閑話:レオナルド視点 俺の妹 4

 悪童の悪戯に嫌気が差したらしいティナがメンヒシュミ教会へ通うのを嫌がったのは、仕方がないことかもしれない。

 可愛い女の子を苛めるのは男児にはよくあることだ、と説明したら、よくあることだからといってもなんの正当性もないことで、男児のおこないはただの暴力である、と逆に説得されてしまった。

 確かに、女の子の側から見れば、ただの理不尽な暴力であっただろう。


 ……俺も子どもの頃はやったなぁ。


 目が覚めるような可愛い女の子だった。

 ひと目で気に入って、でもなんと声をかけたらいいのかが判らなくて、それでもとにかく気を引きたくて、髪を引っ張るなどの意地悪をしたのだ。


 ……おかげで毛虫のように嫌われたっけなぁ。


 せめてティナには嫌われないよう、ちゃんと話し合っていきたい。

 自分はもうあの頃の子どもではなく、髪を引っ張る以外の方法を知っている大人なのだから。


 メンヒシュミ教会へと通うのを控えるティナと相談し、教会から教師役を一人派遣してもらうことにした。

 もともとメンヒシュミ教会へ通わせた目的はティナに同年代の友だちを作らせることだったので、教師の派遣ぐらいはなんということもない。

 他の黒騎士の家庭の子どもでも、少し裕福な商家の子どもでも、家へ教師を招くというのは普通に行われていることだ。


「……あれ? 英雄ベルトランってまだ生きているんれすか?」


「勝手に殺さないでください。昔の英雄とは言っても、ベルトランが活躍したのはおよそ三十年ぐらい前です」


「英雄とか言うかりゃ、すっごく昔の人かと思いましら」


 書斎で行われている小さな授業風景を覗く。

 今日は我が国の英雄、ベルトランの勉強をしているらしかった。

 塗板こくばんには当時の戦局や王の名前、戦争が起こった理由などが書かれており、ベルトランの策や仇敵アルバートとの歴戦の記録までもが注釈付きで書かれていた。


 ……ニルスはずいぶん細かく歴史を学んだんだな。


 メンヒシュミ教会の授業では大きな戦しか教えられないのだが、ベルトランが参加したと言われている戦の全てが塗板に書かれている。

 俺も年代と名前を覚えるのに随分苦労したのだが、ティナはあれを全て覚える気なのだろうか。

 少しだけ心配になったのだが、ティナは思いつくままに質問をしているようなので、本当に楽しんで学んでいるのかもしれない。


 ……ニルスに来てもらって良かったな。


 物腰の柔らかいニルスとティナは相性がいいようで、喧嘩をする様子も、授業が脱線する気配もなかった。

 安心して眺めていられるのだが、俺が見ていると邪魔になる可能性もあるので、足を忍ばせて書斎から出る。


 ……男児全てと相性が悪い、ってわけじゃなさそうだ。


 メイユ村にいた頃も仲の悪い男児がいたそうなのだが、ニルスとは仲良くやっている。

 男児という存在すべてがティナにとって鬼門である、というわけではなかった。







「……テオが教会を追放になったって聞きましら」


 ニルスによる個人授業を受けるようになって数回。

 夕方に館へと帰ると、迎えに出てきたティナからそんな話を聞かされた。


「レオにゃルドさん、何かしましらか……?」


 恐々とティナに見上げられ、内心でショックを受ける。

 テオを排除するために、メンヒシュミ教会へとなんらかの圧力をかけたのではないか、とティナに疑われているらしかった。


「何もしてないぞ、俺は。ティナだって、そんなことは望んでいないだろ?」


「はいれす」


 テオからの悪戯に嫌気が差してはいても、俺へとテオの排除を頼んでこないティナに、俺も教師を館へ呼ぶことで対応した。

 お互いにお互いの視界へ入らないようにすれば、これ以上の問題は起きようがないと判断したのだ。


 ……まあ、俺の妹と他の子の妨害をする悪童だったら、教会はティナを取るよなぁ。


 俺からは特にメンヒシュミ教会へ指示も要望も出してはいないが。

 黒騎士の家族、それもメンヒシュミ教会へ毎年多額の寄付を行っている俺の妹と悪童であれば、悪童を追放することを選ぶだろう。

 俺に恩を売る目的ででも、他の子どものためにでも、だ。


「……本当にテオがいないんにゃら、また教会に行きたいれす」


「そうか。では、導師アンナにはそう伝えておこう」


 こうしてまたティナがメンヒシュミ教会へと通うようになった。

 テオがいないというのは本当のようで、初日は不思議そうに首を傾げていたが、二回、三回と通ううちに慣れていったようだ。

 女の子の友だちも少しできたようで、時折寄り道をして帰ってくる。


 ……寄り道といっても、保護者バルト同伴の寄り道だけどな。


 安心してメンヒシュミ教会へ通うようになったティナにひとまず安堵していると、王都から一通の手紙が砦へと届けられた。

 差出人の名前は、見ただけで頭を抱えたくなる人物だ。


「レオナルド、王都から手紙が届いたと聞いたのだが……」


 執務室へと顔を出したアルフに、無言で机の上の封筒を示す。

 まだ封を切っていない手紙ではあったが、差出人の名前を見たアルフは俺と同じように頭を抱えた。


「いや、……いつかは来ると思っていたけど」


「諦めろ。アルフあるところにあの人あり、だ。……おまえの友人だろう。滞在はおまえの館でいいな」


「いやいや、仮にも王族に名を連ねる方の滞在だ。ここはもちろん警備も厳重に配置できる城主の館へ滞在していただくべきだよ」


 うなだれたと思ったらキラキラとした笑みで顔をあげ、正論を吐くアルフに思わず本音が漏れてしまう。


「……ティナに変態が移る」


「案外気が合うんじゃないか?」


 先のワーズ病の収束に向けて多大な協力をしてくれたセドヴァラ教会に報いたい、というのは解る。

 今後のことを思えば、国としても積極的にセドヴァラ教会には協力をしていくべきだ。


 それは解るのだが、そのための使者が王族アレだというのはいただけない。

 公の場では己の立場を弁え、職務をまっとうする人物ではあるのだが、私的な場での破天荒っぷりを知っているとなるべく近づきたくない。

 そして、良くも悪くも周囲の大人から影響を受ける多感な時期のティナを関わらせたい相手ではなかった。


「……ティナがアレの影響を受けて「アルフさんのお嫁さんになりたい」とか言い出したらどうする」


「ティナなら将来美人になること間違いないし、私としては歓迎するよ」


「ほう……つまりおまえは俺を『お義兄にいさん』と呼びたいわけか」


「安心しろ。もしそんなことになったらティナの親戚を探し出して、おまえとの縁は切ってからにするから」


 軽い言葉の応酬のあと、しばし微妙な沈黙が訪れる。

 冗談を言い合って面倒を押し付けあっている場合ではない。

 王族アレが来るというのなら、それはすでに決定事項であり、今さら覆すことはできないのだ。

 ついでに言うのなら、アルフ恋しさに護衛をいて単騎特攻を仕掛けてくる可能性すらある。

 すぐにでも城主の館にある客間を整えておいた方が良い。


「……手紙と同時に本人が届かなくて良かった、と前向きに受け止めておこう」


「滞在中はティナを私の館で預かるか?」


「いや、やめておく。ティナにはまったくその気がないのに、アレの嫉妬がティナに向くのは避けたい」


「ああ、するな。相手が幼女ティナであろうが老女オレリアであろうが、相手が女性であるってだけでアレは嫉妬する」


「男相手にでもするだろう、アレは」


 アルフが好きだと公言して憚らない王族アレには、王都にいた頃に何度も絡まれている。

 アルフが友人として俺を遇するのが気に入らなかったのだ。

 王族である自分はアルフを愛しているのに友人にすらなれず、同僚というだけで友人になれる俺がズルイらしい。


 非常に面倒ではあるのだが、後伸ばしにできることでもないので、バルトとタビサには指示を出さなければならない。

 客間を使うことになるので、部屋を整えてもてなしの準備をしておけ、と。


 ……タイミングが悪いな。


 なんとなく内容の察しはついたが、確認のために開いた手紙へと目を通しながら内心で愚痴る。

 ティナのために、と知人に頼んでいた仔犬を今日引き取りに行く予定だったのだ。

 降って湧いた手紙のために、今日の予定が滅茶苦茶である。







 仔犬の引き取りをバルトに任せたため、ティナの迎えができなくなった。

 仕方がないのでメンヒシュミ教会へと依頼を出し、ルシオという少年とニルスが館までティナを送り届ける手はずが整う。

 子どもたちだけになるので、ティナの寄り道もいつもとは少し違ったものになるだろうと微笑ましく思ったのだが、夕方に執務室へと飛び込んで来た騎士の報告に、微笑ましいどころの騒ぎではなかったことを知る。

 ティナが犬に襲われてセドヴァラ教会にいる、という報告を受けたのだ。


「ティナ、無事か!?」


 さすがに仕事を切り上げてセドヴァラ教会の門をくぐると、入ってすぐのホールにティナが立っていた。

 周りに数人他の人間がいたが、まずはティナだ。

 ティナの無事を確認したい。


 ティナを抱き上げて怪我の有無を確認する間中、ティナはきょとんと瞬いていた。

 特に犬に噛まれて痛いだとか、怪我をしたということはなさそうで安心する。


「ティナが犬に襲われたと聞いたが、どこも怪我はないのか? 痛いところとか、噛まれたところとか……」


「わたしは大丈夫れすよ」


 心配して駆けつけたのだが、当のティナには噛み跡一つない。

 強いていうのなら、スカートの裾に空いた犬歯の跡ぐらいだろうか。

 ケロッとしているのでそれほど心配はないようだが、目じりに少し涙の跡があるのが気になった。


 当事者であるティナからの説明によると、ティナが黒い犬に追いかけ回されて木箱の上へと逃げ、身動きが取れなくなったところをテオが助けたらしい。

 本人はティナではなく妹を助けたと言って譲らないそうだが、助けられたことは事実なので治療費を出してやってほしい、とティナにおねだりされる。


 ……どっちもどっちで、素直じゃないな。


 すでにミルシェの安全が確保された上でティナを助けて噛まれたテオも、助けられたことは事実なので治療費を出してほしいと言うティナも。


 ……それにしても、今日はとことん間が悪い日だ。


 ティナと館へ帰れば、バルトが迎えにいった仔犬が待っているはずである。

 犬に追い掛け回された直後のティナにとって、仔犬とはいえ犬は不味いかもしれない。


 ……まずはティナの様子を見て、ダメそうだったら離れで飼うか、砦の番犬にするか。


 館にいるはずの仔犬をどう隠そうか思案していたのだが、犬に追いかけられてティナは疲れ果てていたのだろう。

 帰路を抱き運ばれているうちにティナの体はウトウトと重くなり、そのまま眠りに落ちてしまった。

 いろいろと間の悪い一日だったが、これだけは幸いした。

 ティナに知られることなく、仔犬を離れへと隠すことに成功したのだ。







 翌日以降、ティナを注意深く観察していたのだが、特に犬が怖いということは無いようだった。

 これならば機をみて仔犬をプレゼントできると思っていたのだが、メンヒシュミ教会への行き帰りに例の黒い犬を見かけるようになったらしい。

 犬は平気だ、あの黒い犬が怖いだけだ、とティナは言うが、本当かどうかは判らない。


 ……やはり今から砦で引き取って、訓練犬にでもするか。


 もともと番犬にするつもりだったので、いつかは訓練をする予定ではあったが。

 仔犬の間ぐらいティナの遊び相手として自由に過ごさせてやろうと思っていたので、少し気の毒な気もする。

 一度親元に帰して、もう少し育ってから訓練犬として改めて引き取るべきだろうか。


 そんなことをここ数日ほど鬱々と考えていたのだが。

 珍しくも昼過ぎに時間が空いたので館へ帰ると、いつもは玄関まで出迎えにきてくれるティナの姿がなかった。

 昼は裏門の門番と昼食を取ることがあると聞いているので、まだ裏庭にいるのだろうか。

 そう思って裏庭へと周り込むと、絵に残しておきたくなるような光景が広がっていた。


「わんっ! わんっ!」


 ご機嫌な様子のティナが犬の鳴き真似をしつつ、庭中を走り回っている。

 その後ろを、短い足を懸命に動かして仔犬が追いかけていた。

 なんとも心和む光景である。


 ここ数日悩んでいたのが馬鹿らしくなるほど長閑のどかな光景だ。


「あ、レオさん!」


 ティナが俺に気づいて駆け寄ってくる。

 その後ろに黒い仔犬がついてきた。


「バルトさんたちの離れに仔犬がいたにょ! 可愛いれしょっ!!」


 私のあとについてくるの、と言ってティナが俺の周囲を回ると、仔犬もティナに続いて俺の周囲を回る。

 素直な仔犬の行動が可愛くて堪らないのか、ティナは始終笑顔だ。


「……ティナ、黒い犬は怖い……んじゃなかったか?」


「わたしが怖いのあ、あの外をウロウロしている黒い犬れすよ。この子は違う犬れす」


 薄い胸を張ってティナが誇らしげにそう宣言する。

 どうやらティナは犬に追いかけられたからといって、一括りに犬という生き物全てを嫌うような単純な思考はしていなかったようだ。

 別の犬だから怖くないのだと言う。


「……その仔犬、気に入ったか?」


「買ってくれなくていいれすよ」


 犬が平気か、という意図で聞いたのだが、仔犬を気に入った様子のティナに、俺が新たに犬を買ったりしないかを警戒したらしい。

 ティナの中で、可愛いと欲しいは別なのだろう。


「いや、その仔犬はティナのために知人から譲ってもらったんだ」


 ただタイミング悪く黒い犬に追いかけられた直後だったので、トラウマにでもなっているのではないかと警戒して、しばらくバルトたちの離れに隠していた、と正直に話す。

 新たに仔犬をわなくて良い、ではなく、すでに仔犬はわれている。


 改めて仔犬を見下ろすティナに、仔犬はつぶらな瞳で見つめ返した。

 黒い毛並みの仔犬だが、口の周りやお腹、足先は白い。

 先日の黒い犬とは、似ても似つかない毛並みの仔犬だった。


「わたしの犬れすか?」


「そうだ」


「……じゃあ、名前をつけてもいいれすか?」


「好きな名前をつけていいぞ」


 そう答えると、ティナは小首を傾げて仔犬を見つめる。

 仔犬の方は睨めっこに飽きたのか、ティナのつま先に顎を乗せて伏せた。


「……コクまろ! コクまろがいいれす!」


 良い名が浮かんだ、とばかりにパッと顔を輝かせたティナが可愛いのだが、聞きなれない響きの名前に今度は俺が首を捻る番だった。


「コクまろ、と言うのは?」


 熊のぬいぐるみは響きが強そうだ、という理由でジンベーになった。

 テオは弱そうだから嫌だ、とも言っていた。

 ティナの好みはまだまだ把握できそうにない。


「コクがあって、まろやかな味わい?」


「何故疑問系なんだ」


 そして何故味の感想なのか。

 自分で名づけた名前の意味を求められ、答えたティナは少しだけ自信がなさそうな顔をしていた。


 ……まあ、名づけセンスはまだ理解できそうにないが、可愛いよりも食い気であることは確かだな。


 まさか仔犬に『コクがあって、まろやかな味わい』だなんて意味の名前をつけるとは思わなかった。

 子どもの発想は実に自由だ。

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