第4章 街での新しい暮らし
第1話 メンヒシュミ教会へ行こう 1
毎朝タビサが用意してくれる服へと袖を通す。
相変わらずヒラヒラは多いのだが、使われている布地は随分薄くなった。
日本のようなジメジメとした気候でないため実感は薄いが、本格的な夏になってきたのだろう。
……服装に決まりがないなら、半ズボンとか穿きたい。ヒラヒラはちょっと邪魔。
タビサにくっついて市場を覗きつつ観察したのだが、この世界では服装についてとくに決まりはないらしい、というのはほぼ確定だろう。
屋敷の外に出てみれば、実に様々な服装をした人間がいた。
ではなぜこれまではそのことに気が付かなかったのか、となるのだが、答えは簡単だ。
……お金持ちほどヘンテコな格好してるよね、この街。
要はお洒落に使える金額のある富裕層が独自の服装を好み、メイユ村のような貧しい村人しかいない場所ではお洒落にお金と力を入れられる余裕がない、ということだ。
神王祭でも街では動物の
朝食を食べ終わって砦へと出かけるレオナルドを見送ると、私はぐるりと館を回って裏門へと向かう。
緊急時以外使ってはいけないはずの砦への裏門だったが、レオナルドから許可を取って隔離区画へ行くようになった時に『利用しても良い』とお墨付きを貰っている。
基本的に私に甘いレオナルドは、私の足で砦の正門と館の正門を往復するのは疲れると主張したら、すぐに許可をくれた。
隔離区画に通う間だけだ、という期限も付けられているが。
……隔離区画に来るのも、今日で最後だね。
ジャン=ジャック以外の薬の投与が間に合わなかった患者は、すべて亡くなっている。
生き残ったのは薬が投与されるようになった後期に感染した者と、薬の投与が早かった黒騎士だけだ。
感染源である
隔離区画にも新たな感染者が運ばれてくることがなくなり、回復する者とそうでない者との明暗が分かれる。
隔離区画はその役目を終了し、セドヴァラ教会による施設内の洗浄と消毒が終われば開放されることが決まった。
……私も
少しは役に立てたのだろうか。
思い返せば洗濯ばかりしていた気がする。
あとは、
……あんまり、役に立ってなかったかもね。
裏門を抜けて北棟にある隔離区画へと足を伸ばす。
私が通えるのは今日までなので、隔離区画の住人たちにお別れを言うのが目的だ。
セドヴァラ教会の言うことには、感染者の唾や
ワーズ病から回復した感染者は二度と感染しないのだが、ワーズ病に一度も感染していない者は感染する危険がある。
感染力が完全になくなるまで、これまでのように街の中で暮らされては他の人間への感染リスクが高い。
となれば、回復した感染者を街へ解放することはできず、かといって砦の中で一年間も幽閉することは様々な理由で難しい。
そんな事情を含めて、街ごと砦を預かるレオナルドは、感染者を今回の病で全滅した村へ移すことを決定した。
住人全てが元・感染者であれば新たな感染を気にする必要はないし、いくつかの村が全滅しているので、土地は余っている。
そこへ感染者を集め、一年の隔離期間を過ごさせよう、ということだった。
もちろん、「辺鄙な村になど住みたくない」と脱走する人間に備えて見張りの黒騎士も置く予定だ。
セドヴァラ教会からも
薬師は水周りが不自由な村での暮らしでも、風呂や手洗いを怠らないよう見張るのが主な仕事だ。
……このまま村でもお風呂文化が定着してくれたらいいね。そしたら、次はもっと感染者が減らせるもん。
今生の別れというわけではないが、しばしの別れだ。
人に会うたびに別れの言葉を交わし、「またいつか」と再会を約束する。
荷造りをしている部屋で少し手伝い、別の部屋に行ってはまた別れの言葉を交わす。
……見送る側は結構忙しいね。
なにしろ隔離区画の全員とすでに顔見知りになっている。
一言別れを告げるだけのつもりでも、一階から三階まで知り合いしかいないのだ。
誰か一人だけ挨拶をする、誰か一人だけ挨拶をしない、というわけにはいかない。
「ジャン=チャック、お別れ言いにきましらよ」
三階のジャン=ジャックの部屋を覗いてみたのだが、荷造りをしているはずのジャン=ジャックに普段と変わった様子はなく、ベッドの上で
ちなみに、あいかわらずミイラ男だ。
「……あえ? ジャン=チャックは開らく村に行かにゃいんれすか?」
「開拓村だ、か・い・た・く・む・ら。なんだよ、かいらく村って。色っぽい意味なら住みてェぞ、快楽村」
「間違えましら。かいたくむら」
ワーズ病から回復した患者が住むことになる村は、開拓村扱いになるらしい。
今回のワーズ病で元の住民が住んでいた家は焼き払ってしまったので、これから新しく建てる必要がある。
畑は以前からの物がほとんどそのまま使えるので、本当の意味では開拓村と呼べないのかもしれないが、これから新たに作り直される村と考えればあながち間違いでもない。
「それで、ジャン=チャックはかいたくむらへは行かないんれすか? 荷造りしてましぇんよね」
「俺はこれから一ヶ月の自宅謹慎だからな。自宅っつっても、今回のことで降格処分くらって屋敷は追い出されっし、兵舎は感染持ち込むなってんで部屋用意できねーし、じゃあ街ん中で部屋を借りる、ってこともできねーしな。当分はこの部屋住まいのままだ」
死刑の代わりに思いつく限りの刑罰を言い渡されていたジャン=ジャックは、ただ住処が変わるだけでもいろいろあるらしい。
砦で三番目に強いと聞いたことがあったが、ジャン=ジャックにもレオナルドのように屋敷が与えられていた。
今回のことで降格処分を受け、ジャン=ジャックがこれまで使っていた家には別の騎士が入ることになる。
使用人などはレオナルドの屋敷と同じだ。
砦で雇った屋敷の管理人ということで、主が変わってもそのまま屋敷の維持・管理につとめている。
そして屋敷を追い出されることになったジャン=ジャックは、下位の黒騎士が住まう兵舎に目をつけたが、事情が事情なのでお断りされてしまったらしい。
「自宅きんしんのかわりに一ヶ月にゃがく開拓村に住んれ、みんなのらめの家を作っらり、馬車うまのように働けあいいのにね」
「たどたどしく噛みまくりながら恐ろしいこと言ってんな、ティナっこ」
ただ一ヶ月を無為に部屋へ閉じ込められて過ごすよりは、一ヶ月早く開拓村へと赴き、一ヶ月長く働いた方が建設的であろう、と。
「……一応アルフにでも言ってみるか」
ジャン=ジャックの提案はアルフにいくつか修正されたのち、レオナルドの元へと届けられたようだ。
さすがに急な変更で他の患者たちと共に移動することは出来なかったが、一ヶ月の謹慎期間は一年の労役期間に吸収されることとなった。
「ティナ、明日の予定はどうなっている?」
隔離区画へと通うことがなくなり、毎日が日曜日な日々が戻ってきた私に、レオナルドが言う。
近頃は本当に砦が落ち着いてきたようで、定時というものは無いようなのだが、ほとんど毎日レオナルドが館へと帰ってくるようになった。
館にいる時間は朝であったり、夜であったりとバラバラなのだが、朝昼晩の食事時の内かならず一回は同じテーブルにつくように意識してくれているのが判る。
「今日も明日もあさっても、わたしの予定はありましぇんよ」
まだ友だちもいないので遊びに出かける予定はないし、手伝いはさせてもらえることが少ないのでほとんどの時間が暇である。
隔離区画へと行く必要のなくなった私の主な暇つぶしは、午前は昼食準備と夕食の仕込みをするタビサを覗き、昼はお弁当を持って裏門の門番のところへ行き、午後は自室としている屋根裏部屋の隣へと運び出した箱の中身をあさったりとしている。
文字が読めれば書斎の本を端から読んでもいいかもしれない。
とにかく、そのぐらい暇だ。
「……だったら一度メンヒシュミ教会を覗いてみよう」
「メンヒシュミきょう会って、おべんきょうお教えてくれりゅとこりょれしたっけ?」
「そうだ。街の子どもはほとんどメンヒシュミ教会で文字や計算を習っている」
「ほとんろ、ってころは、違う子もいりゅんれすか?」
「貴族や富豪の子は家に教師を呼ぶことが多いから、メンヒシュミ教会には通っていない」
……貴族やお金持ちの子は、他の子と一緒に勉強なんてしたくない、ってことですかね?
オブラートに包んで思ったことを聞いていたら、行き帰りの誘拐を警戒してだとか、生活が違いすぎて会話が合わないだとか、貴族と貧民の子では既知の間柄になる意味が無いだとか、現実的な理由が出てきた。
「……わたしは誘拐とか、大丈夫なんれすか?」
生まれは貧しい村のただの村娘だが、レオナルドの買い与える服を着ている分にはお金持ちのお嬢様に見えるだろう。
そんな私がメンヒシュミ教会に通っても、誘拐されるようなことはないのだろうか。
「送り迎えは人を付けるから大丈夫だ。家庭教師を雇ってもいいが、ティナには同じ歳ぐらいの友だちの方が必要だろう。……そう思っている」
つまりは勉強時間の質よりも、私の情操教育を意識しての選択らしい。
確かに現在の私の日常に、同年代の子どもと触れ合う時間などない。
周囲はみんな成人した大人ばかりだ。
……でも、本物の子どもと遊ぶとか、私に出来るのかな?
何度でも主張するが、私には一応成人済みの前世での記憶がある。
今さら子どもとして本物の子どもに混ざって遊ぶのは、少しどころではない抵抗があった。
……浮かないかな? うまく子どもらしく振舞えるかな。
メイユ村での自分を振り返り、眉を寄せる。
村では中身は大人なのに子どもとなんて遊べるか、と子ども同士の付き合いを極力避けていた。
しかし、子ども時代に母と子守唄を歌わなかったせいでしゃべるのが苦手なのでは? といつだったか一度反省している。
多少の抵抗は感じるが、今は確かに私も子どもなので、ここは正々堂々と子どもとして子どもの中に飛び込んでいくのも良いかもしれない。
……マルセルみたいな子がいたら嫌だなぁ。
好意を寄せられていたのは間違いないのだが、男児の愛情表現は女児にとってほぼ嫌がらせであったり、ただの暴力だったりする。
子どものすることだから、とは思うのだが、嫌なものは嫌なのだ。
……女の子とだけ付きあいたい。
男児と同じ空間にはいたくないと考えて、ふと不思議に思う。
偏見なのは承知だが、この国では女の子にも勉強をする機会が普通に与えられているようだ。
普通と言うのもおかしな話だが、女性が学べる機会を得たのは現代日本であっても近代になってからだ。
それまでは『女に学など必要ない』と、教育を受けられるのは貴族などの特権階級の人間だったり、男だけだったりした。
そういった男尊女卑的差別が、少なくともこの国には感じられない。
家事の役割分担はちらほらと見えるが、日本のように女性にだけ押し付けられる労働ではなかった。
男女ともに最初からそうするのが自然であるように、お互いに協力しあって家事をこなしている。
……やっぱり、メンヒシュミ教会には行った方がいいね。
前世の記憶と今生の経験が違いすぎた。
普通なら成長する上で自然に身につけていく知識が、「前世が、前世が」と自分だけの世界に引き籠っているせいでまるで身についていない気がする。
これではいけない、とメイユ村を出てから何度となく反省もしていた。
反省するだけでは、ダメなのだ。
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