閑話:レオナルド視点 恩人の娘8

「結局、なんれわたしはジャン=チャックのお買い物に付き合わしゃれたんれすか?」


 玄関ホールでティナに出迎えられた時は、俺の帰宅を待っていてくれたのかとちょっと嬉しかったのだが。

 続いた質問に、すぐさま浮かれた心は叩きのめされる。

 ティナのこの質問には、俺が答えなければならないのだろうか。


 ……もう一発殴っておけば良かったな。


 無垢な青い瞳に見上げられ、なんとも言えない気まずい気分になる。

 これというのも、みんなジャン=ジャックのせいだ。

 無理を押して外出を許可してやったというのに、手ぶらで帰ってきた。

 それどころか、ジャン=ジャックはティナに対してなんの説明責任も果たしていない。


 ……なんと言えばティナが悲しまないだろうか。


 そればかり考えているのだが、いくら考えても答えなど出てこないだろう。

 ジャン=ジャックがしでかしたことは、遺族であれば誰でも怒ったり、悲しんだりすることだ。


 答えに窮して居間の長椅子に座ると、珍しくもティナが自分から膝の上に乗ってきた。

 この甘えん坊め。可愛いぞ、と素直に愛でたいところだが、何故か退路を塞がれた気がする。

 膝の上のティナはジッと青い目でこちらを見上げ、答えが返ってくるのを待っていた。


「……ジャン=ジャックがメイユ村を焼きに行った、って話はしたよな?」


「聞きましら」


「家を焼いている間、暇を持て余したジャン=ジャックが墓地で野犬が墓を掘っているのをみつけたらしい。ジャン=ジャックは犬を追い払って墓を埋め直したらしいんだが……」


「それは良いことれすよね?」


「掘り返された墓を埋めただけなら、な」


「違うんれすか?」


「そのあと、墓地で見つけた石の嵌った指輪を持ち帰り、街の古物商に売ったらしい」


「……指輪?」


 柔らかな黒髪を揺らしてティナが首を傾げる。

 たまらなく愛らしい仕草なのだが、ティナのあいらしさをでるのはあとにして、注意深くティナの様子を観察した。

 きょとんっと瞬いているのだが、やがて疑問に行き着いたのか、顔に困惑が浮かぶ。


「お父しゃんと一緒に埋めら指輪……れすか?」


「ジャン=ジャックから聞いた特徴からすると、同じ指輪だと思う」


 ああ、やっぱり気づいてしまったか、と痛ましく思う。

 ティナは利発な子どもだ。

 少し話せば最後まで説明しなくとも、勝手に答えへと辿りついてくれた。


「ジャン=チャックが、お父しゃんの指輪を売っら……」


 呆然と瞬いて、見る間に顔から表情が消える。

 心中でどんな葛藤があったのかは理解できなかったが、ティナは一瞬だけくしゃりと顔を歪め泣き出すかと思ったのだが、すぐに眉を吊り上げた。


「レオにゃルドさんがわたしの代わりにジャン=チャックお五・六発殴っておいれくらさい」


 泣き出すことなくムッと眉を顰め、唇を尖らせたティナに、どこかホッとして小さな頭を撫でる。

 時折青い瞳が揺れるのは、泣き出すのを我慢しているのかもしれない。


「……もう殴ったぞ」


 隔離区画でティナが来る前に一発。

 外出から戻り、空振りに終わったという報告を受けた時に一発。

 ついでに、ティナに自分から説明をできなかった、という報告にも一発殴っている。

 ティナの指定した数には足りないが、アルフも殴っていたので、ちょうどいいだろう。

 そこは任せておけ、と胸を張ると、ティナは小さく首を振った。


「それあレオにゃルドさんの分。わたしの分あ、別でおねがいしましゅ」


 グーで力いっぱいお願いしますね、とティナが小さな拳を握り締めて言う。

 不謹慎ながら可愛らしい抗議に、苦笑が漏れた。


「わかった。グーで力いっぱい、だな」


 歯の数本は吹き飛ばしてやろう。

 もしかしなくても俺の全力で殴れば顎の骨も折れるが、ティナの注文なのだから仕方が無い。

 ジャン=ジャックは粛々とティナの怒りを鎮めるためにその顎を差し出すべきだ。


「……お墓、埋め直してくれたんれしたっけ?」


「本人はそう言っていたな」


「だったら、二・三発にまけといれあげましゅ」


 やったことは許せないが、善行もおこなっているので、減刑は考慮する。

 差し引きゼロとまでは言えないが、ティナに考え付く罰はこのぐらいなのだろう。


 そんな話をしている間に、夕食の支度が整ったとバルトが呼びに来た。







 夕食を口に運びながら、ティナは昼間あった出来事を聞かせてくれる。

 初めて馬車に乗っただとか、北と南の商店街の違いだとか、そこを歩く人々の服装の違いだとかをティナはよく見ていた。

 楽しそうに感じたことを話してくれるのだが、今日は少し口数が減っている気がする。

 時折フォークから手を離しては黙りこんでしまうので、やはりジャン=ジャックのしでかしたことが気になっているのだろう。

 そのうち完全に手が止まってしまい、腕が膝の上へとおろされた。


「ティナ?」


「……今日は、お残ししちゃらめれすか?」


「無理に食べることはないが……珍しいな」


 基本的にティナは出された物は全部食べる。

 嫌いな食材も他の物で挟んで食べるだとか、水で流し込むだとか、自分なりに工夫して食べていた。

 そのティナが、自分から食事を残したいと言い出すのは本当に珍しい。


「ティナ嬢様、少し失礼いたします」


 様子がおかしいと気が付いたタビサがティナの額に手を当てる。

 そうすると、ティナは気持ち良さそうにうっとりと目を閉じた。

 水仕事をするタビサの手が、冷たくて気持ちいいのかもしれない。


「……少しお熱がございますね。今日は街へお出かけをして、お疲れになったのでしょうか」


「熱か……ワーズ病でも困るな。砦にまだセドヴァラ教会の薬師くすしが残っているかもしれない。呼んでくるから、ティナを部屋で寝かせておいてくれ」


「お任せください。さあ、ティナ嬢様。お部屋でおやすみいたしましょう」


 抱き上げようとするタビサを断り、ティナは自分で歩こうとした。

 椅子から降りた瞬間にくらりと小さな体がよろける。

 それをしっかりと抱きとめたタビサに、ティナはおとなしく運ばれる気になったようだった。

 俺は夕食を早々に切り上げ、砦へと向かう。







 消灯時間の過ぎた隔離区画は静かなものだった。

 セドヴァラ教会から出向している薬師も、夜間はその数を減らす。

 区画の入り口に立たせた見張りに取り次ぎを頼むと、中から出てきたのは灰色の服を着たジャスパーだった。

 セドヴァラ教会は役割ごとに服の色が違うので判りやすい。

 白い服が薬師で、灰色の服は学者だ。

 ティナの診察を頼みたいので薬師が良かったのだが、さすがに隔離区画から薬師が一人もいなくなるのは不味い、ということでジャスパーが来たとのことだった。

 服の色で薬師と学者という違いはあるが、能力に差異はない。

 薬師としての腕を身につけたものがセドヴァラ教会の薬師となり、その中で調薬などの研究に励むものが学者と呼ばれるようになる。

 どちらも同じ薬師であることに変わりは無いのだ。


 ……若干とはいえ、ティナが懐いているのが面白くはないがな。


 面白くはないが、背に腹はかえられない。

 今夜のところは素直にジャスパーを頼るしかなかった。


 ジャスパーを連れて館に戻ると、三階に用意したティナの部屋にティナの姿はない。

 もしやと思い屋根裏へと続く階段を覗くと、タビサが降りてきた。


「屋根裏へ運んだのか?」


「ティナ嬢様がどうしても、とおっしゃられまして……」


 広すぎて落ち着かない、というのはティナから聞いていたが、なにも熱を出している時まで屋根裏部屋に篭ることはないと思う。

 知人とはいえ、薬師を連れて来るという時に、外聞も悪い。

 案の定、ジャスパーへと視線を向けると、微かに眉を顰めていた。


「グルノール砦の主は妹を屋根裏部屋に住まわせているのか」


「部屋はちゃんと三階に用意してある。ティナが狭い方が落ち着く、と言って屋根裏部屋を使いたがるだけだ」


 そんなことを話しながら屋根裏部屋へと移動すると、中に入ったジャスパーがゆっくりと掃除された部屋を見渡す。

 そして自分なりに納得したらしい。


「この薄汚れて狭い感じが故郷の村を思いだして落ち着くんだろう」


 ジャスパーは微かに頷いて、古びたベッドで眠るティナの元へと歩いた。







「ワーズ病ではないから、心配しなくていい」


 一通りの診察を終えると、ジャスパーが口を開く。

 ワーズ病とティナの今の容態は、熱の出方が違うらしい。

 ワーズ病は数日かけて高熱を発するので、夕方から急に熱を出したティナの症状とは合わないとのことだった。


「毎日のように隔離区画に通って来ていたからな。過労と……指輪の話がショックだったんだろう」


 栄養を取らせて寝かせておけ、と診断し、ジャスパーは砦へと帰る。

 帰りはバルトに送らせた。


「……過労か」


 赤い顔をして苦しげに息を吐くティナの、汗で額に張り付いた髪を払う。

 よほどこの狭い屋根裏部屋が安心するのか、ベッドに入ったティナは遠慮なく容態を悪化させた。

 気が抜けるプライベート空間になっている、と思えば喜ぶべきことかもしれないが、病気の時は少し困る。

 気が休まる変わりに気が緩み、病魔が猛威を振るうのだ。

 過労は病気ではないが、気を休める必要があるという意味では同じだろう。


 ……俺が構えない分、好きにさせてたからな。


 頑張らせすぎた、とそう思う。

 時にはちゃんと休むことも大切だと、隔離区画へ来るのは一日置きにするだとか、数日置きに休ませるだとかの指示は必要だった。

 毎日楽しそうに手伝いをしているので、つい見逃してしまった気がする。


 ……知らないうちに九歳になってたしなぁ……。そろそろ本気で家庭教師を手配しないと。


 ティナを放置してよい年齢ではなくなってきている。

 体が小さいのでつい幼児扱いしてしまうが、九歳といえばそろそろ保護者の膝になど乗らない年齢だろう。


「……さん」


 うわごとだろう。

 ティナが小さく母親を呼んだ。


「とーさん……待って、追いか、けっこ……」


 どうやら夢の中で両親に遊んでもらっているらしい。

 眉は苦しそうに寄せられているのだが、半分開いたままの唇は幸せそうに笑った。


「……レオなうおしゃんが、いっしょ……」


 不意に、ティナのうわごとに俺の名前が混ざる。

 うわごとに呼んでくれるぐらいには、ティナに認められているらしい。

 先日も、ティナからの歩みよりに失敗してしまったと思っていたのだが、少しずつでも兄として受け入れられている気がしてくすぐったかった。


 ……ティナからの歩みよりには、喜びすぎは厳禁だな。


 先日初めてティナが『レオナルド』と『さん』を取って呼んでくれた。

 父親や兄を『父さん』『兄さん』と呼ぶことはあるが、家族を呼ぶときに名前へ『さん』をつけることはあまりない。

 ようやくティナが自分を家族と受け入れてくれた――と、浮かれたのが不味かった。

 喜びのあまり抱きしめて、柔らかな頬や額にキスの雨を降らせたら殴られた。

 鼻をおもいきりペチンと叩かれた。

 真赤になって照れたティナはとてつもなく可愛かったのだが、すぐに怒鳴るような力強さで『レオにゃルドさん』と『さん』付けが復活した。

 ティナが恥かしがり屋だ、ということはオレリアの家にいたころから知っていたというのに、完全に失敗してしまった。


 ……ティナは恥かしがり屋で、照れ屋だ。


 ティナから何かをしてくれて、それが嬉しかったとしても、喜びはほどほどに表現しなければならない。

 喜びすぎるとティナが照れて、拗ねてしまうのだ。


 ……少し扱いが難しくて、面倒で。でもたまらなく可愛らしくて、少しお転婆な、サロモン様からの預かりもので。


 大切な大切な、俺の妹だ。

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