を見守っている席まで案内をした。
「あの……ロサリオって女性の蝋燭を探してるんだが……」
夜の闇のせいだとは思うのだが、陰気臭い男に背後から突然話しかけられて驚く。
どこかでまた私が隔離区画の住人に詳しい、とでも話を聞いて来たのだろう。
男の雰囲気は気になるのだが、覚えのある名前ではあったので、少しだけ記憶を探る。
「ロサリオさんって、茶色の長い癖毛れ、緑色の目のおっぱいおっきな女の人れすか?」
「そう! そのロサリオだ!! ……やっぱり、ロサリオは……?」
「ロサリオさんの蝋燭れしたら、ここにはありましぇんよ」
「そうか。ロサリオは美人だったからな……。もう、他の誰かが見送りを……」
肩を落とす陰気な男には申し訳ないのだが、こっそり首を傾げる。
名前と特徴が一致したようなので本人だとは思うのだが、私の知っているロサリオは美人とは言いがたい。
明るい笑顔が素敵な女性ではあったが、美醜で言うのなら普通の顔だ。
それと、陰気な男は一つ勘違いをしていた。
肩を落として立ち去ろうとする男の服を掴んで引き止める。
こればかりは勘違いをしたまま帰らせるわけにはいかなかった。
「ロサリオさん、死んでましぇんよ。生きていましゅ」
「えっ!?」
死んだ魚のような目をしていた陰気な男が、情報を訂正した途端に顔を輝かせる。
直前までは陰気な男としか思えなかったのだが、生気を取り戻した顔はアルフ系のイケメンだ。
乙女の夢、美人系の美男子とでも言うのだろうか。
……お兄さんの方がよっぽど美人ですよっ!?
希望に満ちたキラキラしい瞳が眩しい。
実際に光量があるわけではないはずなのだが、目を合わせているのが若干辛い気がした。
「ロサリオが生きているってのは本当かいっ!? でも、だったらどうして僕のところへ戻って来てくれないんだっ!?」
「ええっと? 病気が治っても
詳しいことはセドヴァラ教会の医師か薬師に説明を聞いてくれ、と釘を刺してから、大まかに隔離区画等で病気が治った人間は一箇所に集められ、感染力が完全になくなるまでの約一年間をそこで過ごしてもらうことになっている、と陰気な男改めイケメン男に話して聞かせる。
希望に満ち満ちた彼に言えることは、一つだけだ。
「帰ってくりゅまで、会いにいっちゃダメれすからね!」
「ああ、わかった。わかったよ!」
笑顔で頷いているのだが、何故かまったく信用できない。
用が済んだとばかりに立ち去ろうとする男の服を掴んだまま、近くの黒騎士に通報しておく。
なんとなく浮かれて開拓村まで乗り込んで行きそうな雰囲気があるので、手紙ででもやり取りをするよう説得してくれ、と。
その後も何度となく人探しに行き当たり、そのたびに故人の知人は蝋燭のところへ、生きている者の知人は黒騎士のところへと案内した。
慰霊祭で故人を見送るはずだったのだが、いつの間にか案内係のような役目をしている。
不思議な気分だ。
大方の人を
レオナルドは二つの蝋燭を見つめて静かに座っている。
ロイネとテオの蝋燭を見守っていた人は、もう帰ってしまったか、別の席で他の人を見送っているのだろう。
レオナルドの前にある蝋燭は、どう見てもロイネのものより長いので、違う蝋燭のはずだ。
「……ただいま戻りましら」
「おかえり、ティナ」
大活躍だったみたいだな、と言ってレオナルドが私の頭を撫でてきたので、あちこちの席で道案内をしていたのを見られていたのかもしれない。
どうやら勝手に席を移動したことについては怒られなさそうだ。
「レオにゃルドさんは、誰を見送ってるんれすか?」
「俺はもうお別れを済ませたから、今度はティナがゆっくりお話しをするといい」
言いながら私をクッションの上に座らせると、レオナルドは二本の蝋燭を私の目の前へと移動させる。
白い蝋燭に赤い塗料で書かれた名前は、私の両親のものだった。
「……あえ? お父さんと、お母さん?」
レオナルドはずっと父を『サロモン様』と呼んでいたが、蝋燭に書かれた名前は父がメイユ村で使っていた『サロ』だ。
サロモンではない。
「お父さんたち、街の人じゃありましぇんよ?」
「ワーズ病の犠牲者には変わりないからな。ティナもゆっくりお話ししてごらん」
レオナルドにそう誘われて、改めて両親の名前が書かれた蝋燭を見つめる。
ゆらゆらと炎が揺れるのを見つめてはいるのだが、いまいち言葉が出てこなかった。
……我ながら、少し薄情すぎない?
両親の魂を鎮める灯だというのに、なんの感慨も、言葉も浮かんでこない。
秋のはじめに偶然できた墓参りの時もそうだ。
両親に話したいことはいっぱいあったはずなのだが、何も言葉が浮かばず、寂寥感に満ちた村から早く離れたくて、レオナルドを急かして帰って来た。
……さすがにどうだろう。育ててもらった恩もあるし、親だって思ってるのに。
なんの言葉も浮かんでこない自分が、薄情すぎて怖い。
じっと揺らめく炎を見つめていると、背後でアルフがレオナルドを呼んだ。
大きな手で私の頭を撫でたあと、レオナルドは席を離れる。
一人になってジッと蝋燭の炎を見つめていたが、やはり胸に何も浮かばない。
「どうした、一人でぼうっとして? 誰の灯を見送っているんだ?」
不意に話しかけられて顔を上げると、見覚えのない男の人が私の顔を覗き込んでいた。
「お父さんたちの灯れす」
「そうか。お父さんたちに最後のお別れをしているのか」
偉いぞ、と男の人は私の頭を撫でて去っていく。
なんだったんだろう? と思っていると、今度は女性に話しかけられた。
「お父さんって、どんな人だった?」
「えっと……? お人好しれしたね」
余所者だから、と村長や村人にいいように利用され、いつも貧乏くじばかり引かされていた。
思いだしたことを思いだしたままに返すと、女性はレオナルドが先ほどまで座っていた席に腰を下す。
「お母さんはどんな人? お料理は上手だった?」
「お父さんの声を覚えている?」
「お母さんの好きな花を教えて?」
時々人が増えたり減ったりしながら、次々に私へ父と母のことを聞いてくる。
一つひとつへ答えているうちに両親のことが思いだされ、ツンっと鼻の奥が痛んだ。
……あ、泣く。
そう自分で気がついた時には、ポロポロと涙が溢れ出していた。
両親の声や笑顔、ぬくもり、あまり泣かない赤子だった自分を心配していた困り顔。
様々なものが急激に思いだされ、ポッと心が温かくなった瞬間に冷たい場所へと突き落とされる。
あれらの温もりは、もうすでに失われているのだ、と。
恋しいと慕って泣いても、もう戻っては来ないのだ。
「ひぅ……っ」
漏れそうになる嗚咽を、唇を引き結んで堪える。
折角可愛く生んでもらった顔なのだが、今は最高に不細工な顔をしているはずだ。
ほんの少し前までは両親の死についてなんの感慨もなかったはずなのに、一つを思いだしてしまえば、次々に両親のことが思いだされる。
あとはもうただ悲しくて、寂しくて、どこにぶつけたらいいのか判らない怒りで叫びだしたい。
おそらくは、慰霊祭に参加している誰もが一度は持った感情だと思う。
親しい人を病に突然奪われて、やり場のない怒りと悲しみに暮れるのだ。
「とーさん、かーさん、さびしいよー」
泣き
子どもが泣いていたら、大人は絶対困る。
今生の実年齢はともかくとして、私の中身は大人なのだから、周囲の大人を困らせないよう、あまり泣きたくはなかったのだ。
案の定、席について話を振ってくれていた女性が、慰めるように私の頭を撫で始めた。
構って、構って、と甘えているようで恥かしいし、情けない。
だけど一度溢れ出してしまった涙と感情は止めることができなかった。
寂しい、寂しい、と両親の名を呼びながら、わんわんと赤ん坊のように泣く。
嘘だ。
寂しくない。自分は全然寂しくない。
レオナルドに引き取られて、オレリアと知り合って、街に来て同年代の友だちもできた。
村で暮らしていた時より、よほど人に恵まれ、物にも恵まれている。
これだけ満たされた生活をしているのに、寂しいだなんて感じる方がおかしい。
良い暮らしをさせてくれているレオナルドにも失礼だ。
そう頭では思っているのだが、口から出る言葉はやはり両親の名前だった。
両親が死んで悲しいと、寂しいと、やっと口から外へ出た気がする。
ずっとお腹の底に押し込めて蓋をして、忘れたふりをしていたのだと、今なら解る。
私の中身は大人だなんだと言っても、今生ではやはりまだ九歳の子どもなのだ。
少し涙が引っ込んできた頃、祭祀を行なっていた司祭が私の席へもやってきた。
遠目に祭祀を眺めている時にはなんとも思わなかったが、結構な歳をとっている。
しわくちゃな手で頭を撫でられると、ふとこれまではまったく気にならなかったことが気になった。
私にはまだ祖父か祖母がいるかもしれない。
父方の祖父母は貴族のはずなので近づきたくはないが、生死ぐらいは確認してもいいかもしれない、と。
今さらながら、そんなことを思った。
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