第14話 家庭教師の顛末

「こっちれすよ」


 レオナルドの手を引いて石畳を歩く。

 一緒に出かけることがあっても私はほとんど抱き上げられての移動になるので、一緒に歩くことは珍しい。

 そんな珍しいことが起きているのは、レオナルドがカーヤに連れられて入った酒場を知りたいと言い出したからだ。


「一度連れて来られただけなのに、道を覚えているのか」


「信用れきない保護者カーヤれしたからね。ひとりでもちゃんろ帰れるようにって、道お覚えれおきましら」


 他愛のない話をしながら、酒場への道を歩く。

 人通りの多い祭りの日はカーヤについて歩くのが精一杯で、あまり周囲の様子を見渡す余裕がなかったが、今日はのんびり歩くことができた。

 大通りと中央通以外の場所をほとんど知らなかったが、昼間の通りにはチラホラと子どもの姿が見える。

 街を流れる小川を覗くと、子どもが甚平を水着代わりに水遊びをしていた。


「……ここれす」


 看板と店構えを何度も確認して、この店だ、とレオナルドに示す。

 文字が読めないので店の名前はわからなかったが、場所と外観は合っているはずだ。


「準備中、か」


「入れましぇんね」


 入り口にかけられた小さな看板には『準備中』と書かれていたらしい。

 看板に書かれた文字は読めたはずなのだが、レオナルドはそれに構わず酒場へと足を踏み入れる。

 生真面目な日本人としては、どうしても準備中=入ってはいけないと受け取ってしまうので、この行動には驚いた。

 店の従業員でもないレオナルドが、準備中の店に入るのは不味かろう。


「だめれすよ、じゅんびちゅーに入ったら怒られましゅ」


「客じゃないから大丈夫だ」


 ……それ、もっとダメじゃないですか?


 客ならばお金を落としていく存在なので多少の無作法も許してくれるかもしれないが、客ではない、しかも準備中の看板を無視して店内に入る、というのはどうなのだろうか。

 絶対に店の人間に怒られる、とびくびくしながらレオナルドに続くと、カウンターの奥に店主の姿が見えた。


「看板が見えなかったのか? まだ酒場に来るにゃ早すぎる時間だろ……って、この間カーヤが連れてきたお嬢ちゃんじゃないか。無事だったんだな」


 レオナルドの顔を見て眉を寄せていた店主だったが、私の顔を見るとホッとした顔をして笑う。

 どうやら店主も、カーヤに預けられていた私を心配してくれていたようだ。


「……おりのとちゅうでカーヤに放りだされて、ひとりで帰りましら」


「やっぱりか! カーヤに子守こもりなんてできるわけがないからな」


 なんにせよ、無事に家へ帰れたようで良かったな、と言いながら店主に手招かれたので素直に近づく。

 席に着くと冷えたフルーツジュースが出てきたので、お礼を言って口をつけた。

 隣にレオナルドも腰を下ろしたが、レオナルドの前に出されたのは水だ。

 ただの水とはいえ、水がタダみたいな値段だった日本とは違う。

 一応来客としてもてなしはするが、酒場の客としては酒を出してやらない。

 そんな違いかもしれなかった。


「妹が酔っ払いに絡まれるたびに助けられたと言っていたので、店主に礼を言いに来た」


「ってことは、アンタがカーヤにお嬢ちゃんを預けた馬鹿か。見る目がないにも程があるだろ。子どもを預けていい奴かどうかは、ちゃんと確かめろ」


「次からは気をつける」


 殊勝な態度で頭を下げたレオナルドに、店主はカーヤの素行と数々の武勇伝を聞かせてくれた。

 私に聞かせてくれた以上の情報量に、改めてカーヤという人物のマズさが見えてくる。


 ……私が保護者だったら、絶対カーヤに子どもは預けないよ。


 レオナルドも同じことを思ったのだろう。

 店を出る頃には何度目になるかもわからない謝罪をされた。







 三羽烏亭で昼食をとって館へと帰る。

 行きは自分で歩いたのだが、帰りはまたレオナルドに抱き運ばれていた。

 一日中歩き回れるような体力は、今の私にはまだない。


 本来ならカーヤが来る予定の日なので、と午後は律儀にカーヤを待ってみる。

 どうせ来ないだろうな、と待っていたら、やっぱり来なかった。

 契約どおり二日に一回来ていたのは最初の一週間だけだったし、最近は週に一度来るかどうかだった。

 そのカーヤが、祭りのあとすぐ二日に一度来るだなんて、信じる方がおかしい。

 レオナルドの財布を丸ごと手に入れたカーヤなら、財布の中身が空になるまで館へは来ないと考える方がまだ現実味があった。


「……もう夕刻だというのに、カーヤは来ないな」


「いつもどおりれすよ」


 むしろ私としてはカーヤがおかしいという証明が出来たので、カーヤが予定通りに来ないのは大歓迎だ。

 今日はレオナルドが一緒だったので、ただ待つのも苦ではなかった。

 紙製のコマを使ってずっとリバーシをしていたので、若干コマがくたびれてきたのが気になるぐらいだろうか。


 ……レオナルドさんが家にいるのはいいね。ずっと遊んでもらえる。


 ただ、そんなことを口に出したらアルフが迷惑をこうむることになりそうなので、黙っていることにした。

 タビサやバルトが一日中館にいることはいるが、彼等は仕事として館にいるので、私の暇つぶしに付き合わせるのは悪い気がする。

 結果として、常に一人遊びで時間を潰すしかない私は、最近では蟻の行列を追いかけるのに夢中になって塀に頭をぶつけたことがある。

 追いかけている間は楽しかったのだが、頭をぶつけた時にふと気がついてしまった。

 自称心は大人として、蟻の行列に夢中になるとかおかしい、と。

 そんな歳ではないはずだ、とも。


 ……いや、見てる間は楽しくて、いい大人が、とか忘れちゃうんだけどね。


 秋になったら文字を学べるはずなので、文字が読めるようになったら少しは出来ることが増えるだろう。


 夕食の時間になると、アルフが館へとやって来た。

 レオナルドが急に休みを取ったため、引継ぎが充分に済んではいなかったようだ。

 いくつかの報告と引継ぎ漏れを埋めると、アルフの本日の仕事も終わったとのことで、一緒に夕食を食べることになった。


 ……久しぶりにピンチなーう。


 目の前で繰り広げられる会話に、内心で冷や汗を流しながら忙しく思考する。

 テーブルの上にはタビサの作った夕食の他に、セーク盤と紙製リバーシのコマが載っていた。

 普段なら食事の時間に食べ物以外をテーブルには載せないのだが、今日は会話の流れでセーク盤が部屋から運ばれてきている。


「リバーシか……聞いたことのない盤上遊戯ボードゲームだな」


「アルフでも知らないのか……」


 昼間いくつかの店を探してみたのだが、リバーシに似たゲームは見つからなかった。

 似たゲームがあれば紙で作ったコマから卒業できたのだが、ないのなら壊れるたびにコマを作り直す必要がある。

 あればいいな、ぐらいの気持ちだったのだが、アルフに聞いたら話がややこしくなってきた。


「ティナはどこでこのゲームを?」


「えっと……」


 ……前世でわりとメジャーなゲームでした、とは言えないよね。


 馬鹿正直にそんなことを言うわけにはいかず、当たり障りのない言葉を探す。

 嘘をつくのは気が進まないが、転生者とはばれない方が良いと、オレリアも言っていたはずだ。


「メイユ村れ、石に色をつけれ遊んれました」


 ダルトワ夫妻が教えてくれたので、どこ発祥のゲームかは知りません、と言葉を探しながら答えると、歯切れが悪いのは記憶を探りながら話しているため、とレオナルドが勝手に誤解してくれた。

 こういった鈍感さは、少しありがたくもある。

 ダルトワ夫妻の子どもは日本人の転生者だったそうなので、万が一にも他の転生者がリバーシに気づいたとしても、私が転生者だと疑われることはないだろう。


 夕食のあとは、三人でリバーシをやった。

 単純なルールなのでアルフもすぐに覚え、三人の中で一番弱いのはレオナルドという面白い結果に終わる。

 コマがないのなら作れば良い、とか言い出したので、アルフは相当リバーシを気にいっているようだった。


「コマを作りゅ、って紙れれすか?」


「鍛冶屋か細工屋かは判らないが、注文すればすぐに出来るんじゃないか?」


 アルフの言うことには、セーク盤やコマは基本の形が決まっているが、材質などは製作者の趣味で作られるらしい。

 芸術家に石でコマを作らせたり、金銀を使ってセーク盤を作ったりと、自分の財力を見せ付けるために恐ろしく豪華な一品物を作らせる貴族もいるのだそうだ。

 バルトが教えてくれたのだが、館にあったセーク盤は、何代か前の館の主が使っていたものらしい。

 木彫りの盤とコマは、豪華さとは程遠い素朴な仕上がりで好感が持てる。

 それぞれの職人が作るものと思えば、材質に拘らなければ、ただ六十四個のコマの片面に色を塗るだけなので、リバーシのコマはすぐに作れる気がした。


「テーブルの足みらいな丸い棒お輪切りにしららコマになりましゅかね?」


「そうだな。コマは丸い方が安全かもな」


 丸い棒を輪切りにしてコマを作る。

 表面をやすりで整えて手触りを良くし、片面に色を塗ればコマは完成する気がした。

 リバーシからいつの間にかコマを作る話になり、メモを取り始めたアルフにコマを入れておく箱も欲しい、と言ってみる。

 盤はセーク盤を使えば良いと思っていたが、コマを入れる箱も一緒に作れるのなら、その箱を折りたたみ式のリバーシ盤にしてしまえば良いと思ったのだ。

 折りたたみのリバーシ盤など、前世では当たり前にあった。


 いくつかの注文をまとめ、サイズなどを決めてアルフがメモをまとめる。

 この日最後のリバーシ対決は、負けた方がリバーシ盤の支払いをするという賭けになっていた。







 しばらく休みを取ったというのは本当だったようで、翌日もレオナルドは館にいた。


 ……よく考えたら、こんなに一緒にいるのって初めて?


 オレリアの家でもレオナルドは素材採取に付き合っていたので、夜以外は家にいないことが多かった。

 本当に朝から晩まで一緒にいて、ただ遊ぶだけというのは初めてだ。


 案の定、リバーシ盤の支払いを賭けた勝負にレオナルドが負け、朝から木工工房へ顔を出す。

 様々な材木が並んでいるのを眺めている間に注文は終わっていた。


 午後は館でセークに挑戦したり、本を読んでもらったりとまったり過ごし、追想祭が終わって四日目の朝が来る。


「レオにゃルドさん、そろそろお仕事行っら方がよくないれすか?」


 私の機嫌なら直りましたよ、と朝食の厚切りベーコンをナイフで一口サイズに切りながら言ってみる。

 機嫌が直るも直らないも、暴れたのはレオナルドがあまりに私の話を聞いてくれないからであり、カーヤの素行について理解してくれた時点で私は満足していた。

 私の機嫌が悪いという名目で、あまりレオナルドの仕事をアルフに押し付け続けるのも忍びない。


「そうだな。そろそろ仕事に戻らないとな」


 そう答えてはいるのだが、レオナルドは仕事に戻るとはっきりは言い切らない。

 その理由は、午後になって判った。


 ……今日はカーヤを待たずに三階にいなさい、って言われたけど?


 下の階から物音がしたので窓から外を見てみたら、黒騎士が隊をなして正面玄関前に整列していた。


 ……いったい何事?


 さすがにおかしいと不安になり、いるようにと言われた自室からこっそり抜け出す。

 階段から下を覗いてみたのだが、黒騎士が二階に上がってくる様子はなかった。

 ならば一階に用事があるのだろうか、と足音を忍ばせて階段を下りる。

 居間へと続く廊下には、数人の黒騎士とアルフが立っていた。


「アルフさん、何してりゅんれすか?」


 仕事中なのは判るので、声を潜めて聞いてみる。

 私の声に気が付いたアルフは、唇に人差し指を当てて『静かに』というジェスチャーをした。


 ……なんだろ?


 首を傾げながら近づくと、無言で居間へと続く扉を示される。

 耳を澄ませると、微かな話し声が聞こえてきた。


 ……レオナルドさんと、カーヤの声?


 何か言い争っているようにも聞こえるが、相手がカーヤならば追想祭のことでレオナルドと話しているのかもしれない。

 それでアルフが黒騎士を率いて館にやってくる意味は判らないが、間違いなくカーヤに対しての黒騎士なのだということは判った。


 ……貴族の、髪飾りとか言ってるんだけど?


 なんとか聞き取れる言葉から、追想祭の話ではなく髪飾りの行方についての話がされているらしいと判る。

 覚えはないのだが『貴族の髪飾り』が私の部屋に置かれていたことになっていて、その行方についてカーヤと話をしているようだ。


 ……髪飾りについてはアルフさんに相談したけど?


 繋がりがいまいち理解できず、ついアルフを見上げる。

 私と目が合ったアルフは、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 ……あ、今のでわかりました。貴族の髪飾りってのは、アルフさんが用意した罠ですね。


 私の理解と同時に、アルフと黒騎士たちは居間へと入っていく。

 出てくる時にはカーヤの手へと縄がかけられていた。


 連行されるカーヤを見送っていると、レオナルドに呼ばれる。

 そういえば三階にいるようにと言われていたと思いだしたが、名前を呼ばれたので近づくと、いつものように抱き上げられた。


「ティナはカーヤをどうしたい?」


「わたしの先生じゃなくなれば、それでいいれす」


 カーヤについてはいろいろ思うこともあるが。

 真っ先に出てきた答えがこれだった。

 私の先生でなくなれば、それでいい。

 私の目の前から消えてくれて、私に関わりのないところで生活してくれるのなら、それだけでいい。

 基本的にカーヤのような人間とは係わり合いになりたくないのだ。


「……それだけでいいのか?」


「はいれす」


 カーヤについてはこれで終わった。

 私の家庭教師としては解雇され、髪飾りの窃盗犯として裁かれるようだ。


 後日になるが、レオナルドがカーヤの処分を教えてくれた。

 カーヤが盗んだ髪飾りの持ち主である貴族の領地へ連れて行かれ、そこで農夫の妻になったらしい。

 嫁入りが罰になるのだろうか、と不思議に思って聞いてみたら、事実上の街からの追放だと説明してくれた。

 カーヤのような派手好みの女には、いい薬になるだろう、ということだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る