第13話 お買い物の練習
「……あえ?」
目が覚めたら、部屋にレオナルドがいた。
昨夜は一緒に寝たので、レオナルドが部屋にいること自体は不思議でもなんでもないのだが、てっきり私が目を覚ます前に砦へと出かけていると思ったので、まだ館にいることが不思議だった。
すでに着替えを済ませているレオナルドはセーク盤の上に置いた紙製リバーシのコマを見ていたが、私の声に気が付くとこちらへと顔を向ける。
「おはよう、ティナ。よく眠れたか?」
「おはよーごらいましゅ」
眠い目を擦りながらベッドを降りた。
そのままトテトテとレオナルドの元に移動すると、膝の上へと乗せられる。
「なに見てらんれすか?」
「うん? 紙だと心もとないな、と思ってな……」
紙で作ったコマを裏返したり、また戻したりと観察しながらレオナルドが言う。
どうやらレオナルドはリバーシが気に入ったようだ。
リバーシは遊び方が簡単なだけあって、私とも対等に遊べるのが良かったのかもしれない。
「リバーシみらいなゲームって、ないんれすか?」
「
そのせいか、昨夜のセークのようにコマ運びからして複雑なゲームが主流となっている。
もう少し遊んでみれば覚えられるかもしれないが、子どもが二・三回遊び方を説明されただけで覚えるのは難しいだろう。
「……あとで街にでも行って探してみるか」
「あれ? レオにゃルドさん、お仕事はいいんれすか?」
そもそも私が目覚める時間までレオナルドが館にいること自体が不思議だったのだが、街に行くと計画を立てるのなら、その時間は砦には行かないということになる。
昨日の夜からずっと館にいると思うのだが、仕事はいいのだろうか。
「ティナのご機嫌とりに数日休みたい、とアルフに相談したら、凄みのある笑顔で仕事を代わってくれた」
「もうきげん直りましら。お仕事いっれくらさい」
え? 何? 私、アルフさんにまで迷惑かけてるの? と思わず真顔になってしまった。
今回のことで多少レオナルドに機嫌を取ってもらうのはいいかもしれないが、それで
あくまでレオナルドが私の言うことを軽く聞き流していたのが原因なのだ。
乾いた笑みを貼り付けてレオナルドを見上げると、ムニッと頬を摘まれた。
「今までろくに構えなかったからな。その分たっぷり構ってやるぞ」
「レオにゃルドさんがおやすみしらいだけれすね」
ムニムニと摘まれる頬を両手で庇い、真上にあるレオナルドの顔を睨む。
私を構いたいと休みたい、どちらが本音かは判らなかったが、仕事に追い払うことはできないようだ。
「……そうれす。街に行くにょなら、わたしもお買い物に連れていっれくらさい」
最後の一切れのパンを飲み込んで、向かいに座ったレオナルドにねだってみる。
レオナルドはすでに朝食を食べ終わり、優雅に珈琲を飲んでいた。
「最初からその予定だぞ。ティナと遊ぶための休みだからな」
「きげんは直っらので、お仕事行っていいれすよ」
本当は自分が休みたいだけではないか、と呆れ顔を作ってレオナルドを見つめる。
私の冷たい視線を受けると、レオナルドは軽く肩を竦めた。
「どこに行きたい? また
「んー? レオにゃルドさんのお財布売ってりゅところれすかね?」
「俺の財布? 俺の財布なら……」
そういえば、カーヤに預けたものが返却されていなかった、とレオナルドはようやく思いだしたらしい。
カーヤのあの散財っぷりを考えれば、おそらく中身がいくらかでも戻ってくることはないだろう。
財布自体も戻ってくるか怪しい。
だからこそ、紳士用の財布を売っている場所に行きたい、とねだってみた。
「レオにゃルドさん、こっちの黒いにょと、青いにょ、どっちが好きれすか?」
朝食後、早速連れてきてもらった皮細工の店で、黒地に深紅の差し色が入った財布と、深い青に黒が刺し色として入った財布を手に取る。
前者はレオナルドがよく身に付けている色で、後者は私の好みだ。
「じゃあ、黒い方で」
ひょいっと黒地の財布を手に取って店員を呼び、会計を済ませようとするレオナルドの手を慌てて捕まえる。
いつものようにレオナルドが支払いをしてしまったら、買い物に付いてきた意味がない。
「ダメれすよ、レオにゃルドさん。お金はわたしがはらいましゅ」
「ティナが?」
店員とレオナルドに何か不思議なものを見る目で見下ろされつつ、ポケットから追想祭の日にレオナルドから渡された小遣いを取り出す。
通貨についてはタビサの買い物に付いていったりして学んでいる。
ちゃんとレオナルドに渡された小遣いと、財布の値段を見て買う候補を絞っていたのだ。
私に払えない額ではない。
「わたしのお買い物の練習れす」
わざとらしく胸を張ってそう宣言すると、レオナルドも納得したらしかった。
私を抱き上げて、店員と向き合わせてくれる。
「……確かに受け取りました。こちらがおつりになります」
「えっと……」
渡した金額と財布の値段、おつりの硬貨を、指を使って計算する。
通貨について知識としては身に付けたつもりだが、どうしても日本円を真っ先に思いだしてしまい、すぐには計算ができなかった。
紙幣がなく、硬貨に使われている素材と大きさで価値が変わってくるため、単純な計算が今の私には難しい。
金額が正しいか判断するのに時間がかかるが、前もって買い物の練習と言ってあるので、店員もレオナルドも見守ってくれていた。
……単位がシヴル、金貨が一番大きくて、銀貨が二種類。銅貨も二種類で、その下に粒が二種類。
子どもに与えるには問題が大有りだった小遣いは金貨一枚。
硬貨の中で一番大きな金額で、冷静に考えなくとも子どもが持つような金額ではない。
ついでに言うのなら、大人であるタビサが使っているところも見たことがないのが金貨だ。
そんなモノを子どもにポンと渡せるレオナルドが怖くもある。
……お財布の値段が8740シヴルで、金貨一枚が10000シヴル。おつりは1260シヴルだから、こっちのお金にすると大銀貨一枚と大銅貨二枚、あとは大粒銅一個と小粒銅一個……のはず。
頭の中で答えが決まり、店員の並べたおつりを数える。
数えやすいようにと並べられていた硬貨は、大銅貨が一枚多い。
「……100シヴル多いれすよ」
「はい、正解です」
大銅貨を一枚、指で店員の方へと戻すと、店員はにっこりと笑った。
練習と先に言っていたせいか、ひっかけ問題にされたようだ。
店員から商品の財布を受け取り、大銅貨一枚だけを抜いて残りのお釣りは全部財布に入れる。
それをそのままレオナルドに渡すと、レオナルドは困ったように眉を寄せた。
「それはティナにやったお小遣いだぞ?」
「いっしょう分のお小遣いれすか? 子どもに持たせるにあ、多すぎましゅし、あぶないれすよ」
少なくとも、追想祭で私が金貨を持っていると知っていれば、カーヤは取り上げていたと思う。
子どもが持つには多すぎる、ともっともらしいことを言って取り上げ、返すことはなかったはずだ。
「わたしのお小遣いあ、もともとレオにゃルドさんのお金れすけど、わたしが買ったのれ、わたしからにょプレゼントれす」
今度は簡単に誰かへ渡したりしないでくださいね、と釘を刺すのも忘れない。
またカーヤのような人物へと財布を渡せば、私からの初めての贈り物を失うことになるぞ、と言っているつもりなのだが、効果はあるだろうか。
レオナルドは少々大雑把なところがあるので、少しだけ心配だった。
「……せめて銀貨にしないか?」
「子どものお小遣いれすよね? 銅貨五枚ぐらいれいいんじゃないかにゃと思いましゅが」
「銅貨五枚じゃ、何も買えないだろう」
「甘辛団子が五本は買えましゅよ」
三羽烏亭の甘辛団子は調味料が輸入品なので、おやつとしては高級品の部類に入る。
普通の屋台でおやつとして串焼きや飴玉を買う程度なら、銅貨五枚というのは十分すぎる金額だ。
「甘辛団子より高いものだって、欲しい時があるだろう」
「わたしがお出かけすりゅのは、だいたいレオにゃルドさんが一緒れすよ?」
お財布は私が買う、と止めたので私がお金を払ったが、基本的に私の分の支払いはすべてレオナルドがしている。
レオナルドと出かける分には私に小遣いなど必要ないし、タビサの買い物に付いていく時だって私が何か欲しがった場合に、とレオナルドが余分にお金を持たせていた。
今日まで私が買い物をしたことがなかったように、そもそも私がお金を払うという機会自体がないのだ。
子どもでしかない今の私に、大金など必要ない。
「でもな……」
「そんなころより、わたしにもお財布買ってくらさい」
抜いた大銅貨を見せてレオナルドにおねだりをする。
話題を変えるのも目的だが、財布も欲しい。
「好きなのを選んでいいぞ」
小さな財布の並ぶ一角へと移動しようとするレオナルドに、下へとおろしてもらって手を引く。
私の求める財布は、たぶんこの店にはない。
「ここのお財布や、らめれすよ」
「ここの皮細工は仕事も丁寧で、物持ちがいいぞ。財布以外でも、皮細工ならこの店がお勧めだ」
「いいものら、ってのはわたしにも判りましゅ」
手ざわりが良くて仕事も丁寧だ。
でも、私が使う財布としては不都合がある。
「わたしがお財布使うころがありゅとしたら、秋かりゃれすよね? 教会に通う行き帰りとからと思うんれす」
メンヒシュミ教会は貧民でも通いやすいように、とやや南よりに建てられている。
そこに通うことになる私の財布となれば、質の良い高級品よりも周りに馴染めるやや安めの物が良いはずだ。
「街の南で子どもが持っていれも不思議やないような、ふつうのお財布がいいれす」
可愛らしすぎるものや、つい高いものへと意識が向かうレオナルドを宥めて、なんとか子どもが持つものとして違和感のない財布を買ってもらったと思う。
下町の子どもはそもそも財布など持っていない、と店の人は言っていたが気にしない。
買ってもらったばかりの紐付きの財布に大銅貨を入れると、遠慮なく首へと下げる。
黒猫の形をしているので、どこからどう見ても子ども用だ。
「ティナ、貸してごらん」
「はいれす」
紐を首にかけたまま黒猫部分をレオナルドに差し出すと、鈍く輝くメダルのようなチャームを付けてくれた。
「なんれすか、これ?」
戻ってきた黒猫を手にとり、丸いチャームを観察する。
丸い金属のプレートに、頭が三つある犬が刻まれていた。
……どこかで見たような?
どこで見たのかが思いだせずに首を傾げると、グルノール騎士団の
そう言われて見れば、アルフのマントの留め金や、砦の中で見かけたことがある気がした。
「わたし、騎士じゃありましぇんよ?」
「騎士団関係者の家の子だ、って目印だ。まあ、お守りみたいなものだな」
「レオにゃルドさんちの子、って名札れすね」
……迷子札とかお守りみたいなものかな。
街を守るグルノール騎士団の家族なので、何か事件に巻き込まれたら犯人はただじゃおかないぞ、といった睨み効果と、困っていたら助けてやってくれというような後見効果があるのだろう。
「あえ? レオにゃルドさんのマントの留め金と違いましゅか?」
レオナルドの留め金は、もう少しごちゃごちゃとしていた気がする。
ケルベロスも確かにいたが、それだけではなかったはずだ。
「俺のはグルノール騎士団の他に三つの騎士団の象徴が入ってるからな。紋章が四つも並んでいるとさすがに見難いし、悪目立ちするだろ」
「わかりましら。つまり、レオにゃルドさんの家族らって宣伝して歩くろ、犯ざいに巻き込まれりゅ可能性も出れくる、ってことれすね」
「そんな馬鹿はまず滅多にいないと思うが、念のためにな」
レオナルドに喧嘩を売るということは、この国の騎士団三分の一に喧嘩を売るということだ。
まともな神経をしていれば、そんな馬鹿な真似はしないだろう。
……凶悪なお守りだね。
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